9 第一建築輸卒隊の杭州での任務

 第一建築輸卒隊が,杭州でおこなった主な任務の特徴をあげてみる。

 ・約300名の隊員が,第1分隊・第2分隊・第3分隊とわかれて,作業をしている。

 作業内容は,宿舎・野戦病院の建築から始まって,炊事場・洗面所・浴室・便所・冷蔵庫・ 浴槽など あらゆるものを作っている。

 材料の主なものを「徴発」している。

 「第1分隊第2第3班の残部は,山本分隊長の指揮にて材料の徴発」(1月15日)
 部隊命令「山本伍長ハ之ニ要スル徴発任務ニ服スヘシ」(1月18日)
 「建築材料徴発隊を編成シ」(2月9日)
 「各作業に要する内地追送材料比較的其数量僅少にして現地材料の利用に極力努力しつつあり」
 命令「明五月二十日各分隊作業班は左の計画ニヨリ銭塘江沿岸ニ於テ各八百本ノ丸太切揃ヘ 作業ヲナスヘシ」(5月19日)
 以上のように,材料に関しては,「現地徴発」が部隊の命令で組織的に行われたことがわかる。

 ・中国人職工・大工・左官・苦力の徴用が見られる。

 「本日より第三分隊に支那人苦力大工十名を配属せしむ」(3月25日)
 「近時増大し到底兵力のみにては所要の目的を達する能わさるを慮り,今月始めより日々 支那人大工左官苦力等の配属を支部より受けて」(4月9日)
 3月25日から始まって,5月中旬までは比較的少人数であった。

 「豫てより兵力の不足を補ふため日々支那大工苦力約二百名内外を支部より配属を受 け各作業隊に分配し比較的簡単なる作業に従事せしむ」(5月25日)
 この日より,中国人大工・左官・苦力が激増している。

 「本日支那人使役人数 四六三名」(6月8日)
 この日の数字が最大数である。5月25日から約1ヵ月間が多数の中国人大工・左官・苦力を 使用している。ところが,6月21日から中国人大工・左官・苦力使用の記述がぴたりとなくなっている。

 さて,この中国人大工・左官・苦力の「給与」に関しては記述がない。

 しかし,前年の11月26日,上海付近で先発隊の報告の中で以下の記述がある。
 「同部落土民九名ヲ第一師団の福井部隊長ノ了解ヲ得テ徴発使役ニ要シ一路南市に急行軍。 苦力ノ食事ハ各自ノ食事ノ残リを與ヘ」とある。
 「苦力ノ食事ハ各自ノ食事ノ残リを與ヘ」という 形の現物支給だったのか,賃金だったのかは,わからない。

主な建築・補修
 杭州駅衛兵所事務室・駅員寝所 
 丙兵站部炊事場・洗面所・浴室 
 杭州−嘉興間駅舎警備隊宿舎 
 第十八師団諸施設・野戦病院 
 憲兵慰安所・吉原病院 
 筧飛行場航空隊事務所 
 杭州市内共同便所 
 兵站司令部糧秣倉庫 
 千葉部隊・古市部隊便所・浴室 
 野砲隊連隊宿舎 
 輜重兵連隊設営   
 歩兵大隊兵舎 
 嘉興野戦予備病院 
 俘虜収容所 



目次へ戻る
次へ