| インド・キンノール巡礼の旅 |
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| 1997年8月21日(木) 飛行機は欠航 |
夜明け前から天候が気になる。霧が出ていたのか、どんよりとした空模様。はたして飛行機は飛ぶのか。ネギさんは「大丈夫。」と言ったが。
7時、森田さんをはじめ河守さん、ドライバーのソハンさん、セリシンさん、コックのソワンさん、サンペルさん父子等が病室へ。本当に帰途につくのだ。
今野さんの点滴が終わらず、病室を出たのは8時。
ドクターも看護婦も姿見せず、今後のことについての指示は一切ない。付き添い、見送りの人たちの助けを借り、病室から車へ。
歩行が難しくなった私は、杖を所望した。「OK!」と出ていったプレムさん(?)が持ってきてくれたのは、突くとぐにゃりと曲がる木の枝。「これでは身体が支えられない。」と言うとつぎに持ってきてくれたのは直径5センチ程の丸太。丸太の杖をついて歩き始めるが、ちょっとした段差も越えられない。肩を貸してくれていたセリシンさんが見かねて、二階の病室から車まで背負って運んで下さる。
中庭には3台の車が用意されていた。ワンボックス型の車が2台と、タタ製の乗用車1台。ワンボックスカーはシートを倒し、マットとシーツが敷かれていた。有川さんと今野さんが横になれるようにという配慮からである。
私はタタ製の車、隣に河守さんが乗る。二人の車にはそれぞれサンペルさんとインストラクターのネギさんが付き添う。
森田さんやスタッフの方々、その他多くのお世話になった方々に見送られ、病院を離れる。言葉では言い表せない感謝の気持ち。ただ手を合わせ、「ありがとう。」「サンキュウ。」と繰り返すのみ。充分お礼ができないまま帰国の途につく心苦しさから、森田さんに財布に残っていた20ドル紙幣2枚を預けた。
クルまでの車中、河守さんから、土石流発生後の現場の様子や河守さんの行動について話をうかがった。夜中に再度大きな土石流が起こったらしく、上手に残っていたトラックも谷に転落、巨大な石に押しつぶされていたこと。私たちのジープは1台のみ屋根の一部が土砂の中から見えていたこと。フランス人の一行から食事、シュラフなどの提供をうけたこと。セリシンさんはまだローンの残っているジープを失い、大変落ち込んでいたこと。2,3日内に埋まったジープの掘り出しに行くらしいこと。いつもは車の中に残っている河守さんが、あの時、今野さんの「降りませんか。」の一声で、降りてみようと思い、それが命拾いにつながった話。「風来坊」の様子。等々。
しかし、話の最後は、あの土石流で、しかも流されながら、全員助かったことの幸運、みんな揃ってこうして帰国の途についていることの喜びであった。
クルの空港には10時頃に着いた。2台の車が着くのを待って、待合室に。丸太の杖、気の毒に思ったのか、ドライバーが木製のステッキを4本買ってきて下さる。
空港には車椅子が一台あり、重用する。河守さんの買ってきて下さったコーラ、しばらく飲み物と言えばマンゴジュースとミネラルウォーターそれにチャイであっただけに、喉に滲み、一気に1本飲み干してしまう。
私たちを含め十数人の乗客が集まるが、飛行機到着せず。幾分風があるものの、空港上空には晴れ間があり、小型機でも着陸はできそうであったが。
サンペルさんの話によると、シムラまで来て、様子を見ているそうだ。どうもシムラの周辺の天候が悪いらしい。山岳地帯をしかも低空で飛ぶだけに、天気の変わりやすい雨季には欠航になることが多く、四分六で欠航になる方が多いとか。
滑走路の方で爆音が聞こえてきたので飛行機が来たのかと思えば、軍のヘリコプターが2機。待てど結局来ず。15時半になって欠航が決まる。延々5時間半待ちぼうけ。
有川さんの様態悪し。車に積んでいたマットを待合室の土間にひき横に。今野さんもかなり苦しそう。食べたり、飲んだりすると吐き気をもよおすそうで、水を口に含むだけ。乗客にはランチボックスが配られ、私はその中のサンドウィッチを一ついただいたが、その間、それ以外にはバナナを2本食べたのみ。
欠航が決まり、クルまたはマナリで明日の便を待つか、車でデリーに向かうか相談。明日の便を待っても明日必ず飛ぶという保証はない。それどころか、明日も欠航の可能性の方が高い。もし欠航すれば明日の全日空(デリー発成田行き)には乗れないことになる。しかし、車で行くとデリーまで15,6時間かかる。有川さんと今野さんの様態を考えると過酷すぎる。考えたあげく、今日はとりあえずチャンディガルまで行き、チャンディガルのホテルで一泊し、休息をとり、明日朝デリーに向かうことで意見が一致。
今野さんの乗ってきた車はマナリに戻し、新しくクルで乗用車を一台借り、ネギさんのワンボックスカー、私の乗っていたタタの乗用車の3台に分乗、16時に再びチャンディガルに向かい出発。 今度は河村さんは今野さんに付き添い、私の車にはサンペルさんが付き添って下さる。マンディの先までは16日に通った道。飛行機が飛ばなかったはず、しだいに雲域が険しくなり、マンディでは大粒の雨が。ロータン峠を境に、まったく異なる気候環境。雨季の豪雨に悩まされているヒマーチャル・プラデッシュの姿がそこにはあった。あちこちに残る土砂崩れや地滑りの跡は今年の雨季の傷跡。まだしばらく続きそうな気配。
マンディの町を越えたところで停車。左前輪パンク。修理のためサンダーナガルSundernagar(1175メートル)に立ち寄る。
19時過ぎ、夕闇迫る頃、サトレジ川を渡る。数日前、サトレジの上流を巡っていたのが遠い過去の出来事のように感じる。
真っ黒な排気ガスを吹きながらノロノロと走るトラックを追い越し、追い越し、ほとんど舗装されていない石ころだらけの21号線をチャンディガルに向かってひた走る。
それにしてもトラックが多い。もちろん排ガス規制のようなものもまだないのだろう。難しい問題ではあるが、地球環境を考えるとき、発展途上国の現状を抜きにしてはまったく無意味なものになる。
ある一定間隔にドライバー相手のドライブイン(何軒かの食堂、食料品店、雑貨店からなる)がある。真っ暗な山道の中でも、道の両側にトラックが停車していれば、その先にカレー鍋を何個も並べた食堂がある。
オーバーヒートのため、給油のため(軽油1リットル8.1ルピー)、休息のため、何度か止まったが、ほぼ予定通り、23時、チャンディガルのホテルに着いた。
ホテル(Hotel MONARCH、351-352,Sector35-B,Chandigarh)は、新市街地に立地しているらしく、広い道に面し、何軒かの新築されたばかりのホテルが並ぶ中の一つであった。 3階建てだったか4階建てだったかはっきりしないが、玄関ロビーは余り広くなく、フロントの横に階段があり、その階段を二人のボーイに両脇を抱えられながら二階の部屋に案内された。抱えられながらもかなり苦痛であった。「エレベーターがないのに、二階の部屋か。」とつい恨み言を言う。しかし、部屋は清潔で、バスルームもあった。湯もふんだんに出る。入浴は無理であったが、事故以来はじめて洗面台で頭を洗い、身体を拭く。髪の毛から、砂がこぼれる。
サンペルさんが食事の注文を聞きに来る。「卵の入っていないものなら。」と返事をしていたところ持ってこられたのは、スープと卵入りの焼きそば。ビールを注文したが持ってこず。スープだけの遅い夕食。