東ネパールとインド・シッキムの旅
− 2000年8月16日〜29日 −
[8月16日(水)]
7時27分、岡山発の「ひかり144号」で出発。盆帰りで混雑しているかと思っていたが、空席もあり、予想外。新大阪で8時44分発の「はるか11号」に乗り換える。
14日、15日と家族で「尾道」、「しまなみ海道」に出かけ、昨晩は午後8時過ぎに帰宅、荷造りが終わったのが2時半、慌ただしい旅立ちになった。
9時37分、関空着。4階国際線出発ロビー、中央団体受付カウンターで航空券を受け取り、タイ航空カウンターで搭乗手続きを済ませる。
東ネパールやシッキムではトラベルチェックの両替は難しいとの情報もあり、念のため3万円ほどドルのキャッシュに交換。
免税店などでテジさんとケダーさんへの土産物を買い、11時15分、タイ航空、TG623便バンコク行き、ボーイング777−300型機に搭乗。席は通路に面した69H、若い夫婦連れの隣席。11時55分、離陸。30分後、宇和海上空10,300m、外気温−41℃の表示。外気温−41℃は少し低すぎるが? 12時20分、ビール、13時、ランチ、15時30分、和菓子とお茶のサービス。その度に目を覚ましたが、少なくとも1時間半は寝ていた。
タイ時間14時56分(日本時間16時56分)、バンコク国際空港に着陸。2,3便ほぼ同時に着いたのか、入国審査に長蛇の列。荷物はカトマンズまで預けたため、カメラなど貴重品を入れたGバッグ1つで、タイ入国。両替機で1万円タイバーツに。1バーツが約2.7円。
ホテルのシャトルバスを探すが見あたらず、2年前にも一度宿泊したことがあるホテル、空港からそんなに遠くはないはずと歩きはじめるが、歩道らしきものがない。国内線のターミナルまで歩いたところで近づいてきたタクシーに乗る。確かにComfort Suites Airport Bangkok の名の通り、空港の南にほぼ隣接したホテルだが、空港の敷地が広いため、歩けば1時間以上かかっただろう。ホテルまでタクシー代41バーツ。「ホテルで少し休んだらバンコク市内に出かけるつもりだ。」と話すと、是非自分の車を使ってくれとのこと。ホテルの案内係は25ドルで市内観光コースを回るとのことであったが、タクシーを使うことにした。
ドライバーはアマリン、歳は30才。独身だそうだ。王宮の周りを一回りし、ワット・ポーに入る。バンコクは4回目だが、王宮のあたりに来たのは71年以来29年ぶり、道路も町並みもすっかり変わり、王宮や寺院の建物のみが昔の面影を残している。地図を買って位置確認をするが、一方通行の道を回っているうちにすぐ分からなくなってしまう。Bobeの衣料品マーケットがおもしろいと行ってみるがほとんどの店が閉まっている。5時には閉店とか。やむおえずSiamCenterへ。アマリンには駐車場で待ってもらい1時間ばかり散策。ハードロックカフェ・バンコクでポロシャツ2枚、東急で今日の着替え用の下着購入。SiamSquareでウインドーショッピング。食品売場では南国の果物を観察。
Patphongのナイト・マーケットは何時来ても大変な人混み、今回は横目で見て、シーフードレストランを探す。屋外にテーブルを並べたレストランを見つけ入る。バイ貝、ムール貝、エビ2匹にイカを選びバーベキューにしてもらう。それに野菜炒めを注文したがさすがに量が多すぎた。イカは手を付けれず隣席の日本人の3人連れに差し上げた。しかし、これにビール1本飲んで46ドルは高い。屋台で食べれば10ドルもしないだろう。
ホテルに戻る途中、露店の果物屋が集まった街角に寄り、ランブータンを買う。1キロ12バーツはさすがに安い。マンゴスチンが欲しかったが、時季はずれなのか見あたらなかった。
22時30分、6時間のタクシー代として1,000バーツ払う。ドライバーのアマリンはもう少しチップが欲しそうであったが、次回を約し、別れる。
シャワーを浴び、23時30分、床につく。横になると飛行機の音が意外に大きく寝付かれず。
[8月17日(木)]
晴れ。6時半、起床。7時、モーニングコールの電話あり。昨夜買ってきたランブータンを10個あまり食べるが、1キロで40個ほどあり、半分は食べきれず残す。
7時20分〜45分、朝食。バイキングで果物(パパイヤ・パイナップル)、ソーセージ、ハム、ポテト、パン2つにジュース、コーヒーを選ぶ。
7時55分、部屋に戻っていると電話がかかり、シャトルバスの出発の案内。
8時、チェックアウト。8時5分、空港に。空港まで15分。ホテル前が一方通行のためバンコク方向に3,4キロ行かないとUターンできない。
2番カウンターで搭乗手続き。窓際の席あり。空港税500バーツ払うと、残ったのは20バーツあまりの小銭だけ。
出国審査、1人に2,3分もかかっている。
オールドパーの1リットル瓶1本とテジさんのお嬢さんにお土産用としてチョコレートを買う。
9時40分〜10時10分、31番ゲート待合所。TG319便の乗客の2割ぐらいが日本人か。10時10分、搭乗開始、10時40分、離陸。飛行機はA300型機。事故の多い機種であまり好きになれない。搭乗率は30%ほど。ネパールはやはりシーズンオフ。
珍しく天気が良く、メナムデルタの田園風景が眼下に流れる。短冊形の地割りは開墾の新しさを示すものか。
11時、早速、ビールにつまみのひまわりの種のロースト。11時30分にはランチ。 ベンガル湾上空は雲海。12時20分、2度目のシートベルト装着のランプ。
13時5分、「20分ほどでカトマンズ」と機内放送。ガンジスのデルタ地帯は冠水した水田が多く、点在する集落が島のように見える。最近、毎年のようにおこる洪水を垣間見たようだ。
雲海の間に氷壁を抱くヒマラヤの尖峰が一つのぞく。3度のネパール旅行で、機中からはじめて見たヒマラヤであった。
13時22分(ネパール時間12時7分)、カトマンズ空港に着陸。機中で配られたVISA申請用紙と入国カードに必要事項を記入しておれば「WITHOUT VISA」のカウンターに直行できる。3度目になると要領もよくなる。今年はじめて入国する者は、60日間有効のビザが30ドル。昨年から制度が変わり、2度目の入国は60ドル取られ、滞在期間も30日になった。リピーターの旅行者から倍額取る理由が分からないが。
1階、ターンテーブルで荷物を受け取り、税関申告書(特に申告するものなし)を渡し、外に出ると、懐かしい顔、テジさんがマリーゴールドで作った首飾りを持って出迎えてくれる。
空港にはもぐりのポーターが多く、荷物を無理矢理運んではチップをねだる者が必ずいる。今回はGバッグの他は小型のスーツケース一つ、テジさんが持って車へ。
タメルまでは何度も通った道。相変わらず穴凹だらけの道。王宮の横を抜け、タメルのはずれのホテルへ。今回はテジさんの知人が経営しているホテル。「ラフィング=ブッダ」、笑っている仏様とはまたおもしろい名を付けたものである。
主人は元グルカ兵、香港に駐留していたそうである。昨年新築したばかりの部屋数10室ほどの5階建てのこじんまりとしたホテル。今日のお客は、ネパール語の勉強に来ているというイタリア人女性と私の2人だけ。3階の7号室に案内される。シャワー、トイレ付きの部屋、一泊朝食付きでシーズンには40ドルから50ドルほど取っているらしいが、シーズンオフの8月、テジさんの友人ということで8ドルにしてもらったとか。
