インド・キンノール巡礼の旅
1997年8月16日(土) マンディを経てマナリに


 5時、コックのバーナーの音に目が覚める。家族の夢、一晩中見る。テントの隙間から覗くと真っ青な空。

 6時前にテントを出て、付近を散策。海抜2000メートル余りの傾斜面に民家が散在している。鉄平石で葺かれた屋根。一階が納屋と畜舎、二階にベランダを設けた居室。スモモやアンズの木が多く、道沿いには大麻が目立つ。畑には豆やトウモロコシが。背後に小さなヒンズー教の寺院がある民家は、バラモンの家か。緑豊かで、インドであることを忘れてしまいそうな景観。

 テントに戻ると、Wさんがモーニングティ(チャイ)を運んでくれる。チャイを飲みながら荷物を整理。

 7時、朝食。トースト、バナナ入り流し焼き、卵焼き、雑炊、チャイ。

 食後、テントの撤収。中庭の花(カンラン、百日草など)に色鮮やかな蝶とともに蜂鳥がやってきた。遠くでカッコーが鳴いている。ウグイスの鳴き声も日本と同じ。

 8時、出発。

本道まで松林の中を歩いて下る。マッタケでも生えていそうな松林。

 山の中腹の斜面につけられた曲がりくねった道を走ると、朝もやの中、鞄を提げた子どもが三々五々連れなって登校するのに出会う。めった外国人出会うことがないのだろう物珍しげに私たちの車をながめているが、追いかけてきたり、物をねだる子はいない。パキスタンではかなり山奥でも外国人旅行者と見るなり「ペン、ペン(ボールペンのこと)」と物乞いに集まる子どもが多かったが。

 谷間の集落に、キンノールで見かけたのとよく似た木造の寺院と木造家屋が。ドライバーに停車してもらい写真を撮る。寺院はヒンズー教と土着の宗教(山の神を祀るとのこと。日本と同じように御輿をかつぐ祭りがあるとのこと。)が混淆したものとか。

 10時前、高度計で見ると2100メートル付近。昨日の雨で土砂崩れがあり、道が塞がった所に出くわす。道の両側はヒマラヤ杉の林になっているため涼しく、ウグイスの鳴き声に聞き惚れながら、気長に待つこと1時間。ただ、昨夜から通行止めになり、ここで夜明かしをしたらしいドライバーなどもいるらしく、道端至る所にもよおした跡があり、悪臭がひどい。

 11時05分、開通するや一番に現場を通過。

 左車窓から眼下に、サトレジ川の支流の広い谷底平野が広がっている。だいぶ下ってきたのか、窓から入ってくる風が、なま暖かくなった。チャイル・チョークChail Chowkの町を抜けると、急に空気がよどみ、生臭く、カレーと牛の糞尿の臭いのミックスしたインドが戻ってきた。バッギBaggi通過、12時20分。暑い。トウモロコシ畑と共に水田が多くなる。

 12時30分、21号線との三叉路に。ネル・チョークNer Chowkの町を抜ける。山中の村や町とは大違い。賑やかな町並みに圧倒される。

 12時50分、ビアス川Beasとウハル川Uhlの落合集落、マンディMandi、海抜750メートルを通過。大学もあるかなり大きな町。町外れのヒンズー寺院も大きい。城塞風の建物が目を引く。

 町を抜けて間もない、ビアス川沿いのドライブインGreat Forest,Bhojanalayaにて昼食。冷えたコーラが喉にしみる。ジャガイモのカレー煮、チャパティ、シーチキン、パン。

 山道に比べ、道幅の広い道路に、ドライバーはぐんぐんスピードを上げる。

 パンドオPandohoでダムの堰堤を渡り、道はビアス川の右岸沿いを走る。

 オウトAutはジァロリ峠を越え、シムラ方面に出る分岐。追分け集落らしく、市場町の風情。マナリでは物価が高いとかで、ドライバーやコックはここの酒店でウィスキーを仕入れる。私もよく冷えたビールを一本購入し、立ち飲みする。「旨い。」

 クルKulluの空港の側を抜ける。予定では21日にここからデリーに向かうことになる。すなわち昨日からの行程は、予定外のことであった。しかし、考えて見ればめった外国人が通らないような所に行けたわけで、これもまた幸運とすべきか。

 クルの町はかなり大きい。海抜高度も1219メートル。少し涼しくなってきた。

 クルからマナリまでの40キロほどの道はひどかった。8月1日、2日頃に豪雨があり、その時のビアス川の氾濫により、至る所で道路が破壊されという。もとは中州のような場所も洗い流され、川の流れの変わった所見みられた。土砂崩れの跡もあちこちに見られ豪雨のすごさを見せつけられた。この豪雨による犠牲者は1000人以上だったというが定かではない。聞き間違いかも知れない。

 保養都市、マナリManali(2050メートル)に到着は17時。チベット系の人や観光客で溢れた町中を抜け、今にも崩れそうな橋を渡り、ビアス川の左岸を3キロほど遡った所が今夜の宿、「風来坊」のある温泉集落バシシュトVashishtであった。

 車を止めた所から急な坂道を150メートルほど下った所に「風来坊」はあった。

 「風来坊」のオーナーは日本人。元勤労者山岳会会長の森田千里さん。

 早速、ビールで歓待を受ける。

 荷物を部屋に置くや、温泉に。「風来坊」の直ぐ上が政府直営の温泉になっている。古い施設のレギュラー風呂の入湯料が40ルピー、デラックス風呂が100ルピー。KさんとRさんはデラックスへ、私はあえてレギュラーへ。トイレのように仕切られた個室が並ぶ温泉施設はさながら牢獄のよう。ドアを開けるとコンクリーの浴槽からお湯が溢れ、洗い場も浴槽の一部のようになっている。着替えもドアについた鈎にかける以外に置き場がない。シャワーがついているわけでもないから、石鹸を使うと、お湯が汚れる。さりとて、昨夜はテント、一昨日は震えながらのシャワー。仕方なく汚れを覚悟で石鹸を使う。しかし、お湯がたっぷり入っており、少々石鹸を使っても濁らない。湯船はともかく、たっぷりのお湯に手足を伸ばし、ゆっくりと浸かった「ヒマラヤの湯」は快適であった。

 風呂上がりは、また、ベランダのテーブルに並べられたビールそれに森田さんお気に入りのインド産ラム酒を頂く。香川県からロータン峠の高山植物を見に来た女性の二人連れ加わる。ラダックやスピティ、キンノールの山、植物、暮らし、宗教、気候等々森田さんの豊富な体験や知識を聞かせていただく。ベランダでの会話はそのまま夕食の場へと続く。味噌汁や森田さんが栽培しているシソの葉、久しぶりの日本食が並びさらにインド料理のダルやチキンカレー。飲んでは食べ、しゃべり、気がつくと12時。明朝は5時起床。少し飲み過ぎたか。