玉野造船少年隊について語るには,三浦雄治さん抜きには語れない。写真も証言も大半が三浦さんの記憶によるものである。
全南日報に,1993年8月28日社会面の4分の3を占める記事に掲載された。続報が10月4日,私が訪韓した12月28日の記事と3度に渡って記事になったが,玉野造船少年隊からの申し出は現在のところない。
高齢のため結局は断念されたが,一時三浦さん自身が「この夏に私たちと訪韓して,麗水の地に立ちたい,今は65〜68歳になっているだろう元の少年たちに会いたい」といわれた。
私は,はたして三浦さんが韓国の社会の中で受け入れられるだろうか,を考えてみた。
たぶん,「謝罪に来たのか」というのが一般的な韓国人の受け止めかただろう。しかし,三浦さんに後ろめたさはない。それは,当時の職業訓練所にいた少年たちは「希望して来られた」のであり,「私自身誠心誠意,少年たちの世話をした」「一人の死者や怪我人も出ず,もちろん暴行もふるうことがなかった」という少年隊たちとの信頼関係が心の底に確信としてあるからであろう。
三浦さんの持つ感情と今は65〜68歳になる元少年隊の50年後の感情はすれ違う可能性も高い。もし再会したとしても,ドラマのように抱き合って再会を喜び会うよりは,むしろその逆もありうると思う。15〜18歳の少年が,当時の雰囲気で仮に「希望して日本にいった」としても,その「親日派」的な態度が素直に表現できるほど韓国社会は甘くないし,隊長・三浦さんの見えない日本での苦労があったことは想像できるからだ。
しかし,もし少年隊の一人でも日本に来て三浦さんに会いたいといったら,招待したい気持ちを持っている。
さらに,このレポートを韓国の人に読んでもらいたい気持ちがある。禹奎鎬さんに翻訳してもらって,「強制連行」についてこんな話もあったのだということを韓国の人にも知ってもらいたい。
今年映画部門でアカデミー賞をとったスピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』が話題になった。主人公オスカー・シンドラーはナチの党員で,実業家で,最初は安いユダヤ人強制収容者を利用してお金儲けをしたかっただけかもしれないが,結果的に1200人のユダヤ人を救い,ユダヤ人との心と心の交流まで発展し,戦後50年たった今もその時のユダヤ人や子孫がオスカー・シンドラーの墓参りを続けるところで終わり,多くの観客から感銘を受けた。
三浦さんとオスカー・シンドラーは立場が違う。しかし,韓国でも今の若い人は「強制連行」というと,テレビや本・教科書で学ぶ限り,日本人はすべて悪者に描かれているのではなかろうか。実際,「悪い」・「ひどい扱い」をした日本人が多かった真実は消えない。しかし,韓国の人が,15〜18歳の少年を日本に「強制連行」したという事実だけ知って,「日本人はひどい!」という感情的な糾弾をして,日本人に謝罪を求めるだけで金永三大統領がいうところの「未来志向の日韓関係」が構築できるだろうか。
「強制連行」した事実は事実として謝罪しなければならない。しかし,例外かもしれないが,三浦さんのように朝鮮から「強制連行」して来た少年たちを誠心誠意お世話をして心と心が通い合った日本人がいたことも韓国の人に是非知ってもらいたい。いつまでも,日本と韓国との関係がこの問題になると糾弾⇔謝罪の構図が続いていたら,本当の意味で「未来志向の日韓関係」は産まれないと思う。
そんな気持ちでこのレポートを作った。理解されるかどうか,自信はないが,これから
の日韓交流の問題提起としたい。(青木康嘉)