一階のロビーでコーラをいただき、その足でダルバル広場に向かう。広場に面した旧王宮は博物館になっているが、いつも時間はずれに来ていたため入ったことがなかった。テジさんも入ったことがないそうで、それなら一度と入館。博物館といえど旧王宮、着剣した衛兵が立つ裏口のような出入り口を入ると、中は広場をロの字型に建物が囲っている。外国人の入館料は250ルピー。中国も、インドも、同じようなことをしているが、外国人特別料金制度は腹立たしい。外国人が全て金持ちではない。それだけではない。最近では何度も同じ場所に足を運ぶ旅行者も多い。リピーターを大切にしないと観光地は寂れる。250ルピーも払って2度とは入らないだろう。実際、収蔵品に見るべきものは少ない。先王の記事の載った新聞の切り抜きばかりが貼られた部屋や、埃にまみれた王様の調度品が並べられただけの部屋などが多い。一番気に入ったのは広場が見下ろせる塔と建物そのものの木組みや彫刻。
塔の格子窓より露店の並ぶ広場を見下ろし、ケダーさんを探す。いつも店を出している辺りに、ケダーさんも彼の兄さんの姿もない。出店時間にはまだ早いのか、それともお客が少ないので今日は休んでいるのか。
入り口で預けた(正確には、南京錠を渡され、ロッカーに入れ入館するよう指示されたのであるが)カメラを取り戻し、内庭で数枚写真を写し、ダルバル広場に出る。
相変わらず笛やペンダントのようなものを持った売り子が追いかけてくる。「安いよ。」「これ10ドル。」「何ドル?」きまりきった日本語が、入れ替わり立ち替わり追いかけてくる。
昨夏、「今度来るときは、人形のような、飾っておけるものを持ってきて欲しい。」というケダーさんの要望に応えるべく、関空で買った日本人形を携え、やってきたが、姿が見えない。いつも彼が店を出していたところで、露天商に訊ねてみると、もう半年以上前に店を出さなくなり、今は何をしているか分からないとのこと。そういえば昨年10月以来音信不通。テジさんも2,3度広場に来てみたがいつも居なかったとのこと。話そうかと思ったが、露店をやめてしまったのかどうか分からなかったので黙っていたそうだ。
閉店間際、銃を持った警備兵が門番に立つ、ニューロードのヒマラヤン銀行で両替、100$が7070Rs。銀行員の横柄な態度と手間のかかること(30分かかった)に閉口。
インドラチョークを通りタメルのカトマンドゥ・ゲストハウスへ。入口でガードマンのチェック。半年前からテロ対策のため行われるようになったとか。
中庭のテーブルにて、サンミゲル(ビール)で再会を祝し、乾杯。タメルの由緒あるホテル、カトマンドゥ・ゲストハウスであるが、近年は高級ホテルがつぎつぎとオープンし、客筋も変わり、今では日本人客の姿をほとんどみない。テジさんの仕事のことや家族のことなど話が弾み、気が付くと19時20分。2時間半も居た。サンミゲル4本につまみのチキンフライ等で570Rs。
一度ホテルに戻り、「風の旅行社」に近いホテルUTSLのチベッタン・レストランでモモスープ(水餃子のようなもの)と紅茶の夕食。2人分で215Rs。20時30分、レストランを出る。雨が降り出す。折り畳み傘が役立つ。
明日の約束をし、ホテルロビーでテジさんと別れる。
シャワーを浴び、21時20分、ベッドに。
[8月18日(金)]
曇天。4時頃、読経の声に目覚める。向かいの建物の3階、部屋の窓から5、6メートルほどの部屋が仏間になっており、ラマ僧が読経している。建物と建物の間が接近しているため、人の声や物音がもろに聞こえる。結局、6時過ぎまで熟睡できぬまま、起床。8時、5階のホテル経営者家族の居間にもなっている食堂でバタートースト、紅茶、リンゴの朝食。
9時、テジさん、トヨタのスプリンターをチャーターし、迎えに。
カトマンドゥから15、6q南東に位置したゴダワリに向かう。
10時〜11時15分、ゴダワリの植物園(Royal Botanical Garden)を散策。ランの温室など3、4棟の建物があるほか何もなく、森や林の中を歩いているよう。しかし、カトマンドゥの近辺は山の斜面まで耕され、宅地化が進む中で、貴重な森ではある。
ランも丁度端境期かほとんど葉っぱだけ。
小さな池の畔で、彼岸花を見つけ、驚く。
シーズンオフの園内は、入園者もほとんどなく、静寂に包まれ、トンボや蝶のみが飛び交っていた。
11時45分〜12時30分、ハッティバンのハッティバン・レストランで昼食。偶然にもそのレストランはテジさんの知り合いが経営していた。
チキン焼きめし60Rs、サンミゲル105Rs。
13時〜14時10分、ネワール人の古都、キルティプル。
日干し煉瓦の家の並ぶ町の中心で車を降り、シヴァの化身バイラブを祀るバグ・バイラブ寺院に入る。生贄用につながれた子山羊の姿、痛々しい。
車でやって来たフランス人の家族(ただし主人はネパール人?)以外に観光客もなし。町を通り抜け、丘の上に立つウマ・マヘシュワール寺院へ。寺院の日陰には仕事のない男たちが暑さを避けて座っている。視線はよそ者の動きを追っているが、表情は穏やか。静かな昼下がり。丘の上に位置したキルティプルからはカトマンドゥが一望でき、季節を選べば、ヒマラヤの眺望もすばらしいとか。
時間があるので、ついでにと、カトマンドゥの市街を迂回し、市街から20q東に位置したサンクーへ。サンクーもネワールの村。かつてはチベットとの交易で栄えた宿場町とか。水田の向こうに家並みを見ながら、村の北の山腹にあるヴァジラ・ヨギニ寺院に直行。道は狭く、凹凸が激しい。車高の低い乗用車はガリガリと腹を擦り、それこそハラハラ。寺院の麓の茶店の前に車を止め、コーラで一服後、急勾配の参道を登る。現在の寺院は1655年に建造されたものだそうだが、カトマンドゥ盆地では、スワヤンブナートについで古い仏教寺院とか。しかし、外観は仏教寺院というより、ヒンドゥー教寺院。事実、ヒンドゥー教徒の参拝者が多い。境内にはサルと犬が多く、木彫りの彫刻に飾られた軒で、サルの親子が毛繕いをしていた。寺院の背後を登ったところに、巡礼宿(ダラムシャーラー)があり、仏像が安置されていた。中に入っていたところ激しい雨が降り出した。10分ほどで小降りになったので、下山を始めるが、再び激しさを増し、警備の警察官が駐在する、寺院に隣接した建物で雨宿り。通り雨とは言えバケツの水をひっくり返したような激しさ。途中の道が崩れるのではと心配。結局40分余り土間に座っての雨宿りであった。
来るときには清流であった、参道沿いの谷川の水は、濁流と化していた。その参道を大きな竹籠を背に登ってくる数人の女性と初老の男、聞くと、山の上の村からサンクーまで野菜(隼人瓜)を運んでの帰りとか、ネパールでは当たり前の光景とはいえ、大変な労働である。
寺院参拝に2時間余りかけてしまい麓の茶店に戻ったのは17時。激しい雨が嘘のように青空がのぞくが、凹凸の激しい道は泥濘に変わり、不安的中。それでもなんとかドライバーの腕で、脱出に成功。
18時20分、ホテルに。
夕食は、ビルグルムズ・ブックショップのレストランでネパール料理の定食(120Rs)とサンミゲル(120Rs)。食後、タメルを散策。バックとTシャツを土産に、21過ぎホテルに戻る。
明日は9時半に出発予定。11時の飛行機でビラトナガルに向かう。ムグリン手前の土砂崩れ、復旧の見込み立たずとか。
シャワーを浴び、22時過ぎ就寝。
[8月19日(土)]
朝から晴れ。6時起床。荷物の整理。結構時間がかかる。今朝も4時頃から読経が始まる。断続的に続き、7時半、現在も。
7時半から8時まで、まだ人通りの少ないタメルを散歩。ハッシシ売りに出会う。ネパールやインドでは道端にさえ大麻の生えているところ、ハッシシを根絶するのは至難の業。 ホテルに戻り、紅茶、バタートースト、バナナ、リンゴの朝食。食後、1階のフロントで宿の主人とインターネット。文字化けした私のホームページを開き、写真のページを紹介。主人から、木彫りの面をいただく。
