ベトナム、ラオスの旅
     2005年4月5日〜12日
4月5日(火)
 岡山ではまだ桜は蕾。大阪近辺では咲き始め。なぜか畑が気になる。泉南の畑、エンドウやソラマメの生育がよい。我が家の菜園と比べ。
 関空3階、国際線出発カウンターG、日本航空窓口で、共同運航便ベトナム航空VN941の搭乗手続き。窓側を希望。46番ゲート、搭乗時間10時35分、10A席。いつものことながら待ち時間が長い。3万円分ドルに交換。272ドルに。2階のモールでのど飴など買い、「そじ坊」でざる蕎麦を。
 出入国カードの記入がなくなり、ずいぶん楽になった。
 VN941は出発時間が10分早まり、11時05分に。
 関空を南に飛び立った飛行機は旋回し、明石海峡大橋上空に。淡路島の西海岸沿いに四国へ。吉野川上空付近から、まだ雪の残る剣山、室戸岬まで一望できる。足摺を過ぎ、日向灘上空付近で乱気流。シートベルト着用サインつく。
 大隅半島から薩摩半島へ。種子島、屋久島もよく見える。鹿児島上空でランチタイムに。トカラ列島沿いに南下。火山島・珊瑚礁の様子がよくわかる。13時、沖縄西方通過。ワインとビールで眠気。窓のブラインドを下ろし、機内はお休みモード。
 16時05分、ライトがつき、ブラインドを上げる。ベトナム上空に。海岸線が見える。水、ウーロン茶が配られ、16時30分(現地時間14時30分)、ホーチミンに。気温36度。真夏の世界。機外に出た瞬間、ムッとした外気が襲う。
入国審査、1人3分余り。時勢柄とはいえ手間がかかる。しかし、ビザなしで入国できるのはありがたい。
 1階手荷物受取所、手前の表示は3番ターンテーブルになっているにもかかわらず、テーブルの表示は福岡便に。乗客はウロウロ。テーブルの表示が間違いで、3番のターンテーブルが回り出すと、早々に私のキャリングバッグが現れた。
 税関を抜け、1万円、ドンに両替。100ドンが約0.7円。
 O.S.C.TravelのBaさんが出迎えに。
 車で約10分、韓国人が経営するAMARAホテルへ。
 途中、「近年、ホーチミンではスリやひったくりが多く、バッグなども切り裂かれて金品を盗まれることがある。」「最近、会社の人も2000ドルすられた。」とか物騒な話しばかり。ホテルでも貴重品はセフティボックスに入れておくようにと忠告される。
 Baさんは、チェックインまで手伝い、「明日12時に迎えに来る」と言って、帰った。
 501号室。一休みし、4時20分、パスポートやチケット、現金などをセフティボックスに預け、タクシーで華僑の街チョロンへ。
 車1台の周りに2,30台のバイクが取り囲んでの走行。道路いっぱい群れるバイクに身動きできず。信号無視も当たり前。事故が起こらないのが不思議。排気ガスもひどい。マスクをした人も多いが、きっと喘息などの公害病、かなり発生しているはず。
 ビンタイ市場まで43000ドン(初乗り12000ドン)。
 2階建ての市場は衣料、雑貨、文具、履き物等々の小さな店がひしめき合い、通路は買い物客がやっとすり抜けられる狭さ。建物の中央は小さな公園になっており、置かれたベンチは買い物客などで満席状態。
 また市場の周囲も果物、野菜、肉、魚、おもちゃなどの店舗や露店が建ち並び、売り手、買い手の熱気に満ちあふれていた。
 マンゴスチンを買い、ブラブラとチョロンの街中を歩く。チョロンバスターミナル、チャータム教会、チョロンモスクと。
 6時過ぎ、日没。薄暗くなってきたので、タクシーをひろい、ガイドブックに載っていた大衆ベトナム料理店(ベンタイン市場側のタイビン食堂)に。
 市場の周りを2周してやっと見つけた食堂。
 写真付きのメニュー、ガラスケースに入った食材などから、ココナッツヌードル、焼き手長エビ、春巻き、ちまき風・味はお好み焼き、タイガービール2本注文。計98000ドン。
ベンタイン市場は早々に閉まるが、その周りには、衣料、雑貨、屋台の食堂等々の夜店が。ベトナムコーヒーの店で品定め。ピンからキリまで各種。安いものは1キロが200円ぐらいから。最高級品で1キロ300000ドン。食べ比べると、差が歴然。甘い香りがする。全体的に、深煎りか。苦みも。この際、最高級品を。250000ドンに負けて貰い購入。
 天秤にマンゴスチンの入ったかごをぶら下げた女の子が、1キロ1ドルと追いかけてくる。安いが、すでに購入済み。袋を指さし、「買ったのでいらない」と言うが。ひつこく追いかけてくる。
 タクシーをひろい、ホテルに。8時半、部屋に戻る。
 部屋の冷蔵庫に入った飲み物は市価の数倍。馬鹿らしく、ミネラルウオーターを買いに外出。
 ホテル隣の店、ミネラルウオーター2本で1ドル、缶ビールは3個2ドルと言う。どうも日本人とみてふっかけている。案の定、50メートルほど先の食品店ではミネラルウオーター1本と缶ビール1個で10500ドン。2/3の価格。
 その先の露店でドラゴンフルーツ1個とカスタード・アップル2個買う。18000ドン。
部屋に戻り、早速ドラゴンフルーツとカスタード・アップルを賞味。ドラゴンフルーツは甘みが少なく、冷たくないシャーベットを食べている感じ。小さな麻の実のような種が。カスタード・フルーツは白いクリーム状の果肉、中に大きな種。見た目、ドリアンの果肉。しかし、味は淡泊。
9時半、風呂に入り、10時にはベッドに潜り込む。
 
4月6日(水)
 一度、4時に目が覚め1時間ほど寝付けず。6時、起床。
 7時、一階のレストランで、ブュフェ。きしめん風のフォー、フルーツ、ソーセージ、野菜の煮付けなど少しずつ。パッションフルーツ・ジュース、コーヒー。
