チベットの旅
1995年8月22日(火) ポタラ宮とノルブリンカ


  添乗員のTOさんのノックで起床。8時。

 8時15分より「エベレスト」にて朝食。朝食もまたバイキング方式。パン3片、果物の缶詰め、ジュー ス、コーヒー。

 9時30分、ホテル出発。北京中路を東へ。ポタラ宮へ向かう。ロータリーに建立された巨大な黄金の ヤク像(高原之宝像)を過ぎれば右車窓にポタラ宮の赤い壁と金色の屋根が飛び込んでくる。

 ポタラ宮の登り口は日本人観光客をはじめ多くの観光客を乗せた大型バスやマイクロバス、ランド クルーザーがひしめき、昨夕ホテル前で土産物を売っていたチベット族の女性がその間をマニ車や首 飾りのような物を持って歩き回っている。我々のバスは大きすぎてポタラ宮まで上れず、小型のバス に乗り換える。ポタラ宮の入口は文化公園の前の方にあるが、そこからは急な石段を上ることになり、 高山病に悩まされている観光客にはきつく、最近では裏口にあたる山上まで車で上り、表口に下って くるコースがとられている。

バスは急坂をスイッチバックしながら上る。下車して入口まで150メートルほど坂道。「建物の外部 は撮影が許されているが、内部は禁止。ただし、内部をどうしても撮影したい者は撮影料を払えば可。 」等々の注意があり、いよいよ宮殿に足を入れる。まず暗闇の中に現れたのはダライラマ13世の霊塔。 金銀宝石類で飾られた見上げるばかりの霊塔が灯明の明かりの中に。細い通路を押し合いながら歩い ていた観光客から一瞬ため息が漏れる。つづいて入った9階の霊塔殿にはダライラマ5世の霊塔を中心 に10世、11世、11世、12世の霊塔がある。中でも5世の霊塔は高さ14メートル、3700sの金と多量の宝 石を使った豪華なもの。これらの霊塔の中にはミイラにされたダライラマが納められている。肉体を 仮の住まいとし、霊魂の離れた肉体は単なる物質として鳥の餌としてしまうチベットにおいて、ダラ イラマだけはなぜミイラにしてまで信仰の対象にするのか。ダライラマもまた霊魂の転生によって生 まれ変わっているというのに。それなりの理由はあると思うがそんな疑問を抱きながら霊塔を回る。 霊塔のある9階の中央には西大殿という天井の高い広間があり、5世の霊塔の前にあたる中央にダライ ラマの玉座がある。西大殿をロの字に囲むように三段の回廊がつくられている。10階にあたる回廊に は紅宮造営の物語を描いた壁画がある。11階にはソルツェン・ガンポ像を中心に唐から嫁いだ文成公 主像、ネパールから嫁いだティツン像のある法王禅定洞、立体マンダラの置かれた時輪仏殿、釈迦牟 尼殿などが並び回廊にはクロスワードのクンサン・コルロがいくつも描かれている。12階には法王禅 定洞の真上にあたる位置にソルツェン・ガンポの本尊だったと言われる観音像を安置した聖観音堂( 日本語を話す僧がいた)、清に捕らえられ青海で没したダライラマ6世を供養する具楽殿などがある。 13階は霊塔等の上に被せられた金色の屋根になる。9階から12階までを一通り回り、紅宮と白宮を結ぶ 屋上に出る。白日にさらされ一瞬たじろぐ。真っ青な空、建物の赤褐色に白、屋根の金色、窓の黒い 縁取り。

 屋上からはラサの市街地が一望できる。白い煙があがっているのは大昭寺、真下に見えるのは文化 公園、その向こうは人民政府の建物。意外にも市街地に緑が多い。市街地のはずれにはキチュ河がゆっ たりと流れている。

 白宮の入口でポタラ宮の写真集を購入。

白宮はダライラマの政庁、1642年にチベットを統一したダライラマ5世が1645年から49年にかけて古 代吐蕃王国の城のあったマルポリの丘に造営した宮殿である。屋上から最初に入ったのはダライラマ の居室、東日光殿。玉座の置かれた謁見の間、居間、勤行の間などを見て回る。一度屋上に戻り、再 び狭く急な階段を下り、壁画の描かれた部屋から外に出る。2、30段ほどの階段を下りると二階建ての 建物に囲まれた内庭がある。この内庭ではかつては仮面舞踊劇が行われていたという。内庭で何枚か 写真を撮り、「布達拉宮」の碑のある表口に出る。さらに、狭く急な門廊を抜けると、切り立った白 壁に鋭角につけられた入口の階段に出る。左手足下にラサの市街地を見ながらゆっくりと階段を下る。 裏口から表口まで約2時間の見学であった。

 時計は12時を回っていた。入口階段正面の土産物屋でお茶をご馳走になる。タンカや曼陀羅、絵画、 骨董品など扱っていたがやけに高い。赤い布切れの上に土産物を並べた、チベット族の女性が20人ば かり店を開いていた。鑑札でもいるのか、赤い腕章をした保安員2名がチェックして回っていた。