9時20分、テジさんが昨日のスプリンターのドライバーととともに迎えに来る。
ビラトナガルまでの航空券、2人分130$。
まだ時間があると、30分余り、写真を撮りに再びタメルに出かける。
10時、飛行場に向かう。ドライバーに2日分のチップ、150Rs。
国内線の搭乗口、待合室は相変わらず雑然としている。ポカラへの幹線道路が通行止めのため、飛行機を利用する人が多いのも混雑の一因か。
ブッダエアー708便は新型機ではあるが、わずか18人乗りの小型機。狭い機内に身動きもままならない。座席は9番左側窓際。35分間のフライト、サービスはペプシと水。11時15分、定刻より15分遅れで、離陸。天候にも恵まれ、心配したほど揺れることもなく、順調なフライト。雲の上にヒマラヤの峰の一部(ランタン山群?)も望め、満足。
11時55分、ビラトナガル空港着。ポカラととにカトマンドゥに次ぐ大きな都市、ビラトナガルの北西に位置した空港から直接ヒレに向かう。空港前のタクシーのたまり場でテジさんが交渉。ダランまで500Rsで手を打つ。水田、サトウキビ、バナナ、亜熱帯の樹木の間を猛スピードで走ること30分ほどでダランに。道はよい。助手席に若い男を乗せたドライバーと再度交渉し、ヒレまで2000Rs で頼む。
しかし、暑い。ダランで休憩。バスターミナルを中心に、南北にはしるメインストリート沿いにバザールが続く。衣料品や日用雑貨の店が多い。通りに面したサリー店により、女房の土産にパンジャビ・ドレスを一着求める。
ターミナル近くの食料品店て、手作りの石鹸を3センチ角ほどに切ったものを見つける。子どもが駄菓子屋であめ玉でも買うように、1、2個求め、口に入れている。テジさんに尋ねると、ヤクのチーズを乾燥させたものとか。早速、挑戦。硬くてとても歯が立たない。1時間ほど口の中に入れおればそのうち軟らかくなるというテジさんの言葉を信じ、30分ほど入れていたが結局軟らかくなる前に吐き出してしまった。
ダランからしだいに道は急になる。眼下にタライ平野を眺めながら走ること40分余り、海抜1500メートル余りのBhedetarで昼食。ダランの暑さが嘘のような涼しさ。テラスの席に陣取り、マトンモモ(35Rs)、チキンフライドライス(40Rs)、サンミゲル(80Rs)。
14時50分、一度谷を下り、対岸の丘の上の集落ダンクタDhankutaを抜け、16時15分、ヒレHilleに着く。尾根筋の道に沿って小さな店の並ぶ市場町。通りの中程のホテルヒマリHimaliに宿をとる。通りを見下ろす2階の2部屋。1泊1000Rs。
ベッドに横になりそのまま寝込む。目が覚めると17時半。通りに沿って町はずれまで散策に。道端にゼンマイ、タケノコなど並べている店もあり、食文化の共通性に思いを巡らす。ダランでみかけたヤクチーズも売られている。茶の葉が一杯入った竹籠を背負った女性たちとすれ違った。近くに茶園でもあるのか。
18時30分、ホテルに戻り、1階奥の薄暗い台所兼食堂でトゥンバを飲む。海抜2000メートルを越えるヒレは肌寒く、台所のぬくもりが心地よい。トゥンバはヒエを醗酵させて造った地酒。木製の樽のような器に入れ、お湯を注ぎ、ストローで飲む。お湯を注ぎしばらく待つとお湯は白濁し、少し酸味をおびた酒になる。アルコールの濃度は3、4%か。口当たりもよい。ゆっくりと会話を楽しみながら飲む。空になればまたお湯を注ぐ。2、3回は楽しめる。隣席のインドとの国境近くから来たという老夫婦も交え、21時前まで飲んでいた。インドの国境の町シリグリは、治安が悪く、スリも多いので注意した方がよいとか、ネパール、特にカトマンドゥのゴミ問題は深刻だとか、宗教とゴミに関することとか、とりとめもなく話が続いた。
[8月20日(日)]
雨。夜中の11時過ぎまで、大声をあげる酔っぱらいや人声、車の警笛に寝付かれず。やっと眠れたと思えば2時頃から激しい雨音。5時頃からは通りを挟んむ店先でガラガラと大きな物音。寝不足のまま朝を迎える。
6時半から7時半、1階の食堂で朝食。チャイとロティ(少し厚めのチャパティ)。
10歳ほどのチベット系の女の子が2人、住み込みで下働きをしている。奥地から出てきているとか。カメラを向けるといやがって隠れてしまう。
雨は降り続いているが、東の空には雲の切れ目も見える。
毎日欠かせないトイレ。ネパールのトイレは和式トイレに似ているが金隠しがない。洋式トイレと同様、入口に向かって屈む。一番違うところは、トイレットペーパーを使わないことだ。トイレットペーパーを使うと便器の穴に詰まり、いつまでも残ってしまう。西アジアから南アジアの国々は、ほとんど水で始末する。ネパールでも水が用意されている。左手がトイレットペーパー代わりになる。所変わればとはいえ、なかなか馴染めないのがこの種の習慣。ここのホテルのトイレも又、ネパール式のみ。
8時10分から11時まで、集落から3qほどのところにあるグルカ兵のキャンプまで散策。ヒレはエベレストに近い村々の物資補給基地でもある。セメント、鉄筋、油、米、豆、日用雑貨から衣類まで様々の物が人の背で運ばれている。担夫交通の世界である。数人が一組になり、それぞれ100s〜120sの荷物を背負い、山奥の村に向かっている。1週間から10日の旅だという。それで得られる収入は100$ほど。過酷である。担架に乗せた病人を運ぶ一行にも出会った。山奥からここまで何日かかってきたのか。担架に乗せられた老人の病状は重態のよう。担架を担ぐ若者の歩調は早い。
ちなみに最近のポーターの日当は5$、ガイドは20$とのこと。
軍の駐屯地になっているためか道路工事も兵士がやっている。
道沿いには竹の群落が点在、タケノコがのぞいている。黄土色の羽根をもったカブトムシを見つける(写真を撮って放す)。雨はあがったが、霧が濃く、展望悪し。グルカ兵のキャンプ地の前で引き返す。キャンプの生活はある程度自給自足が義務づけられているのか、山羊などの家畜を飼ったり、畑をつくったりしている。
茶店ではロキシやトゥンバの仕込みをしている。道端にござを広げ薬を売る親子からテジさんは胃薬を買った。ハリネズミの皮や鉱石、木の実・根、動物の骨・角など一体これが薬になるのかという代物ばかり。
別にネパールに限らないが、人間が生活しているところに行くと汚く、異臭がする。自然を破壊し、汚すのはどこでも人間。
今日はダランに下る予定であったが、暑いので、昨日昼食をとったベヘデタルBhedetarで泊まることにする。
ホテルに戻り荷造り。トゥンバの容器をホテルで分けてもらおうと交渉するが、譲ってもらえず。テジさんの話では、2月にドイツ人が譲ってもらったときは1200Rsとられたとか。ホテルから50メートルほど先にトゥンバの容器とククリを造っている店があり、ここでは450Rsで売っていた。バザールの中には小さなラマ教の寺院(ゴンパ)もある。道中の無事を祈る。
テジさんは12時発のバスの切符を買ってくる。2人で100Rs。ホテルの前まで来てくれるとのことで、ビールを飲みながら待つ。
ところがバスはホテルの前を通り過ぎ、150メートルばかり離れたバザールの入口で停車。慌てて追いかける。すでに満席。ダンクタまでの約40分、満員の車内に立ったまま。隣の2人連れの女性はニワトリを2羽抱えている。ダランの親戚に行くところとか。ニワトリは土産。
