親子中国旅行
  1992年8月9日〜22日
 次男諭の高校入学記念に親子2人の中国旅行、そのフィルドノートから
[8月9日(土)]
 岡山発10時38分のこだまで新大阪へ。新大阪から大阪空港は空港バスを利用。20分ほどで空港へ。12時50分空港着。21番カウンターにてパスポート、チケットなど受け取る。カツカレー980円とビールで昼食。13時40分、荷物検査、出国手続きをとり待合い室へ。
 到着の遅れから折り返し便の北京行きも1時間遅れがでるとのことで、500円の喫茶券をくれる。免税店で旅行中の飲み分としてブランデー1本(3500円)、電卓・小型ラジオ(4600円)購入。
 16時搭乗。16時20分発。瀬戸内海上空を通り、北九州、五島列島を経て2時間後には大陸沿岸に至る。雲の切れ目から児島半島も見えた。離陸して間もなくジュースのサービス。東シナ海上空にて軽食、ビール。アメリカ映画上映。入国カード、物品持ち込み申請書記入。飛行機は上海上空から北北西に針路をとる。雲多く下界見えず。19時25分北京空港に着陸。
 検疫、入国審査、荷物の受取、通関手続き。
 ホテルインフオーメーションで宿泊予定の「21世紀飯店」の道順をたずねる。バスはないからタクシーで行けという。タクシー料金を聞くと一人200元、二人で400元とのこと。あまりに高いので、「高すぎる」というと「300元にする」との返事。ばかばかしいのでとにかくバスで行くことにする。しかし、手元にある人民元は昨年の旅行の残りの16元のみ。銀行はすべて閉まっているし、早々に行き詰まる。空港バスの切符売り場に行くと何と市街地まで一人8元。とにかく市街地まで行くことにする。運転手に聞くと「ホテルの近くを通る」とのこと。隣席の人にたずねると、「朝陽門で降りればよい」とのこと。実はこれが失敗のもと。朝陽門はホテルからはるか離れた場所にあり、2つばかり手前の停留所が一番近い。朝陽門で下車し、通りすがりの若者に道順をたずねるが、英語は通ぜず、要領を得ない。夕涼み中の初老のおじさんを交え、約20分。結局タクシーで行くのが一番よいということになる。若者がタクシーを止めてくれ、行き先を伝えてくれる。幸いタクシーの運転手も人のよさそうな若者。諭がガイドブックの市街図を広げると、「大丈夫だ」と大きなジェスチャー。確かに遠い、5、6キロはあった。メーター料金15元。ホテルの車止せにタクシーを待たせ、とりあえず3万円両替。チップをはずみ20元払うと、よろこんで荷物を降ろしてくれる。フロントにて1日延滞を頼むと、先払い、250元とのこと。日本で予約するよりはるかに安い。西安行の汽車の切符については明日旅行社から連絡があるとのこと。
 3日間宿泊の部屋は2215室。21時(日本時間22時)丁度、部屋に入る。
 地図がないことには明日からの予定もたたず、1階の売店にて5元の地図と25元の北京の英文ガイドブック購入。テレビではバルセロナ=オリンピック女子バレー日本対アメリカの放映中。あわただしい北京到着ではあったが、風呂に入ってやっと落ち着く。オリンピックのテレビを見ながら、23時には床につく。夜中3時過ぎ、エアーコンの効きすぎに目が覚める。
 
[8月10日(月)]
 曇天。霞のかかった空模様。朝、時々雨。6時半に目覚ましのタイマーをセットしていたが、起きたのは7時。
 食欲なく、昨日飛行機の中でもらったパンの残りと、紅茶で朝食を済ます。8時半に部屋を出て、北京市街の観光に。諭は小遣いの両替。ホテル前のバス停で402か405のバスに乗ろうと試みるが、満員通過等で乗れず。タクシーを拾う。空港のタクシーと違い、流しのタクシーはメーター料金で案外安心して乗れる。運転手は干さん。故宮北口まで24.80元、25元払う。9時40分、景山公園に入る。外国人観光客らしき者ほとんどおらず、子供連れの家族客多し。景山上からの展望よし。南に故宮の全景を、北西に北海公園を望むことができる。にぎやかな蝉の声。公園内で山菜を摘んでいる人まで。
 子供が主の中国らしく、売店には必ず玩具を置いている。
 地下道を通り、故宮博物館へ。入館料30元。
 北口の神武門から入る。故宮の最後部から南の正門に向かって歩くことになる。御花園から後宮の建物を見ながら、隆宗門へ。絵画館になっている皇極殿、珍宝館になっている楽寿堂などに立ち寄りながら太和殿に着いたときには13時過ぎ。途中見残したところもあったが、今日中に天壇も見ておきたく、出ることにする。午門から出て、午門の南の端午門上に登る。門に上がるのには0.5元、荷物を預けるのに0.25元必要。門の上には展示場があり秦の始皇帝陵の「兵馬俑展」をやっていた。入場料2元は少し高いとは思ったがついでに入る。南に天安門の裏側を北に故宮を展望でき、0.5元の価値はあった。 天安門を通り、人民広場へ。おなじみの毛主席の肖像画の掛かる天安門を眺めながら、歴史博物館の前から前門へ。地下鉄駅を覗いて、前門の商店街へ。洋梨4個1.7元で買い、西側の裏通りを歩く。その後前門大街を南に珠市口付近まで歩いたところで輪タクを拾う。値段を聞くと「20元だ」という。8元に値切り乗る。あらゆる交通機関でごちゃごちゃの前門大街を南に縫うように走り、天壇に向かう。速度も、通りの様子を眺めながら、ビデオを撮りながら行くのに丁度よい。
 16時前、西天門より天壇公園に入る。入園料10元。西天門近くには児童公園あり。親子連れ多し。まず斎宮へ。園内で凧を揚げる人。見ればトンボダコ。売り物かも知れぬ。
 青い屋根、円錐形の木造建築、皇穹宇へ。皇穹宇を取り囲む廻音壁では耳をあて、何やら大声をあげている者多し。皇穹宇の南に、明、清代に皇帝が斎宮で身を清め、冬至に天帝に報告したという圜丘がある。しかし、うっかり見過ごし、北の祈年殿に。ここはさすがに外国人観光客が多く、日本人よりイタリア人など欧米人が目立つ。日中友好記念の切手でもおなじみの祈年殿は、3層の屋根をもつ木造、円形の建物で、1420年に建てられ、1896年に再建されたという。正月に皇帝がここで豊作を祈願したという。
 18時前、まだ入園者がいるのに出口が閉められ、警備の警官がどやどやと入ってくる。出口を求め、やっと東門より外に出る。東門近くの露店でレイシとブドウを7元ほど買い求め、タクシーにて崇文門、建国門、朝陽門を経てホテルに戻る。メーター26.50元、27元払う。18時40分ホテル着。
 夕食は1階のレストランで。生ビール、ジュース、牛肉とブロッコリーの炒め物(32元)、シーフードヌードル(28元)、チャーハン(18元)。サービス料込みで127.60元。高い。
 山水旅行社の張さんは明日午後に来られるとの連絡。
