第五景


追分公園

JR美作追分駅前の小さな山が追分公園。ここは山ツツジの名所です。
4月の中旬頃からが見頃です。
地元商工会の方々が設置したボンボリに灯りが入ると
普段は静かな公園が一気に華やぎ
やわらかな灯りの中に
満開のツツジが浮かびます。

山ツツジが満開になったら写真を差し替えますのでお楽しみに・・・。

追分公園

地元ボランティアの方々による草刈・清掃作業が
本日行われました。
大変お疲れ様でした。
花の季節を楽しみにしています。
(2004・10・3)

公園の登り口の清水。
澄んだ水は枯れることは無く
以前は柄杓が
置かれていました。

追分池の堤から見た公園。
ツツジの季節にはここも
お花見ポイント。
山頂付近の養蚕神社の鳥居が
わずかに見えます

弊社はこの追分公園の裏手国道沿いです。


追分公園記念碑物語

gT

谷口實蔵氏

 明治三年(1870)中河内で生まれ、閑谷学校を経て大阪医学校(現大阪大学医学部)に進み
卒業後郷里に帰り医院を開業する。

資性温厚にして常に慈しみをもって患者に接し、貧富にかかわらず、遠近を問わず、馬にまたがり、
あるいは自転車で往診した。

氏は薬価・診察料は意に介さず誰かれの差別なく親身に診療にあたり、氏の徳は四方に伝えられ
医院の前は常に患者でいっっぱいであったといわれる。

 瀕死の患者も一度先生の往診を受ければ心残りはないと言ったという。
また常に社会事業に関心を寄せられ、児童の保護、貧しい人々への施療、文化施設への想い等、尽力された。
大正十四年(1925)五十六歳で没す。

 氏の恩恵を受けた村人により大正十五年(1926)谷口医師の徳を顕彰して、ながく後世に伝えるため
追分公園に記念碑が建てられた。(落合町史より)

gU

本山貞市氏

旧河内村東谷生まれ、津山市二宮にあった養蚕講習所を卒業後、
現在の農協上河内支所の北に「興蚕館」を建設して蚕種の製造を始めたが
事業経営に失敗すると再び養蚕業の先進地である群馬県前橋市に赴き
蚕種の研究を重ねて帰郷する。

氏は人手に渡っていた「興蚕館」を買い戻し、自宅の近くに蚕種製造所を再興し
病気に強い「新白」種を世に出し大正末期から昭和初期にかけての養蚕振興に大きな役割を果たし
特に、「本山種」と呼ばれる優秀な蚕種は県下に知られた。

昭和八年(1833)死去されたが、追分公園の頂上には、当時建てられた養蚕神社が祭祀されており
また公園中程には、氏の業績を讃える銅像(立像)が建設された。
しかしながら太平洋戦争中に供出されて、いまはその台座のみが残されている。
(落合町史より)


美作追分駅

JR西日本、姫新線「美作追分駅}
現在は無人駅ですが昭和48年までは数名の駅員さんがいて
通勤・通学の人達で賑わっていました。
自転車置き場は満杯で場所の確保も困難な状態でしたが
いまはとても静かです。

平成8年4月、管理をしている落合町が駅舎を改築し
「キリタローの館」と隣接したユニークな駅としても
有名になりました。

旧駅舎の切符売りの窓口、木の改札口、懐かしい・・・。

左側がキリタローの館 右側が駅舎

待合室の中央には自然の木がデーンと・・。 研修室や台所もついた立派な建物です。 ちょっと寂しそうだったなぁ・・。
朝夕の通学時間帯以外は
ひっそりと・・
館の主・キリタロー君 館の中でスタンバイ中?

キリタローってなに?何?

なんだろなぁ〜?  

以前はこの辺りの霧は「河内のあほう霧」と。今ではそんなこと誰も言いません。「キリタロー」
河内にキリタローが住んでいることは
この辺りでは有名。
北海道の摩周湖には親戚も・・。

河内のあちこちで見つけたキリタロー。

ぼく、がんばってま〜す  やさしく見守ります通学路 突然のだんご三兄弟
ドキッ
おっと滑らないで・・

けなげで可愛い・・・。
看板屋さんの作業場入り口で
キリコちゃんもいるんだぁ トラックの荷台にも 電柱!危ないよ〜
酒屋さんの駐車場で