| チベットの旅 |
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| 1995年8月17日(木) 青海湖を経てチャカへ |
起床後、家に電話を入れる。
8時43分、いよいよ青蔵公路の旅に出発。気温17.8C。
8時55分、青蔵公路起点の碑の前に立つ。ここからラサまで2000キロ。何か身体が引き締まる思い。 出発前に予備知識として、チベット関係のガイドブックや旅行記、調査記録など目を通していて一番ひっかかっていたのが、高山病の恐ろしさだった。「年齢や性別に関係なく、しかも体力のあるなしに関わらず、低地に住む者は軽重の差こそあれ高山病にかかる。重症になれば致死率が高く、チベットを訪れる観光客の中にも毎年犠牲者がある。」との一文である。
年齢・健康状態など考え、大丈夫と自分に言い聞かせるものの出発まで気がかりではあった。いきなりラサに飛ぶコースを避け、海抜2000メートルの西寧で2泊し、次第に海抜高度を上げる青蔵公路バスの旅を選んだのも、一つは高山病対策であった。しかし、いざとなると高山病の不安もよぎる。
湟源まではポプラ並木の間の舗装された道。沿道で芽ニンニクを売っている人目立つ。
湟源は人通り多く、バス停混雑。バスが止まると蒸しトウモロコシや饅頭を盆に盛った売り子が群がる。
10時30分、最初のトイレ休憩。数戸のアトベ(日干し煉瓦)造り、平屋根の民家 が集まった村点在。村の周辺は小麦畑と菜種畑。高度が増してきたためか、西寧付近では盛りを過ぎていた菜種がまだ黄色の花をつけている。
前方、峠の頂きに、道を挟んで小さなお堂が二つ。登りつめるとそこが、西暦640年、吐蕃に嫁ぐ文成公主が唐に別れを告げたという日月山の日月亭であった。亭内には1987年に青海省人民政府の建立した文成公主進蔵記念碑がある。またここには734年に建てられた唐蕃分界碑の碑座が残っている。気温8℃。風強く、寒さに震える。海抜3520メートル、お堂から倒淌河方向を見下ろすと広大な草原に羊の群、今登ってきた道沿いにはアドベ造り、土塀に囲まれた民家が。チベット族牧民の家とのこと。土塀は家畜囲いになっている。寒い寒いと言いながら20分ほどでバスに戻る。
日月山から下ったところが倒淌河。真っ直ぐ進めばかつての唐蕃道。黄河の源流域を経てラサに至る。青海湖は元来この部分で黄河と結ばれていたと言われている。地殻変動によって日月山などの山塊が生まれ、青海湖は内陸湖になったと言う。
やがて右手車窓に中国最大の塩湖、青海湖が見えてきた。海抜3197メートル、周囲360キロ、面積4456ku。琵琶湖の6.6倍。名前の通り青い湖面。湖畔には菜の花が咲き乱れ、蜜蜂の群舞している。フロントガラスに蜜蜂がぶつかり、その死骸と蜂蜜で視野が妨げられるほどベタベタに汚れる。
12時、湖畔の青海湖賓館にて昼食。チベット族のガイドのDさんがチベットの主食ツァンパをねって試食させてくれる。特にうまくもまずくもなし。しかし、ここの名物は何と言っても湖で獲れる魚、湟魚。最近は乱獲によって漁獲量が減り、高価になったとか。30pほどの湟魚がでる。淡泊な魚でナマズの味に似ていた。
食後、湖岸まで下り、湖水に触れる。なめてみると微かに塩辛い。
賓館の位置は地図でみると青海湖魚場となっている。防波堤に囲まれた小さな港を中心に、チベッタン・パオを模したロッジが造られており、省政府が観光開発に力を入れている様子を窺うことができる。長野県が建てた宿泊研修施設もあり、今後日本人観光客がどっと押し寄せることだろう。レストラン前の広場にポッンと立っているチベット族の幸運のシンボル、ルンタ(風の馬)像や観光客目当てのラクダもそのうちここの名所・名物になるかも知れない。
