インド・キンノール巡礼の旅
1997年8月15日(金) キンノール=カイラス巡礼断念


 今日はインドの独立記念日。三度、インドを旅行し、三度ともこの日に当たった。26年前はニューデリーで独立記念日に遭遇した。オールドデリーのレッドフォートの前の飾り付けに何事かと思ったのが最初だった。

 夜中の騒音は、独立記念日を祝う、村人の行進であった。1時間おきにブカブカドンドンとラッパや太鼓を鳴らして村のメインストリート(?)を行進しているようだ。

 6時、「雪山が見える。」と言うKさんの声でベランダに出る。サトレジ川の対岸に氷河をもつ雪山がのぞいている。5000メートル級のピークとか。地図によると、SrikhandMahADev Peak、5227メートル。シャワールームの小窓からの方がはっきり見える。朝日が昇るにつれ刻々と表情を変える。Wさんがモーニングティーを運んでくれる。心配りに感激。

 6時50分から7時30分まで、ビーマカーリー寺院の中を見学。靴を脱ぎ、裸足になって中に入る。建物の中は写真撮影禁止だそうだが、外観は許可されている。最上段に並ぶ二棟の本殿は向かって右が千年以上の歴史をもつ旧殿、左が200年ほど前に建てられた新殿とのこと。現在は、新殿の3、4階にヒンズー教の神、カーリーが祀られている。壁面に細かい彫刻が施された木造の建物(壁面は木と石を交互に積み上げており、昨夏訪れたフンザの建物などと基本的には同じ造り)は、一見、戦国時代の砦か山城の様。サラハンはもとバシャール王国の都。ビーマカーリー寺院は、政教一致の支配者が建立した王宮であり寺院。後に王宮は移され、寺院施設となったが、城塞のような外観は、以前のまま。その点ではチベットのゴンパと同じ。入母屋、スレート葺きの屋根、屋根の上の宝輪等はチベットのポタラ宮の屋根や日本の神社の屋根を連想させる。本殿のある最上段に入る門楼入口には銃を持った警官が一人。中に入るものをチェックしている。本殿の前では円筒形の帽子(ネルー首相がかぶっていたのと同じような)をかぶることが義務づけられているらしく、持ち合わせのない者には貸してくれる。

7時30分、レストハウスの一階の大部屋で朝食。バタートースト、ヌードルスープ、私は食べられないが、卵焼きと紅茶(チャイ)。

 荷物の積み込みを終わり、8時20分、寺院を発つ。寺院を半周し、サラハンの村と寺院の全景が展望できるところまで登り、写真撮影。リンゴ畑の中に、5000メートル級の山々を借景に、砦のような寺院全体がすっぽり納まる好アングル。

 昨日来た道を戻り、サトレジ川沿いの街道に出る。途中、小学校や陸軍幼年学校(?)では独立記念日の式典に参加する子どもや村人が着飾って集まっていた。

 ジェオリの万屋で、コックは卵一ケース仕入れる。牛が数頭、野菜屑を求めて、店の前をうろついている。

 道路情報はっきりせず。とにかく、行けるところまで行ってみようと、サトレジ川沿いの街道を、キンノールに向かって遡る。ジェオリから30分ほどで、シムラとキンノールの境界に着く。ぬかるみの所もあったが特に問題もなく行政域としてはキンノールに無事たどり着いた。道路標識の前で写真を撮り、今回の旅のテーマ「キンノール・カイラス巡礼の旅」の欠片程度は達成できたことを喜ぶ。

 ふと道端の草を見ると、家でも栽培しているハーブ。気を付けてみると辺り一面に。なんと家で栽培していたハーブはこの辺りでは野生のありふれた雑草。ここが原産地?

 この調子ならキンノール・カイラスまで行かれるのではとの甘い期待もわずか3、4キロ進んだところで断たれてしまう。谷沿いの急斜面を削って造られた道は、無惨にえぐり取られ、橋も崩落、谷筋の民家も畑も洗い流され、むき出しの大きな礫混じりの土砂が百数十メートル下のサトレジ川の谷底まで続いていた。ここだけで12名の死者と5名の行方不明者を出したという。  100人余り人夫が、修復工事を行っていたが、開通には数日かかりそうであった。

 崩落現場のすぐ下の、テラス状になった段丘面に、ビーマカーリー寺院の本殿とそっくりの寺院と門前に数戸の民家の並ぶ集落があり、引きつけられるものがあったが、集落への道は、崩落現場の向こう側、双眼鏡で鳥瞰することで諦めざるを得なかった。

 10時20分、引き返すことに。

ジェオリの手前まで戻ってきたところで、先導していたSRさんの車が止まる。Aさんの話によると、近くに、ガイドのNさんの両親が住んでいる家があるらしい。Nさんはキンノールの出身(Nと言う姓はキンノールに多いそうだ)。キンノールに実家があるそうだが、出作り小屋のような家がこの近くにあり、キンノールとの間を行き来しているとか。