 明日の予定、八達嶺と明の十三陵に行くバスの便をたずねにフロントへ。長城飯店より出ているとのこと。風呂に入り、22時過ぎには床につく。
 
[8月11日(火)]
 今日も曇天。
 5時55分に、タイマー。6時5分起床。片付け、洗面。日本から持ってきた米菓子、レイシ、ブドウに紅茶で朝食。7時ホテルを出る。ロビーで近畿青年洋上大学の一行と間違われる。長城飯店まで約20分。フロントでたずねるとバスの便はないという。9時発の乗合タクシーなら1人180元。1日タクシーを借り上げると500元とのこと。
 飯店前で流しのタクシーをさがすが、こんなときにかぎって1台も通らず、結局飯店で客待ちをしていたタクシーの運転手と交渉。メーターで350元あれば行けるとのこと。運転手は人の好さそうな、歳は40代半ばの張小東さん。
 中医学院の前から昌平路へ。昌平路を北上、沙河8時25分、昌平8時40分(メーター92元)、八達嶺9時20分(メーター144元)。途中パトカーに先導された近畿洋上大学一行のバス10数台に追い越される。八達嶺に近づくにつれ霧が濃くなる。はたして長城は大丈夫か心配になる。
 八達嶺の万里の長城は大変な混雑、まるで満員電車のような人混みを歩くことになる。10時40分まで1時間20分余りを長城で過ごす。険しい分水嶺を利用した見事な障壁であり要塞。外敵匈奴に対する備えは造りにも表れている。北側には矢狭間、石落としなどが造られているが、南側にはなく、石の積み方も北側が堅固である。中国では入場・入館料などは外国人と本国人との間に10倍近い差をつけている。長城でも外国人は10元。日本人観光客が多いところでは世界中どこでもではあるが、絵はがき100円、Tシャツ10枚1000円と、円売りの商売盛ん。出口のみやげ物屋で切手1.6元×5枚購入し、早速家に葉書を出す。長城のプリントされたTシャツ10元と15元1枚づつみやげ用に。 駐車場で待つ間も、待ち料金が加算されておりメーターは181元に。往路と同じ道を昌平まで引き返す。2、3キロ手前の八達嶺駅から長城に向かって歩く大勢の観光客とすれ違う。山間部では養蜂家が目立つ。道端に蜂蜜を並べ売っている。煉瓦造りの農家のたた住まいを眺めているうちに昌平に。
 昌平で左に折れ、明朝3代目永楽帝から最後の皇帝崇禎帝まで十三人の皇帝の墓陵、明の十三陵へ。まず、定陵へ。駐車場になっている広場に面して陵門があり、1元払って中に入る。夏休みを利用してやってきているのか、とにかくここも人が多い。日本人団体客も多く、日本語があちこちから聞こえてくる。石垣の上に建てられた明楼から長陵、献陵などを眺望し、楼の裏側にある神宗万暦帝の墓陵に入る。10元の入場料は高いが、見る価値は十分ある。人混みの中、足を踏み外しそうになりながら、階段を一歩一歩下りる。大理石の扉のある入り口を入ると、皇帝と2人の皇后の棺が置かれた後殿だ。地下3、4階にあたる地下宮殿は真夏の外の暑さを忘れさせてくれるような涼しさである。これで人が少なければ言うこと無し。中殿、前殿を通り、75段の階段を登り、出口に。定陵の発掘物は長陵にその一部を展示していたが、皇帝の権威、権勢を示すに十分だった。
 12時20分、定陵から成宗永楽帝の墓陵、長陵に。入場料は4元。定陵と違い、まだ未発掘。地上の建物のみ見学。雲南より何年もかかって運んできたという楠の巨木を使った陵恩殿は見事である。定陵と同様、陵恩殿の背後に明楼があり、その裏が円墳状の墓陵になっている。墓陵の上に立ち、この下に巨大な地下宮殿、おびただしい埋蔵物があると考えると、中国の歴史が持つ重みとその迫力がのしかかってくるような思いにかられた。トイレも有料2角。コーラ1杯1元。
 帰途、1435年に造られた、神路石像を見る。北、一番奥の櫺星門側から入る。入場料3元。ガイドブックよりほとんどの入場料が値上がりしており、それも5倍以上。神路周辺には桃園、リンゴ園多く、農家の人が篭に入れた桃やリンゴを木陰で売っている。桃を6個1元で買い、櫺星門でひと休み。柳の並木をバックに功臣・文官・武官などの石人、馬・麒麟・象・駱駝・カイチ・獅子などの石獣が神路の両側に並ぶ。約20分で十三陵の入口でもある大紅門に。参道を逆に歩いたことになる。
 タクシーは大紅門近くの桃園に囲まれた駐車場で待っていた。氷水で冷やされた缶ビールを見つける。1本5元。
 15時20分、ホテルに戻る。メーターでは427元。予定をだいぶ超えている。運転手も気が引けたのか「400元でよいからから」ということで我慢する。
 山水旅行社いまだ姿見せず。やや焦る。両替200ドル、1073元。ボーイに頼み、山水旅行社へTEL。どうも話がうまく通じない。しかし、ともかく1時間後にホテルに持っていくとのこと。外出もできず、カップヌードルと桃で昼食代わり。18時30分、なんとフロントからバスルームにTEL。旅行社から切符を預かった由。フロントに急行す。すでに旅行社の者はおらず、西安までの汽車の切符が残されていたのみ。西安から先の切符はなく、フロントで聞いても要領を得ない。多分、先の切符は西安に用意されているものと判断す。
 19時から西単へ。タクシーで27元。ガイドブックによれば魚料理が旨いという同春園飯庄に入り、夕食。焼三鮮など3品、ライス、ビールで65元。旨いという割に今一つ、味覚は個人差があること故仕方ないことか。長安街との交差点近くでは地下鉄なのか工事中。やはり、北京で一番旨い包子(肉マン)をつくる店といわれる慶豊包子舗により、諭に一人で包子を買わせる。9個で6元だったとか。無事買ってくる。西単百貨商場付近まで歩き、再び長安街に戻る。露店が多く出ており、人通りも多い。
 帰りもタクシーを拾う。道のよく分からぬ運転手、28元。
 22時過ぎ、風呂に入っていると、日本から国際電話。電話の向こうで満の興奮した声。長城見物のヘリコプターが墜落し、日本人観光客が18人死亡したとか。日本ではテレビの速報などで取り上げられ、大騒ぎになっているらしい。しかし、こちらではテレビでも放映されてなく、要領をえない。とにかくこちらは無事だからといっても、心配で心配でと繰り返すばかり。一度切った電話、30分後に再びかかる。速報を見て、すぐに電話をかけたが、日本の旅行社(クロスロード)がくれた日程表のホテルの電話番号が間違っており、かからず、KDDに頼み、1時間ほどかかってやっと調べてもらい電話したとのこと。調べてもらう間に不安感がエスカレートし、興奮していたらしい。ホテルの電話番号が違っていたとは全く話にならない。クロスロードに抗議する必要あり。
 
[8月12日(水)]
 晴れ。7時起床。
 包子、桃、茶で朝食。今日は、午後の列車で西安に向かう。3日間広げていた荷物の片付け。どうも要領悪し
