鳥取市立北中学校 親子学習会
2年 西垣佳織
正しいことを知ることができて良かったです。しかし、それと同時に怒りを感じました。ハンセン病の患者さんに対する日本政府の政策が許せません。強制的に隔離をしてその上労働させるなんてひどすぎます。病人なのにそんなことをしたら病気が悪化するのは誰だって分かっているはずです。本当に許せません。もし、たくさんの人が正しい知識を持っていれば隔離という方法をとらなかったかもしれません。患者さん達も違う人生が送れたかもしれません。本名で生活できたかもしれないし、そして何より家族と一緒に楽しい日々を送れたかもしれません。私はハンセン病を知っていくうちに、ハンセン病は一人一人の間違った知識がこのような悲しい差別を生み出してしまったんじゃないかと考えるようになりました。本当に悲しいことです。正しい事を知ることは本当に大切だと思いました。ハンセン病の患者さんたちは病気が治っても故郷に帰ることや社会に復帰することはとても難しいそうです。そのようにしてしまったのは私たちです。だから私たちの手で変えていくしかありません。子供にだってきっと何かができると思います。小さなことからはじめていこうと思います。加賀田さん、正しいことを教えてくださってありがとうございました。
1年 森田典子
私は授業でハンセン病の学習をしたり、加賀田さんのお話を聞く前まではハンセン病というものをよく知りませんでした。ハンセン病は今は治療薬で治る病気で感染力が弱く、発病することもほとんどない病気です。でも加賀田さんが発病されたころは感染力が強く、治らない遺伝する病気と思われ、ハンセン病にかかると隔離されたり、家族や親戚にも影響するということで偽名まで使って自分自身を隠して生きていかなければならなく悲しい思いをしなければならなかったそうです。私はこれを聞いた時病気で体が変形することだけでその人たちを偏見の目で見るという差別の怖さを改めて実感しました。でも加賀田さんはそんなつらさにも負けずに人間らしく、人生をあきらめずに毎日を強く生きてこられたことに感動しました。私は今日の講演で、間違った知識で差別された人たちの気持ち、偏見のおそろしさを知ることができ、正しい知識を持ったり、人の気持ちになって考えることを心がけながら、差別や偏見の心をなくしていかなければいけないし、行動していかなければならないと思いました。
花原裕美子
第一印象は大きいおじいちゃんだなぁって思った。話し口調がすごく好きです。すごく親しい近所のおじいちゃんって感じでよかった。
ハンセン病のことは前もって知ってはいたけど、加賀田さんのお話を聞くとまた違った印象を受けました。 架橋のときの話をとても嬉しそうにする加賀田さん・・・よかったです。何度も“人間らしく、人間らしく生きたい”って言葉を聞いて戦争の時代を生き抜いた人の話とは思えなかった。生きることを誇りに思っている人っていいなって改めて思った。 病気の話もだけど、その中から「生き抜く強さ」・・?っていうのをすごく与えられた。絶望があんな笑顔に変わる日がいつか来るんだなーって思った。 とってもいい人でした。きっとあのおじいちゃんは「いい人生だった」って言えるんじゃないかなーって思う。
これからもお元気で・・・人生楽しむべし!!
2年 稲村研吾
僕は患者の人が囚人と同じ扱いだったというのにとても驚きました。加賀田さんのおっしゃった通り何も悪いことをしていない患者の人がどうしてひどい扱いを受けなければならないのだと、加賀田さんのお話を聞いて思いました。世の中からむりやり離されるというのは僕はそんなことをされた事がないのでよく分かりませんが、きっと言葉には表せないほど苦しいのだろうなあと思います。それと偏見と先入観というのがどんなに恐ろしいかよく分かりました。あと、ハンセン病だけなんで元患者というのか不思議に思います。例えばカゼ元患者とか全然言わないのにハンセン病だけが元とつくのはやっぱり人間は弱いのでそこらへんにも偏見があるのだと思いました。人間回復は今始まったばかりなので僕ももっと勉強していこうと思います。
竹川洋子
加賀田さんはハンセン病というだけで隔離され、ずいぶんと辛い目にあわされてきたことと思います。しかし、講演を聞かせて頂いていた時も少しもとりみださず、堂々とした話しぶりに加賀田さんのすごさを感じざるをえませんでした。加賀田さんの話のおかげで、だいぶハンセン病と人権問題に興味を持てました。人権問題をはるか遠くの、自分には全く関係のないものとしてとらえず、身近なものとしてとらえるよう努力しようと思えたのは加賀田さんのおかげです。お体に気をつけられて、ご自分のご活動、そしてハンセン病のまちがった認識を解消してくれる講演の方頑張ってください。
2年 林恭平
僕の人生においてとても参考になりました。お話の中で心に残った言葉は「何があっても生きる」と「治らない病気は無い」です。加賀田さんは僕の想像もつかないような過酷さを体験されてきて、それに耐えたのですごいなあと思いました。やはり、生きることの重大さを知っておられたのではないかと思います。「治らない病気は無い」というのも希望を持ちながら生きてこられた結果です。
僕は生きることの重大さを知ることができました。どんな困難にぶつかろうとも希望を持ち続けていきたいと思いました。
米村希望
このあいだは講演に来て頂きありがとうございました。私もお母さんも話しを聞けてとてもためになりました。加賀田さんはどうして暗い経験をしておられたのにそんなに笑顔でいられるんですか?“にくしみ”
“悲しみ”という強い感情を忘れられたワケではないと思います。きっと暗い過去ばかりではなかったんですね。“辛い”コトよりも“幸せ”の方が大きかったんですね。私は加賀田さんがうらやましいです。加賀田さんの様な偉大な心をもちたい。今の私は心の中に汚い感情があっていろいろ自分で悩んだりします。だけどまだ15年間しか生きてないのでこれからが楽しみ。加賀田さんに会い、人間性の目標をつくることができました。
2年 澤田佳菜子
先日は私達にハンセン病について色々教えていただきありがとうございました。私は加賀田さんが書かれた「島が動いた」を読んでいます。読む時「なぜ、こんなひどい事を・・・」と悲しく思う時もありました。でも、今回加賀田さんの話を聞くと、本を読む時よりも倍に悲しくなりました。私はハンセン病について勉強するまで「ハンセン病なんてどうでもいい。関係ない」と思っていました。でも勉強するたびに「ハンセン病についてもっと知りたい」と思えるようになったのです。
今回加賀田さんを見てびっくりしたのは83歳なのに背すじもきちんとなっていて「本当に83歳」と思うくらいびっくりしました。加賀田さんの話を聞いて学んだことはいっぱいありますが、その中で大切だなと思ったのは、何事もあきらめずにやりとげる事です。私は少しあきらめてしまう部分があるのできちんと最後までやりとげるようにしていきたいと思いました。これからハンセン病について勉強し、隔離みたいに悲しくひどい事のないようにがんばりたいと思います。また今度機会があればもう一度聞きたいです
2年
小橋彩
私達は加賀田さんの講演の日までに道徳や学活の時間を使ってハンセン病について学習してきました。私はそれまでハンセン病について何も知らないのに悪い印象を持っていて、いつの間にか偏見の気持ちさえできていました。でも加賀田さんの講演や、学校での学習を通じて正しい知識も身についたし、今までの間違っていた自分にも気付くことができました。人々の偏見と差別の中で生きてこられた、たくさんの元患者の方々、本当にすごいと思います。でも、未だに違う名前のまま埋められもせず施設内に残されている遺骨を思い浮かべると胸がつまります。いつか埋葬されることを願っています。
最後に、私達北中生のために講演して下さって本当にありがとうございました。今後もお体に気をつけて奥さんとご一緒にお元気にお過ごしください。そして気が向いたときにはふるさとの鳥取にも遊びに来てくださいね。
岡山県玉野市立荘内中学校
2年
土岐愛
加賀田さんの話を聞いてとてもびっくりした。やっぱり体験談を聞いた方がはくりょくあるなぁっと。自分がそうなったらと思うと加賀田さんのようにめげずに最後までがんばれたらなっと思います。かんたんなことではないことはわかっていますが、それでも一度もらった命を大切にしたいなっと思います。そして、もし自分のみじかな人がそんなおもい病気にかかったら背中をおしておうえんできるような人間になりたいです。加賀田さんのお母さんのようにたった一言、ちょっとでもその人の心にのこるようなことを言ってあげられるような、そんな人間に。ぎぜんしゃではなく、心から相手を想ってあげるような人間になれるように、がんばってこれからも自分にまけずにこれからもがんばりたいなと思います。人間が傷つけた心は人間しかなおせないんだと思うんです。だからそれをいしきしてそういう大人になれたら、最後に自分をほめてあげたいです。
2年 相澤千佳
泣きました。もう感動して涙がポロポロ出ました。愛生園に入る前に加賀田さんが「自殺しようか」と考えていたと聞いた時は、もし自分の立場がそうだったら、どんなに悲しくて悩むだろうなと思った。自分の両親も子供に会えなくなってしまって、どれ程の想いがあったのだろうと思うと、今の私達の生活は本当に幸せだと思う。どんなに悪い子でも不良でも生きていれば、健康でいればそれだけで幸せを感じる事ができると思う。質問の時の「私はもうすぐ死ぬんだ」と話して本当に亡くなってしまった友人の話をしてくださった時は、本当にハンセン病は恐いんだなという事と、その友人の方は人生をあきらめてしまったんだなという想いを知って、私は悲しくなりました。
最後になりましたが、自分がこうして健康で、そして幸せに暮らせる事を両親に感謝しています。そしてもし私がハンセン病になってしまったら加賀田さんの話を思い出して立派に生き延びていこうと思います。本当にありがとうございました。これからもがんばって下さい。
2年 平尾綾子
最後の藤原君からのお礼の言葉でもあったように私もハンセン病について前に勉強したときはショックでいっぱいでした。まわりの人々からの差別、日本政府の隔離政策、正直目をそむけたい事ばかりでした。でも、今日、加賀田さんのお話を聞いてハンセン病のことについてキチンと向き合えるようになった気がします。「大切なのは正しい知識をもつことなんだな」と思いました。私達がこれからも生きていくにあたって、いつどんな病気が発見するかわからない。自分がかかるかもわからない。だけど、それから目をそむけ、批判したりするのではなくて少しでも正しい知識をもってそのこととキッチリと向き合わなければならないと思います。私は普段健康な体であっても、まだいろいろと文句などを言っていました。しかし、それも今日からやめます。「健康が一番幸せな事」ですから。何十年もの病気に対しての差別があったにも関わらず、世間をうらんではいないという加賀田さんを心から尊敬します。最後になりましたが本当に貴重なお話ありがとうございました。
2年 福武未来
加賀田さんの話は差別の事とかが時代をものがたっていました。もし今、昔みたいだったら最低だと思う。差別の仕方も鼻と口をおさえて走り逃げていくような姿はとても失礼だし、心の中もズタズタになってきているような気がする。でも加賀田さんは強い。同じ10代の時にこの病気にかかって、本当はかなりショックだったと思うけど、自分の状況を考えて前向きだったと思う。親が病気になった事を認められないというのもわかるし、本人が一番わかっていたと思う。指先などの神経がやられてしまうというのはつらい事だし、骨までもやられてしまうのはつらい。私はたえられないと思う。健康が一番大切という言葉に勇気をもらいました。私もそこまで健康ではない部分であるけれど、みんなと同じくらいパワーをもっています。私が自分で足りてないのは体力面より精神面だと思いました。どんな時でも強くあれるような人間になりたいと思いました。加賀田さんの言葉、一言一言を大切に将来を作っていきたいと思います。未来を明るく平和にできることを望んでいます。そして作り上げます。加賀田さんの話を私の目標にしたいと思います。