 道路から樹園地の中の細い坂道を登ること5分ほどで作業部屋と寝室と台所だけのこじんまりした家が一軒、急斜面を削った狭い平地に建っていた。周りはアンズやリンゴなどの樹間にトウモロコシ、インゲン、トマト、唐辛子、ヒマワリが混植された畑。Nさんのお父さんが居られ、チャイとビスケットでもてなしてくださる。ベランダからの見晴らし良く、サトレジ川対岸の山並みや、落差が数百メートルはある滝が2本展望できる。

 コックのSWさんは食材のキュウリと唐辛子、それにリンゴを手に入れた。

 当地はリンゴの産地だけに一度味見をと思っていたところ。早速一ついただく。乾いた喉に、甘酸っぱくなつかしいリンゴの味。

 11時20分、戻ってこられたNさんのお母さん、そしてお父さんに別れを告げ、車に。畑の中で、一本の木を指さし、「この木は、日本の木で黄色の実がなる。」とNさん。見ると、柿の木であった。「実は食べられない。」と言ったので、多分渋柿だったのだろう。道端には大麻とハーブが。

 ランプルの街を12時20分通過。

 昨日の土砂崩れの現場では、土砂の取り除き作業が行われており、20分余り待たされる。

 シムラとマナリ方面への分岐、サイニSainiの茶店で昼食。コックが朝早くから準備していたパウダーケーキ(残念ながら私は食べられないが)、ジャガイモ、ゆで卵、フライドポテト、マンゴジュースそれに茶店に注文したチャイ。

 14時10分、茶店発。しばらくサトレジ川沿いを下り、13日に泊まったロッジの真下で左岸から右岸に渡る。海抜高度800メートル前後のこの辺りは亜熱帯性の気候。民家の周りにはバナナが植えられている。北緯31度、九州の最南端佐多岬とほぼ同緯度だが、高い山に囲まれた谷底はサウナのようで、車窓から入ってくる風も蒸し暑く、不快。にもかかわらず、植生はサボテンやユーカリなどが疎らに生えた、サバナかステップを思わせる景観。

 バイナカードBainaKhADからジァロリ峠JaloriPass(3223メートル)を越える、マナリへの近道は、やはり土砂崩れなどのため通行止めになっており、マンディMandi経由に変更。ところが、バイナカードから2、3キロ山道を登ったところで、道路の真ん中に立ち往生したバスに出くわす。「パンクしたが、スペアタイヤがないので、運転手が取りに行った。」とのこと。何かおかしな話だが、仕方がない。バスの横を抜けようと、山側をスコップで削り取るなどしてみたが、大きな岩があり、無理。1時間余りたった頃、乗客の一人と思っていた男が、実は運転助手(これも眉唾、もしかしたら運転手だったのかも)で、しかもスペアタイヤまで屋根の上にあり、何食わぬ顔でタイヤ交換をはじめた。結局、事情が飲み込めにままではあったが、タイヤ交換を終えたバスが、バックし、この場は無事通過。この間に大粒の通り雨。青空も出たので、ほっとしていたが、15時50分、松林の中の山道を走り出して間もなく本降りの雨に。

17時過ぎ、見晴らしの良い丘の上に建つ、チンディChindiのレストハウスに着く。ガイドとAさんが今夜の宿泊の交渉に行くが、一部屋しか空いていないとかで、ここは諦める。人気のない山の中のレストハウスが予約でいっぱいとは。

 10キロほど先に別のレストハウスがあるらしい。再び、来た道を2キロほど戻り、マンディ方面に7、8キロ進んだ松林の中で老人に出会い道を尋ねると、直ぐこの上とのこと。なるほど、道端の木にWEBS Resort Orchard Rest Houseの看板が。水の流れていない谷川のような、石ころだらけの凹凸の激しい、細い道を登ると小山の上に一軒のレストハウスがあった。小型の四輪駆動車でなければとても上れそうもないところに。

 大麻の生い茂ったレストハウスへの道は石垣が崩れ、人気もない。建物自体は窓から覗いた部屋も清潔そうであったが。とにかく今夜は、ここでキャンプすることになった。中庭の芝生の中にテントを張り、軒下の土間でコックは調理を始める。幸い蛇口が壊れ、出っぱなしになっている水道が中庭にあり、水には困らなかった。

 日没前に、テント内の整理も終わり、Wさんの運んでくれたチャイとビスケットで一息つく。その内、満天の星に誘われ、芝生の上で、酒宴。ウィスキー、ブランデーそれに日本から持ってきたつまみの品が並ぶ。

 20時半頃にやっと夕食の準備できる。スープ、焼きめし、ダル、タマゴカレー、サラダ、野菜の煮込み。豪華だ。

 食後にはコーヒーも入れ、12夜の月明かりのもと22時半頃まで談笑が続く。コックのソワンさん、バーナーの調子が悪いとかで遅くまで調整していた。