 9時、ホテルを出て、タクシーにて北京一の繁華街、王府井に向かう。渋滞がひどく、30分かかる。25元。タクシーの運転手としてははじめて兌換券を欲しがる。
 交通マナーの悪さ、交通警官がいてもまったく効果なし。
 外文書店に入ってみる。英語、日本語などの学習参考書が以外に多く並べられている。2階にはどのような本があるのか、外国人お断りの張り紙。郵便局の中で新聞も売られている。ヘリコプターの墜落事故の載っていたのは英字新聞ただ一紙。英字新聞と人民日報を買う(6角)。新華書店で「中国地図冊」など3点16元、購入。印刷物はとにかく安い。
 10時50分、帰途に。友誼商店付近の電光掲示板28℃。帰りのタクシーも渋滞に巻き込まれ11時35分にホテル着。急いで荷物をまとめ、コーヒーを一杯飲んで部屋を後にする。12時丁度チェックアウト。なぜか先払いしているのに296元の請求書。日本語の分かるフロントの女性服務員に事情を話し、納得してもらう。ボーイにタクシーを呼んでもらい北京駅に。中型車とはいえ36元は少し高い。気をつける必要あり。梨6個2.5元、ビール2元。駅構内は大変な混雑。西安行列車の改札は1号口。指定券を持ちながらなぜこんなに押し合いしながら待たねばならぬのか。
 西安行列車は13時30分、定時に北京駅最北端のホームを発車。我々の席は7号車、7番コンパーメントの26、27席。切符を見ると北京・西安間、軟座特快臥148元、空調料20元。前の25、28は中国人技術者。北に天壇公園を見ながら北京市街を抜けると鉄道沿線はコウリャン、トウモロコシ畑の続く華北平原に。保定市15時25分、定州市16時15分、石家庄北17時15分。沿線には意外に綿花畑が少なく、綿工業都市として知られる石家庄手前で僅かに見かけたのみ。列車は石家庄北に15分停車し、西に進路をかえ、しだいに丘陵地帯に入る。井徑18時20分。駅に積まれた石炭から山西炭田の近いことを思い出す。太行山脈にさしかかるにつれ列車の速度は弱まり、石灰岩の岩肌、テラロッサで赤く濁った川が車窓に展開。石灰工場も目につく。平屋根煉瓦造りの家が降水量の少ないことを示している。19時頃河北省から山西省へ。
 日没後、食堂車へ。英語と日本語が少し分かる若い女車掌のおかげでどうにか食事にありつける。野菜、肉の炒め物など5品にライスをつけて50元。ビールは2元。食堂車にいる間に陽泉市通過。20時50分、席に戻る。ビールのここちよい酔いに睡魔が襲い、気がつくと大原(22時30分)。大原から進行方向が逆になる。その内また眠り、夜中に一度、介休で目が覚めたのみ。
 
[8月13日(木)]
 雨のち曇。6時ごろ、目が覚めると雨。6時20分永済。沿線は黄土。永済を出ると間もなく右手車窓に黄河の流れ。畑はトウモロコシ、コウリャン、ゴマ、マメ類。
 7時、風陵渡にて黄河を渡る。右側車窓に河幅を広げた渭水との合流点を望む。黄濁した流れに黄河を実感す。列車は渭水の流域へ。華 7時40分、26席の人下車。秦嶺山脈北麓のペジメント上を北に渭水の広大で肥沃な谷底平野を望みながら走る。渭南市には停車せず、9時33分、西安到着。
 駅にて西安の地図を1元にて購入。駅を出ると、案の定、タクシーの客引きに捕まる。 地図や時刻表を立ち売りするものも多い。他の出版物に比較し、外国人目当てのものは定価以上で販売している物が多い。時刻表4元も高いが、記念に買う。
 西安の宿、秦都ホテルまで三輪タクシーに乗る。こちらの勘違いということもあったが、後ろに縛り付けた荷物は汚れるし、窮屈な思いをして8元は高い。ホテルは環城西路と蓮湖路の交差する城壁の外側に位置している。フロントの女性の服務員、日本語が話せ助かる。城壁に面した417号室に案内され、しばらく休息。入浴。
 12時過ぎ、21路のバスにて大雁塔へ。5角の料金は安い。ただし、途中で乗務員交替のため15分ほど待たされる。
 城壁内の和平路、解放路につづく雁塔路の両側の商店街、古風で趣がある。食堂が多く、バラ園や遊園地もある。地下宮の看板にひかれ入ってみれば子ども騙しのようなからくり人形や壁画を描き並べたもの。多分、文革時代に造られた防空壕を利用したのだろう。入場料2元、荷物預かり料5角は高すぎる。外国人観光客が見向きもしないはず。
 大雁塔のある慈恩寺の入場料5元。唐の玄奨(三蔵法師)が天竺から持ち帰った仏教の経典を翻訳するために建立されたという大雁塔は登上料15元。7層64mの塔の最上階まで登る。狭い階段、四方に開いた窓から吹き込む強風、特に最上階の窓から下を見ると足が竦む。高校時代の世界史の授業、漢文の授業、シルクロードに興味を覚え読みかじった中国史、何よりもシルクロードの起点、様々な思いを抱きながら大雁塔に立った。
 北に城壁そして市街地を、西に小雁塔を、南足元に慈恩寺境内そして秦嶺に続く山並を、東に遠く、仰韶文化の遺跡半坡を望むことができる。塔の中の売店、外国人相手のため無茶苦茶高い。スプライトがなんと10元。
 塔に隣接し博物館があるが、内容が乏しいのか、入館者少ない。
 新築されて間もない、陜西歴史博物館まで歩く。外国人と中国人の入り口が分かれており、迷う。少々いやな思いをする。入場料にも10倍ほどの差がある。内外価格差があるというもののこのような制度は結果的に中国人自身に被差別意識をもたせることになるのではないだろうか。外国人観光客にとっても何かしら腑に落ちないものが残る。24元の入場料を払い入館。展示物はすばらしく、内容も抜群。外国人出入口の大きな売店はいかにも外貨目当ての感あり。値段も高い。
 雁塔区政府前まで行き、バス(2路)にて南門から鐘楼へ。わずか3角。地下道を通って鐘楼に登る。荷物預かり料5角、登上料10元(外国人)。明代1384年に創建され、1582年現在の場所に移され、清代に重建された地上38mの木造建築。楼上から東西南北の大街、門を望むことができる。
 諭も疲れ気味。タクシーを拾い、ホテルに戻る。4.8元は安い。夜はホテルのレストランで食事。火鍋40元×2、ビール、ジュースなどで110元。しゃぶしゃぶ風の火鍋この旅行で最も口に合う。食後、ハミウリを求め西門まで行くが、西瓜は売っていてもハミウリはない。西門前には屋台の夜店が並んでいた。
 22時には寝床につく。
 
[8月14日(金)]
