インド・キンノール巡礼の旅
1997年8月17日(日) ロータン峠を経てスピティに


  5時起床。荷物整理。昨夜洗濯した下着や靴下の乾き悪し。昨夜は窓を半開きにして寝たが、気温は17℃ほど。朝の薄明かりの中、ビアス川上流に雪山の稜線が見える。

 5時半、チャイを運んでくる。一口啜ると二日酔いの頭がすっきりする。

 車はビアス川沿いの本道で待っているらしく、荷物を背負ったスタッフは先にたって谷川沿いの石ころだらけの坂道をに下る。3日後にはまた戻ってくる予定のため、森田さんには「行って来ます。」と声をかけ、「風来坊」を出る。

 屋根にまで荷物を積んだ2台の小型四輪駆動車は6時、いよいよスピティに向かい出発する。

 8月はじめの豪雨による河岸の崩壊が至る所にあり、対向車がくると譲り合うしかない。

 出発して間もなく、軍のトラックの隊列に出くわす。150台余りのトラック、ジープが通過するのに20分余り待たされる。

   峠への急な坂道を登り始める。軍のトラックが一台転落している。谷の向こう側の急斜面に見事な滝が。この景観だけでも日本なら一級の観光地になるだろう。

 海抜3000メートル付近まではマツやヒマラヤ杉の針葉樹が豊富。その林の中のカーブした道で、やはり軍のトラックが一台故障で立ち往生していた。いかにもシーク教徒らしいターバンに立派な髭をたくわえた将校が、手際よく交通整理、10分ほど私たちの車がすれ違うだけのスペースを空けてくれる。

 針葉樹が少なくなるにつれ高山植物の群落が増える。植物名は分からないが、赤、黄、紫色などの小さな花をつけた高山植物が、山の斜面を埋め尽くしている。

 スイッチバック状につけられた道をのろのろと上ること1時間余り、馬が草をはむ放牧地のような所をぐるっと一回りし、山の中腹の段丘状になった所に、ラダックとヒマチャール・プラデッシュを行き来するトラックやバスの運転手や乗客相手の食堂や宿屋が十数軒集まった集落マーリMarrhiに。ここで朝食。屋外のテーブルにつくが、寒い。目の前に雪を頂く、6000メートル級の山が。中に入り、チャイと辛い漬け物をつけたチャパティを。

 高山病対策には水を飲むこと。今日通過する最高高度は4551メートル。ミネラルウォーターを2本仕入れる(30ルピー)。

 再び、スイッチバック状の道を峠の頂上に向け上る。珍しい高山植物が斜面を覆い尽くしているが、道は険しい。青い芥子の花が咲いている場所で10分ほど止まる。

 9時30分、海抜3980メートルのロータン峠に。いよいよここからチベット文化圏。色とりどりのタルチョがはためいている。ここにも夏場だけ開く茶店が数軒ある。

 峠を越えると、チャンドラ川Chandraに向かって急な道を下る。あちこちで道路工事が行われている。肌の色の黒いドラビダ系の顔をした人やネパール人のような顔をした人が家族ずれで工事にあたっている。出稼ぎとのこと。

 チャンドラ川の谷沿いの道を左(下流方向)に進むとキロンKeylongからラダックに行ける。マナリからロータン峠を越える車のほとんどは左折する。右折したのは私たちの2台の車のみ。チャンドラ川の左岸を上流に向かい走る。対向車もほとんどない。所々に雪解け水の流れが道を横切り、チャンドラ川に滝のようになって流れ落ちている。前方に氷河を抱く山はインドラサンIndrasan(6220メートル)かデオ・チッバDeoTibba(6001メートル)か。川を横切るチャッタルChhatru(3560メートル)に石積みの壁にビニールシートの屋根を張った夏場だけ開くレストハウス(茶店と言った方がよい)が2軒。トラックが2、3台とトレッキング中のヨーロッパ人が休んでいた。人家はなく、たまに放牧中の馬、羊、牛などを見かけるのみ。

チャッタルから24キロ、谷間の開けたバタルBatalのレストハウスで昼食。ここでも荷物を馬の背やポーターに担がせトレッキング中のヨーロッパ人を多く見かけた。昼食はやけに辛い青唐辛子がのったカレーとチャイ。1時間余り休憩の後、いよいよ4500メートルを越える峠に。

 断崖にしがみついているような道を車は時速10キロほどの速度でのろのろと進む。絶景に息を飲みのみそれでもビデオカメラを回し続けること1時間余り、14時過ぎ、気がつくと車はチョルテンにタルチョのはためく海抜4551メートル、クンザン峠に着いていた。寒風か吹きつける中チョルテンの周りを歩いてみる。こんな過激な環境の中でも高山植物が石ころの間に可憐な花をつけている。霧の中から一瞬氷河を抱く山稜が姿を現し、再び霧の中に消えた。高山病のことが頭をよぎるが特にその症状はない。

 峠を下ると道はサトレジ川の支流、スピティ川Spitiの谷に入る。今回の旅の最終目的地、スピティの谷だ。

 スピティ最初のチベット人集落、ロザールLosarに着いたのは16時。家屋の形態はラサ周辺のものと同様、白壁を基調とし、焦げ茶色の窓枠、平屋根の直方体の造り。畑にはチベット人の主食ツァンパの原料、チンコー麦が青い穂を垂れ、周りの茶褐色の岩山と対象的な景観。カモシカのような家畜、チルーが一頭、畑の畦道で草を食んでいた。

 道沿いの万屋(レストハウスにもなっている)でチャイを飲み一服す。

 ロザールからスピティ川右岸の段丘上の道を走ること30分余り、用水のひかれたキアトKiato付近の牧地でスタッフはキャンプ地を探す。リンドウによく似た青い花が、辺り一面に咲いていた。環境も時間的にもよいが、問題は海抜4000メートルの高度である。「高山病の危険性を考えるともう少し下った方がよいのではないか。」と進言。結局、設営が遅くなってもできるだけ低いところに下ろうということになり、予定通りカザ(Kaza)に向け、再び出発。

 ラングリックRangrikの手前で車窓から、スピティ川の対岸の岩山の上に砦のようなキー・ゴンパKi-Monasteryが見えはじめる。スピティに残る代表的なラマ教の寺院の一つである。

 ラングリックの集落を過ぎ、スピティに注ぐ支流の谷口を大きく迂回し、カザまで5、6キロの河原に着いたのは日没直前。氷河の溶けた濁流の流れる本流と伏流水が湧水となって流れ出している清流の間の中州になった河原は、水の便からトレッカーやキャンパーの野営地として普段から利用されているらしい。あちこちに野営の跡が残っている。すでに2、300メートル先にテントを張っているトレッカーがいた。

 20時、左手岩山に満月に近い月が昇ってきた。一晩中月明かりが、河原を照らし、トイレにも懐中電灯が不要であった。

 海抜3650メートル、アルコールはさけ、遅い夕食をとる。暖かいスープが旨い。

 少し頭が重いが、特に高山病の症状なし。テントを開放し、夜空を眺める。満天の星。