2年 長谷川直子
ハンセン病というのをビデオやプリントで見るだけでは分からないような体験した人の「感情」というものがすごく伝わってきて感動しました。病気に対して正しい知識を持ちよく考えていけば「隔離」をすることもなかったんだということを知り、これからは私達が気をつけていかなければいけないことだと考えました。「愛生園」や「光明園」などという名前がついているのに施設な中は苦しいことが多かったのではないかと思ったら、心がいっぱいになりました。そして、他のたくさんの方達にも知ってもらいたいと思いました。今日の話を聞き、感動して泣いてしまいました。私はまたこの様な機会があれば良いと思います。今日聞いた話を色々なことに生かしていきたいと思います。きちょうなお話ありがとうございました。
2年 壇美智子
加賀田さんのお話を聞かせて頂き、前よりもハンセン病について正しい見方ができるようになったと思います。前、一年生のときにハンセン病について学んだときや、今年見たビデオを見たとき私はショックだったし、かわいそうとさえ思いました。ハンセン病になってしまっただけで差別されたり家族にまできらわれてしまったりと、とてもひどいあつかいをうけていたことを知ったからです。しかし、今回の話を聞かせていただき、心の痛むような話も少しありましたが、そのような逆境の中でも、前向きに、そして少しでもハンセン病を理解してもらおうという姿で生きておられる加賀田さんを見て、私や家族が健康で生きているということは大切なのだ。私も加賀田さんを少しでも見習い、逆境の中でも前向きにがんばっていきたいと思いました。今日は本当にありがとうございました。
2年 松元友依
薬の話がでた時に「人体実験」をしているとは思ってもみなかった。10人ものハンセン病にかかっている人を薬がきくかどうか人で調べるなんて・・・きいたからよかったけど、きいていなかったらどうしていたんだろう?社会ふっきなんてできなかったかもしれない・・・
加賀田さんはハンセン病にかかった事を自分の人生として受け入れている事はすばらしいと思う。もし私がハンセン病だとしたら85歳までは生きていなかったと思う。人に差別をされて「かくり」までされて、私だったら自殺をしていたかもしれない。他の人とはちがう「ハンデ」をせおってきた加賀田さん。私はすごく「そんけい」する。加賀田さんの体験談を「バネ」にし、自分のしてきた事、これからの事を見つめ直してこれから悔いのない人生をおくっていきたいと思う。今日はお話をしてくださって本当にありがとうございました。
2年 内田悠香
それまで元気だった人が、ある日急に病気になるっていうのでとても怖いと思いました。何も知らずに、あやふやな知識で人に伝えてしまうのは本当に最低だと思いました。私もその時代の人間だったら同じ事をしていたかもしれないなぁ・・・と思って、今日ハンセン病について詳しく加賀田さんに聞けて良かったと思います。もしも私がハンセン病に犯されたら“元気に明るく”という気持ちにはなれていないと思います。でも、げんに今完治して明るくふるまう加賀田さんは本当にスゴイと思いました。これからいつ病気になるか分からないけど、加賀田さんみたいに強く明るくがんばりたいと思いました。
鳥取県倉吉市立鴨川中学校
3年 坂野元美
初めて長島愛生園に行った。第一印象は「すごくきれいな所だなぁ」だった。ここであんな悲惨な事が行なわれていたとは、到底想像しがたかったが、監房跡や患者用桟橋、収容所跡などを見て「本当だなぁ」と思った。つらかった。あげくのはてに納骨堂までお参りしてしまうと、自分が体験したわけでもないのに、ものすごく悔しかったし、悲しかった。療養には必要ないものばかり。今じっくり考えてみると、体験したわけじゃないから、知ってるふりをして事実を見つめていなかった。「信じられない」と思って逃げていたことに悔しかったのでは?と思える。納骨堂で強く「悔しい」と思ったのは、「申し訳ない」という気持ちの裏返しだと思う。弱いところに気付けて本当に良かった。どんな気持ちで重労働に従じていたのか。患者を介護していたのか。故郷の方を向いて涙を流していた入所者を思うと、今すぐにでも納骨堂をからっぽにしてあげたい。長島を「こんなことがありました」という所にしたい。難しいことだろうか。
1年 門脇侑里
パッと見ただけで、こういう所でこんな差別があったんだということが分かりました。長島愛生園に行き、「きれいな所だなぁ」と思いました。でもいろいろ話を聞いていて、ここまで差別がひどくなっていたんだなと感じました。できなかったこと、できてないことは悪いことは悪い、と注意すること、それだけなのにここまで差別を引きずってしまい、どれだけの命がぎせいになったのだろう?と考えると悲しくなりました。ハンセン病差別については、昔あったことだけを学習していてもだめだし、今のことだけを学習していたってなくならないと思いました。両方学習して、これからまた同じことのくり返しにならないように自分にできることを一生懸命やっていきたいと思います。今日の研修会では、本物を目で見てあらためてハンセン病差別について深く考えることができました。これからの学習に今日学んだことを活かしていける様がんばりたいと思います。
3年 藤岡啓子 母
せっかくの休日、山積みになった家事もあるし・・・と参加することに少しとまどいもありましたが、貴重な研修をさせていただきました。事前研修当日の池原先生の説得力ある話にひきこまれ、愛生園の加賀田さんのカクシャクとしたお姿に心うたれました。ここにくるまで本当に想像を絶するご苦労があったことでしょう。私はまるで映画のワンシーンでも見るように遠い昔のことしか見えてないと思いますが、もしその時その場にいたらどうしていたのでしょうか。何もできなかった。いえ何も気がついていないことでしょう。
いつかTVのニュースで資料館のパネルにある小泉さんと握手しておられるシーンをチラッと見ましたが、こんなに深い問題だとは・・・今、研修する機会にであえてほんとうによかったと思います。私に唯一できることはまわりの人に伝えていくことでしょうか?まだまだ勉強不足です。これからも逃げ腰になりそうな自分と戦って研修に参加していこうと思います。
3年 宮川翔
8月3日僕は岡山県の長島愛生園に視察研修に行きました。始めはガイドさんにしたがって大仙、三朝とかかれた住宅につきました。鳥取県が無癩県運動で建築したとガイドさんからせつめいがあり、鳥取県はせいふからいいことをといって熱心にとりくんでいてすごいと思った。次にガイドさんから「こういう建物は長島の人がつくったんだよ」ときき、すごくびっくりしました。次に加賀田さんの話を聞きにいきました。加賀田さんは家族にしんぱいさせないよう名前を変えたことやすごい差別をうけてきたことなどを教えてくれました。次に資料館へ行きました。「このお金のおもちゃ」と思うぐらいのものがあったりしてびっくりしました。さいごに人間回復の橋をみんなでわたりました。22mという短いようで長くかんじました。僕はこのけいけんを、長島で学んだことをこれからの人権学習などにやくだてていきハンセン病についての解放劇をかならず大成功させ、みんなに忘れられない解放劇をつたえたいし、これからもこのことをやくにたてていきたいです。
3年 中本久美
わたしは今までにハンセン病についてきいたことが少しだけあったけど、今回岡山の長島愛生園に行ってまだまだいっぱい勉強していかんとなぁ、とかすごく思ったし、ハンセン病について知っていないことがまだこんなにいっぱいあるんだ、とかわかったし、本当にいろんなことを感じ考えさせられました。加賀田さんのおはなしがきけて、本当によかったし、スゴイことだと思います。加賀田さんはとっても優しい、明るい、かわいいという第一印象でした。今までに本当につらい思いをされてすごく大変だったんだけど、今とても輝いているようだったし、なんか元気とかいろんな力をもらった感じがします。ハンセン病は本当につらく悲しい過去がるけど、今わたしたちにできること。正しく理解してたくさんの人に思いを伝えるということを一生懸命取り組んでいきたいです。あの135mの橋を歩いたこと一生忘れません。
2年 栗原かすみ
岡山県、長島愛生園研修会に参加してすごい、いいけいけんになって良かったと思いました。すごいかなしいことだと思ったのは鳥取県の無らい県運動が強かったというのを聞いたことです。まさか自分の住んでいる鳥取県がそんなわけないと思っていたからです。あと、鳥取県出身方の話も聞いてすごい思いがつたわってきたと思いました。すごい、いっしょうけんめいに私たちに話してくださってうれしかったです。長島愛生園の中はいろんなところにラジオがついていて目の不自由な方には便利だなぁと思いました。納骨堂にも行って、花をいけました。今日、岡山県長島愛生園に行ってすごい勉強になり、本当によかったと思いました。また、きかいがあったら行ってみたいです。それで、もっといろんなことを知りたいです。
坂野勝子
研修会に参加して
長島愛生園は周辺にカキの養殖場が浮かぶ瀬戸内の風光明媚な島にありました。
きれいな海、きれいな空、そんな島に国の政策によって強制的に連れて来られ、島から出ることを許されなかった療養所の生活はあまりにも悲惨なものでした。
入所者の加賀田さんの話の最後にハンセン病政策の過ちを風化させたくないと言われた言葉が心に残ります。 現在の入所者497人の平均年齢76.2歳。これから国が過ちを認めて保障してもこの人たちの青春や、これまでの人生は取り戻すことはできないのです。今なお故郷に帰れない人も多く、差別や偏見は存在しているのが現状です。 80歳を過ぎた加賀田さんが私達に一生懸命に話をされたことは、次の世代に同じような過ちをおかさないようにして欲しいという心からの叫びだったと思います。この言葉を重く受けとめ自分たちの問題として考えていきたいと思います。 今回親子で参加して加賀田さんに出会えたことは貴重な経験でした。これからこの経験をどう生かしていくかが私たちの課題です。
2年 坂野文美
8月3日、私は長島愛生園へ行ってハンセン病についてのお話を聞かせて頂きました。体験された方のお話も聞かせて頂き、私の知らないことばかりで、90年余りの間、ずっとあの「らい予防法」そして、「無らい県運動」のおかげでたくさんのハンセン病患者さんや、その家族、子供までもが差別されていたことと、そして、今もまだその差別は残っていると知りました。遺骨になっても帰ることができないと聞いた時、私は「そんな」と思いました。実際の建物(旧事務本館)の中を見ていろいろな資料も見ました。紙のお金や決められた服、食器、大きなノコギリまであってドキドキしました。でも、楽器もあったし、焼き物もあって「本当につかわれていたんだな」と思いました。
私は8月3日の一日だけでハンセン病について知らなかったことを多く知りました。これからもがんばって学んでいきたいと思います。
2年 岸本美香
私は初めはハンセン病というのは治らない病気だと思っていました。でも、実際には治る病気で、それなのに他の人から治らないと言って、おそれられているのに腹が立ちました。治る病気なのに、ハンセン病は治らないし、人にうつる病気とかって、思われてはいるけれど、それは誤解だから本当のことを知ってみるといいと思います。 今、長島愛生園では主に高齢の人が多くて、平均年齢もけっこう高くてびっくりしました。私は納骨堂で代表で花を供えました。花を供えた後みんなで手をあわせました。あと、資料館にも行きました。資料館には園長室とかいろいろありました。すごい立体的にかざってあってすごかったです。長島愛生園内の地図もありました。すごい広いと思いました。疲れたけど、すごくとてもいい研修になったのでよかったです。機会があればまたぜひ来てみたいです。
