アフガニスタンに平和を!!

  

あまりにも有名なバーミヤンの石仏。しかし、この石仏もいまはない。今春、アフガニスタンの大半を支配するタリバンにより破壊されてしまった。1971年8月撮影。

カブール博物館所蔵の塑像。多分この塑像も破壊、略奪の対象になったのでは。博物館は荒れ果て、収蔵物は散逸、見る影もなくなったと聞く。1971年8月日撮影。


カブールのオールドバザール。いつも買い物客でごった返していたバザール。シシカバブーの臭いの立ちこめていた通りは今はどうなっているのだろう。1975年8月撮影。

  

1971年と75年の2度、アフガニスタンを旅した。素朴で、親切なアフガンの笑顔を今も忘れることが出来ない。厳しい自然環境、貧しい生活の中にも旅人を心優しく迎えてくださる人々がいた。旅人の目から彼らの生活を見ている限り、それから後の、あまりにも大きな歴史の流れを想像することもできなかった。相次ぐ政変、そしてソ連軍の侵攻。反ソ・ゲリラによる長い戦い。ソ連軍の撤退により、平和が訪れるとの期待もむなしく、再び、民族と結びついた勢力争いは内戦を勃発させ、今日にいたる。ソ連軍侵攻時は全ての組織が結束し戦ったはずが。昨日の味方は、今日は敵。あの心優しいパシュトゥンの青年は、あの素朴な恥じらいをみせていたハザラの少女はどこに行ったのだろう。三蔵玄奘も訪れたバーミアンの仏教遺跡、あの2つの大仏も破壊された。仏教遺跡とは言え、人類の遺産。偶像崇拝を禁じる立場にあっても破壊は許されない行為と思う。宗教的立場だけで行動することが許されるなら、仏像の破壊は、仏教徒に対する挑戦として、また報復の繰り返しをよぶことになるではないか。イスラムの寛容さ、私はそのすばらしさに何度も感動した。しかし、いまアフガンを支配するタリバンの考え方や行動は私には理解できない(国土の90%を統治し、多くの住民の支持を受けていることは無視できないが)。9月11日、アメリカでおこった同時多発テロ。一般市民、それも当然多くの国々の人が巻き添えをくうことを承知の上でおこなったテロ。このような行為を正当化することはできないし、絶対に許し難い。このテロの首謀者としてサウジアラビアの富豪で現在アフガニスタンに亡命中のビン・ラディン氏の名前があがっている。反タリバン勢力の中心になってきたマスード元国防相の暗殺未遂事件(9月9日、翌日死亡)をきっかけにアメリカにおける事件の前後より、アフガニスタンでは内戦が再び激しさを増しているという。ここにビン・ラディン氏に対するアメリカの報復攻撃が始まれば、アフガンの平和はますます遠のいていく。一日も早く、心優しいアフガンの人々の微笑みが戻って欲しいと祈るばかりです。報復はまた新たな報復を生みます。これは歴史が証明しています。事件の解決はその原因をつきとめ、その原因を取り除くことです。人間の理性を信じたいと思います。  2001年9月17日

