| チベットの旅 |
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| 1995年8月21日(月) いよいよラサ |
朝食もキャンセル。昨夜残したハミウリと小さな梨を一個食べ、鎮痛剤代わりに風邪薬を飲む。
8時、人民路の彼方から朝日が昇る。光の筋が顔の真正面にあたる。薄霧を通過する光が黄金色の筋 になって通りを照らし、逆光から見る通行人や家畜の群のシルエットが美しい。メインストリートの 人民路も未舗装。
8時半、ナチュを出発。ラサまで350キロ、青蔵公路2000キロ、最後の日。ナチュを出て間もなく、 公路沿いをラサに向け、巡礼中のチベット人に出会う。五体投地を繰り返しながらの気の遠くなるよ うな過酷で厳しい巡礼。しかし、車窓に向けられた、恥かむような彼らの目には、苦痛より巡礼の歓 びが溢れていた。
バスは前方に海抜7162メートルのニエンチェンタングラ(念青唐古拉)山の白峰を見ながら、緩や かな起伏のチャンタン高原を走る。あちこちに大小の氷河湖が散在する。点在する日干し煉瓦造りの 家屋は牧民の住まい。チベットの遊牧民のすべてが年中テント暮らしで、移動生活をしているのでは ない。ほとんどの牧民は夏は放牧地でテント生活、冬は固定した家屋に住んでいる。
10時、ニエンチェンクングラ山塊東麓の広々とした草原の中でトイレ休憩をとる。草原いっぱいに 広がる羊の群。すばらしい景色にみとれているといつのまに現れたのか二人の少年。ガイドのSさん はチベット語が苦手とか。あまり聞き取りはできなかったが、羊の世話をしているらしく、歳は13と 19才。背が低く、顔つきも幼く、見かけ二人とも10才前後の感じ。チベットの人はみな肌の色が茶褐 色で薄汚れた感じがするが、紫外線の強さ、顔を洗う習慣のないことなど考えれば頷ける。彼らは数 キロ離れた所に見える土塀に囲まれた家屋が数戸集まった村に住んでいるとのこと。
11時過ぎ、道沿いの小丘に石を積み上げて造った大きなラチェ(石積塚)があり下車。ラチェの周 囲には色とりどりのタルチョがはためき、ルンタ(風の馬)と呼ばれる護符の印刷された紙片が大量 に撒かれている。後からやってきたチベット人の様子を見ていると何やら呟きながらラチェを右回り に回り、ルンタを撒いている。ルンタには馬と経文のようなものが印刷していた。これを撒くことに よって無病息災、家内安全の御利益があるとのこと。
ラチェを臨む丘の斜面から澄んだ歌声が聞こえてくる。見上げてみると牧童が一人、羊の群を追い ながら歌っている。足下には黄色や紫色の可憐な花が。思わずその場に座り込み、なぜかここはチベッ トなのだという感慨に浸ってしまう。
12時丁度、昼食予定の当雄に着く。ここも、公共機関などの建物もあるが、道路を挟んで食堂や雑 貨や食料品店などが並ぶ市場町かドライブイン集落と言ったところ。しばらくぶりにテーブルにナス、 ヒラタケ、キュウリ、ニガウリなどの炒め物が並び、米飯にキャベツのスープ。店の看板を見ると、 四川達縣飯店となっている。我々が珍しいのか、豪華(?)な食卓に見とれているのか入口や窓から 覗く者の多いこと。好奇心に満ちた視線を気にしながらも、食欲が増した者も多く、久しぶりに食が 進む。
通りには放し飼いにされた牛が多く、まるでインドの田舎町にいるよう。 当雄を発車して間もなく、草原の中、無数のヤクの群と遊牧民のテントが現れる。この旅行で一度 は是非訪ねたいと思っていたのが遊牧民。大声をあげ、停車してもらう。道から150メートルほどのと ころにテントが2棟、その周りにヤクが数十頭。4、500メートル程の間隔をおいて別の群とテントが。 広い草原に一定の間隔をとって何家族もの牧民が生活している。テントはヤクの毛で編んだ布をつな ぎ合わせ作られている。何本もの支柱を使い、杭とロープで家型に張られている。四方八方に長いロー プをのばし、裾の部分はしっかりと杭で固定されているため強風でも倒れることはないという。その 形を形容し、「巨大な黒蜘蛛」という。我々が近づくと、最初は驚いた様子でこちらを見つめていた 牧民の家族も、ヤクの乳搾りを撮らしてくれたり、テントの中に招き入れて、ヤクのバターやチーズ をご馳走してくれた。テントの中は、周りに大きな石と家財を並べ風よけにし、中央に炉を設け煮炊 きと暖房に供し、地面の上には直に絨毯をひいている。一番奥に小さなタンカ(仏画の掛け軸)を掛 けた仏壇が設けられており、寝具の毛皮やバター茶の道具、バター、チーズ、ツァンパの入った容器 などが整然と並べられている。屋根の部分には煙出しの穴があるが、少し煤けており、バターの臭い が充満していた。少しいただいたバターは冷たくさっぱりしており、とろけるような舌の感触はアイ スクリームを食べているようであった。