ダンクタから一度谷に下る。暑い。バナナが実り、ハイビスカスやブーゲンビリアが花を付け、タロイモが栽培されている。再び急坂を登ったところが今日の宿泊地ベヘデタル。14時30分着。昨日昼食をとったホテルアイシェラHotelAishelaに宿をとる。見かけは立派で、部屋も清潔そうだが、建て付けが悪く、ドアも窓の一部も締まらず、鍵がかけられない。ロープ等を利用し、応急処置をすることにした。
昼食は相変わらず定食化した感もあるモモ(野菜の蒸したもの25Rs、チキンの揚げた物もの40Rs)、フライドライス40Rs、サンミゲルビール80Rs。
16時半〜17時半、昼寝。シャワー。その前後は付近を散策。霧がかかりタライ平野の全景を見ることは出来なかったが、それでも時々流れる霧の合間にタライ平野や谷間が望め、乾季に来れば、見晴らしのよい名勝地であろう。数軒の茶店とホテルがあるだけの峠の集落、子どもが数人、物珍しそうに集まってくる。日本人といえばみんな空手や柔道の達人と思っているらしい。
夕食は野菜のヌードル25Rsで済ませ、20時〜21時まで部屋でウィスキーの水割りを飲みながら明日のスケジュールなど決める。
[8月21日(月)]
6時起床。また雨。
7時〜8時朝食。フレンチトースト25Rs、チキンサンド35Rs、レモンティ6Rs。
8時10分、ヒレからやって来たバスに乗る。2人で180Rs。下りは早い。ダラン着8時40分。10分停車。待ち合わせていた主人が来ないので待って欲しいと叫く女、これ以上待てないというドライバーや乗客のブーイング、一波乱あり。9時20分、イタハリItahari着。叫いていた女の主人、タクシーで追いつく。イタハリはビラトナガルからヒレに向かう道とタライ平野を東西にはしるイーストウエストハイウェーの十字路にある。10分ほど停車の後、国境の町カーカルビッタKakarbittaに向けて走り出す。何とこのバスは今日の目的地まで乗り換えなしで直行できるのではないか。しかも、バス代は、ダランでも、イタハリでもカーカルビッタでも同一料金とか。
所々に低地林が残ってはいるが、広々とした水田地帯、高床式の民家、椰子にバナナ、水牛、イスラム教徒の墓地など眺めながら、バスは途中で客を拾い、客を降ろしながら猛スピードで突っ走る。少し大きな町ダマクDamakで15分ほど停車。11時、イラムの入口、ビルタモードBirtamod着。両替のためリキシャで銀行をさがす。銃を持った歩哨の立つ銀行、2行とも両替できず。国境のカーカルビッタまで行けば可能とのこと。タクシー(今にも分解しそうなジープ、若いアンチャン風のドライバー、助手と何者かわからぬ子どもが乗っていた。)で25分、昼休みに入る直前の銀行に飛び込み両替。ネパールRsを100$、インドRsを200$両替。それぞれ7150Rsと8800Rs。
再びビルタモードに引き返し(途中の町、ダフラバリDahurabaliの河原で牛市が開かれていた。)、13時50分〜14時20分昼食。少し気取ったホテルのレストランで。チキンモモ50Rs、トマトスープ30Rs、サンミゲル110Rs。すべて少し高めの料金。
イラムには国境まで行ったドライバーが車をかえてやって来た。インド製のマルチのバン。国境まで300Rs、イラムまでは1500Rsで交渉成立。
14時20分、ビルタモードから北に、町をはずれると茶園が。車は急斜面を蛇行しながら登る。小さな峠を越えると丘陵全体一面が茶園になっている。ネパールの銘茶、イラム茶の産地。それにしても見事な茶樹。根本にはびっしりと苔や羊歯。降水量が多く、湿度が高い証拠。海抜は1200メートル余りか。
車を止め、しばらく茶園の周りを歩く。
15時50分、フィカルFikal着。テジさん、今日はここで泊まるという。イラムに行くのではなかったのかと問うと、イラムはまた谷を下ったところにあり、イラムの中心ではあるが、暑く、茶園はないとのこと。なるほど、インドにしてもスリランカにしても茶園は海抜1000〜2000メートル付近に多く分布している。ネパールとて同じこと
フィカルの集落のはずれにあるロッジに宿をとる。雨風を凌げる程度の木造2階建ての2階の2部屋を確保。南京錠をもらって部屋に入る。落ち着いたところで、茶園(エステート)の見学に。バザールを抜け、25分ほど歩いたところにエステートの事務所と製茶工場があった。幸い社長のDilip Rai氏がおられ(自宅はカトマンドゥ)、工場内を案内してくださる。工程は@醗酵AローリングB乾燥C裁断・選別D包装の5段階、手作業部分は少ない。工場見学後、執務室で、できたての紅茶をご馳走になる。香りは強くないが、まろやかな味。ノーシュガーに適する。ライ氏は日本にも行ったことがあり、日本人との交流も多いとか。静岡の製茶業者と試験的に煎茶づくりをされており、試作品を飲んでみて欲しいと入れてくださる。やはり香りが少なく、お茶漬け用にはいいかと思うが、煎茶としては3級品か。茶樹が日本と異なり、アッサム茶の系統のものではないのかと指摘。ライ氏によれば中国から苗を取り寄せ栽培したものだそうだが。
お土産にイラム茶(紅茶)と試作品の煎茶をいただく。
ロッジに戻る途中、駄菓子屋の前でパンジャビ・ドレスの若い女性に日本語で声をかけられ驚く。聞けば青年海外協力隊のメンバーとしてイラムに派遣されている方。青森県五所川原市出身の齋藤さん。駄菓子屋さんのお宅に下宿されているとのこと。部屋に案内され、お茶をいただきながらいろいろと話をきかせていただく。婦人の自立のための指導をなされている由。日本人でイラムを訪ねてくる者はさすがにすくないらしい。特にこの時期。見事なネパール語に驚く。テジさんとはネパール語で情報交換をしている。
雨が降り出すが、幸いすぐに小降りになる。
18時50分、ロッジに戻り、隣の建物にある薄暗い食堂でロキシとトゥンバ。21時10分まで飲みながら語る。ヒレと違い、ここのトゥンバはいただけない。酸味が強く、まずい。海抜高度が低いため、気温が高く、醗酵しすぎているのだろう。
[8月22日(火)]
5時起床。珍しく晴れ。
宿泊費、飲み代込みで320Rs。
6時、ロッジを出る。広場に面した茶店で国際電話。朝食(ヌードル、バター茶、チャイ30Rs)。茶店の主人と交渉し、ダージリンまで車をだしてもらうことに。
6時50分、フィカル発、茶園の続く丘陵地を越え、インドとの国境、パシュパティナガルPashpatinagarへ。ここまでわずか30分。もし、この国境が通過できれば、ダージリンへは1時間ほどで行ける。ネパール人とインド人は往来しているとの情報はあったが、外国人に門戸を開いているかどうかはわからないまま運任せでやって来た。結果はノー。インド側が認めていなかった。結局、インド人、ネパール人が自由に行き来している国境の手前で引き返さざるを得なかった。
8時、フィカルに再び戻る。齋藤さんの下宿に寄り、残り物で失礼とは思いつつ、手持ちのおかきや梅菓子など、日本のものを差し上げ、カーカルビッタの国境に向かう。ビルタモードに下る山道でパンク。タイヤを替える間、道端の花に戯れる珍しい蝶の多さに驚く。下り道はさすがに早く、9時40分、国境到着。イミグレーションの係官不在のため待たされること30分。チャイを飲みながら待つ。出国にあたって特に問題なし。ネパール人のテジさん、ドライバーはフリー。
国境は川、橋を渡ったところにインド側のイミグレーションと税関がある。パスポートには入国印も押さず、記録簿に記入のみ。税関では、スーツケースを広げ、簡単なチェック。10時30分、国境通過。人混みと、臭いと、騒々しさ等にインドを実感。なぜか急いで山奥に入ってしまいたい気分。
