恵の鐘は愛生園のほぼ中央、海抜約60メートルの光ヶ
丘の頂上にあり、昭和8年に着工し園内職員、入所者の
奉仕作業により昭和10年11月20日に開園5周年記念
として竣工し、竣工式と撞初式の模様はNHK岡山により
全国に響きました。
鐘は西本願寺仏教婦人会からの寄贈であり、表には貞
明皇后の「つれづれの友となりても慰めよ、ゆくこと難き
われにかはりて」のお歌が刻まれています。
現在の鐘は3代目にあたり、初代の鐘は昭和11年8月
の長島事件の際に壊れています。その、長島事件とは、
昭和11年収容定員890名に対し1163名と定員超過は
273名に達し、その結果患者関係費は実質3割も低下し
予算化されてない患者作業費等(当時患者作業費は予
算化されていなかった為、患者の生活関係費より捻出さ
れていました)入所者の生活は窮乏の一途をたどり居室
も12畳半に8名から10名、夫婦者も6畳に2組同居させ
るという非人道的な状態でした。この様な背景から入所
者達は、患者自治制の要求、処遇の改善、作業賃金の
増額、光田園長をはじめ園幹部の辞任を求めハンガー
ストライキに突入したのでした。その時多くの入所者は
光ヶ丘に座り込み「恵の鐘」は3日間休むことなく打ち
続けられました。その結果、園幹部の辞任以外は認めら
れ一応の解決をみました。
この長島事件のおかげで初代の鐘はわずか1年あまり
で壊れました。2代目の鐘は昭和58年に老朽化のため
交換となりました。鐘は、朝晩6時に入園者の手によって
撞かれていましたが、現在では入所者の高齢化の為に
機械によって撞かれています。また、「らい予防法」の
廃止以降は多くの来客者が訪れ、風光明媚な瀬戸内の
眺望を楽しんでいます
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