 8時、タクシー(16000ドン)で、歴史博物館に向かうが、着いたのは戦争証跡博物館。すぐに気づいたが、そのまま、ベトナム戦争の記録写真や兵器、枯れ葉剤の被害などを展示した博物館に入る。入館料10000ドン。
 入館者は数人。アメリカ人らしき若者が、米軍の残虐行為を写した写真を食い入るように見ている。あまりにも惨く、あまりにも非人間的な記録の数々。枯れ葉剤による奇形児のホルマリン漬けは、とても正視できない。コンソン島のトラの檻を再現した牢獄の鉄格子から中を覗いてギョッとする。あまりにリアルな蝋人形。中からうめき声が聞こえてくるようだった。しかし、一方で、監視員らしき若い女性が、鎮魂の場のような展示室で、携帯の着メロに夢中になっている姿を見、サイゴン陥落30年、時の流れとともに、しだいにあの悪夢のような出来事が薄れてきているように思えた。
 博物館は工事中、平屋で1〜6号館まで分散した展示場の収蔵物は、多分、新築される建物に移されるのだろう。
 統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)まで歩いて約10分。1975年4月30日、解放軍が戦車を先頭に入った当時のままの部屋などが保存されている。入場料15000ドン。
正面右手の庭園に、無血解放した戦車2台が記念碑のように残されている。
 解放30周年を前に、平日にもかかわらず見物客が多い。玄関前でチケットを渡すと、「丁度、これから日本語ガイドが案内するところです。一緒にどうぞ。」と言われ、大阪から来た学生と一緒に、アオザイ姿の若い女性ガイドの案内で会堂内を回る。
 大統領の執務室、謁見室、副大統領の謁見室、大統領の私邸部、屋上に残されたヘリコプター、南ベトナムの作戦本部、地下にはラジオ局まで当時のまま残されている。
 1962〜66年にかけて建てられたという豪華な建物は、一方で1メートルもの厚い壁で護られた要塞でもあった。堅固で豪華な官邸も、僅か10年、それも多くの人々が戦火にさらされ苦しんでいる中で使用されただけ。時代錯誤もはなはだしい為政者の姿を残す記念碑のような建物だった。
 邸内には漆器などの土産物や民族楽器などを販売する一角もある。
 1時間余りで、一巡。統一会堂からホーチミン市博物館前を通り、中央郵便局へ。隣接するサイゴン大教会とともにこれらの建物はすべて19世紀末、フランスの植民地時代に建てられたもの。郵便局で切手を買い、絵葉書を投函。記念に記念切手集も。
 大教会には3日に亡くなられたヨハネ=パウロU世の逝去を悼む横断幕が。明後日、ローマで葬儀が行われるはず。
 郵便局前でタクシーを拾うつもりでいたが、たむろしていたバイク・タクシーが客引きに。交渉の結果、ホテルまで、12000ドン。使い方によれば、安く、早く目的地に行けること確認。11時10分、ホテルに戻る。
 11時45分、チェックアウト。セフティボックスに預けたパスポート類、忘れかける。
12時、約束通りBaさん迎えに。
 赤いネッカチーフを首に巻いた子供が街に溢れている。二部授業のため、帰宅する子と登校する子が鉢合わせになっているとか。少子化の進む日本ではお目にかかれない光景。空港は日本のODAで拡張工事中。ODAによる工事は大成とか鹿島など日本のゼネコン企業が請け負っているとか。
 空港内には送り迎えの人は入れない。入口でBaさんと別れ、搭乗手続きに。
VN840便、搭乗時間7番ゲート13時30分。空港税12ドル。残ったドンでお願いすると、残金全て両替してくれる。
 Tシャツ1枚4.5ドル、ビール1ドル。
7番ゲートから駐機場までバス移動。VN840便は83人乗りのフォッカー70型機。窓側4-E席。定時14時離陸。空港は閑散としている。天気はいいが、霞がかかり視界は悪い。ソフト飲料のサービス後、入国カードが配られ驚く。何とカンボジアのカード。周りの乗客は一斉に記入し始める。ビエンチャンへの直行便と思っていたので一瞬慌てる。プノンペン経由だった。
 僅か30分ほどの飛行で着陸。14時35分〜15時25分、トランジットでプノンペン空港待合室。日本の地方空港ほどのターミナルビル。予定外のカンボジア、何か記念にと竹皮製の箱に入った線香を一箱買う。
 空港内では100メートルほどしか離れていない駐機場までバス移動。
15時40分頃、ランチサービス。昼抜きになっていただけにありがたい。肉のシチュー、ライス、レンコンとニンジンの煮物、果物、コーヒー、パン、トマトジュース。
 上空から見れば、右岸も左岸も同じ景観のメコン川。タイとラオスの国境に障壁はない。人間社会の不思議を感じる。
 16時50分、ビエンチャン空港に着陸。用意していた書類に30ドル、簡単にアライバル・ビザ取得。すでに階下の荷物受け取り場のベルト上には手荷物が乗っていた。
T/C200ドル両替。キャッシュ96ドルと1043000キープ。
サービスカウンターで6ドル払いタクシーに。空港から市街地のホテル・デイインまで20分ほど。
 17時35分、チェックイン。304号室。竹製の家具類。
 ラオプラザのジャンピングツアーでルアンパバーン行きの航空券、ホテルクーポンを受け取り、ホテル周辺散策(タートダム、サムセンタイ通り)。一度ホテルに戻り、再び、外出。家に電話。9000キープ。
 ナンプ広場角のビアガーデン風のレストランで生ビール2杯、ソムムー1皿(27000キープ)。タートダム近くのラオス料理の店、スックピーマンでラオ料理セットにラオビール大瓶1本(39000キープ)。