国境の町シリグリは日本ではほとんど知られていないが西ベンガル州北部の大都市。しかし、治安が悪いと、旅人には人気がない。特に見るべきものもない。海抜は500メートルに満たないだろう。暑い。蒸し暑い。しかし、こんな低地にもかかわらず茶園が多い。多分この高さではあまりいいお茶は取れないだろう。喬木で木陰をつくり、栽培している。
シリグリの市街地には入らず、そのままダージリンに向かう。
丘陵地帯に入り、坂道の傍らにあるドライブインに車を止め、昼食。11時30分〜12時。モモ一皿8ケで10Rs(インドルピー)、ペプシコーラ12Rs。
走りはじめて間もなく、雨空に。途中かなりの土砂降り。霧もひどくなり、車窓の風景楽しめず。有名なトイ=トレイン(おもちゃ列車)と平行に走るところも多い。たまたまトイ=トレインが脱線しているところに出くわす。
目前に黄金の屋根のゴンパ(グームゴンパ)が見え始めると間もなくダージリンの市街地に入る。
山の尾根筋、斜面につくられたダージリンの道路は狭い。当然、坂道だらけ。
適当なホテルを探しながら走る。14時30分、2部屋500Rsのアプサラホテルにチェックイン。傷みが目立つ、少し古い建物ではあるが、町の中心部にあり、安いことが取り柄。 7時間40分の車代。ネパールルピーで3850Rs。ドライバーはこれからネパールに戻るそうだが、帰りはパシュパティナガル経由のため1時間半か2時間ほどですむとのこと。 取りあえず部屋で洗濯。
15時30分〜17時10分、ダージリンの散策。
郵便局に寄るが、局員窓口におらず、お客を待たせぱなし。かつての社会主義国の服務員と同じ。切手も買わず出る。
オベルバトリーの丘(Obervatory Hill)を一周する。見渡す限り、斜面はすべて茶園。さすがにダージリン。展望台のベンチは雨がぱらぱらしているというのに満席。特に待ち合わせをしているわけでもなく、ただ暇を持て余し、通行人を眺めている。
展望台になっている広場に面したオックスフォード・ブック・ストアーでガイドブックや絵はがきを買う。表に出るとかなり激しい雨。土産物屋に入り、小降りになるのを待つ。土産物はカトマンドゥとほとんど変わらず。ホテルの近くでミネラルウォーター(1.5l)20Rs。
一休み後、18時10分〜19時、夕食に。ホテルから7、8分のチベッタン・レストランで。フライドライス40Rs、ビーフカリー32Rs、野菜モモ30Rs、チベッタン・ティ20Rs計122Rs。全体に油が強く、口に合わず。モモも10個のうち3個食べたのみ。チベッタン・ティすなわちバター茶だけはおいしかった。
回り道し、バナナ6本とリンゴ3個、35Rsで。
19時30分〜20時30分、ホテルの部屋(105号室)でウィスキーを飲みながら雑談。
少し、腹痛あり。
21時10分、テレビでBBCニュースを見ながら横になる。ホテルより一段下の道に沿った建物、どうやらディスコらしく、騒々しいこと。若者の怒鳴り声。同じメロディをくり返す、スピーカーの騒音。ピア、ピア、ピアと1時過ぎまで。浅い眠りのまま、4時前にはトラックのエンジン音、4時きっかりにはアザーン(イスラム教のモスクから礼拝をつげる呼びかけ)、たまらず起床。
[8月23日(水)]
睡眠不足。あの騒々しさは何だ。今日も曇り空。
贅沢だが、ミネラルウォーターで歯磨き。
7時過ぎ、朝食がてらの散策。ベーカリー&コーヒーショップの営業は8時から。多く店がまだ閉まったまま。通りを馬が数頭駆け抜けていく。市街地で馬まで放し飼いにしているとは。オベリバトリーの丘まであがる。朝からすでにベンチは満席。坂道を上り下りしながらダージリン中心部の一角を歩き、8時、コーヒーショップに戻る。フレンチトースト、ソーセージ、ダージリンティなど2人分で62Rs。
ガントクまでの車の交渉をしながらホテルに。タクシーでは1000Rsが相場。ホテルの前のDarjeeling Transport Corporationではジープで850Rsとのこと。内金として100Rs。
荷造りをしておき、9時半に再びチョークバザールまで。
マーケットは人であふれ、通りはトラック、バス、荷車、リキシャそれに歩行者でごった返している。ダージリン土産はやはりダージリンティ。パッケージに凝ったものが多いが、あくまで実質的に。味見し100grが70Rsのものを900gr購入。これでも買った店では高級品。ダージリンティにもピンからキリまであるのだろうが、空港などで、100gr入りのパックを250Rs以上の価格で売っているものと比べて味に遜色なかった。
11時、ホテル、チェックアウト。絵ハガキ2枚、フロントに預ける。日本まで一枚8Rs。 ガントク行きのジープ、11時25分発車。一台借り上げたはずのジープの助手席に女性客が1人座っている。なぜ? しかし、インドでは珍しいことではない。
ダージリンの市街地は道幅が狭く、しかも坂道が多いため、一方通行が多い。
車窓から見ていてもどこを走っているのかわからない。トイ列車の駅、グームで昨日来た道を横切る。横切って直ぐ左折すると、左手に大きな谷。谷の斜面はすべて茶園。平均海抜高度2100メートル余りのダージリンから一気に急斜面を下る。紫色の大根を売る露店などが所々にある。
ティスタ(Tista)川の河岸まで下ると、ムッとするような暑さに。ティスタバザールでドライバーの知り合いらしき青年が乗ってくる。お客の同意も得ないでこんなことはおかまいなし。 橋を渡り、対岸にティスタバザールを見ながらしばらく走るとメッリ(Melli)バザール。ここで昼食に。 13時〜13時20分。食欲なく、ミルクティのみで済ます。
テジさんはダルカリー。45Rs。テジさんと店の主人、話が弾んでいる。ネパールからやってきてここで店をひらいているとのこと。メッリからティスタ川の左岸を走ること約18qでシッキムと西ベンガルの州境ラングポ(Rangpo)。ここではシッキムへの入域許可書のチェックが行われる。ネパール人のテジさんはインド入国はフリーだったが「シッキムは別」と係官に言われ、入域許可書を取りに、チェックポストから100メートルほど離れた別の建物まで行く。そのため30分ほどかかり、14時20分、ラングポ発。
シッキムに入ると、急に道がよくなり、みすぼらしい建物がなくなる。道沿いにはハイビスカスが真っ赤な花をつけ、ブーゲンビリアのピンクの花とともに心を和ませてくれる。 見事に開かれた棚田に沿うように走ること1時間余りでシッキムの州都ガントクに着く。チベット人はシッキムのことをデンジョン(米の国)と呼ぶとガイドブックに書いていたが、この見事な棚田を見れば頷ける。
ガントクの名は、小学校時代、はじめて地図帳を手にし、友達と外国の首都の名前をあてっこしていたとき、ヒマラヤ山脈の麓の小さな国の首都として覚えた。ブータンのティンプーとともに覚えていることを得意がっていた。
そのガントク(海抜1547m)についにやって来た。しかし、秘境と思っていたところは意に反し、近代化され、インドでも珍しいほど美しい町であった。
ジープ乗り場で降ろされ、ホテルまでは送らないという。残りの750Rs払い、タクシーでガイドブックに載っていたホテル、The Chumbi Residency へ。シーズンオフで客も少ないようだ。2部屋1400Rsで泊まることにする。部屋は広く、清潔そう。湯も出るし、眺望もよい。まさかこの部屋に夜中になると小さなネズミが床の隙間から出没するとはその時は思わなかった。17時〜18時50分。王宮の入口付近まで歩いてみる。小雨が降りだし、だんだん暗くなる。町中のレストランを探すのもおっくうになり、ホテルのレストランへ。地下3階と思ったレストランは、実は1階。斜面に建つホテルは、フロントが4階にあった。
