「悲劇の大地」 |
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「満蒙開拓団とは」 |
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当時の大主上房開拓団の様子 |
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1931年、柳条湖事件をきっかけに満州事変が勃発した。翌32年の3月1日に、「五族協和・王道楽土」をスローガンに傀儡国家の「満州国」が誕生した。
拓務省を中心に、32年から「満蒙移植民計画」を作成し、積極的に満蒙開拓に乗り出した。特に、36年の広田内閣時に、満拓公社が設立され、一層推進された。
対象は、徴兵検査後から満40歳までで、農耕経験のある者であった。土地を持てない農家の次男・三男の多くが志願した。目的は、「北辺の守り、国防の第一戦、コミンテルンの防壁」である。そのため、ソ満国境に配備された。事前に満拓公社が買い上げているので、一緒になって中国を侵略し満州の地を農民から安く買い叩き、恨みをかったという認識は、開拓団員にほとんどない。
1945年までに送出された開拓団員は、約22万人。満蒙開拓青少年義勇軍と合わせて約32万中、約8万人がソ連参戦後の逃避行で死亡したという。