 20時50分、ホテルに。入浴。テレビ(ローマ法王の逝去、カシミールでの定期バス再開前の爆弾事件など)を見ながら22時前には寝ていた。
 
4月7日(木)
 6時前起床。7時30分、1階レストランで朝食。ラオ風の朝がゆ。卵が入っていなければ最高。8時、ホテルを出る。サムセンタイ通りの貸しバイク屋で1日6ドルのバイクを借り、ブッダパークに向かう。道路マップもなく、市街地を抜けるとどこを走っているのか分からない。バイク屋の話しではブッダパークまで20数キロ、メコン沿いに行けばなんとかなるだろうと、まだ涼しさの残る道を、時速30キロで心地よく走る。
 ところが家並みを抜け、メコンの川岸に出たところで、道幅が狭くなり、舗装もなくなる。どうやら道を間違えたらしい。1キロばかり戻り、メコンからは離れるが、三叉路を左にとる。幾つか村や町を通り過ぎるが、いっこうに目的地は現れず。それどころかメコンからもずいぶん離れてしまっている。日も高くなり、腕がじりじり焼ける。40キロ以上走ったか、道沿いの八百屋で道を尋ねる。ガイドブックの写真を示し、ブッダパークの方向を聞く。この道を行けば、友好橋もブッダパークもOKとのことで一安心。向かいの雑貨屋でミネラルウオーター(3000キープ)を買い、喉を潤す。
 田植えと、稲刈りが同時に見られる水田地帯を抜け、未舗装の道になる。そのうちメコンの左岸に。水牛が遊ぶ川辺で一息つき、しばらく走ると交通量の多い広い道に出る。
ビエンチャンとタイ、ラオスを結ぶ友好橋の間は、メコン川が大きく蛇行しており、メインの道路は当然ショートカットされている。この道を通れば目的地まで20数キロ、しかしメコン沿いを大きく迂回して走ってきたルートは60キロ以上。おかげでラオスの農村地帯を垣間見ることができたが。
 友好橋の手前、橋の眺望には最適の国立エスニック公園(入園料3000キープ)に立ち寄る。恐竜のセメント像があちこちに置かれ、ラオスのユニークな民家が復元され、民具なども展示されているが、入園者がほとんどないらしく、展示場などは埃だらけ、荒れ放題。とても国立公園とは思われない。しかし、メコンに面した遊歩道(?)からの友好橋や対岸(タイ)の風景を眺めるには絶好の場所。ブーゲンビリアのショッキングピンクと蝉の鳴き声が暑さを増長する。
 友好橋を過ぎ1キロばかり、河岸の寺院に寄り、下流から友好橋の写真を撮る。途中で追い越した自転車の白人も入ってくる。
 友好橋から約7キロ、11時45分、やっとブッダパーク到着。大型バスが3台。賑やかな声。さすが観光地。
 入園料5000キーブ、カメラ持ち込み料2000キープ。
 ブッダパークの正式名称は1958年に建立されたワット・シェンクアン。しかし、境内に置かれた無数の仏像からいつしかブッダパークと呼ばれるようになった。巨大な涅槃仏を中心に様々な表情の石像、セメント像が置かれているが、仏像ばかりではない。ヒンズーの神々や中国寺院を思わせる一角もある。いかにもインドシナらしいブッダパークである。
 メコンに面した休憩所で、ココナツジュースを飲む。とにかく暑い。ラオス南部のサワンナケートから来たという高校生の集団が席の多くを占拠している。引率の先生の話によればここまで400キロ、バスで8〜9時間とのこと。レクレーションと言っていたが、校外研修か、修学旅行のようなものか。中には日本語の勉強をしている生徒もおり、早速ノートを取り出し、会話実習。先生は食べていたランチを勧めてくれたが、一口いただきお断りした。香草と唐辛子のしびれるような辛さに。
 どこに行っても必ず出てくるのが、サラリーの話し。ラオスの先生の給料は月30ドルほど、ほとんどの先生が兼業らしい。日本の教員の給料を聞き、少し無口に。
 入口横の売店でラオスのCDを買う。店を手伝っていた青年は、ビエンチャンで勉強したという流暢な日本語を話す。
 入口右手のカボチャ型の建物は狭い階段、通路を通り、屋上に出られる。天国と地獄を表したという奇妙な建物だが真っ暗闇の建物内部にはまるで五百羅漢のように無数の仏像が置かれている。屋上からは眼下にブッダパークを一望できる。
 屋上で写真を撮り、パークを出る。
 バイクのカゴに入れていたミネラルウオーターがない。盗まれたか。しかし、こんなものまで。不快感とともに寂しさが。
 12時45分、ブッダパークを後に。帰りは道を間違えることもなく、14時にはビエンチャンに。途中、用水で魚を捕っているのを見たり、道路沿いの寺院に寄りながら。
ガソリンの補給。2リットル20000キープ。日本とほぼ同じ値段。
 タラート・タートルアンの側を抜け、ラオスのシンボル、黄金の仏塔、タートルアンへ。入口で5000キープ払い中に。強い日差しにまぶしく輝く仏塔の周りを一巡する。仏塔を囲む回廊には近在で発掘されものか仏像が並べられている。また絵画展も行われていた。タートルアンは、セタティラート王が、ビエンチャンに遷都した16世紀に建てられたと言うことだが、1873年、中国の侵攻により壊され、現在の建物は1930年代になって修復されたもの。一辺60メートル余りの正方形、三段構造の仏塔は、一辺85メートル余りの外壁に囲まれた芝生の中庭に聳える。オートで写したデジカメの写真を再生してみると余りの光の強さに全体白っぽくなり、全くコントラストのないものに。
 タートルアン前広場にはまるで仏塔を護る衛士のようなセタティラート王の像が。