野菜蒸しモモ、チキンタートル、チキンライスで150Rs。それにビールが50Rs。ただし、ビールは、今日がヒンドゥ教の神様「クリシュナ生誕の日」につき、禁酒日になっているそうで、レストランでは飲めず、部屋に運んでもらうことになる。
シッキム産「HITビール」、味は今一つ。
シャワーを浴びゆっくりくつろいでいると足下を小さなネズミが走る。追いかけるがベッドの下に潜り込んだ後行方わからず。今夜はネズミと同室覚悟する。
インドのテレビ、衛星放送やケーブルテレビと接続しているためか20チャンネルは出る。その多くが今や世界的に有名になったインド映画を放映しているが。
テジさんが、ツァング湖には途中の道が崩れているため行けないとの情報をつかんでくる。
[8月24日(木)]
6時起床。昨夜より雨。
ホテルの横を流れ落ちる谷川の音が激しい雨に聞こえ、道路の様子が気にかかる。
7時10分〜8時、1階のレストランで朝食。ダージリンティ30Rs、トースト25Rs。 今日の予定は午前中、ルムテクゴンパへ行き、午後は市内見学。
8時過ぎ、昨日、ジープ乗り場からホテルまで乗ったタクシードライバーが約束通り迎えに来る。ルムテクゴンパ往復350Rs、それに待ち時間を加算して欲しいとのこと。昨日の30Rsと合わせ、450Rsで午前中借り上げることに。200Rsは給油のため先払い要求。ガソリン1リットルが27Rs。
ルムテクゴンパはガントクの手前10qほどの所を橋を渡り、ガントクの向かい側、谷の斜面を葛折りに10数q登ったところにある。
霧と雲がかかり、今一つ景色を楽しむことは出来なかったが、それでも山の天気、一瞬霧が流れ、晴れ間ができる。その時は、向かいの尾根筋まではっきり現れることもあり、その度に車を止めてもらいながら、1時間半ほどでゴンパに。途中の山道では、谷底にある学校に通う子どもと何度もすれ違った。10時半の始業時間に間に合うよう家を7時半に出るという。帰途は4時間かかるそうだ。なんと毎日往復7時間かけて通学していることになる。結構道草をしながらの通学ではあるが、それにしても大変である。
ルムテクゴンパはシッキムで一番大きなゴンパである。先日、チベットからインドに亡命したカルマパ17世を法主とするカルマ・カギュ派の本山とされている。1981年に亡くなった16世の廟があり、亡命した17世もこのゴンパを拠点にするのではないかと言われている。1740年に建立され、その後地震の被害に遭い再建。僧坊などはまだ新築されて間もない。16世の黄金廟は修理中で中に入れず。しかし、100人余りの僧が読経中の本殿に入れてもらった。小坊主や学僧も多く、チベット仏教国シッキムの面影を今にとどめている。寄進なども多いのか、僧侶の身なりもラサなどとははるかによい。境内を一回り。この時期さすがに訪れる人は少ないようで、後日素性が明らかになるが、タイからきたミュージシャンが一人、この暑さの中、革製のズボンとジャケット姿で、参拝していた。
カトマンドゥでもみつけたが、この境内にも彼岸花がたくさん咲いていた。
10時50分、1時間ほどゴンパに滞在、ガントクに戻る。
12時丁度、チベット学研究所の前で、タクシーを降りる。入館料5Rs。小さな仏像やタンカなど展示。庭に紫蘇が。
ホテルに戻り昼食。13時20分〜14時。焼きぞば(chicken chowmien)50Rs、紅茶小ポット30Rs。
テジさん、ツァング湖ツアーの交渉に。タクシードライバーの話では行けるとのこと。 ホテルに近いツーリストで、ジープを出してくれることになる。パーミット料込みで2000Rs(1000Rs先払い)。中印国境に近いツアング湖へは4人以上のグループでなければパーミットが出ないことになっているが、そこはインド、テジさんと2人でも大丈夫とのこと。抜け道があるらしい。
14時30分、青空が出る。洗濯物も乾きそうだ。
15時過ぎ、タクシー20Rsでハンディクラフトセンターへ。思ったより近い。ショールやバック、竹製品、木工品、カーペット、タンカなどシッキムの手工芸品を製造、販売している。木工品やカーペットなど安くていいものもあったが、何しろ旅の途中、重い物は買えない。ショールなど軽そうな物を選び、シッキム土産とする。営業時間が16時までだったため追い立てられるようにセンターを出る。
センターからエンチェイ僧院に行こうとするがかなりの急坂。タクシーを拾う。自動車道は大きく迂回しながら登るため距離がある。40Rs。
エンチェイ僧院は200年ほどの歴史をもつ、ガントクでは古い僧院。色とりどりのルンダ(風の馬=タルチョ)が参道に、はためいている。壁画、仏像共にチベットのゴンパで見たものと同じタイプのもの。僧侶も多く、規模は小さいが、ルムテクゴンパより見応えあり。境内の樹木には蘭が寄生し、黄色の花をつけ、大型のリスが一匹、枝から枝へ飛び跳ねていた。本殿向かいの建物には、祭りに使う楽器や仮面のような物が置いてあり、練習している学僧もいた。
僧院の向かいの丘にテレビ塔がある。給水場もある。ここにもルンダをいっぱいとりつけている。
16時30分、僧院をあとに徒歩でホテルに戻る。歩道はあちこちにショートカットの階段がつけられており、途中、樹幹に咲く花などの写真を撮りながらも50分ほどでホテルに着いた。
シャワーを浴び、一息ついていると、またもや小ネズミ出現。
18時30分、日本にTEL。女房の機嫌悪し。当然のこと。毎年のことながら、我が儘を、それも心配させながらのこと。こうして旅を続けておりながら、時々、なぜこのようなことをしているのか、自分で自分がよくわからなくなることさえある。何かに追われているような旅だけはしたくない。でなければ旅に出る意味がない。
19時30分〜20時50分、夕食。チキンモモ(スチーム)60Rs、チキンヌードルスープ45Rs、D/Bビール40Rs(HITビールより少しまし)。
テジさんと旅の話しになる。仕事とリフレッシュ、テジさんには今一つ理解できなかったようだ。当然だろう。仕事を得ることさえ困難な状況を考えれば。
[8月25日(金)]
5時過ぎ起床。深い霧。
7時10分〜8時10分、朝食。トースト20Rs、紅茶(大ポット)25Rs。チベット茶の作り方の話になる。ネパールの山地では茶葉と塩、バターにチンコー麦の粉を混ぜてつくるそうだ。麦の粉はミルクパウダーの代わり。しかし、バターはヤクのバターが一番よく、ヤクのバターを使わないとよい味が出ないとか。ヤクのバターは高価で1kgが6〜7$ほどするそうだ。
8時前、しだいに霧が晴れてくる。カトマンドゥでは10月から11月頃にこのような霧がかかることが多いそうだ。
食後、ホテル周辺の林に入り、蘭の写真を撮る。気を付けてみると、ちょっとした喬木には必ず蘭が寄生している。咲いていたのは黄色の蘭2種とピンクの蘭。春にはもっと多くの種類の蘭が花をつけるとか。写真に夢中になっていると、テジさんがジープで迎えに来る。ツァング湖ツアーのジープで。
9時10分、フラワーハウス前を出発。ジープにはドライバー以外に、テジさんを含め4人乗っていた。そうか、そういうことか。抜け道は。ツーリストの関係者を不足分だけ乗せて4人以上にすればいいわけだ。そうすればパーミットが取れるのか。
