第一景
旧出雲街道 道標 (壱)
上河内地区を東西に走る国道181号線。
美作の小京都といわれる城下町津山から久米地区を経て真庭市に入ったところが
追分地区。
左手三叉路にある大小2基の道標が出迎えてくれます。
それにしても六角道標のこの重量感。圧倒されます。
お伊勢参り・金毘羅参りと、ずーと昔の人たちは今以上に信仰心が篤かったのでしょうね。
信仰の道しるべ道標の辺りに腰を下ろしほっと一息!!
さてこの度はどちらにお参り?
六角柱:文久三年(1863)建立 四角柱:建立は元禄年間 | |||
東 木山宮従是左江三里五ケ村日詣 | 能勢妙見江四十五里坪井宿 | 伊勢大神宮江八十五里 | 「東 是より左備中みづた道」 「西」 「東」 「北」 四角柱の小さい道標は風雨に晒され読みづらいというよりほとんど読めませんでした。 |
讃州金毘羅江三十三里 | 西 出雲大社江三十七里 | 伯州大仙江拾七里 |
六角柱:高さ2.7メートル・胴回り1.5メートル・台座径1.0メートル 四角柱:高さ90センチ・幅18センチ・胴回り72センチ |
旧出雲街道 道標(弐)
追分から約1kmのところに宿(しゅく)地区があります。
郵便局・農協・派出所がありここは集落も密集していて上河内地区の中心。
宿の地名から旧街道の宿場町として栄えたのでしょうか。
道沿いに道標が残っているはずと聞き
東から西まで歩いてみましたが見つかりませんでした。
残念!!
幻の道標になってしまいそう・・。
宿の旧出雲街道
出雲街道
出雲街道は出雲往来ともいい、出雲から伯耆・美作を経て、姫路で山陽道に合流する道である。
古代以来、出雲地方と畿内を結ぶ官道であった。
租税(米)のほか、出雲の鉄、伯耆の木綿などがこの道を通って都へ運ばれた。
承久三年(1221)の承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、この道を通って隠岐に配流されたという。また、
元弘元年(1331)の元弘の変に敗れた後醍醐天皇が隠岐に配流された際もこの道を通ったといわれている。
しかし、いずれも資料的には証明されていない。
近世以降、津山藩主は幕命を受けて、一里塚を備えるなど街道の整備を行い、
参勤交代路として利用した。
又民衆の間で深く信仰された琴平宮や伊勢神宮への参詣の際に通行する道でもあった。
(落合町史より)