「悲劇の青春」 |
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731部隊と平房 |
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731部隊に夫を拉致された敬蘭芝さん |
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哈爾濱から、約20キロ離れた平房地区に「侵華日軍731部隊罪証陳列館」がある。途中、高速道路建設のため道路工事で道は混んでいる。しかし、平房に到着すると、3年前は建設直後で整備されていなかった周囲の風景がとても奇麗になっていた。
今年の9月25日、岡山県総合福祉会館で、「731部隊被害者の証言を聞く会」が開催された。「夫をかえせ!731の暗闇から」と題して、敬蘭芝(チン・ランズ)さんが訴えた。敬蘭芝さんは、夫が731部隊へ拉致され、殺された。日本政府に謝罪と補償を求める9月22日の裁判の判決のため哈爾濱から来日された。結果は、賠償請求が棄却された。しかし、事実認定された。
1941年7月、牡丹江で「国際情報スパイ事件」がおこった。夫の朱之盈(ヅウ・ヅイン)さんは、牡丹江駅の鉄道で大工の仕事をしていた。夫が帰って来ないと思っていたら、日本の憲兵隊が連行していた。彼女の夫は反日情報地下工作員で、自宅が無線連絡所になっていた。彼女も憲兵隊の事務所に連行され、一週間拷問を受けた。夫の目の前で暴行をを受け気絶した。「夫は何をしているのか」と質問を受けたが、「何も知らない」と口を割らなかった。その際左腕を骨折して、今でも不自由している。「叔父を捜せ」と、彼女が釈放された後、夫のことを憲兵隊に尋ねた。門の中さえ入れてくれなかった。どこへ行ってもわからなかった。しばらくたって、電気商をしている人が「ハルビンにいるのではないか」と、教えてくれた。この人は、憲兵隊に拘置された時、朱之盈さんとたまたま同じ部屋に拘留されたひとだった。敬蘭芝さんは、実家のハルビンへ戻り、夫を捜した。しかし、戻ってこなかった。
罪証陳列館の館長である韓暁(ハン・シャオ)氏が、731部隊に送られた犠牲者の名前の中に「朱之盈」の名前を発見して、敬蘭芝さんへ連絡してくれたのが、1986年のことだった。朱之盈さんは、「マルタ」として人体実験で死亡していた。約40年ぶりに真実を知った。そうして四年前、敬蘭芝さんは、中国人戦争被害賠償請求を日本政府に対して起こした。 罪証陳列館の1階でビデオを見て、2階で展示を見た。「悪魔の所業」としか思えない内容に胸が重くなる。売店で『勿忘』という、写真集を買った。日本語訳も付いた731部隊の全貌が写真集となっている。
ボイラ−跡や現在は中学校になっている731部隊本部跡にも立ち寄った。「ここを世界遺産として残し、いつまでも平和と人権の学習の場としたらどうでしょうね」と、ここを初めて訪れた山内先生が言った。