| チベットの旅 |
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| 1995年8月23日(水) デブン寺、セラ寺そして大昭寺 |
7時30分、起床。右目奥と右首筋のあたりが痛く、何度も目が覚める。Tさんにアンメルツを借り て塗ってみるが効果なし。日中の状態から高山病でもないと思うが。脳腫瘍でもできたかと心配にな る。
8時15分、「エベレスト」で朝食。今朝も果物を中心に選び、パンとコーヒー。
食後、ロビーの売店でチベット文字を入れた印章の刻印を注文。3個480元。今晩9時にできる由。 9時30分、午前の見学に出発。高山病の症状の出ている人、過去に行ったことがある人3人がリタイ ヤー。ガイドを含め16人。
バスで北京西路を西に向かって走ること約10分。右手岩山の裾にデプン寺が見えてくる。ポプラや 楊柳の植えられた急な坂道を上ること10分ほどで寺の門前に着く。今朝一番の団体客を迎えてくれた のは土産物を抱えた物売りと、石段脇に座った初老の物乞い、 そして犬。寺の飼い犬か野良犬か分からぬが至る所に寝そべっている。別に吠えかかったり、じゃれ つくわけでもないが、狂犬病でもかかった犬がいたらと気にかかる。毛の長い黒っぽい犬が多い。確 かチベット犬とかいう種類の犬がいたはず。
デプン寺は1416年、ツォンカパが弟子のジャムヤン・チュウギ・タシ・パンデンに創建させたもの。 何度かの内乱によって破壊されたが、最盛期には6000人以上の僧がいたという。1578年、この寺の貫 首ソナム・ギャムツォがモンゴルのアルタン汗からダライ・ラマの称号を贈られ(後に彼以前に2人の 転生者がいたことが認められ、彼はダライ・ラマ3世とされる)、ダライ・ラマ5世がポタラ宮を造営 するまではこの寺のガンデン宮殿がダライ・ラマの居城であった。今は800人足らずの僧が住んでいる のみであるが、4つの学堂をもつ大僧院。石または煉瓦を積み上げ漆喰で固めた2階〜4階建ての建物が 山の斜面に何十棟(百棟以上かも知れない)と集まり、大きな集落を形作っている。日本の寺院とは 全く景観が異なり、遠景からは寺院とは思われない。
赤い僧衣を纏った若い僧が三人、我々が説明を受けている間、石段の上から眺めていた。その後、 寺院見学中、寄らず離れず、この僧の中の一人がついてきていた。寺の内部の撮影は部屋毎に撮影料 をとり、無断で写真を撮るのを監視していたのかも知れないが、「至る所に公安がいる。」というS さんの話を思い出し、もしやと警戒する。
順次、学堂等の建物を巡るが、説明を受けながらも、仏像の名さえ覚えきれない。マニ車を持ち、 五体投地をするチベットの参拝者には申し訳ないが、興味半分の罰当たりな観光客の一人に。大鍋や 魔法瓶、ツァンパの入った袋やバターの入った革袋などが置かれた庫裏では内部撮影も可。手伝いの 少年に二人の僧がいたが、写真を拒むこともなかった。本堂では20元払い写真を撮らせてもらった。 文殊菩薩やダライ・ラマ、千手観音などの像とともに無数のタンカが吊されている。チベット仏教独 特の明妃(配偶女神)と交合した諸尊を描いたタンカや壁画は布で覆われたものが多く、本来悟りの 糧として考えられたものがかえって卑猥なものと認識され、興味本位な観光客にチベット仏教を曲解 させるように思えた。
2時間余り寺院内を見学、12時20分ホテルに戻る。
「エベレスト」にて昼食。休息。
14時、午後の見学に出発。バスで20分ほどでポタラ宮の北、岩山の麓に位置したセラ寺に。セラ寺 は1419年にツォンカパの弟子、チャムチェン・チュウギ・シャキャ・イェシェによって建てられた、 ゲルク派の僧院。明治時代に河口慧海が修学僧として滞在した寺としても知られている。彼の「チベッ ト旅行記」(1978年、旺文社文庫)によると「セラ大学を大別すると三つになっているので、一はヂェ ・ターサン、一はマエ・ターサン、もう一はンガク・バ・ターサンというこの三つで、ヂェ・ターサ ンには僧侶が三千八百人、マエ・ターサンには二千五百人、ンガク・バ・ターサンには五百人………。 」。また僧侶には二通りあり、「その一つは修学僧侶で一つは壮士坊主。」と書かれている。