木陰には観光客目当ての露店が出ている。覗いてみると値札はタイバーツ。Tシャツ2枚、350キープで。コーラは50キープ。
 15時5分、バトゥーサイ(凱旋門)の横を抜け、ワットシーサケートへ。博物館扱いで拝観料5000キープ。
 アヌ王時代の1824年に建立された寺院。古色然とした建物。本堂の外壁を飾る木彫、内部の壁画ともにいい。本堂を囲む回廊には無数の仏像が置かれている。その数は1万体以上とか。
 道を挟んで向かいにあるのが、ワットホーパケオ。ここも博物館扱いで拝観料5000キープ。入口の小屋に座った無愛想な男に拝観料を払い中庭に。日は高いが、拝観は16時まで。
 ここも、セタティラート王が、ビエンチャンに遷都した16世紀に、エメラルド仏を安置するため建てられたと言うことだが、18世紀、19世紀にシャムが侵攻したとき破壊され、エメラルド仏も持ち去られ、現在の寺院は1942年に再建されたもの。ホーパケオはタイ語でプラケーオ、すなわちエメラルド寺の意。
 本堂内には大小の仏像等が展示されており、お守りなども売られている。タイ人らしい家族連れが写真をとりあっている。通りの向こうから賑やかな楽器の音が。結婚式?
 セタティラート通りを500メートルほど郊外に向け走ると右手にワット・シームアン。通りを挟んで、お供え物を売る店が並ぶ。境内にバイクを止め、建物の正面ベンチに腰掛け一休み。ヨーロッパ人を案内していたガイドの一人が日本語で話しかけてくる。流暢な日本語で。日本山妙法寺の信者で、今年、鹿児島に行くとか。「日本で働きたいがどうしたらよいか」「日本人女性と結婚したら日本で働けるか」など聞いてくる。本堂を覗くと、僧侶と対面し、何やら一心に話している人が数人。願掛け?相談?機能している寺院。
16時45分、一度ホテルに戻り、再びメコンに沈む夕日を求め、バイクを走らせる。
 空港の先まで、20キロばかり走り、小さな寺院の境内を抜け、メコンの畔へ。
 急崖の下は、小さな船着き場になっており、対岸と小舟が行き来している。船着き場で釣りをしている人も。
 日没まではまだしばらくありそう。
 市街に引き返す。途中、目の前を走っていたバイクが、飛び出してきた牛にぶつかり転倒。大事には至らなかったが、びっくり。
 17時45分〜18時20分、メコンの河原、堤防上の屋台で、夕景を楽しむ。
ピーマイラーオ(ラオス正月)の準備か、中州にテント小屋のようなものが建てられ、木組みの仮設橋がつくられている。その側で水遊びに興じる子ども、網を入れる小舟、サッカーを楽しむ若者。下校途中か高校生の姿が目立つ。バイクで屋台にやってきてビールを注文するものも多い(飲酒運転の取り締まりがない)。やしジュースを飲みながらピンクに染まった西空に夕日が消えるまでいた。
 メコン沿いの道を走っているとスピーカーから賑やかな曲が。エアロビックスをやっている。
 18時50分、バイク返却。一日で150キロほど走っていた。
昨晩と同じ、ナンプ広場のコープチャイドゥー・フードガーデンで生ビール、春巻き、魚ステーキセットで夕食。外国人客が多い。
 20時15分、ホテルに戻り、入浴。荷物の整理。
 22時過ぎ、床に。
 
4月8日(金)
 5時15分、起床。荷造り、洗面、日記の整理。
 6時50分〜7時10分、朝食。コーヒー、チキン雑炊。卵なしを注文したのに出てきたものには昨日同様卵が。差し込む朝日がまぶしい。
 7時10分〜40分、ビデオカメラを持ち、ホテル周辺を散策。
 サムセンタイ通りをラーオ・プラザ前、国立博物館前を抜け、国立文化会館の角を折れ、メコン河畔に。国立文化会館では何か行事があるのか、中・高校生が集まっている。トラックに乗った兵士や街角に立つ警官がやたら目につく。
 裏通りは未舗装のままのどろんこ道も残り、工事中の箇所も。しかし、ゴミは少ない(屋台が並ぶメコン沿いを除いて)。ゴミ回収車もまわっている。
 ラオス航空のオフィス前からナンプ広場を抜け、ホテルに戻る。
 フロントでタクシーを予約し、2階の部屋から荷物を降ろす。チェックアウトし、タクシーを待つこと15分。
 8時10分、ホテルを発ち、空港へ。8時25分、空港着。
 QV635便の搭乗手続きは9時から。空港内のブースで、小型シートなど切手を数種類買う。
 ふと気がつくと、すでにカウンターが開き、手続きを始めている。8時50分、搭乗券をもらい2階のレストランへ。5000キープのココナツ・ジュースを飲む。
 9時30分、パスポート・チェック。空港税5000キープを払い、待合室へ。
 ATR72型、プロペラ機。14A席。機内に入ると、なぜか、携帯に夢中の若い女性先客が。搭乗券を確認すると、隣のB席。
 定刻の10時、離陸。凍結したウェットティッシュとミネラルウオーターが1本配られる。間もなく、眼下に巨大な人造湖ナムグム湖が見え始める。1971年、日本などの援助で建設されたナムグム・ダムによって出現した湖。
 10時45分、ルアンパバーン着。
 荷物を待つ間に、帰りのリコンファームを済ます。コンピュータの立ち上がりが悪いのか手間がかかる。
 空港出口で、ビラサティの係員がネームプレートを持って出迎えていた。片言の日本語で、早速、副業のツアービジネス。明日一日、近郊の見所をまわって、70ドルが言い値。結局50ドルまで値切り、交渉成立。
 10分ほどで、3泊予定のビラサティに。11時40分、チェックイン。