保護者 中本登貴子
今回現地研修会に参加させていただき本当にありがとうございました。今までハンセン病の事は聞いていてもこのような国などによる不当な迫害があることは(過去)全く知りませんでした。つらく苦しい体験を乗り越え、かくしゃくとしておられる加賀田さんを拝見し、一筋の光明が差してくる重いがしました。 差別を受ける側がその差別を受けているという自覚がなくなる事の怖さ。というのことを池原さんがおっしゃっておられましたが、今回その背景に国家、人間の貧しい心があったからだと思います。世の中には本当に様々な差別があります。最初はなぜハンセン病の事を学ぶのか、何の関係があるのかという思いしかなかったのですが、今回の研修会でその趣旨がよくわかりました。今私達にできることは何だろう。子供と一緒に考えていきたいと思います。
加賀田さんおつまでもお元気で。池原さん、吉田先生本当にありがとうございました。
鳥取県倉吉市立西中学校現地学習
1年 岩田菜穂子
昨日、倉吉東中学校で「中学生人権フォーラム」が開かれました。このフォーラムは倉吉市の中学校4校、関金町の中学校1校のあわせて5校の希望者100人ぐらいが集まり、他校の取り組みを学びながら、自分たちには何ができるのか、仲間づくりについてなどを話し合うというものです。そこで私と福中さんは加賀田さんに教えていただいたハンセン病のことを西中学校代表として発表しました。パソコンでまとめたものを大きなスクリーンにうつして発表しました。参加者のみなさんが真剣に見てくれて、中にはうなずきながら聞いてくれる人もあってとてもうれしかったです。中学校の先生が「とってもいい発表だったよ。」と言ってくださったし、他の学校の人も「一度授業で学習したことはあったけど、そんなに真剣に詳しく学習していませんでした。とてもよい勉強になりました。」など、たくさん感想をいただきました。私は何より加賀田さんの思いや中学生に対する願いを伝えることができたのがよかったと思います。この発表がハンセン病に対する差別をなくすことにつながっていけたらいいなあと思います。愛生園に行かせていただいて、加賀田さんに教わったことを発表したことをどうしてもお伝えしたくて手紙を書きました。私はあと1ヶ月欠席ゼロを目指して勉強や部活にがんばります。加賀田さんもお体を大切になさってください。
1年 福中麻梨奈
三月一日に倉吉東中学校で第五回中学生人権フォーラムが開かれました。本当は中学二年生だけが行くはずだったのですが、私たちも西中学校代表として行くことになりました。他の学校の人達百人くらいの大勢の中で発表しました。さらに、トップバッターということもあり、なお緊張しました。でも、自分たちが伝えたかったハンセン病のことが西中だけではなくて他の学校の人達にも伝えることができて本当によかったと思います。どんどん他の学校にハンセン病のことを理解してもらって差別をなくす仲間をつくっていけたらと思います。そうすれば差別もどんどんなくなっていくと思います。
人権フォーラムはただ語っておわりじゃなくて他の学校の人と交流して差別をなくす仲間づくりの一つじゃないかなと思います。ワークショップといって他の学校の人達と楽しくゲームをして深め合ったり、分科会があって各教室で自分たちが決めた分野について深く語っていきました。私と岩田さんは障害者問題について他の学校の人、数人で語り合いました。その内容は障害をかかえている人達とはどのようにして接していくのかなど話し合いました。一人一人がもっている考えがちがうからもっとたくさん話し合いができたらなぁと思いました。今回、この人権フォーラムに参加できて本当によかったと思います。ハンセン病のことがみんなに伝えることができたこと、他の学校の人達が調べたことを見て、聞いて、初めて知っていろんなことが学べたこと、他の学校のみんなと楽しく交流できて差別をなくす仲間ができたこと、各教室で自分の思いを伝えることができたこと、まだまだいいことがたくさんあります。来年の第六回中学生人権フォーラムにも参加できたらいいなぁと思っています。
鳥取県東伯町東伯中学校親子学習
岩本えり子
愛生園訪問ではふだんあまり聞けないお話しが聞けたりフィールドワークでは昔のままで残っている所を見せてもらったりとても貴重な経験をさせてもらいありがとうございました。裁判で勝つまでの道のりやつらかったみなさんの暮らしが分かりました。ハンセン病は本当にうつらない病気なのに差別されるように特別にあつかわれていたので私は腹が立つし、本当に悲しいことだと思いました。学んだことをきちんとまとめて、解放文化祭では皆に伝えたいと思います。また機会があればそちらにうかがわせていただきます。これからも健康にお気をつけて元気にお過ごし下さい。では、さようなら。
種子由夏子
先日の訪問ではとても貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。納骨堂や回春寮などを見て回り、すごい衝撃を受けました。加賀田さんのお話をきいてフィールドワークをしたら、加賀田さんのお話を思い出しながらその頃の様子を想像する事が出来ました。本当にありがとうございました。心の底からこんな事を許してはいけないと思いました。帰ってからお母さんや友達に「愛生園という所では昔こういう事があったんだよ」と話をしました。絶対に許してはいけない事だし、園に入った人達の事を想うと涙が出そうになりました。この経験を生かし「許されない事」だと皆に伝えていきたいと思います。本当にありがとうございました。
山田奈緒子
拝啓、皆様お元気でお過ごしでしょうか。先日は皆様忙しい中、長島愛生園にお招きいただきありがとうございました。
フィールドワークでは歴史資料館などふだん行けれない所まで行かせていただきすごく貴重な体験になりました。実際に見ると、ハンセン病になっただけでそこに入れられたりするという事を思っただけですごく怖かったです。加賀田さんのお話を聞かせていただいた時、ハンセン病の人に対しての差別がすごい許せない気持ちになりました。
本当に貴重な体験をさせていただきありがとうございました。これからもお元気でお過ごしください。
山田裕子
前略、先日は雨の中貴重なお話を聞かせていただき、またフィールドワークの案内までしてくださり、ありがとうございました。私は今までハンセン病という言葉は知っていましたが、どんな病気なのかは知りませんでした。でも、この訪問をするにあたって、こんなひどいことが行なわれたということを知りました。そして実際に見学してみて、改めて本当に最近までまちがった考えのために苦しんでこられたりしたんだ思いました。これからもこの体験をみんなに伝えていきたいと思います。これからもお元気でがんばってください。
大松万希子
先日の訪問ではとても貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
フィールドワークでは昔のまま残っている収容所など見せてくださったりとても貴重な体験ができました。愛生園で見たこと感じたことを忘れないようにしたいし、ハンセン病やハンセン病が原因でおこった差別のことを知らない人達に、昔あった絶対ゆるせない差別のことをたくさん知ってもらいたいです。私は愛生園に行きとてもたくさんのことを知りました。薬があれば治る病気なのに理解がなかったから差別ができたと思います。同じことが絶対におこらないように多くの人にこのことを伝えていきたいと思います。本当にありがとうございました。
山田祐太
先日の「長島愛生園ふれあいの会」では、ハンセン病によってうまれた差別や隔離された事について話を聞かせていただきありがとうございました。話を聞かせていただいた加賀田さんは実際に体験されていた事を聞きとてもおどろきました。何度も自殺を考えておられたという事を聞き、そこまで人を苦しめる法律をどうして日本はつくってしまったのだと改めてかんじました。フィールドワークを案内してくださった神谷さんも体験されていたという事も聞き、またおどろきました。ふだん見る事のできないような物をたくさん見せていただき本当にありがとうございました。 また機会がありましたら、そちらにおうかがいしたいと思います。これからもお体に気をつけて下さい。
川本寛子
先日の「長島愛生園見学」ではとても貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。こういう体験ができるのは一生に一度もないと思っていたので本当に良いものになりました。改めてハンセン病差別のひどさ、残酷さを知り、間違った知識を得て差別している人達にすごく腹がたちました。差別している人にちゃんとハンセン病のことを勉強してもらい、差別をしないようにしてもらいたいです。これからもお元気でお過ごしください
安田恵
先日の「長島愛生園見学」ではハンセン病について話しを聞かせていただいたり、道案内をしていただきありがとうございました。ハンセン病はうつらないのに、白い粉をまかれたり、納骨堂ではぎめいで入っていた人もいました。私は、どうして本当の名前があるのにぎめいで入らなくてはならないのか今でもちょっと分かりません。でも、リバティーでハンセン病について習っていたけど加賀田さんからもっとくわしくおしえていただき、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、そちらにおうかがいしたいと思います。これからも体に気をつけてください。
鳥取県日野郡溝口町立溝口中学校
船越和也
療養所での生活、思いが以前より詳しく知る事が出来ました。ぼくが特におどろいた内容は、かくりされている方は選挙権が無いと言う事です。まるで国民あつかいをしていないと思い、ひどいと思いました。療養所にいられた方、その家族を差別すると言う事はとてもその人にとってはつらい事だと思います。特効薬が見つかった後でも、療養所から出られなかったと言う事も初めてしりました。かくりされた人の人権を考える事も大切だと思いました。
1年 遠藤菜津美
先日はハンセン病についてさまざまなことを教えてくださってありがとうございました。私は加賀田さんのお話を聞いてこれから自分の意見ばかり通さず、もっと相手の意見を聞いたり、いままでの私みたいに見て見ぬふりをしないように努力していきたいと思いました。でも、まだ「怖い」という感情があり、なかなか言う事ができません、私はまだまだ中学校生活1年目、これからがんばっていきたいと思っています。
3年 松ア明美
私は学校で人権学習を学び、ハンセン病についても学習しました。聞かせていただいたお話には学習したこともありました。しかし、加賀田さんの実体験の話や、その時加賀田さんが感じたこと、思ったことを聞かせていただくことができて、私はぼんやりとしか分からなかったことがはじめて現実的に感じることができました。そんなことまでするのかと思うようなひどいことをされたと聞いた時は本当にびっくりしました。もう二度とそんな過ちをしたくないです。本当にありがとうございました。
2年 木島菜摘
私は加賀田さんのお話を聞いて、偏見ってコワイものだなぁと思いました。見かけで人を判断してはいけないと言われますが、たぶんハンセン病について何も知らない私がハンセン病患者の人を見ればきっとまっさきにコワイと感じて、その人のことを否定すると思います。
もし、今の私が見ると、きっとコワイと感じます。
でも、その人に対して否定はしないと思います。たぶん「ハンセン病かな?」位しか思わないと思います。加賀田さんの話を聞いている時、ちょっと気持ち暗くなりました。なんか加賀田さんに対する他人の行動が「そこまでするか?」って程になっているのがイヤでした。私は加賀田さんの話が聞けて良かったと思います。気持ちがリアルで分かりやすかったです。
大江公平
