| チベットの旅 |
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| 1995年8月20日(日) 長江の源流、沱沱河よりチャンタン高原の町那曲 へ |
7時30分、まだ薄暗い中、招待所を立つ。沱沱河は長江本流の最上流にあたる。沱沱河沿集落の手 前、長さ2、300メートルほどの橋が長江最上流の橋(長江第一橋)となる。橋上でしばらく白濁した 河の流れを眺める。昨夜雪でも降ったのか、上流部の低い山波(実際は海抜5000メートル余りの山) も白く薄化粧をしている。元気のいいMさんは河原まで下りて、長江源流の水に手を浸け、感嘆の声 をあげている。温度計をだしてみると、4℃であった。
左手に長江の支流通天河とそのまた支流が複雑に入り込んだ高原は意外に緑が豊かな草原。しかし、 ヤクの放牧は限られた所でしかみられない。ガイドの話によると放牧地は管理されており、放牧の場 所と期間が決められているそうだ。豊かそうな草原もヤクや羊の増加、畑地の拡大に伴い、しだいに 不足し、遊牧民の生活を苦しめているとか。草原の中を網状流の白い曲線がどこまでも続いている。 通天河の支流、布曲沿いの集落、イェンシーピン(雁石泙)にて朝食。ナン、粥、にラッキョウ、 梅干しを出す。イェンシーピンも公路管理事務所を中心に食堂や旅荘が並ぶドライブイン集落。布曲 が大きく蛇行した滑走斜面の段丘上に道路を挟んで数十軒の平屋根、煉瓦造りの建物があるのみ。土 塀の上で回族の子どもが遊んでいる。背後の急斜面の山は緑の牧草に覆われ、ヤクが放牧されており、 山頂近くにはタルチョがはためいている。
イェンシーピンから30分余り、温泉兵站を過ぎ、峠道を抜けると突然前方に氷雪を抱いた山塊が広 々とした草原の向こうに現れる。タングラ(唐古拉)山脈に属する山塊と思われる。幾筋もの谷氷河 が発達している。公路はこの山塊を迂回するように遠巻きに通っている。左手にこの山塊を見ながら 走ること20分程で温泉と名付けられた集落に至る。名前の通り温泉が湧いているとのことであるが立 ち寄ることもなく通過。この旅での最高度地点、青海省とチベット自治区の境界にもなっているタン グラ山脈の峠、タングラ山口に向かって走る。唐古拉兵站から先の峠道ではまたもや道路工事中。幸 い右手にはタングラ山脈の最高峰タングラ山6099メートル(長江の水源)の真っ白な頂が望め、左手 にはカールの発達した幾つかの峰が続く絶好の場所。下車し写真を撮る。車窓からは見事な緑の草原 も、身近で見れば丈がわずか4、5センチの高山植物や地面に這いつくばった蘚苔類・地衣類。多数のヤク や羊が放牧されれば、短期間で植生は失われるだろう。広大な土地で、植物を根絶やししないように 気を付けながら行われる遊牧こそ、この過酷な自然に最も適した生産活動であることを再認識。
14時丁度、海抜5234メートルのタングラ山口に着く。峠と言っても高原の一部のような山脈の鞍部。 風が強く、タルチョが千切れんばかりにはためいている。気温は5℃位か。故障したのか峠上でトラッ クが一台止まっている。第二次大戦のさなかこの峠を越えた日本人(西川一三)がいた。当時は車が 通る道もなく、高山病に悩まされながら何ヶ月もかけ、常に死と向かい合いながらの危険極まりない 旅だった。それを考えれば我々の旅は、当時ではとても考えられない、車に揺られてわずか5日の楽な (?)旅。しかし、高山病は楽な我々の旅をも襲う。ついに酸素の恩恵を浴する仲間も現れる。みん な無口になり、バスの振動に顔を歪める。タングラ山口を越えれば後は下りという「薬」はあれど、 ラサまでは4000メートルを越えるチャンタン高原が延々と続く。
チベット自治区、チャンタン高原に入ると大草原多く、ヤクや羊の放牧が増える。16時、納曲の流 れに沿うアムド(安多)にて、給油そして遅い昼食。ドテラのようなチベット服(チュパ)の人が増 える。公路沿いの食堂、日本風に言えば「飯や」清真大馬家飯館にてきしめん風のラーメンとお茶を いただく。麺類は3.5元から4元。西寧などに比べ少し高い。輸送費を考えれば当然か。
アムド付近には石灰岩が多く、カレンフェルトなどのカルスト地形が見られる。アムドからナチュ (那曲)までは116キロ、2時間半の道のりだった。途中、草原の中に100張以上の白いテントが建てら れ、大自然の中で祭りを楽しむ人々を見かけた。また、頭痛をもたらす海抜4800メートルの中格里貢 山の峠も越えた。
20時、日没前にナチュに着いた。白い壁の家や土塀がやけに多く、窓の縁や屋根際に赤、青、茶色 で唐草などの装飾模様が描かれている。埃っぽく、泥泥とした人通りの少ない町ではあるが、ゴルム ドから838キロ、やっと町らしい町に出会った。人民路に面した那曲飯店が今夜の宿。最近改築された とか。ペンキやニスの臭いが部屋に充満している。バス、トイレ付きではあるが、お湯は出ず。しか し、テレビは鮮明に映り、抗日勝利10年の特集番組をしていた。
夕食は、ゴルムドで買い込んだハミウリを切り、相部屋のTさんからいただいた粥とシーフードの カップ麺で済ます。元気だったTさんも風邪気味とかで、少し体調悪そう。
22時にはベッドにもぐり込むが右目奥のきりきりとした痛みが続き、1、2時間ウトウトしただけで、 またもや苦痛の長い夜を過ごす。