「岡山県龍爪開拓団」 |
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5 龍報希望小学校 |
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龍爪郷の中心部に小学校がある。2005(平成17)年も訪問して、友好を温めた。黒龍江 日報という地元新聞社から32万元も、学校への資金援助の申し出があったそうで、学校の設備 改築がなされていた。邵洪友(ソウ・ホンヨウ・47歳)校長は、変わらずお元気で再び友好を 確認した。私たちは、2年前と同じようにサッカーボールやバスケットボール、バトミントン などを寄贈した。この小学校は、遠い生徒のために寄宿舎もあり、1年生から英語教育、パソコン 教育がある。「この学校の特色は」と尋ねると「習字教育」と答えてくれた。私たちは特別教室で 習字や絵画の展示を見せてもらった。
龍爪郷の街は、市が立っていて賑わっていた。人民政府の食堂で昼食をいただいていたら、 高見英夫が食事も途中に一足先に出かけた。2003(平成15)年12月、山陽新聞社の記者と訪ねた 場所へ向かったのだ。
龍爪河を渡って、地図上ではかっての畜産学校のあった近くである。この場所は、昔の 龍爪開拓団を感じさせる古い家が残っている。そこは、立木の塀があり、中庭にトウモロコシや 野菜が雑然と植えられている。右手に馬小屋があって、馬が首をのぞかせている。戦前日本人が 住んでいた家だという。家の奥に小高い丘がある。高見英夫自身は、そこを「日の出郷」と 思いこんでいる。高見英夫は、その家の住人にお土産を持って行っていた。高見英夫の 「感情記憶」に残っている自宅のイメージとよほど似かよっているのだろう。 その「感情記憶」は大切にしたいが、『施設要覧』から見ても、引揚げた開拓団関係者が 作成した地図から見ても、そこは高見英夫が住んでいた「日の出郷」の場所ではない。 歴史を研究していなかったら、8歳の体験者である証言でさえ「真実」として一人歩きする。 そこがオーラル・ヒストリーの陥穽である。