今回の学習をするまでは伝染したらすぐに隔離されて恐い病気というイメージしかなかったけど、今回学習をして今は患者がぜんぜんいなくて、発見されてもすぐに薬でなおせるということがわかりました。でも話の中の差別の話が心に残りました。親が自分の子供がハンセン病だと分かると、周りから差別されないように子供の存在をけして、子供が治っても家に帰らせないという差別の話を聞いて、よくそんなことができるよなと思いました。これからはそんなことがおこらないようになってほしいと願いながら自分でも努力していきたいです。
本庄睦子
私にとってすごく貴重だったし、とても驚いたことがたくさんありました。中でも一番驚いたことはご飯が真っ黒だったということでした。昔は、患者さんに対して本当にひどい扱いをしてきたんだなぁと悲しくなりました。話の中に「看護師さんが包帯ぐるぐる巻きの人をかかえていたのを見て感動した」と加賀田さんが言われたのも印象に残っています。看護師さんはすごいなぁと思います。人の命を助けないといけないから頑張れるんだと思います。今回お話を聞いてもっと知りたいと思ったので、是非また溝口へいらして下さい。
米原真実
私は一度長島愛生園へ行った事があります。だから結構ハンセン病については知っていました。私は長島愛生園へ行くのが怖かったんです。先生にうつらない病気だよって言われたのですが、本当かなって不安でした。でも行ってみたり実際すると怖くなかったです。もし今長島愛生園に行っていなかったら、ハンセン病はうつらない病気だと知ってても、へんけんな目をしてしまっているのだろうなと思いました。私は長島愛生園に行って本当に自分のためによかったと思います。加賀田さんのお話を聞いて今でもハンセン病はうつる病気だと思っている人に「それは違うよ」っておしえてあげられるようになりたいです。そして、みんながハンセン病について理解を深め、元ハンセン病だった人たちが故郷に帰りやすくしたり、社会ふっきをしやすい世の中にしたいです。すぐには無理かもしれないけど、一人からはじめてどんどん広めたらすごく大きな力になると思います。今私に出来る事を考えて努力していきたいです。
2年 永瀬麻友
私は加賀田さんをとじこめて、とてもひどいことをしていた。と、これまで以上に感じました。特に、ハンセン病の患者さんが産んだ赤ちゃんを殺してしまう。というところがひどいと思いました。私が医師だったらとてもそんな人とは思えない行為はできません。これは殺人なのに国はこのことを許していたなんて。と、思いました。本当に恐ろしいです。
3年 堀田莉沙
2時間ほどでしたが、とても充実した時間を送ることができました。私は加賀田さんにお話を伺う以前にも、授業でハンセン病について学習してきました。最初はハンセン病がどんな病気なのか、どうしたらうつるのかも知りませんでした。ただ、ハンセン病はうつる病気だからこわいという気持ちもありました。しかし、学習していくうちに今まで知らなかったことも分かってきて、ハンセン病にかかった人達がまわりからとてもひどい扱いを受けてきたという事実も知りました。ハンセン病はめったにうつらないし、治るとわかっているのに「らい予防法」をつくって隔離したり、差別したり。それはハンセン病にかかった人達にとても深い傷をおわせたんだなと思いました。でもそれは「らい予防法」をつくった人だけのせいではなく、それを認めたすべての人にも責任があるんだと思いました。今後、絶対にこのようなことはあってはいけないと思ったし、もし起こってしまったら私たちの手でなくしていかないといけないと思いました。今回お話を聞き、私はとても勉強になりました。これからの生活にいかしていきたいと思います。
鳥取県用瀬町立用瀬中学校現地学習
1年 田中大輔
長島愛生園に行って第一印象すっごくふつうなところ。僕の想像ではもうちょっとせまくて平地っぽいところという想像をしていたけど実際は緑豊かで山もあって学校もあって寺もあって公衆電話もあって、こんなところでかくりされていたとは思えないほどふつうな感じがしました。でも実際話を聞いてみると初めは橋もなく長島に土砂をのせる船で連れてこられて、骨になっても家に帰れず逃げようとするとすぐにかくりされて氷点下にもなる寒さの中毛布一枚しかもらえず食事も朝晩に少ないおにぎりとたくあんだけで、誰か亡くなると自分たちで焼いて、お金も島から逃げれないよう島の中だけ使えるお金にして、この生活にたえきれず自殺した人もいるようです。「らい予防法」によって自由をうばわれ人として見られずに死んでも家に帰れなかった。この話を聞いているだけで当時の人々の苦しみや悲しみがじんじん伝わってきます。こんな法律を誰がつくりだしたのだろう。人の人権をうばうような法律をつくって何を解決しようとしたのだろう。何を考えてつくりだしたのだろう。このハンセン病問題は永遠に学習し続けなければならないことだと思う。
3年 長戸秀未
初めて長島愛生園の中を見学して一番はじめに思ったことは、“ふつうの所じゃん”って思いました。想像していたより広く景色もキレイだし信号や電話ボックスがあるのにはびっくりしました。午後からの見学で一番印象に残っているのは納骨堂です。学校でビデオを見た時の星塚敬愛園の納骨堂がイメージにあったので見た時はとてもキレイでした。すごくいっぱいの人々がねむっていることも聞きました。今、納骨堂でねむっている人達が故郷に帰れないのは家族の人が今さら“そう式”なんてできないとか、家だったらおはかのそうじとかもマメにできないので愛生園に骨をおいておいて、おはかまいりに愛生園に来る人もいるそうです。私の家族がもしハンセン病にかかって亡くなっているんなら、無理にでもおそう式をしてあげたいです。ハンセン病について勉強しているからこういうことが言えるのかもしれません。でも、ハンセン病の差別やへん見を少しでもなくすためにも、1人でも多くの人が故郷に帰ってほしいなぁと思います。あと、神谷さんや加賀田さんはとてもやさしかったです。加賀田さんが資料館でどんな質問にでも1つ1つていねいに答えてくれたのがすごくうれしくて印象的でした。私はもう一度愛生園に行ってまだ見ていない所を見学したいです。神谷さん、加賀田さんに案内をしてもらいたいので長生きをして下さいね。
1年 飯田美那
長島は本州と2kmくらいはなれていると思っていたけどすごく近くて驚きました。でも、長島にかく離されていた方々にとってはとても長く感じられるのだろうか?と思いました。恩賜記念館に昔使っていた薬などがありました。昔は油のような薬を太い注射針で筋肉注射をしていたと聞いて、痛みを想像しただけでとてもがまんできなくなるようでした。どんなに痛くてつらくても病気を治して、家族のもとに帰るために耐えたんだということがよくわかりました。
愛生園に来て初めての夜を過ごした部屋を見せてもらい、その時の不安やさびしさがどんなだったかも聞かせてもらいました。小さい子どもが船で長島まで連れてこられてお母さんと別れた時、その子は「すぐに迎えに来てね」という気持ちだったのかどうだったのか考えたら涙がでそうでした。そんな思いをたくさんの人にさせてしまったのは、らい予防法と、まわりの人の差別や偏見があったからだから、もうそんなことは絶対にないように、この学習を活かしてこのことをまだ知らない人に教えたり、自分のできることからしていきたいです。加賀田さんの願いにもあったように「間違っているんじゃないか」とか、自分はこう思うとか自分の思いを相手にちゃんと伝えれるようになりたいと思いました。
1年 岸本雅史
加賀田さんや神谷さんの話をきいてすごく不思議に思ったことがあった。今までつらい思いをされていたのにどうしてあんなに明るいんだろうということだ。たぶんいろいろな人達がハンセン病を知ろうとしているからなんだと思う。よって気分が悪かったので全て覚えることはできなかったが、収容所とかんぼうの外かべはとくに心に残っている。古くなっていたので昔から最近までよぼう法がでていたんだなあと思った。加賀田さんや神谷さんは50年以上愛生園にいるということが分かってすごく長い間つらい思いをされてきたことが分かった。お話をきいていてらち問題とかくりが似ていると言われてやっと気がついた。たしかに家族や友達とはなされて会えないところは同じだなあと思った。かんぼうがうめられているとは知らなかった。古くなってこわれたと思っていたのでちょっとびっくりした。資料館にはすごくいろいろなものがおいてあった。元かん者さん達が使っていた道具などのせつめいもしていただいた。納骨堂は外しか見れなかったけど想像と全然違ってすごくきれいにしてあった。「ふるさと」の2番と3番は本当にかくりの問題についてうたっているようだった。愛生園はすごくきれいでまた来たいと思うほどだった。みかんもおいしかったので少しは気分が良くなった。でもまだ気分がすぐれなかったので恵みのかねを鳴らしには行かなかった。ラジオが順にかわっているのは全然気がつかなかった。橋は以外と短かった。加賀田さんが言っておられたかんごふさん達のアパートから先に行くと捕まるというのが想像できなかった。家までついてもすぐに連れて返されるというのがとてもかわいそうだった。とてもきれいなところなので体調がよければまた行きたいと思った。
1年 砂河純子
初めての長島愛生園でした。私の愛生園のイメージは施設というイメージでしたが入ってみると普通の町でした。隔離があったようなところだとは思えませんでした。話で聞いた場所、物があり、想像していたよりすっごく大きくてきれいな場所でした。ろうやのかべを見て加賀田さんが話されたことがとても印象に残りました。万霊山で歌った「ふるさと」が届いていればいいと思います。監房があったときの写真を見せてもらい、ここに何百人という人が入っていたんだと思うと、とても悲しかったです。つれてこられて来たときに必ず通った橋を見て「ここから始まったんだなぁ」と思いました。話で聞いたことしかなかったので、どんな所なのかどうなっているのかもわからず実際に見ると、とてもつらかった思いが伝わってきました。長島大橋は昔なかったんだと思いました。たった30mぐらいなのに、ずっとそのことを思っていました。資料館にあったハーモニカを見て「あっなるほど」とびっくりしてしまいました。義手や義足を初めてみて恐いと思いました。ハンセン病患者に似せて作ったお面が恐かったです。「自殺の名所・・・ここで・・・」とても悲しかったです。きっとその人は寮生活が苦しかったんだと思います。昼に出たみかんがとってもおいしかったです。また行ってみたいと思いました。加賀田さん、神谷さんありがとうございました。
1年 有本嵩昌
人権回復の橋をわたって愛生園に着いた時はすごくきれいな所だなぁと思いました。こんなきれいな場所にかくりされていたとは思えませんでした。福祉会館で加賀田さんと神谷さんの話を聞いて、ハンセン病のいろいろな出来事を年代や日数もほとんど覚えていてすごいなぁと思いました。加賀田さんや神谷さんは自分自身がどんな体になったのかなどを話している時は、自分の昔のことしゃべっていて悲しくならないのかなぁと思いました。昼に長島を見学して、かんぼうを見た時、ここに人は収容されていたんだと思うと少しかなしかったです。納骨堂は昔、小さかったけでど今では亡くなった人全員が納骨堂に入っていると聞いてビックリしました。「ふるさと」を歌って、みんなふるさとに帰ってくれたらいいなぁと思いました。資料館でぎ手、ぎ足を見た時ハンセン病でうでなどを失った人がいるんだなぁと思いました。もうこんな差別がなくなったらいいなぁと思いました。
1年 池本裕香
初めて長島愛生園に行き、自分が想像していたよりとても広くいろんな施設があり、おどろきました。実際に療養所とかんぼうを見て、昔のそこでのあつかいを思い出しながら見学をしました。寒くて何人も凍死されたかたがいたというかんぼうを見て今はあの時のことを思い出したくないと思う人もおられるので、うめられていたけど、すごく寒い思いをしながら、かんぼうに入れられてたと思うと、とても悲しくなりました。加賀田さんや神谷さんのお話に出てきた「まちがっていることを、まちがっているといえる人になってもらいたい」と話され大切な言葉だなと思いました。前に神谷さんの話を聞いた時にでていた「この病気のことをまだ知らない人や、まちがって覚えている人たちに伝えてほしい」という願いを聞き、それがわたしの目標になりました。そして、また新しくできた目標は、このような問題がおこらないようにまちがっていることをきちんと正しく伝えていくことができる人になりたいです。