ガントクを出て間もなく、再び、深い霧、そして雨。
ツァング湖までにチェックポスト3ケ所。1つは軍のチェック。中印国境に通じる軍用道路だけに、道路沿いにはインド軍のキャンプが続く。
昨日まで通行止めになっていた崩落現場を抜けるが、かなりの急斜面まで蒲鉾型の兵舎が建てられ、崩落の原因の1つが、軍施設による植生収奪によるものと思われた。
11時、海抜3000メートル余りに位置した集落が最後のチェック。谷間で植林用の苗木を栽培している。森林限界に近く、この村から少し登れば、高山帯に入り、一面お花畑に変わるが、高山帯に入ったところにまたもや大きな軍のキャンプがつくられている。
ドライバーがチェックを受けている間、道路沿いの茶店(一角にはウィスキーやブランディを並べたカウンターがあり、スナック風茶店とでも言おうか)でチャイを飲む。霧雨の中、冷えた身体が暖まる。
この村からツァング湖までは20分余り、湖畔には1時間40分ほど滞在した。
霧がかかり、雨が降る、最悪のコンディションであったが、それでも時々、遠来の客を歓迎するかのように、霧が流れ、湖の全景を見せてくれる、そんな一時であった。
高山植物が咲き乱れる湖畔は、雨も、霧も忘れさせてくれるほどである。聖湖とされているツァング湖畔にはヒンドゥ教寺院や仏塔などもあり、ルンダの竿が立てられ紐がはられている。湖を半周し、駐車場の対岸にまで足をのばす。海抜3780m、富士山の山頂とほぼ同じ高さ。雨は冷たく、何か羽織る物をもう一枚用意すればよかったと後悔する。
湖畔近くまで、軍のキャンプがあり、その上雨季のこの時期、湖は少し濁っており、コバルトブルーの湖を想像していたものには少し物足りなさも残ったが、周囲の岩山、その岩山と岩山の間、露出した岩と岩の間を埋め尽くす高山植物の見事さ、ロータンパスに匹敵する、いやそれ以上に魅力のある場所に思われた。そのうち日本からも大勢押し掛け、荒廃するのだろうが。
駐車場に沿うように10軒余りのトタン葺きの茶店兼万屋兼土産物屋が並んでいる。観光客目当てにヤクを飼っている店もある。その1軒に入り、ワイワイスープ(インスタントラーメン)を注文、ダウンジャケット姿の地元の若者が2,3人、立ち寄って話していく。薄暗い店の片隅に籠があり、気が付けばその中に赤ん坊が。
ここまで来た記念に少し煤で汚れた壁掛けを2枚求める。
茶店から出ると昨日ルムテクゴンパに行ってもらったタクシードライバーが。聞くと、お客を乗せ中印国境まで行く途中とか。案外簡単に国境まで行けそうである。
13時10分、湖畔を発ちガントクに。
刑務所を見下ろせるチェックポストとテレビ塔のすぐ上、ガントク市街を見下ろせる展望台で車を降り、小休止。ガントクに近づくにつれ霧も晴れる。15時30分、ホテルに。 明日、バグドグラ空港までの便、ジープで1100Rs。ホテルのスタッフが同乗させて欲しいと言っているらしい。割り勘として200Rs出せばいいよと言ったら辞退した。現金なものだ。
手持ちのルピーが乏しくなり、トラベルチェックの両替を頼む。ホテルでは無理らしく、銀行に行かなければならないらしい。「パスポートも必要だ」となかなか大変。
17時〜18時40分、市街地に出かける。どこに行くにも急な坂道。歩き回っているうち、市場にぶつかる。旅をしていておもしろいところの1つが市場(バザール)である。地元の食卓を彩るはずの食材、日用雑貨、民族色の強い衣類など、興味深い物が多い。ヒレで見たのと同様、タケノコやゼンマイもある。バターもチーズも量り売り。閉店間際で青物はたたき売りの様相。香辛料の店でサフランをすすめられる。テジさんがネパール語で話しかけると、言い値が一気に半額に。
市場の周りは店構えのしっかりした店舗もある。仏具店や土産物屋らしき店もある。ナイフと大きなザクロ3個(35Rs)を買い市場を後にする。ホテルへ戻る途中、ダージリンのディスコから流れていた「ピアピア」の入ったカセット入手。
1階のレストランで、モモを肴に、テジさんと2人きりの打ち上げパーティ。シッキムビールで乾杯。
部屋に戻り、精算。テジさんにお礼を渡そうとするが、固辞しなかなか受け取らない。 やっと納得させ受け取ってもらう。
[8月26日(土)]
5時半起床。珍しく霧もかかっていない。市場で買ったザクロを1個かじる。すっきりとした酸味、旨い。
6時30分〜7時、朝食。早朝のため、昨夜頼んでおいたバタートーストとレモンティ。 7時5分、ホテルを発つ。1100Rsのうち500Rsはツーリストのマネージャーに先払い。 8時15分州境。ティスタバザールの橋のたもとでポリスが車を止めている。小遣いが乏しくなれば検問をして小遣い稼ぎをしていると言いながら、要求に応じなければどんな仕返しがあるかわからないとポリスの言うがままに金を渡している。我がドライバーは50Rs要求された。勿論、ドライバーに手持ちはない。また、先払いに応じる。
ティスタ川に沿って、舗装された道が続く。軍用車が多いのは、中印国境に位置するシッキムの現状とこの道が軍用道路としての役割を物語るもの。
その舗装された道もところどころで崩れ落ちており、はらはらしながらの徐行をくり返すことになる。茶色に濁った本流に水色の清流が支流からそそいでいる。しかし、本流の圧倒的な水量に清流は濁流と化す。見慣れた光景ではあるが諺の一節を思い出し、我が人生を反芻する。
9時25分〜45分、茶店が数軒集まったルールプールのドライブインで休憩。前後に手頃な茶店がないためか停車する車が多く、繁盛している。注文したものも出てくるまでに結構時間がかかっている。コーラで喉を潤す。
車は快調に走り、1時間余りで、シリグリに。猛暑の雑踏の中にあえて入る必要もなく、郊外を通過、バグドグラ空港に11時5分着。ガントクから4時間で着いた。空港はインド空軍の基地にもなっており、ジープが迷って基地の中に入りかけ、衛兵に注意をうける。 早く着きすぎ、時間を潰すにも何もない空港。片隅の小さな食堂で、腹ごしらえ。揚げパンにチャイ。テジさんの食べていたカリーを少しいただく。
海抜1500メートル以上のシッキム、ダージリン、イラムなどを旅してきた者にとって、ベンガル低地の暑さは、まさに灼熱地獄。空港の日陰でじっとしておく他はない。
空港の建物は新しいが送迎客には冷たい。空港待合室にはいるためには20Rs払わなければならない。
14時、やっと搭乗手続き始まる。X線検査機不調、また待たされる。荷物を預けると2個で18kg。ジェットエアウェーズは新型機を使っているとは聞いていたが、737-300型。シートは10A。手続きを済ませ、やっと2階の待合室に。20Rs支払って、入ってきたテジさんとビールで再会を約し乾杯。旨い。1本70Rsは高いが、一気に飲んでしまう。
テジさんはこれからすぐに国境までタクシーをとばすそうだ。道路の修復状態がわからないので、ビラトナガルまで戻り、様子を見るとのこと(帰国後の便りによると、崩落した道路の修復にはかなりの日数を要したそうだ。結局ビラトナガルからカトマンドゥは飛行機を使ったそうだ。)。
カルカッタからの到着が遅れているため、折り返し便も30分ほど遅れるとの法曹り。 16時30分、やっとカルカッタからの便が着く。セキュリティチェックが始まり、テジさんと別れの時間に。
16時50分、9W618便、離陸。飛行時間50分。
レモン水と軽食(チキンカリー、ロティー、菓子)。黄濁したガンジスデルタ眼下に。 17時40分、カルカッタ空港着。空港案内所にてホテル予約。高級ホテルは軒並み4700〜6000Rsプラス20%のTAX。1000Rs以内のホテルに泊まってきただけに馬鹿馬鹿しく、空港に近いHost International(1泊1400Rs+20%)に決める。
