この納骨堂のある山は「万霊山」(ばんれいざん)と命
名されていてすべての霊が眠る山という意味がありま
す。
初代の納骨堂は、東本願寺大谷智子裏方より1500
円の賜り金を基に2年の歳月を費やし、入所者の奉仕
作業により昭和9年5月に竣工しました。その後、幾度
となく修復が行なわれましたが、老朽化のため
平成14年5月21日に現在の納骨堂に更新築され、
現在は約3450名が合祀されています。
国の政策により隔離され、故郷や家族から隔絶された
入所者らは遠い故郷を思いながら無念の想いで亡くな
りました。「煙になってはじめて故郷に帰れる」と言われ
たように死ぬまで故郷に帰れない入所者らはこの万霊
山の麓にあった入所者専用の火葬場で荼毘に付され
煙となって故郷に帰っていきました。
さらに、戦時中には余りに多くの死者が出たので火葬
場だけでは足りず野焼きもしていました。しかも、火葬を
していたのは同じ入所者であり、患者が患者を焼くとい
う残酷なものでした。
そもそも療養所内の納骨堂に入ることが大前提とさ
れ、故郷の墓に入るのが「分骨」に過ぎず、それも依頼
のあった場合に限られていたということ自体、まさに骨
になっても故郷に帰ることのできない入所者の悲しすぎ
る現実を如実に示すものでありました。
また、この納骨堂の正面の道は虫明港に続くように西
向きに付けられています。それは、死者が虫明港から
故郷に帰れるように、そして西方浄土に行けるようにと
の入所者の思いからなのです。
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