十坪住宅



 この建物は「十坪住宅」(とつぼ住宅)といわれる建物で、光田健輔愛生園初代園長の提唱によって始まった「十坪住宅運動」によって建築された愛生園の特徴ある建物です。 
 
 愛生園は設立当初から定員を無視してハンセン病患者をかき集め、国の無らい県運動に呼応して定員をはるかに超える人員を収容していきましたが、これを居住建物の観点から可能にしたのがこの建物に代表される「十坪住宅」でした。
 
 十坪住宅」は昭和7年5月に第1号が建設され、その後昭和19年までに143棟、1047坪が建設されています。 当時の「十坪住宅運動」を宣伝する為に作られたパンフレットには、「十坪住宅運動」とは「愛国献金」という項目が記載されています。要は、建設資金を民間の寄付に求め、建物は患者作業で建設し、建設後は国に寄付するという運動でした。

 典型的な「十坪住宅」は500円の寄付で建設され、6畳2間と台所・便所・玄関からなる建物でしたが、実際は4畳半2間というものも多かったようです。 

 「十坪住宅運動」は、らい根絶のため療養所に多くのハンセン病患者を収容しようという愛生園初代光田園長の考え方によって進められ、無らい県運動同様伝染性の強調による患者の強制隔離の世論喚起に利用されました。