1993年6月30日,1本の電話が玉野光南高校にかかってきた。玉野市在住の三浦さんという高齢の人からだった。6月27日の山陽新聞に,「戦時中強制連行の2韓国人来玉」という見出しで,掲載された記事を見てかかってきたものだった。実はこの時,玉野光南高校社研部が,協和隊の崔鐘曄さん(69才)張聖圭さん(70才)を韓国から招待して,6月28日の岡山空襲を語る会主催のシンポジュウム「’93 6.29岡山市民平和祭−アジア・太平洋戦争と朝鮮人強制連行」という岡山シンフォーニホールで催されたことがきっかけであった。
その企画は,岡山市民に広く朝鮮人の強制連行の実態を知ってもらおうということであり,NHKのニュースや地元の新聞の報道された。様々な反響があった。その1つが,6月30日にあった上記の電話である。三浦雄治(みうらゆうじ)さんという方だった。戦前・戦後三井造船に勤めていた方で,「戦時中,私は15才から18才の少年を朝鮮から連れてきて,働かせたんです。」という内容だった。私は「協和隊のことですかとたずねると,「いえ,協和隊とは別に72人,全羅南道の麗水というところにあった職業訓練所から連れてきたのです」ということだった。早速、7月3日にその電話をいただいた三浦さん宅にお伺いした。