| チベットの旅 |
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| 1995年8月19日(土) クンルン山脈を越え青蔵高原に |
7時30分、朝食。雑穀粥がうまい。
8時35分、賓館出発。運転手はOさんに、Kさん。昨日までのエアーコン付きのマイクロバスから西 蔵のナンバープレートをつけた旧式の大型バスに乗り換える。
洗濯板のようになった道路の凹凸が直接全身に伝わり、車体全体ががたがたと音をたてる。ゴルム ド川に沿ってひたすら登る。もうすでに耕作限界を越えたのではと思われるような荒漠とした岩山の 間に緑の絨毯を敷いたような農場が現れ驚かされる。文化革命期のスローガン「農業はターチャイに 学び、工業はターチンに学べ。」を思い出す。いつの間にか海抜高度は4000メートルを超え、丈の短 い植物が石ころだらけの地面に疎らに生えているだけの植生に変わっている。過酷な自然は補修して も補修しても人の手になる道路を破壊する。至る所で道路工事が行われている。その度に通行止めに あったり、迂回路に入り、数キロの道に一時間近く費やすことも。ブルハンブダ山の麓、西大灘の清 真料理の食堂(友誼餐庁)で昼食を摂る。ナンと香草ののったうどんを生のニンニクを囓りながら食 べる。生のニンニクの舌を刺す辛さに食欲のなさをごまかして。西大灘は青蔵公路に沿ってできたド ライブイン集落。ドライバー目当ての食堂や小さな旅館が二十軒余り並んでいる。トラックターに乗っ てやってきた砂金堀の男が数人、隅のテーブルでうどんをすすっていた。万年雪と氷河に覆われたブ ルハンブダ山の延長にはクンルン山脈の山並みが続く。ブルハンブダ山を左手に見ながら走ること約 一時間、かつて多くの旅人を苦しめ、多くの犠牲者を出したクンルン山脈の峠、クンルン山口に着く。 ここからタングラ山脈までの約500キロメートルが青蔵高原。クンルン山口は海抜4720メートル。タル チョ(祈祷旗)のはためく道標で感激の記念撮影。ビデオカメラを回しながら、一方で写真も撮す。 走っているときは車窓に釘付け、停車すれば植物や石ころの一つ一つに関心を持ち、うろうろと歩き 回る。高山病予防の上からは御法度の激しい運動(?)の結果、またもや息苦しさと頭痛という高山 病特有の症状がでる。頻繁に水を飲み、深呼吸を繰り返す。どんよりと灰色の雲が垂れ下がった青蔵 高原には遊牧民の姿もなく、人家といえば数十キロごとの公路管理機関の建物のみ。車窓を流れる薄 暗く荒涼とした風景を眺めていると、自然に体調の変化に気持ちが移り、車体の振動がますます頭に 響く。運転席の横に置いた酸素袋に心がひかれ、ともすれば「酸素を吸わせてくれ。」と叫びたくな る。しかし、一度酸素を口にすれば、これから後、酸素袋が手放されなくなってしまい、車とホテル に缶詰めになる恐れもある。ここは我慢しかないと、水を飲み、深呼吸を繰り返す。行動が緩慢にな り、一時間に一度のトイレ休憩(水を大量に飲むため頻繁に通うことになる)も、バスの乗り降りに 時間がかかる。みんなの動きがまるでスローモーション映像の様。バスの左右に雪解けによってでき た大小の湖沼が分布する。長江の支流、チュマル河を渡る。長江最上流から三番目の橋。海抜4600メー トルのウータオリャン(五道梁)は公路工事関係の建物とドライバー、旅行者相手の食堂と旅荘から なる集落。限られた短い夏の間しか補修のできぬ公路。酷寒の長い冬や雪解けによってまた崩壊する。 毎年繰り返される補修工事。公路の維持の難しさを思うとこの過酷な自然の中で働く関係者には頭が 下がる。この日の最高度地点海抜5010メートルの風火山口はゆるやかな起伏の鞍部。高山病を気にす るガイドの配慮で、スピードを落としただけで通過する。予定より遅れ、日没後の午後9時、宿泊地、 トトホー(沱沱河)沿着。臨夏清真飯館に寄り遅い夕食。食欲は全くなし。街灯のない日干し煉瓦の 家並みは暗闇に立ちはだかる真っ黒な壁。招待所のみはそれでも玄関の明かりが灯されており救われ る思い。トイレやシャワーは付いていないが、部屋は清潔。頭痛に悪寒。懐中電灯だけ枕元に置き、 服を着たままベッドにもぐり込む。震え止まらず。濡れガーゼで頭を冷やし、何度も水を含み、深呼 吸を繰り替えすが、治まらず。気持ちよさそうに寝息をたてる相部屋のTさんを恨めしく思いながら 結局一睡もできず、やむおえず5時頃に頓服を飲む。頭痛だけは少し治まるが、身体がふらつき隣のト イレまで行くのも苦痛。