大学の先輩とわかったHさんと湖岸で記念撮影。
13時30分、再び湖の南岸沿いの公路を西に向かう。
菜の花の蜜を求めてやってきた養蜂家のキャンプが至る所にある。
黒馬河で公路から離れ、青海湖西岸道路に入る。黒馬河付近から先の湖岸一帯は緑豊かな草原地帯。馬、ロバ、ヤク、羊などが放牧されている。土塀に囲まれた民家も散在するが、チベット族のテント(チベッタン・パオ)もあちこちに張られており、遊牧民の夏営地になっている様子。
石乃亥という村を過ぎ、しばらく走ると幅2、30メートル程の川があり、川向こうには新しいラマ教寺院や仏塔がひときわ目立つ集落があった。ここが、青海湖の名所、渡り鳥の繁殖地として知られる鳥島の入口だった。また、この川が青海湖に注ぐ最大の川、布哈河であった。
この集落にある鳥島賓館で鳥島への入園券を買う。賓館前には、鳥島まで足のない人を目当てにしてか馬を連れた村人がたむろしていた。
15時50分、鳥島着。島と言っても現在は布哈河の堆積物により陸続きになっている。
紫色の花の群落は野生のネギ。よく見ると至る所にモルモットに似たナキウサギがいる。
近づくと急いで小さな巣穴に逃げ込むが、しばらくするとまた顔をのぞかせ愛くるしい目で侵入者の様子を窺っている。
3週間ほど前までは、おびただしい数の渡り鳥で溢れていたという鳥島も、8月の中旬ともなればほとんど残っておらず、見所の一つになっている小島(大岩)に鵜が十数羽いただけ。もう一つ地下壕に入って身近から観察できる場所もあるということではあったが、鳥が居ないのでは行っても仕方がないということで中止。
鳥は居なくても青海湖の眺望には最適。青い湖面の彼方、水平線上に海抜3266メートル、湖面から170メートルほどの島、海心山が見える。この島はラマ教の聖地としても知られている。
添乗員のTOさんが西寧で買ってきたスイカを切る。乾いた喉にしみこむ。
16時30分、鳥島発。黒馬河まで70キロの道を戻り、青蔵公路へ。
黒馬河は食堂、旅荘等が集まった宿場町のような集落。ここから公路は上り坂になる。車窓からは放牧地の向こうに青海湖が白く輝いて見える。青海湖の南側には、海抜4000〜4600メートルほどの青海南山の山並みがある。緩やかな斜面は夏の間緑の草に覆われ最良の放牧地になっている。チベット族の遊牧民がヤクや羊を追う姿や黒っぽいヤクの毛で造られたチベッタン・パオをあちこちで見ることができた。
18時、この日の最高度地点海抜3817メートルのシャンピ(橡皮)山の峠を越えた。峠と言っても緩やかな山の鞍部、ヤクが数頭草を食んでいた。峠から青蔵公路最初の宿、チャカ塩廠賓館までは80キロ。峠を下ると植生がしだいに変化してくる。少し刺々しい草が疎らに生え、乾燥したステップの様相。左手遠くに線状に白く光る湖、チャカ塩湖が見えはじめた頃から急に気分が悪くなる。頭痛がして、全身がだるい。
19時、賓館着。玄関を入ると中庭のような中空のロビーがあり、二階建てになった部屋がロの字型にそれを取り囲んだ造り。部屋割りを待つのも苦しい。二階213号室。荷物をもって階段を上るのに何度も途中で立ち止まる始末。7時30分からの夕食。テーブルについたものの食欲がなく、お茶を一口飲んで部屋に戻る。着替えもそこそこにベッドに横になった。
夜中に2、3度目が覚めたが幸いよく眠れ、停電があったことも後から聞かされた。