ホテルまで195Rsというタクシー代、案内所公認とは言うもののあまりに高い。しかし、言い争いする気力もなく、ホテルに直行。
シャワーを浴び、そのまま横になる。
[8月27日(日)]
さすがに早くから目が覚める。
フロントで両替できず、手持ちのインドルピーもなくなった。
非常食の梅干し粥とザクロで朝食を済ます。
1階のレストラン、つけで紅茶を飲ませてくれる。
8時30分、空港に向かうタクシーに便乗し(往復120Rs)、両替に。空港内に入るにも、三重のチェック、係官からサインをもらいやっと空港待合室の銀行へ。T/C200$両替(9030Rs)。
10時30分〜13時30分、ホテル前にたむろするタクシーをつかまえ、インド博物館へ。収蔵品は多く、見応えあるが、ガンダーラ仏などほんの一部を除いて展示の仕方や収蔵方法が悪く、ラベルがはがれたり、埃だらけの展示物に興ざめ。外国人入館者からは150Rsもの入館料をとっているのに。
ホテルに戻る途中フグリー川の河畔に出、徒歩で橋を渡る。船着き場近くの沐浴場が水浴場になっている。水遊びする子どものはしゃぎ声が橋の下から聞こえ、橋の上では物売り声。
ホテルまで戻って、またタクシーの運転手とトラブル。300Rsの約束だったが、フグリー川に回ったことを理由に、400Rs要求。距離的にはほとんど回ったことにもならないのにである。うんざり。追加分は払わず。300Rs渡してホテルに入る。
レストランでビールを注文すると、レストランには酒類は置いていないとの返事。しかし、ルームサービスは可能らしい。チキンスープヌードル45Rsとビール75Rs(ブラックラベル・ライト)を部屋に運んでもらう。
ホテルのレセプション係のアロワさんが勤務あけの時間を利用し案内してくれるとのこと。まずホテルの屋上にあがり、ホテルの位置確認。
タクシーでカルカッタの中心にあるビクトリー・メモリアルへ。市街地の混雑を避け、バイパス経由で。競技場、サンハウス(遊園地のような施設?家族連れ多し)前を抜ける。激しい通り雨。折り畳み傘とビニールの合羽役立つ。ホールは16時30分で閉館しており、入れず。しかし、庭園も美しく、手入れが行き届いている。池の周りのベンチも芝生にも日曜の午後を楽しむ家族連れ目立つ。郊外や下町とあまりに対称的な風景。
表通りの主な店は日曜が定休日になっており閑散としているが、一歩路地裏に入れば、大変な人、そして車。オベロイホテルの隣の店で、サリーを買う。2100Rs、今回の旅行で最も高い買い物に。
コカコーラでのどを潤し、雑踏を出る。
19時過ぎ、マザーテレサ・ハウスへ。「中に入れるのは18時まで。」とシスターの話。「明日朝、日本に帰られる方なので、是非入れてあげてください。」とアロワさんが頼んでいる。どこから現れたのか中年の男も一緒になってシスターに掛け合っている。
シスターはにっこり笑って、「それでは。」と、マザーテレサの墓のある部屋に案内してくださる。部屋の真ん中に花に飾られたテレサの墓があり、周囲の壁には写真等が展示されている。私のためにわざわざ部屋の灯りをつけてくださったシスターに感謝し、墓前で合掌。写真を撮らせていただく。
外に出ると、アロワさんと一緒に口をきいてやったという中年の男がチップを要求。一抹の寂しさを感じながら10Rs渡す。テレサも苦笑されておられることだろう。
ホテルまでタクシー代135Rs。途中でアロワさん、ラム酒を買う。インド人にはラム酒を飲む者が多い。
ホテルのレストランに酒がないのは、別棟にバーがあるからだった。バーをのぞいてみる。薄暗い部屋、あやしいムードに思われたが、テーブルに座っているのは勤め帰りのサラリーマン風の男たち。ビール片手に話し込んでいる。ブラックラベルライトを注文する。ここでも75Rsだった。
1階のレストランに降り、チキンフライドライスと紅茶で夕食。小さな子どもを連れた家族が食事をしており、その子どもが珍しそうに何度もやってくる。
シャワーを浴び、10時20分にはベッドに横になる。
[8月28日(月)、29日(火)]
6時半起床。幸い晴れ。しかし、今日も通り雨があるだろう。帰国の準備。
8時10分〜40分、1階レストランでトーストと紅茶。
ホテルの周辺を散策。広い通りに沿って小さな市場がある。野菜や肉、魚を売る露店が出ている。まだピチピチ跳ねている淡水魚が売られている。ガンジスデルタ、カルカッタらしい。
部屋に戻り、ベッドの上でいろいろ考えている内、いつの間にか眠っていた。ボーイが掃除に来るが断る。10時半、チェックアウトのためフロントに。何が原因かフロント係の男がボーイを怒鳴りつけている。宿泊料とレストランの付けの代金2960Rs。一旦部屋に戻ると、アロワさんがやってくる。空港まで送るとのこと。「今度来るときは直接連絡して欲しい。そしたら宿泊料は半値になる。」と、住所を書いてくれる。
11時過ぎホテルを出る。昨日と同じ車。ホテルと空港の間を専門に行き来しているらしい。国際線ターミナルの前でアロワさんと別れる。
荷物2個、セキュリティチェック。TGカウンターで搭乗手続き。TG314、A330型機、65K席。荷物20.01kgでセーフ。出国カードここでもらう(入国時には、パスポートに入国印も押していなかった)。出国手続き、税関を経て、2階へ。免税店が1軒とスナック1軒のみ。12時30分、セキュリティチェックを受け待合室に(売店もない)。13時25分、搭乗開始。14時5分、離陸。カルカッタ、さすがに巨大都市。市街地広い。雲多く、雲に突入するたびに大きく揺れる。ベンガル湾の水面、ほんの一瞬見えただけ。
15時、やっと昼食にありつける。チキンライスに人参・インゲン添え、トマト。アスパラ・オリーブ・キャベツのサラダ、シンガービール、コーヒー等。
この旅行で、インド人のマナーの一端を垣間見た。ホテルでも飛行機の中でも、周りの迷惑も考えず大声で話し、カセットでもテレビでもボリュームを最大にあげ、歩き回る。バンコク行きの便はいつも満席と言われていたが、出稼ぎが多いのか。日本人とて同じような行動をとるものも多いのだが。
カルカッタ空港(チャンドラボース・インターナショナル空港)待合室に入って、日本人が多いのに驚いた。シッキムやダージリンではほとんど見かけなかったのに。夏休みを利用してのインド旅行が学生の間に流行っているというのは本当のようだ。
18時丁度(インド時間16時30分)、バンコクに着陸。飛行時間3時間5分。
シッキムのルムテクゴンパ以来、度々出会った皮のジャケット、ズボン姿の男が声をかけてくる。「シッキム以来、いつも一緒でしたね。」彼も気が付いていたのだ。ミュージシャンだという彼は、インドが好きで、もう13回行ったとか。今回も1か月かけてインド北部を回ったそうだ。皮のズボンは、洗濯しなくていいのでいつも旅行は皮ズボンに皮のジャケットだとか。
バンコクでは関空行きまで6時間余りの待ち時間。
もっぱらウィンドウショッピングで時間を潰す。
21時20分、やっとTG622 OSAKA 23:55 gate5の指示あり。スナックで生ビールを頼むと3$。なんと高いビールだ。
24時10分、やっと離陸。深夜便にもかかわらず満席。
サンドイッチとカップ1杯のビール。
日本時間6時、久しぶりの日本食の朝食。塩鯖にご飯。
7時15分、関空着。
「はるか」「ひかりレールスター」を乗り継ぎ10時45分岡山に。