第十景

榎乢の石垣

上河内地区の西隣は久世町になります。
その境にあるのが通称目木乢、
正式な名前は榎乢だそうです。
この石垣は平成2年ごろまで乢の両側にありました。
その当時の石垣は山の水分が染み出て
シットリしていた印象があります。

米子道の工事等で道路は拡張になり石垣は撤去されました。
「上河内石垣を移転復元保存する会」
の方々のご尽力で
今では上河内コミュニテイハウスの国道沿いの入り口に移設されています。
久世町では米来小学校の校舎の一部に復元されているそうです。
碑板が二枚はめ込まれているのが判りますか

上河内コミユニティハウス入り口に復元された
榎乢の石垣

国道181号線の沿線の中でも、この目木乢の石垣はアクセントになる
特別なところだったんじゃないかなぁ〜と。
無くなったときポッカリ穴が開いたような気持ちになったのは
私だけだったのでしょうか。

復元された石垣には当時の竣工記念碑と保存する会の榎乢沿革碑がはめ込まれています。


榎乢の石垣
この石垣は、出雲街道の落合町と久世町の境界である榎乢(通称目木乢)にあった。
明治20年(1887)に幅員六尺(約1・8M)に改修されたが、その後人馬の通行が頻繁になったため
明治29年(1896)に国道改良として幅員4メートルに拡幅された際にこの石垣が造られた。
一帯は礫岩の軟岩層で土砂の崩壊が度々起こり、工事中には数人の死者を出したと円融寺の記録に記されている

この石垣は長さ110メートル(落合町分60M、久世町分50M)高さ4メートルである。
工事に使われた石は、目木川水系の花崗岩(通称赤目石)である。
この工事は、作州地方では最初のセメント裏溜工法によるもので、
由緒ある明治の石造物といえよう。

平成2年着工の米子道及び国道改良工事により、この石垣は撤去を余儀なくされた。
この石は、米来小学校新校舎(平成7年完成)の一部に、また、上河内コミニュテイハウスに復元された。
(落合町史より)