倉吉北高等学校
2年 三谷顕史
ハンセン病の事はテレビで原告側の勝訴というのを聞いた事があるだけで知識が乏しく、何なのか分からず聞いていました。
でも学校でハンセン病の事を聞いて驚きました。ハンセン病にかかってしまった人は岡山県の長島という所の愛生園に隔離されていたという事を聞いて更に驚きました。理由は遺伝子と強い感染の確率が有るからという事だったみたいだけど、外国の研究で遺伝子での感染の確率は無いし、弱い感染率、病気にかかってもプロミンという薬で治るということが分かったのに、なぜ今まで隔離され続けたのか不思議でなりません。
日本という国は人権がそこなわれるから、人権がというくせに、ハンセン病の人達を何十年間も差別していた事に対して強い怒りでいっぱいです。その何十年間の間に何人もの人が差別をされたまま、後悔されて亡くなったと思うとつらいです。
加賀田一さん、話をして下さって有難うございました。何も知らなかったら自分も差別していたかと思うとぞっとします。でも、話を聞いた事で、もちろん自分もへんけんを持つことはないし、他の人もへんけんを持つ事がなくなったと思うので本当によかったです。
2年 尾川大輔
今日、加賀田さんの話を聞いて日本は本当にハンセン病患者に対してとてもひどいことをしていたと思いました。ぼくはハンセン病の裁判があるまでハンセン病のこと全然しりませんでした。でもだんだん分かって来て日本は対策も遅れたし、薬も療養所でしか使えないというとてもひどいことをしていたことが分かりました。ぼくもいままで体に障害がある人に対して少し引いていたけど今日聞いた話や勉強をしたことで、それが直せそうです。加賀田さんはこれからもぼく達のような正しい知識を持っていなかった人に話をして上げる機会があると思いますが、がんばって差別がなくなるようがんばってください。今日はありがとうございました。
3年 山桝美保
ハンセン病になってしまった事でかくりされたり、偏見や差別をうけたりして本当に大変で辛かったんだってつくづく思いました。「これで自分の人生も終わった」って、そこまで思う程辛い事だとは最初は思わなかったけど、自分の立場を置きかえて考えてみるとそういう気持ちが少なくとも分かったように思いました。
島に橋をかける事だけですごい時間がかかったと聞いてビックリしました。何人もの人がずっと頑張ってきて、橋がかかって本当によかったって思いました。
偏見や差別はそれをうけた人にしか本当の辛さや悲しみは分からないから、ハンセン病についてもっと勉強して理解して辛い思いをする人を少しでも減らしていけたらいいなと思います。
色々なお話を聞けてすごく良かったですありがとうございました。
3年 西村真衣
人間が人間を比べて差別や偏見になったりするのはとても哀しい事だと思った。
加賀田さんが食べ物等他に改善する所があったのに、橋を1番にしたのは人間としてやって良かったと思いました。
ハンセン病にかかった人はその時国の衛生状態が悪かったり、栄養不足だったりしてかかったのに、国がハンセン病の人を全然人間として扱ってなかったのは変だと思った。今改善されて本当に良かったと思う。
ハンセン病についてまだまだ知らない人や誤解をもっている人のために正しい事を頑張って広めていってほしいと思う。
2年 木村悠
私はハンセン病という名前を今年の5月にテレビで勝訴のニュースを聞いて初めて知りました。今まで、どんな病気なのか、どんなふうに政府が対策を取ってきたから裁判ざたになったのか全く知りませんでした。
私は今週になって公演を聞くための予備知識としてプリントで学んだり、ビデオを見たりして、どんな病気なのかを知りました。
加賀田さんの話の中にもあったけど、ハンセン病の患者さんを治るとわかってからも、療養所に隔離したままにしたり、長島愛生園に連れて来られた時に囚人のような服を着せたなど、政府の対応のしかたにすごい反感を持ちました。その上、「らい予防法」の廃止も遅かったり、なんでわかった時に、間違っていたのに謝ざいしなかったのか疑問に思いました。この講演でハンセン病の例や部落差別にもあることだけど、無知というのはこわいものだと思いました。
2年 田中里奈
ちょっと前にニュースで「ハンセン病」という言葉を聞いた時は、どういうものか全く知らなくて、今回このような講演会を通して「ハンセン病」について知ることができてよかったと思います。ハンセン病にかかっている人が、これまでどのような目に合ってきたのか知った時は、ひどいものだったんだなぁと思いました。部落差別にしてもそうだけど、日本人はそのことについてよくも知らないくせして、頭から悪いふうに決めつけちゃうのでそういう所は見直していかなければいけないと思います。ハンセン病にかかって辛い思いをしている人たちのことを、そうでない側の人たちがもっとよく理解していれば、ハンセン病にかかっている人たちのくらしも違っていたと思います。加賀田さんも長い間戦ってこられてひどい思いもされてきました。そういう思いをもうされないようにハンセン病だけじゃないけど、まちがった意識を持たないようにしたいです。今になってやっといい方向に向かいだしたということは本当に遅かったんだと思うんだけど「ハンセン病」は治るんだから、今治療中の方々にも元気に頑張ってほしいと思います。今回「ハンセン病」の正しい知識を知ることができてよかったです。ありがとうございました。加賀田さんも元気に頑張ってください。
2年 前田貴志
僕はハンセン病について全くの無知でした。今日、加賀田さんの話をきいていて、ハンセン病はライ菌という菌が体に入り、知覚神経をマヒさせて顔や手足に症状が出ることを知りました。話をきいていて、S31年国際決議でハンセン病患者のことについて会議をしているのに、日本は何も方針をかえず患者を強制的に療養所に入れ、その後何年も日本はその方針をかえなかったことを聞いた時は、日本はなぜそこまで隔離をしていたのか不思議に思いました。日本はライ菌が弱く、ふせげる方法はたくさんあったのに、ハンセン病患者を差別していたことについて、どんな理由があろうと、昔何て言われていようと予防法があるのにそれをしないのはあきらかに患者さんに悲しいことだと思いました。今年5月裁判で国に勝ったことはすごくうれしいことだと思います。日本は今までとってきた政策に対して、もっと謝罪し患者さんの一生をもっと大切にあつかうべきだと思います。本日は講演ありがとうございました。
2年 真田多喜子
私は今までハンセン病という病気がこの日本にあること、また、加賀田さんのような患者が離れた小島に今まで隔離されてきたことを知りませんでした。私が初めてハンセン病のことを知ったのは小泉総理が上告をやめられたというニュースでした。そのとき私は、ハンセン病とは何か、どうしてこの人たちは平和で医療技術がととのっているこの国を裁判にかけなければいけないのか不思議でした。
そしてその後、学校でハンセン病について色々なことをおそわり、初めてその理由を知りました。知ったとき、私はショックを受けました。日本がハンセン病患者さんに対してしてきたしうち、そのあまりのひどさと今までハンセン病を知らせなかった政府、そして無知な自分自身に腹が立ちました。
「どうして日本政府はハンセン病を隠したのか。」その質問に加賀田さんは「先進国のとしての名誉を守りたかったから」とお答えになられた時、そんなちっぽけなプライドのためにいったい何人の人が傷つけられただろうと思いました。
今、ハンセン病が見直されて政府が責任をみとめたのはすばらしいことだと思います。
これからもがんばって下さい。
2年 河本千佳
私は学校でハンセン病についての話があるまで「ハンセン病」について何も知りませんでした。ただ「ハンセン病」という病名を聞いたことがあるだけでした。ハンセン病についてのプリントをもらって少しはどういう病気か、その患者がどのようにして暮らしてきたのか知ったつもりです。「無知が生む偏見」という事では「部落差別」と似ていると思いました。正しい知識をみんなが知っていれば、もしかしたらこんな差別は生まれなかったのかもしれません。正しい知識をみんなが知らなかったためにまるでカクリされたように生活してきた患者さんたちのつらい日々は私では想像できないほどだったと思います。でもその中でも良い方向へ良い方向へとみずから進んでいった加賀田さんは本当にすごい人だと思います。私たちが今ハンセン病について正しい知識を持っているのも加賀田さんたちのおかげだと思います。ありがとうございました。
1年 甲田隆司
今日はとてもきちょうな話を聞かせていただきありがとうございました。ハンセン病についてはまったく知らず、たまにニュースで見るぐらいでした。この前、ハンセン病のビデオを授業で見た所、こんな事が日本であったのかとすごく驚きました。まるでしゅうじんあつかいされるし、他の兄弟や親族にはハンセン病の家だとかいろいろ差別される。こんなことをよく国はやっていたな、と思いました。僕には長島愛生園はなんか日本の国なのにまったく別の世界に思えました。今まで16年生きてきてこんな事があったと言うことは信じられません。聞いた事も無いし、見る事もなく、ましてや教える大人などいないし、これだとまったくハンセン病に対しての理解する事が出来ない。
今日のように講演会で聞いた事や授業で見たビデオの事をこれから僕達が親や友人、兄弟に教えてハンセン病の無知な考えを無くして行きたいと思います。
1年 米増可那子
今日の講演会を聞いて、ハンセン病のことがいろいろわかりました。私はつい最近までハンセン病という病気を知りませんでした。ハンセン病の勉強をして、ハンセン病でいろんな差別を受けている人達のことを知りました。差別を受けた人たちは、とてもくやしくて仕方なかったと思います。自分がなりたくてなったわけじゃないのにどうして差別や偏見を受けなければならないんだろうと思います。もし私がハンセン病にかかって差別や偏見を受けたらすごい悲しいし、くやしいです。普通の人と同じように接してほしいと思います。ほんとうに、早くそういう差別をなくしてほしいです。そのためには一人一人が差別はいけないという事をわかっていくことが大切だと思います。今回の講演会を聞いて、ハンセン病にかかっている患者さんたちは、とても強い人たちだなぁと思いました。もし私がハンセン病にかかって差別・偏見を受けたりしたら、だんだん生きる自信をなくしてしまうと思います。私もハンセン病の患者さんたちを見習って、強い人間になっていきたいです。そして、自分自身も絶対に差別や偏見をしないようにしたいです。今日の講演会はほんとうに勉強になりました。今まで知らなかったハンセン病のいろんなことがわかってよかったです。いろんなことをたくさん話して下さってありがとうございました。
1年 安田麻美
私はハンセン病という病気を知りませんでした。で今日、加賀田さんからハンセン病についての話の中ででんせん病でもないのに隔離され、愛生園についてからいろいろいやなことをされて、ハンセン病がなおってからも偏見や差別があることによって、自分の家へかえることができないでいた。そして、ハンセン病で亡くなっていく人は骨になってしまっても、自分の家にかえることができないでいるということをきいて、なぜこんなことをしたんだろう。しなければならなかったのだろうという気持ちできいていました。今日のこうえんをきいて、昔のことなのになぜいままで偏見などがのこっているのでいるのかと思いました。今日はべんきょうになる講演をしていただいて、ありがとうございました。これからもお元気で長生きしてください。
