「悲劇の大地」 |
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「方正県と日本人公墓」 |
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日本人公墓の前で |
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方正県は、哈爾濱から東へ約180キロ、人口約10万人の街である。
方正県の郊外でのどかな田園地帯に、中日友好園林があった。ここに日本人公墓がある。昭和20年の敗戦後の逃避行で、各地に散らばる多くの開拓民は、哈爾濱に向けて方正に集結した。食料難や病魔で死亡者が増加し、また生き残った者も厳しい寒さの中での越冬のため、病気に冒され、飢えていた。方正県の人民政府が翌年成立すると、屍体を掘り出でし火葬した。その数4500体であった。ま前た、生き残った開拓民を引き取って扶養した。その数約4200名という。方正県は、残留孤児や残留婦人が最も多い地区である。1963年に、周恩来首相の許可をとってここに日本人公墓を建立してくれた。
隣にある麻山地区日本人公墓は、1984年に建立された。これは、東安駅近くの哈達河開拓団が逃避行中、鶏西市の麻山地区で婦女子約450名集団自決したことで、日本政府と相談して方正県が建てた。養父母公墓は、昨年残留孤児や残留婦人を育てた中国人養父母を供養して建立された。
私たち一行は、ここに花輪を供え、祈念の松の植樹を2本した。植樹をしたのは、長野県、山形県に次いで岡山県が三番目であった。方正県のメインストリートの夜店を覗いていたら、残留孤児の人が2組「日本の方ですか」と声をかけてきた。話に聞いていた現実にぶつかり、「頑張ってください」というのが、やっとであった。