 由緒あるホテルらしいが、シーズオフ・プランのお値打ち料金のせいか、割り当てられた別館の15号室は、南東側に窓があるものの一段高い小学校の壁に遮られ、薄暗く、あまり感心しない。
 荷物を置いて、早速街中へ。シーサワンウォン通りはルアンパバーンのメインストリート。土産物屋やレストランなどが並ぶ。通りに面した華人経営のレストランでフーとコーヒーを注文し、まず腹ごしらえ。
 日中の通りは人影も少ない。ビーマオラーオの観光客もこれからか。
 ルアンパバーンが一望できるというプーシー(仙人の山の意)に登る。比高150メートル、328段の石段を登る。途中に10000キープの関所が。
 蝉時雨の中、大汗を流しながら、やっと山頂へ。山頂には仏塔、タートチョムシーが建つ。
 山頂は、確かに、展望に恵まれ、北にメコンの流れとシーサワンウォン通りを挟む町並みが、南には支流のカーン川が。カーン川の右岸には空港、左岸には新市街地が広がっている。仏塔に安置された仏像に手を合わせ、木陰で休むことしばし。その間、カメラで蝶を追いかける女性や仏塔に参拝に来た家族連れなど数人が山頂に。
 12時10分から13時40分まで1時間半ほどプーシーに費やす。
 下山し、シーサワンウォン通りを挟んで向かいの王宮博物館へ。
 1909年、フランスの植民地時代、保護領として形式的に王政が残されていたルアンパバーン王国シーサワンウォン王の王宮として建設された建物。王の死後も1975年にパテート・ラオ政権による王制廃止まで王家の宮殿として使用されていたが、76年から博物館として開放。
 正面の階段を上がり、テラス左手側奥で20000キープ払い、靴を脱ぎ、鍵のかかるロッカーに手荷物を入れる。建物の内部は撮影禁止。カメラもビデオもロッカーに。
 入口ホールを挟み、右は王接見の間、左は秘書・王妃接見の間、それらの奥には王位授与ホールが続く。建物の前部は公務に利用されていた部屋が、背後(メコン側)には私的な生活に利用された部屋が配置されている。王の寝室、王妃の寝室ともに質素で、壁画や装飾の多いホールや接見の間と対称的。接見の間やホールには王や王妃の衣服、刀剣、外国からの献上品などが展示されている。
 大阪万博の記念品なども展示されていた。
 1時間ほどで、隣接するワット・マイへ。
 完成まで50年費やしたといわれる美しい寺。1821年に建立された五重に折り重なった屋根とラーマーヤナをモチーフにしたレリーフが有名。本堂拝観料は5000キープ。
 郵便局のある交差点角の露店で、マンゴスチンとライチを買う。
 15時30分、メコン河岸へ。船着き場の見える屋台で一休み。ビールを注文し、メコンの流れ、メコンとともに生活するラオの人々の様子をながめる。着いたばかりの船から牛が数頭降ろされている。中に暴れるものもいて、大騒ぎしている。
 メコン沿いを歩いていると、一軒の家からリズミカルな音。覗いてみると銀細工屋。店舗の裏が工房になっており、数人の男が、皿や壷、カップなどを打ち出し、細かい模様を施している。ぐい飲みにしては少し大きめのカップを2個とシンプルなブレスレッドを1つ衝動買い。
 一度ホテルに戻り、手足を伸ばし、日が沈む前にルアンパバーンのシンボル的な寺院、ワット・シェントーンへ。
 シーサワンウォン通りからサッカリン通りと名前を変えたメインストリート沿いにはワット・ソップ、ワット・スリムンクーン、ワット・スリフソフアンなどの寺院が並び、和紙を思わせる紙漉の工房や店が並ぶ。
 17時30分、通りから少し路地を入ったところにワット・シェントーンが。
 数人のヨーロッパ人観光客が入っていたが、入口付近にチケット売り場はない。境内は無料なのかととりあえず右手の建物に。中には龍を配した黄金の車が。1960年、シーサワンウォン王の葬儀に用いられた霊柩車とか。
 二重、三重に折り重ねた屋根の本堂、モザイク画に彩られた外壁や、祠などを見て回る。一回りして、木陰で立ち話をしている女性が、チケットの売人であることに気付き、10000キープ払いに。
 1560年、セタティラート王によって建立されたというワット・シェントーンは、ラオスの寺院の中で最も美しいとされている。確かに、その建築様式のもつ荘厳でいて優雅な外観、外壁に施された彫刻やモザイク画の豪華で緻密な描写を見れば納得せざるを得ない。 チケットの売人が店じまいするまで境内を歩き回った。
 メコンの対岸に日が沈み薄暗くなった頃、ホテルに戻る。
 19時過ぎ、ナイトマーケットへ。
 シーサワンウォン通り、王宮博物館前から郵便局前の間は毎晩車両通行止めになり、近在から集まった露天商が店開き、ナイトマーケットになる。生地・衣類をあつかう店が多いが、竹や紙で作った民具、木彫り、酒など土産物もたくさん並べられ、見て回るだけでも楽しめる。路地を入ると屋台の串焼き屋やカオビヤック屋、カオソーイ屋、総菜屋が並ぶ通りもあり、腹ごしらえもできる。
 おもしろそうな民具、串焼きと缶ビール買い21時頃部屋に戻る。
 夕食は、果物と串焼き、ビール。
 
4月9日(土)
 気温の日較差大、風邪気味。
 5時過ぎに起床。本館2階レストランのテラスで朝食。フォーと果物中心に。
 8時〜16時、チャーターした車(ハイエース)で、近郊周遊に。
 ルアンパバーンから30キロ余り、約1時間。クアンシーの滝に向かう。蛇行するメコン左岸の山道を走る。メコンが見えるのは一瞬。半落葉樹に覆われた山地では焼畑も見られる。乾季末の今は火入れの季節か。畑にはバナナ、インゲン、桑などが目立つ。