保護者 出西善美
土曜日ということもあり、長島愛生園には行ってみたいと思っていましたので加賀田さんがご高齢にもかかわらず遠路おいで頂き社会的にも関心の深い「ハンセン病」についての貴重な体験を聞かせて頂くチャンスに恵まれ大変感謝しています。
人は風評にまどわされることが多く、自分自身が確かめた事でなくても信じてしまうものですが、本当に怖いことだと思いました。差別をしているとか偏見を持つということがなくても誤った知識を持っているというだけでも相手を傷つけているということを私たちは認識しなければならないと思いました。
私自信ハンセン病についての知識が乏しくとんでもない誤解をしていたと深く反省しています。今後はそういう誤った考えを持った人に出会った時にでも正しい意見を言える人間になりたいと思います。人はどこに生まれ、どんな人生を送ろうとも人としての尊厳は守られなくてはならないと思います。加賀田さんや多くの苦しんでこられた方がお元気で少しでも穏やかにお過ごし下さることを祈っています。これからもこういう研修会があれば勉強させていただきたいと思います。ありがとうございました。
保護者 村田一美
平成8年「らい予防法」が廃止されました。過去に国がつくりあげ、患者に苦難をしいた法のむごさ、そのむごさで患者を始末した法の誤りを正面から受けとめるために、自国の歴史に正直に向き合い、ハンセン病にたいする正しい知識や「らい予防法」がこれまでずっとつづいてきたゆがみ、それをささえてきた政策、されによって患者や家族、親類がたどったかずしれない犠牲の歴史があったことなどをきちんと教え伝えていくことが必要です。地域社会の人びとにハンセン病患者の人権について理解を深めて、他の偏見と差別に苦しんで闘っている人たちとの相互支援の態勢を組んでいくことが大切だと思います。
保護者 河本良二
ハンセン病、私達は単にその病名だけで難病(隔離)というレッテルを貼ってしまいがちです。加賀田氏の話を聞くにつれ、何十年も前から伝染性もなく、社会参加しても影響がない病気である事が国際的にも認められていたにも関わらず隔離し続けた日本の政策に問題がある事を知りました。今まで国民に知らされないでいた事も情報化社会となり、色々知ることが出来るようになりましたが、正確な情報を得る為には私達も常にアンテナを張りめぐらす努力も必要ではないでしょうか。
保護者 佐伯考代
ふるさとへ本名で帰られた時のビデオも見せていただきました。ハンセン病に対する偏見はまさに自ら知ろうともせず、他から入ってくる情報のみでそれを信じ込んでしまう。また、信じさせてしまう差別のしくみそのものだと思います。 日本社会の歴史の中で人間性を否定され、長島の中に人生の全てを押し込められ、家族、兄弟姉妹ともつながりを絶つ事を強いられながら生きてこられた事に、これほどの人権侵害はないと思います。その島の中で自治会長として、又島で闘う仲間として、多くの人のささえとなったり、社会と島をつなぐ橋をかける事に全力をそそいでこられたその姿に人間としてのすばらしさを思います。 そして、ふるさとの地で地元の人の前でお話され、同級生の方々と再会されたあの場所にそこに至る道のけわしさと遠さを思わずにはいられませんでした。
島の誰もがふるさとと安心してつながりを復活できる事を願っています。本名で安心して生きられる事があたりまえの社会に生きていて、そのあたりまえの事の大切さ、大きさに目をむける事をも気づかない自分です。このあたりまえだと思っている事実すらあたりまえにできない人々がいる事等、知らなければならない事はたくさんあるとつくづく感じました。
就実高等学校
3年 高橋みゆき
私は以前に一度、学校のホームルームの時間に「ハンセン病」の勉強をするまでハンセン病という病気があることを知りませんでした。父や母に聞いてみるとよく知っているようでした。今回は実際にハンセン病にかかってしまい、ずっと苦しい生活を強いられてきた加賀田さんの話を聞くことができました。話は想像もつかないほど残酷なものでした。
ハンセン病患者だって同じ人間なのに、全く別のものみたいに扱われていました。どうして感染もしないのに四十数年もの間、隔離されていたのか。私には納得がいきません。厚生省は患者さんの人権を全く無視し、患者さんの人生を台無しにしてしまったと思います。人間は他人が苦しんでいても、実際にその人の立場にならないと苦しみを分かってあげられないのかなぁと思いました。「自分さえ幸せなら」という考えは最低です。もう二度と、これから先このような残酷なことが起こらなければと思います。
3年 森山春菜
私はハンセン病についての話を今回聞き、とても驚き怖くなりました。ハンセン病については以前簡単な知識を学びましたが、実際の話を聞くと、想像以上に差別がひどく、とても簡単にはそれが本当の話であるということに結びつきませんでした。まさかあんな風に回りの人に嫌がられ、逃げて行かれる様な悲惨な思いをしなくてはいけないなんて。しかも、隔離する必要はないと欧米では言われているのに、見て見ぬふりをした政府が信じられませんでした。正しい知識というものがうわさや間違った知識というものの方が強いというのはおかしい様だけど事実だし、エイズの時もなかなか正しい知識は広まらなかった事を思い出したりもしました。
あと、園内での患者さんたちの扱いにも驚きました。加賀田さん達は患者であるのに、命令されたり、金をそこでしか使えないものに変えられたり、まるでその生活は囚人の様だと感じました。
今回の事で私は、正しい知識を学ぶ事の大切さ、きちんとまわりを見て、正しい事を見極める事の大切さを考えさせられました。加賀田さんの話を聞いて良かったと思いました。
3年 伊田由利子
前回、ハンセン病の方のビデオを見て、ある程度の内容は理解していたが、今回実際にハンセン病になられて多くの苦労をなさった加賀田さんのお話を聞き、あまりにひどい扱いを受けてこられた悲痛さが身にしみた。
人権を完全に無視して、人を人と扱わない療養所は、加賀田さんがおっしゃるとおり、まさに収容所同然である。なぜ病人が囚人扱いされるのか、もし私が患者の立場だったら自殺しているかもしれないと思う。
私が一番許せなかったのは、結婚した夫婦であっても子孫を残さないために優生手術を強行されることだ。人権どころか、人の体まで傷つけている。そして生まれた子供は殺される。やっていることは殺人行為である。それが当然として行われていると思うと、ぞっとする。療養所内に警察を入れるぐらいなら、いっそうこの殺人者たちを逮捕しろと思う。
外国と比べてハンセン病患者の隔離の撤廃がずいぶんと遅かったようであるが、やはり、このような日本の状態は異常である。そして、「ハンセン予防法」の廃止がずいぶん最近のことであるのが信じられない。廃止になるまでの何十年間、一体どれほどの患者が苦しんできたのか。日本に根強く残る差別心を撤廃しなければ、また同じことが繰り返される気がする。
3年 小林美香
今回、この話を聞いて、昔の日本はずいぶん残酷なことをしてきたのだなあと思う。私には内容がすごすぎて全て理解するのは難しかった。病気のことが分かって、親に相談すると、他の人には言うな。とか、見離されたような言い方だったこともショックだった。もし親にそんなことを言われたら、私はとても堪えられないだろう。しかも、同じ病気の人と一緒に隔離され、外から送られてきた食料を食べられたり、脱走した人達は、牢獄に入れられ囚人扱い、というより人間の扱いではない。今ではとても考えられないけれど、実際に起こった事実だ。忘れてはならないのは当り前で、これを次の世代まで伝え続けなければならない。
今、気付いたが、そういう病気での偏見って、現代でいうエイズではないのか。今のところ完全に治す薬がないことや、他の人に感染するということで、多くの人が苦しい思いをしている。この話を聞いて、すごいなあ、で終わるのではなく、これから生活していく上で、そういう人達と接する機会があるとき、一体自分がどういう態度がとれるかということを考えるべきだと思う。エイズについては、かなり知識もあり、たいていのことでは感染しないことが分かっている。無知ではないのだ。もう昔のような無知で病気に対して偏見を持つような時代ではない。そんな人がいたら、コノヤローって怒れるぐらいにならなければ。
3年 吉川玲子
加賀田さんを見てまず最初に思ったことは若いということだった。聞いていた年齢に比べて全然若くてびっくりした。この若さは病気と闘って、ハンセン病の隔離政策と闘ってきて、お母さんの言葉が支えていたからだなと思った。
話をきいていると、私が思っていたよりもハンセン病の患者に対する態度はすごかった。隔離政策はひどすぎる、自由というものがない。家に帰りたくても、家族に会いたくても許されない。悪いことをして罪があるわけでもないのに。最初はうつる病気と思われて世界で隔離政策が行われたかも知れないけれど、もう隔離はしなくてもいいと決まったのにもかかわらず、日本はずっと隔離を行っていた。このことを聞いてもっと腹が立った。その中で生活してきて闘ってきた加賀田さんは本当につらかったと思う。「生きていれば必ず会える」というお母さんの言葉を支えにしてきたという話を聞いて感動した。たとえ家族でも、ハンセン病にかかったとわかったらすぐに見捨てたように冷めてしまうのに、加賀田さんのお母さんの愛は大きかったと思う。これから、つらいこと苦労することがたくさんあるかもしれないけれど、くじけずにみんなの支えを大切にして頑張っていきたいと思う。
鳥取城北高等学校
3年 村松摩美
加賀田さんのお話を聞いていて、本当に現実にあった話とは思えないなと思いました。小学生が鼻をつまんでハンカチで押さえて通ったり、会議が開かれたにもかかわらず、40年間もの間ほったらかしにされ、見過ごされてきた事など、ハンセン病に対する誤解や偏見だけで、何十年も苦しみ、ついには自殺にまで追い込まれてしまった患者の方々の事を考えると、胸が痛くなりました。実際、ハンセン病は治る病気であり、伝染する事はないという事実が判明しても、差別や偏見がなくならないのも悲しい事だと思います。一人一人がちゃんとしたハンセン病に関する知識を知り、まずは自分から知識を求め、それから家族、友人などと、どんどん幅を広げて、ハンセン病に対する差別心が、少しずつでも消えてくれればいいなと思いました。私も、今日加賀田さんから聞いた話により、ハンセン病のことがいろいろ分かったので、間違った認識をしているひとがもしいたら、正しいことをいえるようにしたいと思います。
3年 山根章誉
今日の講演会での加賀田さんの話を聞いて大変苦しい人生を送ってきたことを聞き、とても心打たれました。現在ではハンセン病は早期に発見すれば治療でき、伝染病でもないことが分かっていますが、昔のハンセン病は伝染病と思い込まれ差別される対象になり、そして島に流され完全に外界と隔離されて生活しなければならないことを聞きました。
そして私物を勝手に処分されたり、とてもひどい食生活をしていたことを聞き、とても苦しい気持ちになりました。ここまでの苦しい人生を送ってこられた加賀田さんがこれ以上苦しみを他の人に味あわせないためにいろいろな運動や活動をしてきた話を聞いた時はとても感動しました。これだけの人生を送ってきたにもかかわらず、絶望することなく他の人達のために活動を起こせる人はとても心の強い人だと思いました。
今回の話は自分のこれからの考え方に新しい発見をさせられました。自分も人のために何かできる人になりたいと思いました。
3年 中島恵利香