 晴れ。6時頃起床。風呂に入り、8時頃から朝食。朝粥が旨い。200ドル両替1073元。9時過ぎにホテルを出て、ホテルの前でタクシーを拾う。西安東郊外にある秦の始皇帝陵に向かう。昨日、列車の車窓から見た道を走る。途中、近道をとったのか、回り道したのか、丘陵地帯に入り、運転手は何度か道を尋ねる。今にも分解しそうなオンボロタクシーで兵馬俑坑博物館まで行く者もいないのか、しかし、メーターだけはなぜか早く上がっているような気がする。どうも割り増しにセットしていたようだ。10時40分、どうにか無事到着。やはり、裏道から来たようだ。さすがに内外の観光客が多い。入場料5元。入場して気がついたが、どうも中国人料金で入ったようだ。団体で入ってくる外国人は別の入口から入っている。蒲鉾型大屋根の兵馬俑坑の内部は圧巻。写真で見るのと違い、大迫力。よくもこれだけのものを造り並べたものか。始皇帝の巨大な権力を見せつけてくれる。それも、陵の一角の発掘にすぎない。周囲6キロを超える陵の全てを発掘すれば何が出てくるか。正面、左側にある建物、銅車馬館に収蔵された見事な青銅の車馬像にも表れている。銅車馬館に入るにあたっても一悶着。買った入場券が中国人用だということで、係りの警備員が入場券を取り上げて返さない。こちらはなんのことやら分からず、日本人団体の添乗員の通訳でやっと理解、入場券売り場ではこれまた要領を得ず。大体外国人用のチケットを置いていない。中に入って、2元の中国人用のチケットを10枚握り、2で20元と身ぶりで示しやっと意思が通じる。とにかく、中国人と外国人を区別し、料金に差をつけることが問題。腹立たしい。観光地では物価が高いのはどこに行っても同じだが、ここも同様。それでも、結局、お茶をよばれた土産物屋で夜光杯125元、スライドとガイドブック45元を買い、外に出て絵はがき5元で買う。缶ビール、スプライトの値段を聞くとこれがなんと1本13元。ばかばかしくなりやめる。帰りはミニバスに乗る。西安まで3.5元。ところが華清池で、降りて乗り換えろという。華清池までなら2元のはず、またもや騙される。せっかくの機会故、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の話しでも知られる温泉、華清宮跡に入ることにする。出入口になっている津陽門から西門にかけて、通りの両側には、土産物や水餃子、飲物を売る露店が並んでいる。ミネラルウオーター3元。喉の渇きを癒しながら津陽門から入る。入場料5元。望湖楼の前でガイドマップ1元。温泉にも入ってみたい気持ちがあったが何しろ人が多すぎ、まず無理とあきらめる。南東側の入口になっている開陽門は西綉嶺の山裾の小高い所に位置しており、飛虹橋や望河亭から華清池の全貌を眺望できる。望河亭の下、津陽門からは最も奥の南端に西安事件のおり、莊介石が監禁されていた五間家がある。唐代の温泉跡は発掘され、唐華清宮御湯遺跡博物館となっている。ここに入るため、また外国人は10元。1990年に発掘された浴槽部などを覆う建物をたて公開している。楊貴妃が入ったという海棠湯も寺院風の建物で覆われている。とにかく暑い。九竜湖畔を一周し西門から出る。津陽門前から西安駅行のバスに乗る。2元。途中乗客が増え、身動きできないくらいの超満員。16時過ぎに駅前に着く。駅前の売店でハミウリを見つけ、1個4.5元で購入。バスに地図を忘れたため西安の地図、再度購入。タクシーでホテルへ。メーターを入れようとしないので入れさせる。7元。
 成都行航空券、届かず。フロントから陜西職工旅行社に連絡をとってもらう。
 夕食は西門前の夜店の屋台でシシカバブーと焼餅(?)で。2人で100本余り食べ、しかもビール2本(飲物は別の店からとりよせる)代も合わせ11元2角。勤め帰りに居酒屋やスナックに立ち寄り、一日の疲れを癒す。まさにそんな感じの老若男女で賑わっていた。何より安くて旨い。庶民の味だ。
 入浴後、ベランダで夕涼み。風がさわやか。城壁の上に十五夜の月。いかにも素人ぽいバンドの音。
 家に電話をかけようとするがうまくかからず。
 11時前、旅行社から電話。成都行の飛行機は16日早朝7時50分発に変更。
 
[8月15日(土)]
 晴れ。7時起床。
 8時から朝食。チャイニーズスタイルの朝食が宿泊料に含まれているはずなのに、今日は要領を得ない。コーヒー、ジュース、トーストを頼む。久しぶりの洋風朝食もそれはそれでよかったが、代金を要求される。
 9時過ぎ、ホテル前常駐しているタクシー運転手と交渉、唐の乾陵と漢の茂陵を巡るコース200元(ただし兌換券)で話しがまとまる。タクシー会社の者か運転手の友だちか分からぬが助手席に乗り込み、一瞬身構えたが、市街地のはずれで下車。話してみると意外に信頼できそうな運転手。明日朝の空港までの足も予約。かなり距離があるらしく90元で手を打つ。20分も走ると田園地帯。大半トウモロコシ。高速で走る道路は自動車専用ではない。歩行者、自転車、馬車、驢馬車も一緒。突然の飛び出しなどハラハセしどうし。約40分でかっての秦の都、咸陽市へ。黄濁した流れと、広い河原をみせる渭水を渡る。通りに面した店構えは西アジアと共通するものあり。ここはもう西域の入口。
 11時、礼泉の町並み通過。このあたり果樹園多く、道端でブドウ、リンゴを売っている者があちこちでみられる。
 11時40分、諭がトイレストップを要求するが、間もなく永泰公主墓。唐の高宗の孫でありながら、祖母の則天武后の怒りを受けて死を命ぜられ、17歳で命を絶った公主。706年、死後5年たって夫の武延基と共にこの地に移され、乾陵の陪葬墓の1つとして埋葬されたという。入場料10元。門を入って右側に発掘物の展示場。ここでトラブルあり。入口に撮影禁止の標示がなかったためビデオを回し始めると若い服務員がやってきてテープを没収するという。話しがなかなか通ぜず困惑したが、テープを消すことでやっと話しがつく。ところが実際は奈良のシルクロード博のとき購入した時計付きのボールペンとの交換条件となっていたらしく、ボールペンは図らずもシルクロードの起点に残されることになった。
 公開されている地下墳墓の壁画はすばらしい。木の枝が少し邪魔になるが、墳丘上からの展望もよい。南に広大な渭水の流域、北西に乾陵、そして周囲に黄土地帯の農村風景を楽しめる。
 公主墓から北に並木道をしばらく走り、左折坂道を登ったところが唐乾陵の参道。入場料5元。地元の人達は無料なのか、大人、子どもの物売り多く、風車や手作りの人形、古銭や玉で造った小物などしつこく売りに来る。古銭売りの2人の女、後ろについて離れず閉口する。清末期の銀貨2枚と玉の小物5元で買う。明の十三陵と同様、参道には石像が並ぶ。首のない石像が目立つ。唐の3代皇帝高宗とその皇后で後の女帝則天武后の陵である乾陵は標高1047.9mの自然の山、梁山を利用し、武后が造営さしたという。山頂まで登る元気もなく、中腹の見晴らしのよい所で折り返す。涼しい風が吹き、ひと休みするのに最適。南西に貯水池。段々畑が見事。参道はそのまま麓まで直線的に続いているのもよく分かる。
 参道まで下り、石像の前で何枚か写真をとる。