 13時、北京西路に面した四川料理の食堂、「成都海味小吃」で昼食。ホウレンソウの油炒め、ヒラ タケと豚肉の炒め物、肉まん旨し。デザートのスイカを買い出しに出かけ時間がかかる。14時前、ホ テルに戻り、16時まで休憩。

 1万円両替、昨日より1元の円高。

 西蔵賓館に行くSさんの会社の車に便乗し新華書店に行き、地図、写真集、カセットテープなど買 う。書籍類は新華書店で買うに限る。かなり安く買える。7、8点買い物し、132元。

 高山病対策とはいえ、昼間2時間以上の休憩はもったいない気がする。

 16時、午後の見学はノルブリンカに。ホテルから歩いて7、8分の距離。民族路に面した宮殿までバ スで行く。ノルブリンカはダライラマの夏の宮殿。ダライラマ7世の時代(1755年)に建てられ、歴代 のダライラマはチベット暦3月18日から10月のはじめまではここで政務をとってきた。ダライラマ14世 が1959年、チベット動乱の最中、インドに亡命したのはこの宮殿からだった。塀に囲まれた敷地は楊 柳、柳、ポプラなどの大木が茂り、今は公園として開放されている。タクテン・ポタン、ケーサン・ ポタン、ウーヤプ・ポタンなどの建物があるが、見学できたのは、ダライラマ14世の宮殿タクテン・ ポタンのみ。1954年に建てられたというこの建物には、当時のダライラマの生活を彷彿とさせるよう な調度がそのまま残っている。外観は伝統的なチベット様式の建物ではあるが、洋式トイレ付きのバ スルームがあったり、蓄音機が置いていたり、50年代のチベットでは想像もできないほど近代的で洋 風の生活が取り入れられていたことがわかる。地下には秘密の通路があり、ダライラマは深夜その通 路を抜け、わずかの側近と逃れたという。時計の針はその時の時刻に合わせ止まっている。会議室の 壁にはチベットの歴史が描かれている。チベット族は猿と魔女の間に生まれた5人の子どもを祖にして いること、ソンツェン・ガンポによるチベットの統一のこと、ツォンカパの出現、ダライラマ5世によ る再統一、そしてダライラマ14世が毛沢東と会見しているところまで。

 前庭は手入れの行き届いた庭園になっており、色とりどりの花が咲いていた。

 1時間ほど園内を散策し、ノルブリンカの正門前にある絨毯工場を見学する。

 展示・即売コーナーの奥が、工場になっている。絨毯の製造は繊細で精密な手作業の連続である。 手先の器用な若い女性の、しかも安価な労働力が不可欠の条件。二十歳前後の女性が数名、機の前に 座り、無心に織っていた。玄関マット程度のものでも一週間以上かかるとのこと。糸の染色場なども 案内してもらう。チベット独特の模様の入った60cm×1.2mほどの絨毯を一枚買う。日本円で22000円。 国営企業のため値引きはあまりできないとのことであったが。人件費の高い日本ではとてもできない 代物。

 一度ホテルに戻り、Sさんの案内でポタラ宮前の文化公園に出かける。名古屋のTさんと浜松のI さんも同行。「高原之宝(ヤクの像)」のあるロータリーまでバスで、そこから歩いて公園に。ポタ ラ宮の周りを右廻りに、犠牲の山羊を連れ、マニ車を回しながら巡礼する家族連れに出会う。ラサの 街中ではチベット族より漢族の方が多い。

 文化公園を一周、ポタラ宮を背景に何枚か記念写真を撮り、元は堀だったという池の中の小島に渡 り、楼閣風の茶店に入る。庭に並べたテーブルの一つに座り八宝茶を注文。一時間余り、のんびりと した時間を過ごす。日差しも西に傾き、オレンジがかった光を浴びポタラ宮が一際美しさを放つ。会 話の中心はSさんの身の上話。大学を卒業後、人民解放軍に入隊、半年の兵役を終え(中尉)、出身 地の村に帰り、一年間郷長を勤めていたという。その後、公安警察に入り二年間勤めていたが退職、 日本語の勉強を半年した上で、今の会社の日本語ガイドに就職した由。ガイドになって5ケ月。日本語 の勉強をはじめて一年足らずとは思われぬ流暢さ。10月までラサでガイドをし、大学のある成都に戻 り、勉強のやり直しをするそうだ。チベット問題については、独立運動を起こしているのは元特権階 級に属していた人々で、一般の人々は現状に満足しているという捉え方をしていた。しかし、街中に は公安警察の目が光っており、ポタラ宮やラマ教寺院などにも私服の警察官がいるそうだ。ダライ・ ラマの写真をチベット族に渡した外国人が公安警察に捕まり、高額な罰金を取られ、国外退去処分さ れた話や夜間ラサ市内を歩いていて漢族と間違われ襲われた日本人の話など実際にはチベット族と漢 族の対立や不穏な空気を感じさせるものがある。

帰りは郵便局の近くでミニバスに乗り、ポタラ宮の北を迂回し、ホテル近くの北京中路沿いで下車 (1元)。果物を売る屋台の集まった一角に立ち寄り、ホテルに戻る。

 20時前、一階のレストラン「エベレスト」で夕食。腹具合を考え果物中心の食事とする。この様な ときバイキングは有り難い。