ハンセン病が発見された当時は、治療法や言葉もなく、手段として、一つの島にハンセン病患者を隔離させられることしかなかったということを知った。しかし、そのことによって、患者は今まで持っていた自由もなくし、外出もあまりできなくなったと聞いたとき、他に方法はなかったのかと思った。人には自由の権利がるのに、それを強制的になくすのは、ひどいと思った。島に運ばれるときの車が外から見てハンセン病患者が乗っていると分かることや、駅をとおったあと薬をまくなど明らかに差別行為であって、どうして早く政府は、ハンセン病の法律や隔離に対して対応しなかったのかと思った。遅かった原因として思ったのは、国民が正しくハンセン病のことを知らないから、差別がおきたり、対応が遅れたのだと思う。そして加賀田さんが中心となって運動したことによって、今があるのだと思った。加賀田さんも最後の方に言っておられたけど私も同じで、情報公開は大切だと思った。
1年 田口沙織
ハンセン病やいろんな病気にかかったら大変だと思った。 この前見たビデオは、とてもよかった。マザーテレサとか二人の日本人女性の事が少しでもわかれたと思う。
加賀田さんとは、中学校の時会ったことがある。学校に「らい予防法」などのことを話してくださった。
今日の講演会の時に加賀田さんが言われたとおり、先輩だろうが上司だろうが、いけないことはいけないとちゃんと言えたらいいと思いました。
こせきもなくなって(?)せっかく両親がつけてくれた大事な名前も知らない人に変えられてとても残酷だと思った。
1年 阪田美花
私は今日の講演を聴いて、また一つ人間の歴史を知ったように思います。
ハンセン病については、ニュースで聞いたり、本を読んで調べたりしていたので少し興味はありました。その他にも友人から話を聞いたりしていました。その話でハンセン病患者は差別を受けていて、ある島から出られなくなっていると聞いていました。
実際、加賀田さんの話を聴いていて、かなりひどいものだったということが簡単に想像できます。
昔は多くの人々の視野が狭かったせいか、人と違う者や、少し変わった者に対しては、かなり厳しく接していたように思います。今でも少しそういった傾向が見られます。私はそれは人間の弱さであり、一番きらいな部分だと思います。だぶん今でもそれはあるでしょう。
私はよく思います。この弱さを指摘された時、人はそれを弱さだと果たして認められるだろうかと。私は、それはかなり難しいのではないかと思います。もし認められる人がいたら、たぶんその人は人間の、もしくは自分の弱いところ、嫌なところを受けとめて、なおかつ自分を卑下せずに生きていける強い人なのでしょう。
全ての人間が、そこまで強くはなれないでしょう。しかし、せめて大人と呼ばれる人々はそれだけの強さを持ってほしいと思います。 私はそれだけの強さを持つ大人になりたいです。
1年 薮田翔子
ハンセン病の事は前から勉強していて知っていたけど、実際にハンセン病にかかっていた人の話を聞いたのは初めてでした。
話を聞いていて、かんごくのようなしせつでのくらしや世の中の態度はとてもハンセン病にかかっていた人につらい思いをさせて来たんだと思いとても信じがたい思いでした。患者さんは何も悪い事はしていないのに、悪い事をしてかんごくに入れられた人のような生活をさせられていて、ぎ名を使ったり、ごはんなどもひどいありさまだったそうです。
ハンセン病患者への世の中の差別はとてもひどくて、人権もなにもありません。
ハンセン病患者の人たちは何もされないまま40年もほうちされて来て、やっと裁判によって少しはむくわれたと思います。
これからも、この病気について話し合っていくことはとても大切だと思いました。
1年 寺岡夏希
「ハンセン病」という病気を私はつい最近知った。ハンセン病=らい病を防ぐためのライ予防法。私はこの法律を「時の響きて」という、ハンセン病患者についての本によって初めて知った。この法を知った時、これが同じ人間に対する行為なのだろうかと疑ってしまった。ハンセン病患者は、家族からはなされ、世間から隠され、自分の自由をうばわれてしまう。こんなにつらいことはないだろう。加賀田さんもきっとつらい思いをたくさんされてこられたと思う。お母さんにハンセン病のことをつげた話をされたとき、加賀田さんのその時の気持ちを考えるとつらくなった。もう二度と家族とも友達にも会えないかもしれない。そんな思いを抱いていたはずだ。
ライ予防法は本当に意味のある法だったのだろうか。薬によって治すことができたはずなのに、この法は何のためにつくられたのだろう。加賀田さんのようにつらい思いをされたハンセン病患者の人々。もうこんなつらい思いをする人をつくってはいけないと思う。これからの未来、私達の手で地球上すべての人が幸せに暮せる日がくるようつくりあげていかなければならない。
1年 阪本綾子
テレビなどでも、よく放送されているハンセン病ですが、今回初めて妙に身近に感じました。と言うのも、私の周りにはハンセン病に冒されている人は居ないですし、テレビで間接的に聞いても、どんなものなのか想像がつかなかったからです。
ハンセン病は、癩菌の感染による慢性伝染病のことであり、そのため、人々は自分までその病気に冒されるのを防ぐべく、感染者の人々を島に閉じ込めました。果たして、それは本当に周りの人々を守ったことになるのでしょうか。自分だけを守って、感染者を苦しめ、放っておくというのは、身勝手なふるまいとしか私は感じる事ができません。冒されてない人を守るのではなく、冒されてしまった人を助ける方が人間の道理にかなっているではありませんか。勿論、それだけでなく、そうすることで両方の立場の人が救われるはずです。
長い間、体力的だけでなく精神的にも、きっと冒されている人々は、まいっていると思います。世間の目にさらされて自分の行きたい所にも行けなくて、やりたい事も出来なくて、辛かったと思います。それでも頑張って立ち上がろうとしている人々を助けてあげたいです。皆がそういう心であるような、そんな世の中でありたいです。
2年 大江徳治
自分はハンセン病は最近まで知りませんでした。でも、今日の講演でハンセン病がどれだけ大きな病気か説明できないくらい感じました。遠くからだったので、くわしい事がなかなか聞き取れなかったのですが、加賀田さんが自分の体験を必死に長い時間をかけて話をしている姿に感動しました。ハンセン病は治る病気だけど、治るまでが死ぬほど大変だということを教えていただきました。自分は体験していないので痛みは分からないのですが、話を聞いてみると、何か違う痛みを感じました。
まだ、この世にはハンセン病にかかっている人や他の病気にかかっている人がたくさんいます。自分には関係ない、自分じゃなくてよかったと言っている奴は最低の人間です。病気の人と一緒に戦っていくのが本当の人間だと、今日の加賀田さんの講演で感じました。本当に聞けてよかったし、自分のためになる事だったので、とても勉強になりました。
4年 安藤香恵
誤った知識で誤解したまま差別をしたり、偏見を持つのは凄く悲しいことだと感じた。真実を知ろうもせず、誤解をしたまま接せられる方の気持ちを考えると、何十年も見て見ぬフリをしてきた政府に腹が立つ。なぜ隔離される必要があったのか。なぜ家族なのに見離す必要があったのか。きっと今考えてみれば、する必要のない誤った行動もあったはずだ。もっと周りや政府がきちんと問題と向き合っていたなら傷つかずに済んだこともあっただろうと思う。講演をして下さった加賀田さんが、一刻も早く社会に戻れる早い道のりがきっとあったと私は思う。でも、加賀田さんは凄く前向きな方だと感じた。私が心に残った言葉は、どんな地位のある人や、どんなお金持ちな人が言ったことでも、まちがっていることには、まちがいだと言える人間になってほしいという言葉だった。辛い思いをしてきた方だから、なおさら心に響いた。だから私は、人がどう言おうが自分の意思で行動できる人間になりたいと思った。
鳥取大学人権教育論
岡本智子
名前と話だけで「怖い病気なんだなぁ」とだけ思っていました。ニュースで時々取り上げられたりするのを見るだけで、なぜ話題として取り上げられていたかなど全然知りませんでした。
中途半ぱにウワサ話だけ知っている状態って本人からすれば、どうやったらその状況からぬけ出せるか分からないと思います。私の場合、今日のこの講義でハンセン(氏)病のことについて少しだけ知ることができたわけですが、自分から興味のない限り得ることができない情報って沢山あります。何か行動したり発言したりするとき、自分の知っている情報が本当に真実なのか知っていないと、すごく無責任なことをすることになります。知ったかぶりや思い込み、習慣や流行の中ではすごく意識しないと自分が見えてきません。物事の本質とか真実に目を向けようとする姿勢は常に持っていないと維持できないと思います。最近そんなことをよく思っていたので、今日の話も興味を持って聞くことができました。
平川尚樹
ハンセン病という言葉をよく耳にする様になったのは、先頃国が控訴を取り止めた時であった。しかし、それが如何なる症状なのかという詳細については知らなかった。ただ、ハンセン病患者を隔離する政策がとられたという事は伝え知っていた。今日の講演を聴いてその由来や、人権侵害との繋がり、国が如何にこの問題を対処してきたかがよく分かった。HIVについてもそうであったが、自分たちがよく確認もしていないのに、周りの噂だけをうのみにしてはならない。その前に先ず、自分で最低限の事は調べておく必要があるのではないか。私たちが興味・関心をすすんで持つ事が重要である。
西山尚美
奈良時代やもっと前からハンセン病という病気があり、差別され続けてきたことをはじめて知りました。お話を聞いて、お母様との別れ、療養所での暮らし、胸が痛みました。自分の名前を変えたり、経歴を隠したり、つらい思いをたくさんしていて、差別する、見てみぬふりをしていた一般市民の行為、ともすれば自分もなってしまいそうなそういう危険な状況を知れて本当に良かったと思います。無知であることのおそろしさ、人間がどんなにたやすく人を思いやることなく人権を侵害してしまうか、人間の心にひそむやみをかいま見たように思います。人権の尊重の重要さを切実に感じました。みんなが人権を尊重し合い、世の中に少しずつ貢献しながら生きられる明るい優しい社会になってほしいと思うし、そんな社会にしてゆく為にももっといっぱい勉強しなきゃな、と思いました。
実体験を聞かせていただいて本当に色々なことを考えさせられ、これからに活きてゆくことをたくさん吸収できたように思います。ありがとうございました。
山根真奈美
ハンセン病については高校の時勉強したことがあったが、実際に病気になり、収容所に強制的に送られた話を聞いて、どんなにひどい扱いをされていたかがわかった。診療所といっても名ばかりで、中に入れば日本の通貨は使えず偽名を使わされたり、受刑者のような生活をされていたそうですが、そんなことでは病気がよくなるものもならない状態にあったのだと思いました。妊娠しても強制的に中絶させられることは、とても人権を侵していると思いました。日本政府がこれからしていく対策にはとても責任があると思います。人として自由に生きる時間を奪ってしまった責任は大きいと思いました。
鹿子島量世
私は姉が大学の卒業論文でハンセン病を取りあげた関係である程度の知識はあると思いました。ハンセン病の方々がいわれのない差別を受けてきたのかも知っていましたが、これまではただ知識としてしか受け取れず、差別を受けた人の気持ちに全く思いが至らなかったと思います。
ハンセン病と同じように差別を受けた病気は数多くありますが、エイズのように外見からは病気と判断できない患者さんは差別はされても隔離はされません。その差はハンセン病が一見して病であると分かるからで、病気にかかって自分の外見が変わるだけでショックなのに、その外見によって差別されてしまうのだからたまらないと思います。
今回初めて外国でもハンセン病を差別していたことを知りました。問題は日本政府が法律(不良なる子孫・・・のくだりなど許されないと思いました)を野放しにしていたことです。日本の国民としてはずかしいと思いました。
横内伸吾
