1 はじめに
今年の1月末のことだった。とあるところで,これまでの私の歴史研究の経緯と,その成果や課題, オ−ラルヒストリーの問題点やその必要性などを話す機会があった。その帰りがけ,一人の女性が 帰ろうとすると出口で私に声をかけてきた。
「すみません。あの,私の義父が中国に戦争に行っていたらしいですが,その義父も4年前に
亡くなりました。義父の遺品を整理していたら『陣中日誌』が出てきました。捨てるに捨てれなく,
どうしたらいいものか思案していたのですが,先生さえよければ,研究に利用していただけませんか。」
そして,3月上旬に関係する地図等と共に『陣中日誌』をお借りすることができた。
これは,この『陣中日誌』の前半部分を解読・分析した中間報告である。
『陣中日誌』は,戦場における部隊の「公的」な記録=戦記である。この第一次資料の価値が ある、一般的に『陣中日誌』は,部隊の指揮班の准尉が書くということになっている。第五師団 第一建築輸卒隊の場合 ,本部書記の小林工兵伍長が書いたものと推定される。ウソも誇張もない 代わりに「事実」の羅列である。多くの人の眼に触れるだけに,感情的な記述も,感想といった 記述もない。しかも,65年前の戦記である。『陣中日誌』の行間にある「歴史」や「ドラマ」を, 直接渡部隊長や元兵士から聞きとり調査ができたら思う。行間にこそ戦場の「歴史」や「ドラマ」 があると思う。しかし、初年兵として所属していた隊員でも、生きていても85歳以上の年齢と推定 される。一兵士の体験を聞き取ることも「真実」だが、こうした第一次資料を様々な視点から解読・ 分析していくことで「もうひとつの真実」が見えてこないかと思った。
ただ、この『陣中日誌』は「建築輸卒隊」のものである。「建築輸卒隊」の評価は低く「輜重、 輸卒が兵隊ならば、蝶やトンボも鳥のうち」と揶揄されてきた。その揶揄は、歴史研究でも同じで、 これまで「歩兵」中心の戦史が研究されてきたのではないか。後方補給を軽視する風潮が、日本の 軍隊を「腐敗・頽廃」させていった。こうした「建築輸卒隊」の役割を見ていくことは、日本の軍隊 の弱点を知る上でも重要だと思う。
全3巻からなる膨大な史料なので、1937年10月12日から始まる『陣中日誌』の内、その1として、 上海上陸から南京戦へ,そして翌年から7ヵ月間湖州・杭州に滞在し,もう一度8月南京へ戻って来る までを解読・分析してみようと思う。『陣中日誌』第一次資料を解読・分析すれば、何が見えて くるか。戦争体験が風化していく中で、「戦争」がもたらす「理不尽さ」や「実態」を、若い人に 知ってもらいたいと思う。