「悲劇の青春」 |
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おわりに |
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1999年8月1日から9日までの9日間の「悲劇の青春を訪ねる旅」は、目的を果たして、 無事帰国した。
3年前に、杉山勝己さんが帰国したり、村上中隊の記録『残影』が発行された山陽新聞の記事を 通して、山本弘之さんや坪根孝さんと出会ったことが、きっかけである。
九六会の総会に2度出席させてもらって、元隊員の人から聞き取り、多くのことを教えてもらった。 聞き取った体験のすべてを書きたかったが、今回の報告集は、今回参加された元隊員を中心に書いた。 たまたま、『残影』に手記を書かれていない人が参加者だったため、続『残影』という形になった。
報告集では紙面参加してもらったが、坪根孝さんが病気で今回の旅行に参加できなかったのは、 本当に残念であった。
募金に関しても、村上中隊・九六会の人からは募金総額の八割を集めていただいた。 中でも、7月27日の山陽新聞にこの「悲劇の青春を訪ねる旅」の紹介が出た後、村上中隊の元隊員の 遺族が山本弘之さん宅を訪ねて来て、「慰霊に」と御寄付をいただいた。胸が熱くなると同時に、 私たちに旅の重さが再確認された感じがした。
こうして約50万円の寄付が集まった。報告集の中でも書いたが、その6割は「21世紀の若い人への 教育基金という日中友好のため」に使った。残りは、雑費の他、この報告集作成の印刷代に 利用させてもらった。それは、この報告集をお渡しすることが御寄付をいただいた方への一番の お礼になると考えたからだ。
紙面の都合で、後寄付をいただいた方のお名前は記さないが、改めて御礼申し上げる。特に、
村上中隊・九六会の人々には、重ね重ねお礼を言いたい。
「ありがとうございました」
また、岡山市日中友好協会の三島伯之会長、松井三平事務局長には、言葉では言い尽くせぬ お世話になった。特に、松井さんには旅行中流暢な語学を生かし、様々な困難をてきぱき処理して 頂いた。中国との文化の違いや、村上中隊の元隊員の五十数年前の記憶だけが頼りというおぼつかない 「わがまま」を全部可能にしてくれる旅にしていただいた。
遼寧海外旅游総公司の登鐵輝氏にも、通訳と添乗員として大変お世話になった。 奥さんが日本人という親しみ易さから、旧知の友人のように話し合った。そして、旅行期間中、 最後まで気持ち良く接してくれた。心から感謝する。
山陽新聞社やOHKは、報道を通じて協力をしてくれた。またこの報告集作りにあたっては、 横山先生に校正や山本さんに校正や監修をお願いした。
「悲劇の青春を訪ねる旅」実行委員会
青 木 康 嘉