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みよこ先生の詩集


お囃はや


のどかな陽ざし
どこからか たいこの音がきこえる
今日は 秋まつり

 ワッショイ ワッショイ   
ワッショイ ワッショイ
ワッショイ ワッショイ

とぎれないかけごえ
はやす笛 たいこ
かけぬける足並
ぴたりと組んだみこしの群れ

隣のまちのだんじりげんか
はやす鐘 たいこ
 オイサオイサ 
オイサオイサ
よいの郷を熱気がつつむ

気合だー
みなの衆の気合も奉納
うえを向いて まえを向いて
それ すすめ それ すすめ
ドンドンドンドン ピーピーカンカン
じぶんの中でも打ち鳴らせ

(平成17年 初冬号より)



みちすじ


にわとりのひなは
ははどりの はねにつつまれる
ははどりとえさをついばみ あそび
はねの中にかえっていく
ちちどりは 目をいからせ
とさかをたてて ガードする

つばめのははは すごもりをする
ちちつばめはえさをはこぶ
ひながかえれば ははもはこぶ
やがて でんせんにつれだし
えさをさがすようすをみせるのか
ならんだひなの口にいれる
そして とびたつれんしゅう
それは すだちまでのまっすぐなみちすじ

ひとにも よくにたみちすじがある
おなじところはヒト科の動物なのか
ひとのみちは ほとんどわかれみち
ゆくみち まがるみち うずまくみち
ひなたも やみもそんなみち

つばめはとび交いながら どこかへいった


(平成17年夏)




下見


八幡様の桜がほころびはじめたころ
つばめがかえってきた
いつものでんせんにとまり
やねのうえをとび交い
木小屋に直こうしている
三・四羽
ことしも つばめが巣立つ

よろこびもつかのま
それきり つばめはこなくなった
やめたのかな

十日ほどして またやってきた
巣の下にフンがおちはじめた
いよいよ巣ごもりがはじまったらしい
巣は下見で点検ずみ

つばめは子育てじょうずときいている
下見までして子育てにそなえる
つばめのひなそだて
大きな心くばりをしらされた

(平成17年 初夏)






うごめく


うすあかりのあさ
ふとんのうえを ゆっくりと
ちいさなてんとうむしがはっていた
よる
ふろばのかんきまどをのぞいたのは
やもりの子

そとには根雪のやまがしろい
啓蟄もまだのはず
なのに なにかがうごめいている
もそもそしている

うごめいている
(うごめ)いている
もそもそしている
蠢いている
蠢いている二月のなかば

平成17年春彼岸)




いたち

てら法事のお膳をそなえて
お茶をわかして
プランターに 水をやって
この窓をあけて この窓はしめて
もうすぐ出かけるじかん
そうそう もうひとつあれを

あわてて走った台所うら
ぴゅー ととびだした大きないたち
たちまち 正面衝突
いたちはまっしぐらに逃げた
そして ふり返った
わたしもふり返った
目が合った
そして 感じた
いたちとおなじくらいかな
いたちごっこってあったよなぁ


(平成16年 初冬)




山梨の実

食卓の小ざらに
ころんとのった山梨の実
しわのよった こげ茶色の玉

きょ年 福井に旅した
秋も深い 木の目峠の細道
谷川にそってまがり またまがり
のぼりつめたところに峠の茶屋
あー
冷えた空気と 道元さまの碑がしずか
家守
いえもりは 坊主頭の主あるじと愛犬
あたたかく てんたいされた
”焼酎づけにすれば 薬になるから”
どっさりいただいた うら山の小粒の梨
みつをいれ さっそくつけた薬用酒

もうそろろろ一年がくる
とりだした実もすてがたい
どことなく
主に似た実をかじってたべる
にがみまじりのリカーのかおりに
二人ぼっちの茶屋のぬしが想われる

峠はもう しぐれの秋のころだろう

(平成16年 秋)

しゃぼん玉

かおりちゃんが
ストローを プープーとふいたら
小さな玉が プクッとできてきえた
だいちゃんが
しずかに フーッとふいたら
大きな玉になって はなれていった


しゃぼん玉は 虹いろにまわりながら
風にのって 空へあがる
ブランコがゆれている
ひまわりがさいている
だれかの顔が笑っている


ほいくえんが
しゃぼん玉にのって 空へあがる

詩集「あじさいのうた」より




入道雲

なにげなく空を見上げると
入道雲がたかくかさなり
外がわのひとつが白くひかっていた
なんでもない雲なのに
ひどくまぶしい気がした


子どもだった日
あの雲を見た
みずあびにゆく田んぼ道
向かいの空でひかっていたのは
たしか あの雲だった

なんでもない雲なのに
白いひかりをずっとながめていた

詩集「あじさいのうた」より





晩鐘

夕ぐれのとき
大きな太陽が 西の山にしずむ
あかねいろに雲をそめ
光のおびをりょう線にのこしながら
なめらかに しずんでいく


家並みも木立もたはたも
すべてのものが夕やけにつつまれて
ひと日のおわりを知る
幼いころ 父母や兄姉たちと
くわをかついであぜ道をかえった
あのたそがれと おなじ風景


ミレーの絵のように
どこからか晩鐘がきこえてくる
手をあわせ 頭
(こうべ)をたれて
しずかに しずかにきく
いま ここに
ぶじであることを思いつつ

平成16年初夏)






ぶじであることを
思い出は

思い出は母のそばにいるのがいい
思い出は父のそばにいるのがいい
思い出は兄弟とたわむれているのがいい
なかまと駆けているのがいい
おじいさんに甘えたこともいい
思い出はいくらあってもまだたりない

思い出はたのしかったことがいい
思い出は笑っていることがいい
心が明るく立ちあがる

いらないものは暗いこと
いらないものはさみしいこと
心の傷は癒えません

さあ 幼な子よ遊べ遊べ笑え笑え
さあ 若者よまっしぐらに進め
心残りはじやまになる


詩集「あじさいのうた」より




 
母の日に

若葉のころになると
いつも思い出される母の声

かしわ餅をつくるけん
かしわ葉をとってこいや


学校から帰ると
手かごを持って山へ走った

あれから幾年月
今日は娘たちと
粉をこね あんこをまるめて
かしわ餅をつくる

ただよいはじめた あの香りと
たち込めるゆげの中に
木綿のかっぽう着をつけ
鉄釜にかけたせいろうの
ふたをとる母の姿がよみがえる

さあ
私も むし器のふたをとってみよう


詩集「あじさいのうた」より


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cut by 仏師 山崎祥琳氏