ハンセン病については、中学・高校で学んだことがあり、ある程度の知識はわかったのですが、実際の体験談を聞くとやはりすごい衝撃を受けました。そのお話の中でおっしゃった言葉の中でも特に強い衝撃を受けたのが「生きのびたというか生きてしまった」という言葉でした。ハンセン病患者として収容所に送られ、人間としてもあつかわれず、何度も自殺を考えたとおっしゃったことから、その言葉の意味を十分に感じ得ました。もし自分が当時その状況におかれていたならば、本当に自殺してしまっていたかもしれません。お話の中で「死ぬ勇気もなく自殺はできなかった」とおっしゃりましたが、その実、死ぬことよりも生きることの方が何倍も辛く、勇気のいることだったのではないだろうかと考えさせられました。そうした中で今まで「生きて」こられて、その実体験を僕たちが実際に聞くことができたというのは本当に貴重な体験でした。このハンセン病に関する実体験事実を僕たちは忘れることなく語り継いでいかなければなりません。そう痛感させられたお話でした。
萩原麻衣子
私は高校の時の人権問題の授業でハンセン病のことをやりました。けれど療養所内でのことなど詳しくは知らなかったので、今日聞くことが出来てほんとうによかったです。
日本の政府や私たちがしてきたことは、とてもひどいことだったんだなぁと実感しました。ただ、病気になっただけで強制収容され、療養所での生活もすさんでいて、まともな食事もなく、医者などの診察もなく凍死したりしていると聞いてとても病気の人にする扱いじゃないと怒りを覚えました。聞いたように、犯罪をおかして収容された人と同じだと私は思いました。
そして、政府が非を認めた今でも私の生活内でハンセン病の方や話を聞くことは少ないです。ふと、まだ差別的な根幹は除けられてないのかなと思いました。
きょうは本当にありがとうございました。
浪越由紀
私は今日までハンセン病についてまったく知りませんでした。しかし、昨年5月の裁判については実家が香川なので岡山と同じエリアでのテレビ放送の為、よく目にしたことを覚えています。総理の文章も新聞で見たのも記憶にあります。
しかし、詳しい病気についての歴史背景(らい予防法など)を知らなかった為何のことだかまったく分かりませんでした。今日、お話を聞けたことで少しは理解できたかなと思います。やはり人は未知のものに対するおそれから差別をしてしまうのだと思いました。きちんとした知識さえあればまた違った見解が生まれると思います。私は自分から療養所に入ろうと決心できたことはとてもすごいことだと思いました。自分ならとてもじゃないけれど逃げてしまいます。ましてや戦争中なのに・・・。人と違った人生を送ることで得られることも多くあると思いますがすごく大きな勇気も必要だと思いました。私にも勇気と正しい知識をさらに身につける必要があると痛感させられました。
木場美由紀
ハンセン病については私の地元の方にハンセン病の強制収容所があり、色々と話を聞いてまいりました。ハンセン病患者の方の多くの長年に渡る差別については本当に、すごくつらいものがあったと思います。何よりも私が驚いたのはハンセン病患者の方がお医者さんから診療拒否をされたということ。人の命を救うはずのお医者さんがそんなことをしていいのかと、とても悲しい気持ちになりました。そして、間違った政策をとりつづけた日本政府。これは責任をとるのがあたりまえだと思います。本来なら自由の身になれるはずの人々をずっと閉じ込めて、人間として生きる道を奪ってきたのですから。そして私達がするべきことは何よりもハンセン病に対する間違った知識を改め、正しい情報を知り、それを伝えていくことだと思います。
小林千紋
今日は最近話題にもなったハンセン病の話が聞けて光栄に思った。普段ニュースでも取りあげられていて、さまざまな話は聞いていたけど、こんな風にじっくり聞いたことはなかったので勉強になった。ハンセン病とは菌が入り神経をおかす病気で、それにより顔の形が変わったりして人々から嫌われている病気と聞いていたけれど、でもそれは一種の病気であり、誰もがなるおそれもあるわけであって、特別視するのはおかしいと思った。前世の報いで因果応報なんてふざけた話だと思った。
人間はなんて弱い生きものなんだろうと思う。人と少し違うだけで、そこをたたいて差別することで自分を正当化する。何事にももっと周りを見て少しでも相手のことを考えて行動できる人間になりたいと思った。
1974(昭和54)年6月25日
演題 「私の体験」大阪府主催
場所 大阪市森宮青少年会館
聴衆 一般900人
1994(平成6)年10月20日
演題 「ハンセン病の差別と偏見」
場所 香川県善通寺市四国学院大学講堂
聴衆 学生250人
1995(平成7)年11月18日
演題 「苦難を乗り越えて」
場所 鳥取県八頭高等学校講堂
聴衆 高校1年生430人
━1996(平成8)年4月1日「らい予防法」廃止━
1996(平成8)年11月30日
演題 「排除と共生の架け橋」らい予防法廃止記念フォーラム
主催 関西FIWC
場所 大阪市中央区御堂会館
聴衆 900人
パネラー 鶴見俊輔(京大)、徳永進(内科医師)、筑紫哲也(TBSキャスター)
1997(平成9)年6月24日
演題 「らい予防法廃止について」
場所 岡山協立病院
聴衆 医療関係者50名
1998(平成10)
演題 「開園当時の状況と福祉について」
場所 長島愛生園本館大会議室
聴衆 長島愛生園看護師・介護員80名
1999(平成11)年11月10日(平成12年、平成13年開催)
演題 「母の言葉を信じて」
場所 岡山市就実女子高等学校
聴衆 高校3年生550人
2000(平成12)年2月15日
演題 「らい予防法廃止への道」
聴衆 NHK鳥取職員25人
2000(平成12)3月4日
演題 「近くて遠かった故郷」
場所 用瀬町(出身地)町民会館文化センター
聴衆 400人
2000(平成12)8月10日
演題 「ハンセン病の差別と偏見について」
場所 岡山大学小講堂
聴衆 岡山県教職員組合人権学習第4部会120人
2001(平成13)年2月5日
演題 「因習の中を生き抜いて」
場所 林田小学校
聴衆 岡山県教職員組合津山支部教職員50人
━2001(平成13)年5月「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」国が控訴断念━
2001(平成13)年5月27日
演題 「ハンセン病の差別・偏見はなぜ起ったか」
場所 用瀬町塚原(出身地)公民館
聴衆 池本茂暁町長他56名
2001(平成13)年6月30日
演題 「ハンセン病の歴史に学ぶ」
場所 鳥取県人権フォーラム 鳥取県三朝町民会館
聴衆 邑久光明園長牧野正直氏他400人
2001(平成13)年7月12日
演題 「ハンセン病の差別の現実から」
場所 鳥取県関金町総合文化センター
聴衆 町民・教育学校事業所関係者150人
2001(平成13)年8月20日
演題 「ハンセン病を体験して」
場所 岡山県総社市厚生年金会館休暇センター
聴衆 岡山就実高校教職員及び保護者120人
2001(平成13)年9月1日
演題 「ハンセン病を患った体験談」
場所 鳥取県倉吉市倉吉北高等学校体育館
聴衆 生徒及び保護者、教職員730人
2001(平成13)年9月9日
演題 「元ハンセン病患者の体験談」
主催 鳥取県
場所 県民文化会館小ホール
聴衆 400人
2001(平成13)年10月3日
演題 「ハンセン病の偏見と差別」
場所 鳥取農高(現湖陵高)
聴衆 生徒、保護者330人
2001(平成13)年10月6日
演題 「隔離の中を生き抜いて」
場所 鳥取市立北中学校体育館
聴衆 保護者・教職員630人
2002(平成14)年6月29日
演題 人権フォーラム
主催 鳥取県
場所 米子市福祉保険総合センター(ふれあいの里)
聴衆 国歳眞臣(鳥取大学教授)他150人
2002(平成14)年8月24日
演題 「風紋のあかり」出版記念フォーラム
場所 鳥取県民ふれあい会館
進行 片山善博知事
聴衆 400人
2002(平成14)年10月15日
演題 「ハンセン病の差別と偏見」
場所 鳥取大学講堂
聴衆 鳥取大学一盛ゼミ200人
2002(平成14)10月29日
演題 「ハンセン病学習会」
場所 倉吉市立久米中学校
聴衆 生徒・教職員・保護者・高城小学校6年生230人
2003(平成15)年5月9日
演題 「ハンセン病とともに生きて」
場所 鳥取県立高齢者生涯大学「ことぶき園」
聴衆 鳥取県立高齢者生涯大学受講生200人
2003(平成15)年8月3日
演題 「ハンセン病を病んで」
場所 鳥取県東伯郡関金町立鴨川中学校
聴衆 3年生50人
2003(平成15)11月15日
演題 人権同和問題シンポジウム「性同一生涯・ハンセン病・在住外国人・部落差別問題について」
場所 鳥取市未来中心大ホール
おわりに
私は「らい予防法」が廃止された翌年が数え年80才を迎えておりました。郷里のご親族の方々から傘寿のお祝いをしてあげたいとの申出があり、帰郷して喜んでお受けしました。これで普通の人間へ復帰できた快い気分でした。
私が生存していることを知った、出身地用瀬町は町民大会を人権文化センターで開催して、「ハンセン病の現実から偏見差別を学ぼう」をテーマに私を招き、鳥取日赤病院内科部長徳永進先生とともに、講演会が行われたところ、町民会館には大勢の人々が集まり、会場に入りきれない人はロビーや控室のモニターTVで聞いて頂く程の盛況でした。またNHKによって「自分に帰る日」ふるさとドキュメントとして製作され、全国放送となりました。しかし、私の小さな集落からは親族も含めて出席者はわずか10名でした。
部落長さんは改めて全員を公民館に集められ、今度は婦人部の皆さん手づくりの料理を用意して頂き、「偏見はなぜ起ったか」について私を招いて頂いて、話し合いの会合がもたれました。「えらいめに会われましたね」とねぎらいのビールを酌み交すことができ、ご近所の方々と60数年の過ぎ去った空白のときを取り戻すことができました。
このとき熊本地裁での違憲国家賠償請求訴訟において政府が控訴断念を表明したときで、県知事から面談の申出があり、この問題に対する県としての処し方についての参考意見を求められました。私は、偽名のまま療養所に身を隠したまま、所内の納骨堂で無縁仏となっておられる方々、懐かしい古里への帰郷を望みながら果たされなかった県出身者131柱の遺骨を家族のもとへの引き取り運動を起こして頂きたいとお願いいたしました。県は県下39市町村を召集して、遺骨の引き取りを指示されましたが、3年の歳月が流れた現在、未だ一件も引き取りはありません。いかにご家族の方が1人の発病によって重い重い苦悩を背負わされたかという結末だと感じます。いわれない因習にさいなまれ、不治の病、業病、遺伝病とされ、菌が発見されると更に急性伝染病と恐れられ、強制隔離によって囚人扱いを受けた家族がいることによって、肩身の狭い生活を送らざるを得なかったご家族の、過去の古傷に触れたくない気持ちは痛い程理解できるものの、故郷の家族のことを想わない人はいません。勇気を出して恋しい故郷へ連れて帰ってあげてほしいものです。この障壁となっているものは、ご近所の方のご理解だと痛感いたします。ご近所の方にとっても既に過去の事であり、楽しい出来事でもなく、療養所で過ごしておられることは知っていても「お元気に過ごしておられますか」と声をかけることを躊躇され、ご家族は勿論そのことは避けているので言わない。そこに見えない壁が横たわっていることが、ハンセン病の啓発が進まない原因であると確信します。どうかご近所にそういう方がいられたら、そのご家族を支えてあげて欲しいと願うものであります。
私の下手な体験講演や、現地研修に来島された方、大学の卒業論文にとりあげて下さった多くの学生さん、フォーラム、シンポジウムをお聞き下さった方は数千人を数えました。この方々が機会あるごとに口こみでも、正しい知識と現実を伝えて頂ければ私の本望です。
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