 次の予定地、茂陵に向かって走り出して間もなく、運転手の趙建平さんが楊貴妃墓に回らないかと言い出す。ただし、大回りになるので50元追加してくれればとのことであったが、折角の機会、時間もあり、二つ返事で了解。
 乾県の集落で右折、田園の中の直線道を猛スピードで走る。通行量は少ないが、丈の高いトウモロコシ畑の陰からいつ人が飛び出してくるか分からず、ハラハラしどうし。よく見ると綿花畑やネギ、ニンニクの畑などもある。小さな村(梁村だと思うが)の通りの両側に市がたっている。車を止めてもらい果物を買う。リンゴ8個1.5元、ブドウ2元。西瓜はその場で切ってもらい食べる。1個2.5元。このような村の市に外国人が立ち寄るのはさすがに珍しいことなのか人垣ができる。
 楊貴妃の墓は咸陽の西60キロほどの馬嵬にある。入場料10元を払い、門をくぐると煉瓦で表面を覆った半球状の墳丘墓がある。墓前に石の墓碑、周囲の建物の壁には楊貴妃を頌える漢詩の木札や石碑。その多くはあまり古い物ではなく、清代のものが多い。観光地には台湾や香港に住む中国人が目立つが、ここでも香港からやってきたグループが騒いでいた。墳丘背後の高台には真新しい楊貴妃像。歴史的遺産に不釣り合いではあるが、国民性もあるのか、中国では各地でこのようなものを造っている。高台からの眺望よし。
 楊貴妃墓から約10分ほど走ると興平の町に入る。意外に大きな町。町外れの化学肥料工場目立つ。漢代の発掘物が多く、各地の博物館にその名をみる。興平から東、渭水の左岸に漢の皇帝の墓陵が並ぶ。咸陽に向かいしばらく走ると、左手彼方におにぎり状の陵墓が見え隠れしてくる。左折し畑の中の一本道を、青刈りしたトウモロコシを山積みした荷車を追い越し、5、6分。漢の7代皇帝・武帝の墓、茂陵に着く。武帝(在位BC141〜87)といえば匈奴征討、張騫の大月氏派遣、衛氏朝鮮・南越を滅ぼし、楽浪・南海などの郡を設置するなど領土の拡大をはかり、塩・鉄・酒などの専売制の導入や均輸・平準などの物価調整策の実施など前漢最盛期の皇帝。陵の建設は即位翌年から53年間かけたといわれるだけに、高さ46.5m、東西231m、南北234mの巨大なもの。しかし、今は、清代に建てられた茂陵の墓碑の背後にそびえる禿山は子ども達の恰好の遊び場。観光客目当ての駱駝を連れた男、露店一軒あるのみ。
 茂陵の西には武帝の妃・李夫人の英陵、東に匈奴征討で名を馳せた衛青、霍去病などの墓、そして北東部には8代皇帝・昭帝の平陵がある。霍去病の墓に隣接し、茂陵博物館がある。観光客のほとんどはは茂陵の前を素通りし、博物館に向かう。入場料15元。武帝か祁連山を模して造らしたという墳丘からの展望は周囲に遮るものがないだけに大変よい。せっかくのところ、バッテリー切れでビデオ撮影できず。墳丘前には自然石を利用した、牛、馬、虎などの石像や石刻がある。なんとなくユーモラスで稚拙な造りではあるが、前漢代の傑作とか。
 左手に漢の陵墓を見ながら、咸陽を経て帰路につく。17時40分、ホテル着。250元は安い一日旅行であった。
 夕食は運転手の趙さんを誘い、ホテル南の通りに面した屋台で豚肉入り水餃子を食べる。ビール1本に水餃子3杯で8元。
 21時すぎ散歩に出る。1969年の夏、ヨーロッパ旅行でローマに行って以来、過去何度かの海外旅行は全てシルクロードに関わっていた。そのシルクロードの起点こそ今自分が歩いている西安なのだと言い聞かせつつ、暗闇の、雑踏の中をただ黙々歩く。
古都大飯店の東の通りを南に向かって歩いていると、白のレースの帽子を被ったモスレムがしだいに増えてくる。清真古寺というモスク、シシカバブの匂い、まさに西域の町。地図でみると回民居住区、道理で。通りに面した「明仁堂」という薬屋の店先に日本語の看板を見かけ、入る。2、3日前から風邪気味で体調もすぐれない。日本語の看板は出ているものの、日本語を話せる人はいなく、スチュワデスらしい女性客が間に入り、英語の通訳をしてくれる。まず、漢方医(著名な医師とのこと)が診察。掌、爪、脈、舌、目などの触診と観察診が中心。心臓、腎臓、そして神経衰弱の気ありと診断され、処方箋を書いてくれる。その処方箋に従い薬屋の主人が調合し、1回分づつ小袋に分けた漢方薬を5袋造ってくれる。一袋の薬を煎じ、300mmlにし、1日2回に分けて飲むようにとのこと。旅行中だがというと、ホテルの服務員に頼めば煎じてくださると助言まで。洋薬の風邪薬も一つ求め、70元支払う。お大事にという言葉を後に「明仁堂」を出る。再びシシカバブの匂いの立ちこめる雑踏を抜け、西門を通りホテルに戻る。22時40分。体調すぐれず。それでも、明日は朝が早いので荷物をまとめ、0時頃に床につく。
 
[8月16日(日)]
 5時起床。まだ外は薄暗い。5時半に趙さんから、つづいてモーニングコールの電話。昨夜の内にホテルの精算を済ましており、5時45分ホテル「秦都飯店」を発つ。
 西安空港まで約40分。途中トウモロコシ畑覆う水蒸気に、植物の持つ自然の営みの偉大さを想う。机場専用公路通行料3元。右手トウモロコシ畑の中に漢の墓陵点在。
 搭乗券の交換、荷物に保険を掛け預ける。1個2元。保障金500元では旅行バッグ代程度。空港税必要なはずだが窓口ではなぜか受け付けてもらえず。そのまま搭乗者待合室
のゲートを抜けようとするとやはり空港税の受取証の提示を求められる。ここでやっと窓口で拒否された理由分かる。外国人は兌換券での支払が義務づけられているのだ。1人15元空港税を払い無事通過。タラップまでは徒歩で。中国西北航空2491便は5分遅れの7時55分始動。
 機内ではジュース、キャンデー、新聞、それに記念品の扇子のサービス。
 秦嶺山脈の山波もいつの間にか雲の中に。乾燥した華北から四川の湿潤地帯に入ったようだ。雪を残した高山のみが雲の上に頂をみせている。約1時間の飛行で成都。珍しく荷物が一番に出てくる。空港バスに乗るつもりであったが、しだいに重くなった荷物にねをあげ、タクシー利用。成都飯店まで60元。交渉してみたが値引きせず。
 田園風景もトウモロコシ主体の畑作地帯から日頃見慣れた水田地帯に変わった。
 約25分でホテルに着く。1220号室に落ち着く。インスタント味噌汁で簡単な昼食。風邪薬を飲み12時まで休息。
 午後は諭が一番楽しみにしていた成都武侯祠へ。入場料5角。大門をくぐりまず、左手奥の劉備の墓、漢昭烈陵に詣でる。蔦の巻き付いた木々に覆われた円墳のまわりを一周し、諸葛亮殿、劉備殿、武将廊をまわる。諭は武将廊や劉備殿などのガラスケースに飾られた三国志にまつわる人物の塑像を片っ端から写真に撮っている。この旅の中で最も生き生きとした時だった。土産に諸葛孔明のリレーフの拓本を50元で購入。4時頃に夕立があり、雨の止むのを待ち、バス(1路)とミニバスを乗り継ぎ帰る。バスは2角、ミニバスは1元。乗換の省展覧館前は成都の中心街。百貨大楼に入り、物の豊かさに感心する。物質文明は中国社会を間違いなく変えている。新華書店に寄り、地図を2枚(2.8元)買う。
