第二景
熊野神社
国道181号から北へ約200メートル
王子池の堤から遠望できる
静かな山里にあり
熊野三山美作別宮として由緒ある神社です。
熊野神社といえば五本杉。それはもう言葉では言い表せません。
何がすごいって高さも高いけど
根元の周囲は10メートルはありそう。
樹齢は約800年だそうです。
高さは県下一。
一番大きな杉の根元には洞があります。
今は小さくなっていますが数十年前は子どもたちが
潜り抜け出来るほどだったとか・・
かっては
子どもたちの絶好の遊び場でもあったのでしょうね。
熊野神社の秋祭りは10月15日
この日は獅子舞が奉納される。
昔はお御輿のお出ましになるまえ、拝殿で獅子舞があり
次いで境内で、それから御輿とともにお旅所を巡っていたが
今では境内で舞うだけということです。
獅子舞を奉仕するのは神社の東にある東谷地区の人々です
獅子は昔二頭あった記録もあるが
今は一頭で二人立て。お囃子は太鼓(一人)笛、鉦(それぞれ数人)
(落合町史より)
熊野三山美作別宮 熊野神社の由緒沿革
小野道風(おののとうふう)・藤原佐理(ふじわらのすけまさ)にて昇殿を許され、
内裏が完成した天徳5年勅命により紀州熊野三山を美作国河内庄に分祀。
村上天皇の天徳5年(960年)那智宮を上河内村下村に、こえて永観年中
(983〜984年)下河内村に新宮を、また上河内村に本宮を分祀された。
時の国司藤原佐理、権守源 時中(みなもとのときなか)が奉仕した三山の
本宮が現在の熊野神社であり新宮、那智夫々に約50丁(旧一里)を隔て、
紀州の縮景の趣がある。
社殿の景観は本宮は豪壮に、新宮は優美に、また那智は枯淡である。
この三山をもって河内庄の鎮守とした。
朝廷より神田200石を寄進し、神官社僧各12人を置き祭祀を厳修せしめた。
美作国西6郡の3年一度の大祭は二宮の社前で国守の安泰を
祈請する祭りであるが、この閏年祭は美作国中最大の祭典で明治にいたるまで
しめの大夫須田越中守(すだえちゅうのかみ)が祭典を調理した。
旧境内は東西483間、南北495間、約1キロメートル四方で神社を中心に
僧坊、堂塔、郎党等を配置し戦国時代は須田越中守郎党は50数騎を数えた。
明治維新神仏判然令により寺院護持のため神社境内地は中心100間四方となった。
森氏国除以前の修営は国守においてその費用を補助せられていた。
現本殿は嘉永3年9月9日上棟。明治5年戸籍編製に際して旧35区の郷社に列し、
昭和20年8月10日県社内定を受く。
明治44年上河内地内の、大正2年中河内地内の各神社を合祀した。
戦後境内社として護国神社、氏子祖霊社を創建、毎春祭祀を行っている。
尚、宮司は初代以来須田家一系にて努め現在の宮司は第55代目である。