にいらだ
この新良田教室はハンセン病患者を対象として昭和28
年の「らい予防法」闘争の結果、全患協(現全療協)の強
い要望により昭和30年、全国で唯一長島愛生園に設置
されました。生徒数は1学年30名で4年制の普通科、定
員は120名で卒業者は307名、その内73%の225名の
方が社会復帰されています。
開校当時の状況としては教師は白ずくめの予防着、予
防ズボン姿で生徒は教職員室への出入りが禁止されて
いたため、用事がある時は室外に設置してあるベルを用
い(ベル制)教職員は参考書代金として金銭を受け取る
と消毒液に浸し、札は窓ガラスに張って乾かし、答案や
作文は消毒箱に入れてから手にするなどの措置がとられ
ていました。このベル制は長年にわたる生徒側からの強
い廃止要望の結果、ようやく昭和48年に廃止され翌年に
は生徒の教員室への出入りが自由となりました。
また、修学旅行も生徒側の強い要望にもかかわらず、
園や、県教育委員会らの反対により長年実施されず、昭
和50年にようやく正規の修学旅行が実現しました。反対
の理由は、「らい予防法」による患者隔離政策、伝染の可
能性に対する極度の恐れ、宿泊所が見当たらない等とい
うものであり、このことからも「らい予防法」による一般社
会の偏見の壁の厚さの一端がうかがえます。
昭和62年3月、最後の卒業生を送り出し、閉校となりま
した。
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