 ホテルに戻ったのは6時頃。
 家に電話。満の元気そうな声にホッとする。明仁堂の漢方薬を煎じてくれるよう服務員に頼み、1階の四川料理の店に。激辛の料理に舌をしびらせ缶ビール2本飲む。58元はやはり外人料金か。2階の商場をのぞき12階の部屋に戻ると煎じ薬ができていた。薬を飲んでベッドに横になるやそのまま寝てしまい、12時前に目が覚める。風呂に入り、2日分の日記をつけ終わったのは2時前。窓に吹き付ける雨の音。今の季節、成都では晴れる日がほとんどないというが、本当らしい。
 
[8月17日(月)]朝から雨。
 諭、少し疲れがでてきたのか、よく眠っている。8時半に起こす。
 インスタント味噌汁とビールのつまみに持ってきた餅菓子などで軽い朝食。煎じ薬と風邪薬を飲む。
 10時過ぎ、重い腰をあげる。1階ロビーのカウンターで200ドル両替。1078元。ホテル滞在を2日間延長。光大旅遊公司からの電話を待つ。
 10時40分から市内観光に。バスに乗ろうとしたが、雨足が激しく、タクシーに変更。中型車のため、若干料金高く、文殊院まで21.3元。文殊院の拝観料は5角。中国四大禅寺の一つとされるだけに境内も広い。創建は隋の末期といわれ、現在では四川省の仏教協会の所在地にもなっている。正門になっている弥勒殿、その奥の三大士殿にはガラスケースの中に巨大な弥勒菩薩像や仁王像が置かれ、参拝者が次々供えるローソクの灯と線香
の煙が雨煙と一体になってあたり一面を漂う。行き交う僧侶の数の多さ、説法堂から聞こえてくる読経に仏教の健在を知る。1988年に建立された文殊鉄塔が中国の人達には興味があるように思えたが、参拝者もほとんど足をのばさない、蔵経楼背後や大雄殿西側の庭園が静かでよい。ただゴミが多く、手入れは今一つであったが。
 文殊院から前蜀の皇帝王建(847〜918)の陵墓、王建墓(永陵)へ。タクシーで11.3元。アーチ状の石造の地下墳墓、拝観料2元。石棺を安置していた石台の側面に彫られた「永陵楽伎図」と呼ばれる24の楽伎の石刻が有名とのこと。今日最初の拝観者らしく、拝観者も我々親子のみ。ゆっくり楽伎の一つ一つを鑑賞していると受付の女性がパンフレットを持ってやってくる。これはありがたいとお礼をいうと、実は2元で売り物であった。 正門まで戻って案内板をみると、庭園の奥に何やら建物があるらしい。覗いてみるとそこは茶屋になっており、老人がお茶を飲みながら談笑している。木陰のベンチに腰掛けお茶を飲みながら一日中談笑する老人の姿は中国の至るところで見られる。
 上海までの航空券のこと、リコンファームのこともあり、王建墓前でタクシーを拾い、ホテルに戻る。諭は武侯祠前で下車。タクシー代21.5元。領収書をくれる。
 光大旅遊公司はホテルの2階にあることが分かり、早速訪ねる。応対にあらわれた女性は流暢な英語を使う。彼女の話しによると北京の山水旅行社からのファックスに我々が成都に行くことは入っていたが、成都での手配の依頼は入っていなかったとのこと。ホテルの宿泊についても、手配はしていなかったらしい。道理で、昨日チェックインをするとき、フロントの対応がぎくしゃくしていた。「成都〜上海間の航空券もこれから手配してみるが、エコノミーは難しいかもしれない。ファーストクラスの代金1人735元と手数料30元、2人分で1530元預けてほしい。」とのこと。やむおえず、航空券の手配を頼む。
 400$両替し、部屋に戻り、東京の旅行社「クロスロード」に国際電話を入れ、事情説明。北京のホテルの電話番号の間違いから満に余計な心配をかけたことなど、考えてみれば今回の旅行の手配はおそまつすぎる。交通費、宿泊費(2泊分)はすでに日本で払い込んでいるのに成都ではすべて再度払わなければならないことになる。手持ちのTCも十分とはいえず、これから先の旅行に支障がでることになる。話しているうちにしだいに口調が荒くなる。「取りあえず領収書をもらっておいてほしい。こちらから北京に電話を入れ、対処する。」とのこと。
 再び、旅遊公司に行き、パスポートと1530元を渡す。丁度、係りの女性の友人で日本語の堪能な方が来られており、通訳をしてくださる。私がすでに日本で航空運賃や宿泊費を前払いしていることや、今東京の旅行社に電話をしたことなど伝えると、こちらからも北京の旅行社に連絡をとってみるとのこと。通訳をしてくださった方は名刺をくださり、「もし困ったことがあれば電話をください。」と親切な申し出。ただ感謝。
 部屋に戻ると、諭も帰っており、電話で上海〜大阪のリコンファームをする。クロスロードで聞いた電話番号はまたしても間違いか。何度かけても相手が出ず。大阪〜北京の飛行機の中にあったパンフレットの中国航空上海営業所に掛け直す。しかし、我々の持っている航空券は東方航空のもので、中国航空では扱わないとのこと。東方航空の電話番号を教えてもらい、何度も掛け直した上、1時間後にやっとリコンファームを済ます。最初の電話から3時間。くたびれてしまう。風邪はすこしよくなってきたが、奥歯が痛む。
 今日は少し豪勢なものでも食べようかと2階のロータスレストランへ。生演奏付きのレストラン。メニューの中から適当に頼んだが、楽しみにしていた四川のマーボー豆腐はなく、油が強く、辛すぎる料理に、日本人には結局日本料理が一番ということで諭とも意見が一致。青島ビール2缶含めて、65元。
 2階の売店で満に頼まれていたカシミアのセーターを見る。黒のセーターはサイズが合わず、紺のサイズ36を買う。285元。
 8時頃からベッドに横になりテレビ映画「少林寺」をみているうちに寝てしまう。
 10時に目が覚め、入浴。ソックスのみ洗濯。バッテリーの充電。
 
[8月18日(火)]曇り
 7時20分、起床。雨は上がったようだが曇天。朝食はインスタント味噌汁とつまみ類、リンゴ。葉書を書く。
 9時過ぎ、郊外の観光に出発。フロントに準備金がなかったのか諭、両替できず。
 峨眉山に登るツアーの日本人、1階のフロアーにたむろしている。
 ドアーボーイに「新都・寶光寺と都江堰に150元で行ってくれるタクシーはないか。」たずねる。「ホテルのタクシーで300元、小型車を頼めば250元。」との返事。ボーイのチップを含めてのことではあろうが、ほとんど1日のコース、250元で手を打つ。
 2階の郵便局で葉書投函。
 9時45分、やっとタクシーが来る。若い運転手、無線での会話は日本の若者の長電話と同じ。市街地を抜けるのに約30分。交通量多し。特に新都から成都に入ってくる解放路は大渋滞。途中、有料道路に入るが、自動車専用道路ではないのか歩行者、自転車まで通行している。そこを高速道路並のスピードで走るのだから危険この上ない。