途中の村で、村人総出で櫓のようなものを組んでいるのを見る。多分これもラオス正月を迎える準備。道端に2頭の象を見かける。車を止め、写真を撮るとチップを要求される。10000キープ渡す。直後にやってきた子ども連れのヨーロッパ人観光客にはえさ用のバナナを勧めていた。山仕事に使っている象かと思ったが、どうやら観光用(?)。
 滝のある村は観光客の落とす金の恩恵か新築家屋が目立つ。竹壁、椰子の葉葺き屋根の高床式家屋の多い山間の村の中で、際立つ。
 村の駐車場に車を止め、滝見物に。
 入口で15000キープ払い、土産物屋が点々と並ぶ道を5、600 メートルほど歩くと前方に滝が現れる。大小、いろいろな滝を見てきた私には余り感動はなかった。ただ熱帯林の中にある滝に興味を覚えた。9時開門で園内はまだ閑散としている。土産物屋も準備を始めたばかり。入園者は一人。滝の周りを一回りしているうちに、黄色の僧衣を着た若い僧が数人やってきた。一人は滝口まで登っていった。声をかけると日本語が帰ってきた。いくつかの単語だけだが、お坊さんの日本語学習熱はほんまもの。
 村の中も少し歩き、10時40分、クアンシーを発つ。
 ルアンパバーンに戻る途中、竹壁の民家の並ぶ村に寄った。軒下で、女たちが、パッチワークした布で、エプロンや袋、紐などを作っている。民芸品を生業としている村だった。車を降りると色とりどりの紐や小さな布袋を持った子供に取り囲まれる。村を歩けば、針と糸をもった女に呼び止められる。観光立国にならんとするラオスの姿を垣間見る思い。ルアンパバーンを通り過ぎ、今度はメコンの上流に向かう。ルアンパバーンから約20キロ上流の左岸にある、バーン(村)・サーンハイはラオスの焼酎、「ラオラーオ」の醸造村として知られている。ここも今や観光村。各家々はみんな土産物屋になっている。
 村の入口に車を止め、奥に歩いていくと、大きな甕やドラム缶を並べた家が何軒かある。メコンの川岸で煙の上がっているドラム缶を見つけ近づいてみると、「どぶろく」から蒸留酒を造っている。作業していた女性が、甕の中の発酵している「どぶろく」や蒸留したばかりの熱い「ラオラーオ」飲ませてくれる。ドラム缶の仕組みは「どぶろく」を熱し、蒸発するアルコール分の多い水蒸気を水で冷やして集めるという簡単なもの。ネパールで見たロキシを造る道具と基本的には同じ。
 この女性の造った、即ち醸造元で、720mmlのラオラーオと無茶苦茶甘い発酵酒を1本づつ買う。
 村の中を歩いていると木陰で何か食べながらおしゃべりしている女の子が3人と目があった。呼び止められてのぞくと、食べていたのはまだ青いマンゴーの実。勧められるまま口にすると少し酸味のするキュウリ。テーブルの上にはリクレーションの本が。高校生ぐらいの歳だが言葉はほとんど通じない。いくつかの英単語とゼスチャーでの会話。
 12時30分〜13時30分まで1時間余り村にいた。
 村からさらに15分ほど上流、メコンと支流のウー川が合流するところがパークウー。タワーカルスト状の岩山がメコンに迫っている。対岸の断崖にぽっかりと口を開いた洞窟がパークウーの洞窟の一つ「タムティン」。車を降りて、土産物屋の並ぶ路地を抜け、船着き場へ。渡し賃は往復1ドル。若いアメリカ人アベックと同舟に。
 ウー川の清流がメコンの黄濁流と交わり、飲み込まれていく様を見ると、人間社会の行く末をつい想像してしまう。
 洞窟下の桟橋できっちりと10000キープ徴収され、白ペンキでお化粧直ししている階段を上り、「タムティン」へ。大小無数の仏像が安置されている。大きなものは等身大、小さいものは10pほど。素材もいろいろ。金属製のものも、木製のものも。埃をかぶり、中には原型をとどめないほど崩れたものも。しかし、その一つ一つにその時その時、奉納した人の思いが刻まれた仏像だ。大きな洞窟ではあるが、奥行きはあまりない。
 「タムティン」から右手の急坂を15分ほど登ったところにもう一つの洞窟「タムプン」がある。さすがにきつい。ふらふらしながらたどり着く。
 洞窟入口は木組でふさがれ、石窟寺院らしい趣。中は電灯もなく真っ暗で何も見えない。用意した懐中電灯をつけるが、広い洞窟の全景を掴むことはできない。先に入っていたヨーロッパ人の家族が、暗闇の中でかくれんぼしている。子どもの叫び声が洞窟内で反響する。洞窟内の棚状になったところにはやはり大小無数の仏像が安置されている。「タムティン」と違い、奥に深い洞窟ではあるが、結局、全貌は分からなかった。
 船着き場に戻ると、同舟のアベックは、すでに見物を済ませ私の帰りを待っていた。
1時間余りの洞窟見物を終えパークウーへ。テラスのある河岸の食堂で、フォーを注文し、ラオビールで喉を潤す。生き返ったよう。
 帰りは車で30分、16時過ぎホテルに戻る。
 発酵酒の栓が弛み、バッグの中はベトベト。中に入れていたものも。ホテルに戻って、ゆるんだ栓を閉め直そうとすると、シャンペンの栓を抜いたように吹き出し、そこら中ベトベトに。ズボンもシャツも。酒というより高濃度の砂糖水。始末が悪い。結局この酒、 一瓶の半分は吹き出し、コップ半杯ほど飲んだだけ。
 疲れがどっと出る。少し熱も。頓服を飲んで、横になる。
 17時45分、ホテル前の貸し自転車屋で、11日まで自転車を借りる。一日1ドルが相場。18時、借りた自転車で、メコン沿いの道を走り、ワット・タートルアンへ。寺院北西の大きな広場にはメリーゴーランドなどの遊具が並べられ、仮設テントが建てられている。すでに営業を始めた出店もあり、家族連れで賑わっている。これも正月を迎える準備?
