| インド・キンノール巡礼の旅 |
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| 1997年8月22日(金) やっとデリー、そして帰国 |
6時に、モーニングティのサービスで起こされる。2時過ぎに寝たので、睡眠時間は4時間弱。6時半にはホテルを立つ。 車も今野さんの乗っていた車以外はチャンディガルナンバーの車に替わる。「エアコンの入っていない車は、ここから先は使えないから」とサンペルさん。早朝出発も、できるだけ気温が上昇する昼前にデリーに着きたいからと。
チャンディガル〜デリー(約280q)はアジアハイウェー1号線の一部。車線拡幅の工事中の部分も残されているが、ヒマーチャル・プラデッシュの道路とは比較にならないほど整備されている。交通量は多いが、渋滞箇所もデリーに入るまでほとんどなく、時速70q前後で順調に走れた。
道路の両側には延々と街路樹が続き、背後の土地利用を十分確認することはできなかったが、灌漑施設の整った低地部は水田(一部では刈り入れ)、その他はサトウキビやトウモロコシの畑が多いようであった。
パンジャブ州はシーク教徒の多いことで知られているが、ハリアナ州に入っても、あちこちで玉葱型の屋根をもったシーク教の寺院を見かける。スクールバスを待つ、子供の中にも髪の毛を青い布でくるんだシーク教徒特有の髪型の者が目立つ。こざっぱりした服装に、シーク教徒の豊かさをみる。
8時頃、ドライブインで朝食を摂った以外は、ただひたすらデリーに向かって走る。
11時過ぎ、デリーのテリトリーに入る。
睡眠不足と疲労から、デリーに入ってから1時間ほど眠っていた。オーバーヒート気味なのか、ドライバーがエアコンを切る。むっとした暑さが車内に充満する。8月のデリーの蒸し暑さを体感する。
河守さんの希望で昨夜の宿泊を予約していたホテル(Kairali Ayurvedic Health Resort)を探す。ニューデリー南郊の観光地、クタブ・ミーナールの側で、道を尋ねる。このミーナール、一度来ておきたいと思いながら、過去二回のインド旅行とも立ち寄れなかったところ。思わぬことで遠望することができた。観光客とはいえもはや観光のできる身体でも身なりでもない私たちでも、やはり金持ち日本人に見えるのか、道を尋ねている間、物売りの少年が窓の側から離れない。
こんな場所にと思われるような、通りから細い路地を入ったところに、そのホテルはあった。ホテルというより、その名の通りエステニック・サロンと宿泊施設がドッキングしたようなもの。「インド式マッサージやベジタブルフードでリフレッシュを。」と言うところか。ここ目当てにやって来る日本人も多いそうだ。
残念ながら、今回はそれどころではない。19時35分発の飛行機待ち合わせのため、3時間ばかり休憩するだけ。
ドライブインで河守さんに買っていただいた下着に着替え、ベッドに横になるが、エアコンもなく天井からぶらさがった大きなファンが回っているだけの部屋は蒸し暑く、とても眠れる状態ではない。ロビーの方が少しまし。
有川さんはデリーの旅行社の車で、日本への連絡に出かける。
出かけて間もなく、日本から国際電話が入る。「旅行社」の宮田さんからだった。有川さんとは行き違いになったようだ。私も今後の予定について、家に連絡を取りたかったので、代わって電話に出させてもらう。[マナリから電話をしたときには、家の方に、一人でも予定通り関空に帰るつもりであると告げていたが、二・三歩動くのも儘ならぬ状態では、とても一人で、香港で乗り換えたり、長いコンコースを移動するのは無理と判断。有川さん、今野さんと同じ、全日空のバンコック経由成田行きNH0926に乗ることに決めた(河守さんも25日までデリーに滞在の予定を変更、一緒の便で帰国)。]すでに、森田さんから予定変更の連絡は「旅行社」にあり、「旅行社」から家に連絡、家族が成田まで迎えに出てくる手はずになっているとのこと。「今晩には、奥さんと息子さんが成田のホテルに宿泊されることになっており、多分、もう東京に着かれているはずです。」との話に、安堵する。すっかり、家族に迷惑をかけてしまった。
ベジタブル・フードの昼食も今ひとつ食欲がわかず、果物やコーラなど水気のものばかり、身体が要求する。
空港に出発するまで、少し時間があり、河守さんはマッサージに出かける。
4時半頃、デリーの旅行社のマイクロバスで空港に向かう。
空港内は車椅子。全日空の責任者が来られ、「事情はお聞きしています。大変でしたね。できるだけのことはさせていただきます。乗務員にも連絡しておりますので。」と丁寧な応対。
マナリから付き添ってくれたサンペルさんとも別れ、出国手続き。
手荷物の検査は相変わらず厳重。壊れたカメラとビデオのバッテリーを外すのを忘れていたため、チェックされる。しかし、「それは壊れています。」の一言で了解される。何しろ泥だらけでとても使える状態ではなかったから。
ギブスの部分や包帯を巻いた部分を馬鹿丁寧に金属探知器で撫で回すのは、テロ事件を起こすものがいる以上やむおえないこととは思いつつも、腹立たしさが残った。
搭乗までの20分ほど、免税ショップで買い物。こんな状態で土産でもないと思いながらも、Tシャツやスカーフ、ベストなど買う。
仕事とはいえ、バスを降りたところからずっと車椅子を押してくれたポーターにも感謝。
全日空NH0926便のクルーの親切な応対も心に残る。空席が多かったことも幸いし、車椅子の三人は後部の中央の並んだ三座席を一人ずつに割り当ててくれた。おかげで、成田までの10時間余りを横になって帰国することができた。
バンコクでの乗員交替に当たっては、交替要員に丁寧な引継をなされたばかりか、本来トランジット・パッシェンジャーとして機内清掃時間は一度機を離れる必要があるが、特別扱いでバンコク駐機中の1時間、機内で横になっていることができた。
日本時間、23日午前10時、定刻に成田空港に着いた。乗客が前部の出口より出たあとで、私たちは後部出口より、車椅子の乗客のための特別仕様車、リフト付きの車に移され、ターミナルビルに。全日空の方に案内され、車椅子のまま、入国・入関手続きを済ませ、家族の待つ特別待合室に。準備されていた待合室が全日空の方には伝わっていなかったのか、少し手間取ったが。待合室の前で不安そうに待つ妻子が見えた。今野さんのご主人と息子さんたちも。
ターミナルビル内で、昼食をとり、成田エクスプレス、のぞみを乗り継ぎその日の5時前に帰岡。JR東京駅、岡山駅共に車椅子を用意していただき、駅員の親切に感激する。