「悲劇の大地」 |
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「不戦の誓い」 |
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日中友好と教育資金 |
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今回企画した「開拓団跡地を尋ねる旅」の特徴は、3点ある。一つ目は、開拓団や義勇軍といった関係者のみが慰霊に行く形でない点である。かって岡山県上房郡から多く送り出したということで、加藤孝之有漢町町長を団長とし、教育関係者や学生など当時を知らない者も参加した旅であった。
二つ目は、関係者も高齢化する中で、貴重な体験を聞き、歴史の教訓を学び、あわせて日中友好を推進するという目的である。そこで、今後の日中友好を推進する上で架け橋となる中国の若者に「希望工程」(奨学資金)を持っていった。そのための募金が、目標額の3倍の約90万円集まった。
三つ目は、私の教え子ではあるが、5名の若い学生が参加した点である。
大主上房開拓団のあった近くの宝山郷人民政府では熱烈な歓迎を受けた。その敷地内にある乾隆小学校と宝山中学校を訪問し、バレーボールやサッカーボールを手渡した。小学生と女子中学生たちは歌と踊りを披露してくれた。若い学生たちは、早速子どもたちと筆談で友達になり、写真を送ると約束するなど各地で親しく交流し親善大使の役割を立派に担ってくれた。
若い学生たちは、この旅に参加して何を学んだか。
川井崇雅君(18歳=香川大1年) |
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「中国人の気持ちに対して、私は考えさせられた。旅の中で、私は彼らに厳しい視線を何度か向けられた。それは、旅行者に対する興味もあったろうが、やはり、日本人がここで何をしたのかという気持ちが含まれていたような気がする」 |
岩崎康博君(18歳=香川大1年) |
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「広大な土地を見て、初めて開拓団の本当の苦労を知ることができた。そして、逃げて日本に帰るために、あの長い道のりを歩き続けた人たちの気持ちがわかったような気がした」 |
最後に、提言したい。
ハルビンから約180キロ離れた方正県には、日本人公墓がある。開拓団員や義勇軍が逃避行の中で、食料難・病魔で死亡した約4500名の遺体や遺骨を埋葬し、1963年周恩来首相の許可でつくられたものである。
方正県は、残留婦人や残留孤児が最も多く存在する。
昨年、戦後50周年といことで、長野県は「和平友好」の碑を建立した。岡山県では、国策で送られた約3000名近くの開拓団員のうち、死亡者・未帰還者が約3分の1もでた。しかし、岡山県全体の開拓団の碑はない。「不戦の誓い」として、方正県に建立してはどうだろうか、と思った。