慧海の時代と異なり、現在は僧侶の数は千人弱だそうだが、三つのターサン(学堂)は残っており、 若い修学僧が修行に励んでいる。
マエ・ターサン(メーパ学堂)から入り、ンガク・ターサン(ンガクパ学堂)、ヂェ・タホサン(チー パ学堂)、大集会堂と廻った。薬師如来や阿弥陀如来、セラ寺の開祖チャムチェン・チュウギ・シャ キャ・イェシェの像、ツォンカパの像、派手な装飾のタンカや曼陀羅。余りの数の仏たちに圧倒され る。屋上からは南西方向にポタラ宮をはじめラサの町が遠望できる。チーパ学堂の中庭では修行僧達 の真剣な問答行に感激し、二階の経典印刷場では布に印刷された経文を土産に買い(10元、紙に印刷 したもの5元)、16時、セラ寺を後にする。
再び市内に戻り、ラサの中心にある大昭寺(ヂョカン寺、トゥルナン)へ。大昭寺こそ宗教都市ラ サの中心になる寺院。7世紀、チベットを統一した吐蕃王国のソンツェン・ガンポ王に嫁いだネパール の王女ティツンが亡き王のために建立したという。本尊は王のもう一人の王妃文成公主が唐より持っ てきたと言われる釈迦牟尼像。地方のチベットの人たちが五体投地で何ヶ月もかけラサに向かう目的 地でもある。門前の広場を挟んだ宇拓路にバスを止める。物乞いや土産物売りの女が取り囲む。広場 の周辺には露店が並びカターと呼ばれる白い薄布やタンカ、仏具などを売っている。入口の石畳は 10人余りの巡礼者が五体投地をしている。ネパールの方向(西)を向いていると言われる正面入口よ り大中庭に入る。石段に数人の男女が座り込み何やら作っている。覗いてみるとツァンパかバターを 練って仏塔のようなものを作っている。供物にするのか。
本堂は薄暗い内庭を取り囲むようにロの字型に小部屋が並んでいる。入口から右回りに、歓喜堂、 無量光堂、薬師堂、観音堂、弥勒堂、ツォンカパ堂、オタン湖堂、無量光堂、そして正面、本尊の釈 迦牟尼像の祀られている釈迦堂、さらに弥勒法輪堂、獅子吼堂、菩薩主誉属堂、弥勒四処堂、南門有 鏡堂、富貴堂、無量寿九尊堂、三種寿命堂、意願堂と続く。あまりに多くの仏像、化身像、菩薩やチ ベット仏教開祖の像に圧倒される。壁にかかる男女神の交合した像はなぜか黒い布がかけてあった。
屋上に上がり、ラサの市街を展望する。雷ににわか雨あり。すぐに青空広がる。門前の広場、入る ときには気がつかなかったが、土塀に囲まれ有名な「唐蕃会盟碑」が足下に見える。屋上にある茶店 で休息。「ブォー、ブォー」と地鳴りのような響きは、若い僧がラッパ(アルプスのホルンに似た2、 3メートルもある巨大なラッパ)の練習をしている音。
寺を出て、一時間余り、バザールでもあり、大昭寺の周り巡る巡礼路にもなっている八角街(バル コル)を歩く。仏画や経典、仏具は無論、衣料品、雑貨、装飾品や電化製品まで並ぶ、チベット最大 のバザール。しかし、一方でマニ車と数珠を手に、犠牲用の羊を連れて歩く人や、雑踏の中、五体投 地を続ける巡礼者にも会う聖地ラサの巡礼の道。
人の流れは、右回り。逆回りするチベット人は少ない。逆回りしているのは漢人か外国人。
八角街での買い物、マニ車50元×2個、木椀3個20元、首飾り25元、木面70元、タカ8元、 18時、バスに戻り、いったんホテルへ。19時、再び、夕食のためラサ東郊のチベット料理店に。食 堂というより民家の一室で郷土料理を提供していると言った方がよい。ヤクの肉を使った料理やバター 茶、チンコー麦で作った酒チャンを頂く。
食事を終え外に出るとすっかり暗くなっており、街灯が少なく、家のこぼれ灯も少ない通りは漆黒 に近い暗闇に。しかし、その暗闇に大勢の人がうごめいている。そんなラサの街を抜けホテルに戻る。 ただ、チベット自治区成立30年記念式典を控えたポタラ宮周辺は夜を徹しての突貫工事も行われて おり、照明に浮かび上がる宮殿や文化公園での催し物などなんとなく浮き浮きした雰囲気であった。
21時頃、ホテルに。少し出費になるが、ロビーの売店で、土産にと翡翠を買い求める(400元)。一 度部屋に戻るが、満天の星が見たくなり、23時頃外出。なんと雨が降っているではないか。