搾乳中のヤクは長いロープに何頭も繋がれ、順番を待っている。このあたりでのヤク一頭の値段は 約2000元とか。一家族で少なくとも数十頭は飼養しているから遊牧民は意外に財産持ちということに なる。
テントの周囲にはヤクの糞が積み上げられており、燃料には事欠かない。また、テントを張るロー プは物干しロープとしても利用されている。風呂敷大の敷物の上に並べられているのは団子にしたチー ズ。乾燥させ冬用の保存食にするそうだ。
どこからやってきたのか、子どもが集まってくる。見るもの、聞くもの、あらゆるものに興味は尽 きないが、ガイドはどうも長居を嫌っている様子。漢族のガイドにとっては外国人がチベット族と直 接接触するのを避けたいところだろうか。牧民の暖かいもてなしに感謝しつつ別れる。
右手にカールやホルン、谷氷河の発達したニエンチェンタングラの山並みを眺めながら1時間ほど走 ると車窓に菜の花畑が飛び込んでくる。かなり海抜高度が下がったようだ。2時50分、シガツェ方面へ の分岐点、ヤンパーチェン(羊八井)を通過。ラサも近い。ヤンパーチェンを過ぎると渓谷に入る。 植生も変わり、柳などの樹木も見られるようになる。谷間の開けたところで最後のトイレ休憩をとる。 川の両岸の段丘上は一面チベット人の主食ツァンパのもとになるチンコー麦が栽培されている。樋堰 から氷河の溶けた緑白色をした水が勢いよく用水に流れ込み、畑を潤している。ヤクも姿を消し、牛 や馬が中心になる。
谷幅が広がり、道路の路面が滑らかになり、街路樹が切れ目無く続き、建物が増え、やがてラサの 市街地に入った。バスは金珠西路と民族(リンコール西)路の三叉路、青蔵公路開通記念碑(1984年 建立)前に着く。4時35分、西寧〜ラサ、2000キロのバスの旅の終着である。碑の基壇に建てると建物 の間にポタラ宮の黄金の屋根がキラリと光っている。感慨無量。何度も何度も写真で見たラサに、今、 自分が居ると言うことが。
碑をぐるっと回ると裏側には滔々としたキチュ(ラサ)河の流れが。
民族路に面したホリデーイン・ラサまではわずか2、3分。
秘境チベットのイメージとはほど遠い立派なホテル。3泊する部屋は2231号室。
時間帯によっては国際電話は通じにくく、ロビーの公衆電話でテレホンカードを利用すると確実と のこと。ただし、100元のカードが200元とか。部屋に着いてすぐ家に電話を入れる。一回で繋がる。 日本では中国の核実験が大きなニュースになっているとのこと。いつものことながらこの種のニュー スは中国国内では報道されることがない。
6時30分よりホテルのレストラン「エベレスト」で夕食。チケットを持っていきバイキング方式。サ ラダもあればステーキもある。久しぶりの洋食。コーヒーも何日ぶりか。 1万円両替(818元)、1元 =12.2円。少し割高。
さすが高級ホテル、売店の商品価格の高いこと。絵はがき2枚でなんと10元。日本までの送料が 2.3元なのに。
庭ではがきを書き、フロントに預ける。
ホテルの門前に四川省からの出稼ぎチベット族がマニ車やナイフ、山珊瑚などの装飾品を並べてい る。値段は交渉次第。ガイドのSさんの弁によれば骨董品らしきものもすべて偽物とのこと。
8時30分〜9時35分まで、Sさん、Tさんと民族路に沿って開通記念碑のあるキチュ河河畔まで散歩。 Sさんの生い立ちやラサの現状、チベットの政治問題など興味深い話を聞く。満天の星。子どもの頃 見ていた星空がそこにはあった。
帰途、喉の渇きを缶入りのヤシジュースで癒す。一本4元(冨田さん)。
部屋に戻り、5日ぶりの風呂。ソックスのみ3足洗濯。
横になると右目奥から右耳の後ろにかけて痛み。どうも夜になると高山病の症状が出る。