 広場を抜けて、一段高い丘の上のワット・タートルアンへ。
 薄暗くなった境内で、若い修行僧夕涼みを楽しんでいた。気軽に話しかけてくる。一人が本堂を案内してくれる。まだ新しい本尊のお姿に親しみを感じ、座して合掌していると堂内に灯りをつけてくれる。背後の古い本尊を紹介し、ここにも灯りをともしてくれる。
ビェンチャンの黄金の仏塔と同名のワット・タートルアンは、1514年、ビスンナラート王の建立によるもの。シーサワンウォン王の墓所にもなっている。本堂前にある大きな石積みの仏塔もシーサワンウォン王が1910年に建立した。
 ナイトマーケットにより五平餅とチマキ(?)、川海苔を買い、屋台を物色していると「日本人ですか」と声をかけられる。聞くとビーマイラーオ目当てで、大阪から今日来られたとのこと。ラオスに惹かれ二度目の訪問とか。カオ・ソーイを食べながらしばらく旅の話しを。
 ナイトマーケットで別れ、西瓜を一切れ買ってホテルに戻る。
 9時には床に。
 夜中の11時半頃、頓服を飲む。
 
4月10日(日)
 5時起床。
 5時40分〜6時50分、自転車で朝の町に。カーン川沿いをゆっくりと。
ワット・タートルアン近くの通りで、托鉢に向かう僧列に出会う。通過する道筋には米飯やチマキなどを用意した人が点々と座って待っている。
 7時〜7時40分、朝食。粥、フォー、揚げ春巻き、果物等。
 9時〜12時、自転車での散策。
 ワット・アハム、こぢんまりとした寺。
 隣接するワット・ビスンナラート。こちらの方が有名。ワット・ビスン、即ち「すいか寺」とも呼ばれ、ビスンナラート王が1513年に建立した。本堂前の仏塔、タートパトゥムの形が西瓜を半分に切ったような形をしているため「すいか寺」の名がついた。
どちらの寺も拝観料は10000キープ。
本堂裏で、僧坊から出てきた若い僧としばらく雑談。
 ワット・パバート・タイに向かっているつもりが、どこで道を間違えたか、全く反対方向に。南方面バスターミナルの標識に気付き、Uターン。
 新しいゲストハウスやレストランの並ぶ道を走っていると見覚えのある広場の横に出る。タラート・プーシーの標識を見つけ、左折。
 昨日、クアンシーの滝に行くとき通った道だった。
 タラートとは市場のこと。ルアンパバーン最大の市場。市民の台所。
市場はどこもおもしろい。
 生鮮食料品、衣料品、日用雑貨、なんでもあり。
 ランブータン、マンゴスチン(ともに1s15000キープ)、川海苔(2束15000キープ)などを買い込む。すべて安い。
 メコンの魚、コウモリの干物など珍しいものもあれば、豆腐、タケノコなど日本でおなじみのものも並んでいる。
 ベトナム風寺院、ワット・パバート・タイによってホテルに戻る。
 ヒンズー教の寺院のようなけばけばしい着色の寺。鉄格子の門扉が閉められていたが、中から「入ってもいいよ。」と大きな声が。遠慮なく入れてもらう。
 裏はメコン。入口右手の建物には真新しい黄金の涅槃仏が。
 部屋に戻って、果物いろいろの昼食。2時まで休む。
 2時過ぎ、メコンの船着き場で、若い船頭に声をかけられる。
 焼き物の村、バーン・チャンまでいくらか聞くと、6ドルとの返事。ガイドブックでは5ドルだと言うと、5ドルでOKと言う。交渉成立。川岸に自転車を置き、細長い10人乗りほどの小舟に。ちゃんと屋根までついている。
 村は丁度ワット・パバート・タイの対岸あたり。
 乾季で流量の減っているメコン、村の入口からかなり離れた上流に接岸した。川岸から村の入口までは50段余りの石段になっている。登ったところは崩れかけた寺院の境内。
真っ昼間の、しかもシーズンオフの村は閑散としている。素焼きの壷などが並べられてはいるが窯らしいものは見られない。よそ者は私一人。
 どこからか女の子がやってきて、小さな壷や象・牛など素焼きの置物を差し出す。買ってくれと言うことらしい。これはどこで作っているのか聞くと、村はずれの学校へ案内する。どうやら子どもたちは学校で作った焼き物を売っているようだ。
 村を一周するが、外にいるのは竹で木の実を落としたり、消し炭を拾っている子どもだけ。やっと見つけた窯らしきものも、しばらく火入れをした様子もない。
 風通しのよい高床式家屋でかわいい子どもをあやしている母親を見かけ、写真を撮らしてもらう。
 16時過ぎにはルアンパバーンに戻り、河岸の屋台でやしジュース。
 ナイトマーケット準備中の通りを抜け、一度ホテルに。
 18時、家に電話をし、昨日の屋台でカオ・ソーイを食べる。なかなか味がいい。癖になりそう。