 新都まで1時間余り、結構賑やかな町。寶光寺、拝観料1元。山門前の照壁の裏面には「福」の字が書いてあり、目をつぶりうまくそれに触ることができれば福がおとずれるとの言い伝えがあり、試みる参詣者多し。山門をくぐると天王殿、その奥に唐代に創建された舎利塔が聳える。七仏殿では読経の最中。僧侶の数も多い。撮影が禁止されているため、写真は撮れなかったが、羅漢堂の五百羅漢は様々な仕草、表情をもち、その数と形相に圧倒される。祖堂の前の池はこれまた何かご利益があるのか、1角紙幣を浮かべている人多し。パンフレット0.6元、絵はがき1元と1.5元。1時間余り見学。
 12時丁度に寺を出て、次の目的地都江堰に向かう。地図の上では北西に道をとればすぐのようにあったが、車の走れるような道はないのか一端成都に引き返す。解放路の渋滞、つづいており、成都駅の北側を大きく迂回するどろんこ道に入る。二珎路から金牛大道に向かう。工事中のためわき道に入るが、なぜかそのわき道に料金所あり。多分、金牛大道が有料だと思うが。金牛大道を北西に。途中、交通公安の検問。運転手はあわててタバコを差し出すが、1人は受け取らず。時々料金メーターを倒していたが、メーターを倒さず乗客を乗せるのは違反らしい。沿道に広がる水田地帯の農家は曲がり家風、竹薮と屋敷林に囲まれ日本の田園風景とそっくり。いわゆる万元戸か。鉄筋の真新しい家も多い。畦道に大豆や里芋を植えているのも、子供の頃見た日本の田園風景だ。広々とした四川盆地。都江堰まで約2時間。一定間隔に市があり、バス停がある。バス停の前には客待ちの輪タクが数台。
 都江堰は、長江の支流岷江が四川盆地に入る谷口に位置する潅県に、今から2200年も前の前漢時代に造られた水利施設である。堰を造った李氷父子を奉る二王廟裏門にあたる山頂の石門前で下車。盆地と境するこの山の背後につづく山並はチベット高原まで数千mの高山も含む大山塊となるはずだ。急な斜面に造営された伽藍を上から下に見て回る。道教の寺や父子像を安置した廟など多くの建物は清の時代に建てられたもののようである。平日にもかかわらず参拝する人が多い。外国人観光客は少ないが、香港や台湾からの観光客は多い。正門前の川岸には食堂や土産物屋、露店が並び、門前町の様相。食堂の入り口にはナマズやコイ、カエルの生け簀があり、ヌートリアまで檻の中に入っている。全て食材らしい。
 中州のようになっている都江堰にはつり橋がかけられている。安瀾索橋といい、渡橋料は5角。橋を揺らして楽しむ者、それに悲鳴をあげる者。どこでも同じ光景。川の流れは早く、大きな丸太が流れている。しばらく都江堰の景色を眺め、石門に引き返す。喉の渇きにミネラルウォーター1本購入。3元は高い。4時、帰途につく。成都着5時40分。丁度、夕方のラッシュに重なり、市街地に入り渋滞。また、雨。
 荷物を部屋に置き、旅遊公司へ。航空券は取れていたが北京とのコンタクトはとれていなかった。しかし、航空券が取れただけでもラッキーと思わなければなるまい。中国では案外まだサービス業はこの程度なのかも知れない。
 洗濯をさぼったため下着不足、2階の売店ではシルク製品のみ。二着買ってみるとなんと17元。一着わずか180円。香港製のカップ麺は二個12元。
 6時半、夕食をとりに外出。諭、何が気に入らぬか、好みを聞いても「別に。」とか「食欲がない。」とかの返事。街角でハミウリを見つけ、一個5.5元で買う。
 結局、ホテルに戻り、昨日と同じロータスレストランに入る。今日はマーボー豆腐があり、マーボー豆腐、豚肉と豆腐入りのスープ、レストランの自慢料理というチキンスライスと卵の料理を頼む。缶ビール1本と共で48元。今日の演奏はなぜかクリスマス曲。
 部屋でハミウリを切る。さっぱりとして旨い。諭、勉強を始める。
 テレビでは日本のアニメの吹き替え。コマーシャルの多いのにも驚く。
 
[8月19日(水)]雨のち曇り
 またもや雨。8時過ぎに起床。カップヌードルやハミウリで朝食を済ます。
 10時に部屋を出る。ボーイにタクシーを頼む。なかなか来ず、ロビーのソファにて待つ。 女性ドライバーのタクシー。バスやトロリーの運転手に女性は多いが、タクシーは珍しい。環状路の一環路を杜甫草堂に向かう。環路は交通量が少なく、距離的には放射路を通った方が近いが、時間的には早く着く。一環路沿いには成都科学大学、西南民族学院など大学が多い。タクシーは基本料金5.60元。杜甫草堂まで18.20元。
 草堂の入場料8角。ここでも台湾か香港からの観光客。しかし、雨の中入場者は少ない。杜甫像前で数人の日本人観光客とフランス人観光団に会う。木札や石碑に書かれた無数の漢詩も勉強不足の身には猫に小判。杜甫は759年から3年間この地に住んでいたとのこと。20万uの敷地をもつ園内には竹林が多く、雨に濡れた庵と竹林の緑が静寂さをより引き立てていた。
 草堂から一環路までの通りに面しては肉屋や食堂などが点在する。アヒルの丸焼きや豚の頭などグロテスクな店先を眺めつつ、青羊宮まで歩く。途中で折り畳み傘を買う。10元はさすがに安い。
 青羊宮は道教の寺院。拝観料5角。石造りの多宝塔、八掛亭から三清殿を撮っていると、道士に中を撮るなと大声で制止される。建物しかとても写りそうにないにもかかわらずではあるが、考えてみれば道士にとっては神聖なる場所。
 青羊宮前から27番のバスに乗り、望江路で下車。2角。府河沿いに四川大学の前を通り、
望江楼公園に向かう。130種類の竹が植えられている公園はさながら竹林。丁度竹文化展を開催しており、入園料は8角。唐代の女流詩人、薛潯(せっとう)[761〜831]ゆかりの公園で、彼女の像や彼女が水を汲んだという薛潯井がある。大門から入り、竹林のアーチをくぐり展覧室へ。中国各地の竹製品を展示中。濯錦楼、崇麗閣、吟詩楼など園内を散策。川岸にたたずみ、のんびり四ツ手網で魚をすくう人やあひるの群れを傍観し、3時頃まで公園で過ごす。公園大橋を渡り、府河の左岸沿いに歩く。九眼橋の手前でやっとタクシーを拾い、ホテルに戻る。7.76元。荷物を置き、昨日の店にハミウリを買いに。ハミウリ(6元)、パン(1元)、コーヒーで昼食。土産用のジャスミン茶、30.30元。
 旅遊公司より電話。北京の旅行社の張さんに連絡がつき、事情が分かったので1530元返却するとのこと。手持ちの金が不足気味だったのと帰国後の手間が省けたことでほっとする。
 5時過ぎから買い物に出る。省展覧館に近い、繁華街春煕路の陸橋まで歩く。諭とは途中で別れる。雲南の蔵刀・チャルメラ(36元)、トランプ(1.5元、2.8元)、笛(17.5元)、ベルト(45元)、桃(5個5元)購入。9時にホテルに戻る。日が暮れると町角に夜店が出て賑やか。