 ナイトマーケットで土産用にラオス茶、布袋、木彫りの仏像など買う。
 ビニール袋一杯2000キープの豆乳と2本で4000キープのウィンナーを買い部屋に戻る。
 テレビもラジオもない部屋、酒をちびちび飲みながらガイドブックを読んだり、ゴロッと横になるだけ。
 シャワーを浴び、9時には床に。
 
4月11日(月)
 今度の旅の最終日。
 今日も4時頃に目が覚める。5時40分、起床。荷物の整理。
 6時10分〜7時10分、托鉢僧の列を追い、写真を撮る。
 ホテルの前で、天秤で担いできたチマキを売っている女性。昨日もいた。やっとわかった。托鉢僧へ喜捨するためのチマキだつた。10個1ドル。僅かだが、私も地元の人に交じって僧の持つ鉢に入れさせていただいた。
 自転車の威力、先回りをしながらワット・シェントーンまで僧列を追いかけた。
 7時30分〜8時10分、朝食。粥、フォー、果物、コーヒー。おきまりコースに。
 9時〜10時30分、町から5キロほど離れた織物の村バーン・パノムへ。
 カーン川に架かる鉄橋のような橋を渡り、空港方面に。途中で道を尋ねながら、30分ほどで目的地に。村に入るや早々に軒下で手機を使っている女性発見。写真を撮らせていただく。村の織物売り場はさらに先。
 観光客目当てに建てられた売り場、今日最初の客になったようだ。ナイトマーケットの出店と同じものが、建物の中にあると言ったらよい。
 年配の女性が、カイコから生糸、綿花から綿糸を紡ぐまでの工程を展示している道具を使いながら解説・案内してくれる。案内が終われば、当然商売に。案内してもらったお礼も兼ね、ここではこの人から買うことに。絹と綿で仕上げた大きなテーブルクロスなど3点、20ドルで。
 売り場から村の中に入り、カーン川畔の寺院により、あちこちから聞こえてくる機織りの音を聞きながら帰途に。
 10時30分〜11時、メコン沿いのオープンレストランでビールを飲みながらメコンに別れを。
 11時40分、自転車返却。
 部屋に戻り、ポケットを探るが鍵がない。「落とした。」一瞬慌てる。
 その様子を見ていたメイドが2階に。そうか鍵を中に置いたままロックしたのだ。やれやれ。
 急いで荷物を片付け、12時丁度、チェックアウト。
 延泊分はカード払いに。
 ホテルの車で空港まで。12時25分、着。搭乗手続き。
 13時05分まで向かいの土産物屋、カフェ、旅行社などの入った建物に行き、ラオコーヒーを飲みながら時間つぶし。
 空港税5000キープ。手荷物検査。待合室へ。国際線も国内線も同じ待合室。13時50分発のバンコクエアーPG635と入れ替わりで、折り返し14時10分発のラオス航空機到着。トラックに積まれた荷物が飛行機に横付け、手作業で貨物室に押し込まれている。乗客は10名ほど。座席もフリー。ビエンチャン行きQV106は5分遅れで離陸。眼下に自転車で走り回ったルアンパバーンの道が。ウェットティッシュとミネラルウオーターが配られる。手持ちのランブータン、マンゴスチン、ライチで昼食がわり。
 14時50分、ビエンチャン着。荷物を持って隣の建物、国際線ターミナルへ移動。
 「搭乗手続きは16時40分から」の掲示。エアコンのないロビーの暑いこと。
 涼しさを求めウロウロ。エアコンの入っている土産物屋で時間つぶし。
 500mlのラオラーオが1ドル。12000キープ=1ドルの交換率。足下をみての相場。
 缶ジュースも9000キープと日本並みの価格に。
 掲示に反し、16時頃から搭乗手続き始まる。
 2階の待合室にはエアコンが入っている。免税店もある。
 17時、搭乗開始。ベトナム航空ハノイ行きVN840便は20分早く、17時20分に動き始める。隣席はハノイに向かうカンボジア人。水、チョコ、果物が配られる。
 18時15分、ハノイ着。
 トランジットカウンターで関空行き搭乗券を発券してもらい待合室へ。乗り換え待ち時間5時間半。
 とりあえず3階日本レストランで夕食。フォーガー、揚げ春巻き、生ビール。11.5ドルはもう完全に日本料金。
 免税店や土産物店で時間つぶし。売店の子に頼まれ日本語を教える。
 ベトナムも韓流。TVの韓国ドラマに、人山。そのほとんどが空港の若い職員。
 ソウル行きの乗客が横目でニヤニヤしながら通り過ぎる。
 成田行きの遅れが放送されているが、関空行きは大丈夫らしい。
 23時55分発、VN948便関空行きはほぼ定時に離陸。搭乗率35%ほど。1人で2,3の座席が使え、横になることも可。
 翌午前6時20分、帰国。