 夕食は東風路沿いの秦王火鍋を食べに出る。適当に頼んだが辛い上に、量が多く食べきれず、2/3残した。口直しに桃。甘くて旨い。
 
[8月20日(木)]
 またもや雨。ロータリーを走る、色とりどりのポンチョ型の合羽の群れを確認し、再度ベッドにもぐる。8時起床。荷物の整理と荷造り。朝食はカップ麺と紅茶、ハミウリ、桃。10時前、諭をおいて、一人バスで、省展覧館前に。新華書店でガイドブックなど3冊、16.50元で購入。人民商場まで歩く。あれこれ思いながら雨の中、なんとなく心残りな成都、しかし、一方で満足感も。バスの窓からぼんやりエネルギッシュな人々を眺めホテルに戻る。11時30分、12階の服務台にてチェックアウト。2泊分、516元。他に電話代、日本87.20元と130.70元、上海4.90元と6.30元。12時、タクシーで空港に向かう。ホテルのタクシーにもかかわらずメーターを倒さず、80元要求。今更ながらではあるが社会主義国家中国も発展途上国並の資本主義原理優先か。約30分で双流の成都空港に。少し早く着きすぎたが、カウンター前はかなりの混雑。手続き開始まで40分余り並ぶ。搭乗券を手に入れると一安心。8番のDとE席。空港利用税一人30元。後からやってきた日本人団体客の荷物等優先する。まるでVIP扱い。しばらく搭乗待合い室入り口のベンチで休む。搭乗待合い室入り口のチェックはパスポート、搭乗券と航空券、空港利用税領収書。搭乗待合い室に入ると、「日本人ですか。」と話しかけてくる中年女性。聞いてみると、西安行きの便を朝から待っているとのこと。予定の便が出ず、案内もないのでまったくわけがわからず不安とのこと。「最近は少なくなってきてはいるが交通機関の遅れや運休は日常茶飯事、搭乗券があれば乗れますよ。」と力づける。売店で干し牛肉等購入。30.30元。14時40分、搭乗開始。ちょつと旧式のボーイング707機。徒歩で飛行機まで。機首側の入り口から搭乗。50分、始動。機内では新聞、ココナッツジュース、軽食、コーヒー、ナッツ1袋のサービス。記念品にジャスミンの香りの香水。気流のせいかよく揺れたが、定刻の17時10分に上海空港着。諭は着陸と同時に目を覚ます。
 荷物を受取、空港のから出るとまたまた雨。タクシーと交渉。70元のところ60元まで値切る。昨夏何度か通った道をホテルに向かう。渋滞のため1時間あまりかかり、バンドを見おろす有名なホテル、上海大厦へ。かって児玉機関が置かれたり、川島芳子が住んでいたというホテル。上海の写真には必ず入っている古い建物であるが、内部は改装され新しい。
 部屋は1106号室。北向きのためホテルの呼び物であるバンドを見おろすことはできない。 荷物を置くとすぐに、友誼商店に買い物に出る。土産物いろいろ800元余りの買い物。
 20時半、2階のレストランへ食事に行く。ヌードルを注文。まるでインスタントラーメン並のお粗末さ。これが18元とは高い。ビールとジュースを頼むと計54.50元。
 ブランデーのお湯割りを飲みつつ、明日の予定をたてる。
 
[8月21日(金)]晴れ
 6時過ぎに目が覚める。窓を開け、赤屋根の家並みをビデオに収める。これが、南向きならと、悔やまれる。文庫本をしばらく読んでいたが、8時になったので、諭を起こす。インスタント味噌汁等で朝食。9時過ぎ、服務員が部屋の清掃とベッドメーキングにやってくる。入れ替わりに出かけることにする。
 四川路まで歩き、トロリーバスに乗る。どのバスも満員。料金はわずか1角。魯迅公園に入る。2角。正面入って右側の建物が、1951年に開館された魯迅記念館である。参観料4角。館の表札は周恩来の筆になるもので、参観券のデザインにもなっている。館内の展示物はさすがに充実しており、国内で出版された著書はもちろんのこと世界各国で出版された翻訳本、原稿、愛用品、魯迅と親交のあった人々の書など魯迅研究には欠かせない資料が豊富である。ゆっくり時間をかけて見ている内に諭を見失う。一階の売店の初老の婦人と息子らしき「張さん」という青年、流暢な日本語を話す。上海大厦に宿泊しているというと、「是非、バンド側の部屋に替えてもらいなさい。」と中国語でボーイあてのメモ書きをしてくれる。日本で使われている外来語の中に分からないものがあるので教えてほしいそうだ。近い内に神奈川県で開かれる「わたぼうし音楽会」に通訳として行くとのこと。
 シミ、雀斑によく効くという「パールクリーム」2個(54元)買って出る。諭を探して公園内を歩き回る。池の周囲、魯迅の墓、築山どこにも見あたらず。しばらく出口のベンチに座って待てど現れず。一人でホテルに帰ったのかとバスにて部屋に戻れど居らず。ビールを一杯飲んで再び公園に。2時。公園出口に諭発見。やれやれ。
 タクシーでホテルを経由して豫園へ。諭は歩き疲れたとてホテルで下車。タクシー代のことで運転手と一もめ。2区間分の17元支払う。豫園入園料2元。上海随一の庭園といわれるだけに、見事だ。明代の1559〜77年に、潘允端が父親の潘恩のために建造した邸宅と庭園。いかにも中国らしい建物と庭園。屋根瓦が竜を型どっているのもおもしろい。太平天国の乱のおり、上海小刀会のメンバーが清朝に反旗を翻したてこもった、点春堂をはじめ園内くまなく散策。さすがに外国人観光客をはじめ入園者が多い。
 豫園の西に密集した古い町並みの一角は豫園商場として知られる。旧城内の中心部にあたるこの一角には、130軒あまりの店が集まり、毎日10万人を越える買い物客が来るという。カシミヤのセーターなど購入し、人民路を通り、延安路に出る。バスで東方航空の事務所に行くが、閉店後。着いたのが17時過ぎ。営業時間は16時までとのこと。
 南京西路に出て、人混みの中をホテルの方向に歩く。途中、華僑商店に入りロイヤルゼリーなど買い求める。路上ばかりか店内にも外貨との両替を求める者がいる。あまりの執拗さに、つい声を荒らげ、店員も一緒になって怒ってくれる。19時、ホテルに戻る。
 夕食はホテルの隣のレストラン「大豪」へ。上海蟹4匹、マーボー豆腐、チキンとナッツの炒め物、ビールなどで120元。さすがに上海蟹、旨い。しかし、高い。食後、友誼商店に行き最後の買い物。22時ホテルに戻る。荷物の整理。
 
[8月22日(土)]
 6時、起床。7時、ホテルの前にたむろしているタクシーで空港に向かう。ホテル前のタクシーはメーターを倒さず、超過料金を取ることが多いが、ここも例外なく、100元要求される。空港待合い室にて島根の浅野先生に会う。ほとんど毎年夏休みを利用し、中国語と書画の勉強に来ているそうだ。
 9時30分発のMU515便、大阪行きにて帰国の途に。