アメリカにおける同時多発テロが発生して以来、多くの方が、私のホームページにアクセスしてくださり、アフガニスタンへの関心が高まっていることを実感しております。しかし、新聞等の報道をみても、アフガニスタンの地理や歴史に関する内容は断片的で、時には偏見に満ちたものさえ見受けられます。国土の真ん中をヒンドゥークシ山脈が北東から南西方向にはしっており、その山麓の高原に位置するカブールは海抜1800メートルあまりの高地で、山がちな国ではありますが、南西部のイラン、パキスタンとの国境地帯や西部のトルクメニスタンとの国境地帯は砂漠やステップが広がる平坦地です。アフガンの人々は、その乾燥したステップや砂漠、またヒンドゥークシに降る雪の融水や地下水を利用し、ラクダ、羊、山羊の遊牧やオアシスでの農業を営んできたのです。アフガニスタンの主要民族であるパシュトゥンは元来勇猛な遊牧民として知られ、パキスタンの北部辺境州も彼らの居住地になっています。遊牧を生業としてきた人たちの中には、夏はアフガニスタンで放牧をし、冬はパキスタンで過ごす者もいます。遊牧民に国境は無用な存在ですし、事実、パキスタン、アフガニスタンの間には彼らの行動を遮るものはなかったのです。カイバー峠にあるランディーコタールは密輸の町として誰もが認めていましたし、ペシャーワルに近い山中にはピストルから自動小銃、バスカ砲まで密造する町があります。さすがに近年では2丁拳銃に、ショットガンを抱えたパシュトゥンの姿をペシャーワルで見かけることはないようですが、私が最初に訪れた頃はほとんどの男が拳銃やショットガンを抱えていました。今でも銃は簡単に手に入ります。ペシャーワルにはピストルや自動小銃を扱う銃砲店が並んでいる一角があります。パシュトゥンにはパシュトゥンの掟があり、刑事事件から民事事件にいたるまで彼ら自身が裁くことはよく知られています。新聞などに頭からすっぽりとマントのようなものを被った女性の写真が載り、タリバンの女性に対する差別・偏見の象徴のように扱われていますが、これは西アジアにおけるツャドリやスカーフと同じ性質のもので、アフガニスタンの女性が夫以外の男性に顔や肌を見せないために身につけてきた「ブルカ」という衣装です。タリバンが強要しているともいわれていますが、もともとアフガニスタンの女性の多くが身につけてきた物です。今の報道はタリバンは極悪非道の犯罪者集団であり、アフガニスタンの人々はそのもとで抑圧された生活を余儀なくされているかのようです。タリバンを倒すことがアフガニスタンの解放につながるかのようです。本当にそうでしょうか。ソ連軍が撤退すれば、アフガニスタンに平和が戻ってくるはずでした。しかし、撤退後、一緒に戦っていたムジャヒディン達は、今度は自分たちの権利を主張しあい、国内は再び乱れ、内戦状態になりました。国土の90%をおさえたタリバンに対抗するため生き残ったムジャヒディンの組織は北部同盟を結成し、反タリバン勢力として今は戦っていますが、仮に、北部同盟がアメリカなどの後押しで勝利しても、また、ソ連軍撤退後と同じ状況がおこるのではないでしょうか。アフガニスタンのことはやはりアフガニスタンの人たちが自ら解決しなければ、本当の平和は戻ってこないと思います。テロをおこした犯罪者を検挙するための行動はアフガニスタン攻撃とは別に考えるべきでしょう。今回の事件に対し、イギリスをのぞく多くの国が賛同しているのは、テロに対する批判であり、テロに対し国際社会が毅然とした態度をとることであって、報復とか復讐の名の下に特定の国を攻撃したり、戦争をはじめることではないと思います。にもかかわらず日本ではアメリカの言う、「報復攻撃」という言葉が一般化し、報復攻撃に手を貸すことが論議されています。もし、報復攻撃に手を貸せば、それは次の報復攻撃の相手になることを意味しています。すなわち参戦したことになります。私の勤務している学校では今年はじめて海外への修学旅行(校外研修)を計画していました。しかし、この事件で、万が一を心配し、中止しました。考えてみますと、日本が今までイスラム原理集団のテロの対象になったことはありません。今回の事件で20数名の日本人が巻き添えになり尊い命を落とされましたが、テロの対象はアメリカにありました。でも今の日本政府の対応は、テロの標的の1つに、日本も入りかねない、危険な、アメリカ追従のものです。イスラム世界のほとんどの人々はテロを嫌っていますし、容認していません。テロは容認していませんが、アメリカのやり方には嫌悪感をもっています。アメリカでは極悪人のように言われているイラクのフセイン大統領も、イスラム社会では英雄のように扱われています。パキスタンでは至る所で彼の写真をみることができます。なぜなのか考えてみる必要はありませんか。アメリカに対しておこるテロの原因がみえてきます。その原因こそまず取り除く努力をする必要があるのでは。軍事力によって例えビンラディン氏とその組織、タリバンの全ての兵士を抹殺しても、新たな報復テロはおこる気がします。報復は報復をよび、復讐心を煽るだけでは。平和を望まない人などこの世にいないはずです。やはり人間の理性を私は信じたいと思っています。火事場の野次馬のような気持ちで、報復賛成などとは言わないで欲しいと思います。修羅場と化す戦場を想像してみてください。戦火は日本にも広がってくるかも知れません。コントロールされているアメリカの報道、特ダネを得んがためのやらせや誇張なども報道の中にはあると思います。それを見分ける目をもってほしいものですし、マスコミも真実をありのまま伝えてほしいと思います。私のホームページを見られたマスコミ関係者からメールもいただきますが、最初から報道の内容を決め、それにあったコメントや助言をもとめてこられることがほとんどです。それでは真実の報道は難しいのではないでしょうか。「まるでどこかの宣伝機関になっているのでは」と思っているのは私だけでしょうか。  2001年10月2日

予想されたとおり、米軍によるアフガン空爆が始まり3週間目に入りました。特殊部隊による地上戦も行われ、いよいよ泥濘に入っていくようです。アメリカでは何者かによって郵送された炭疽菌による被害が拡大しています。生物・科学兵器によるテロも予測されていましたが、現実のものになったようです。限りない報復合戦の始まりを思わざるを得ません。日本の対応は、国会の論戦でも、政府の姿勢は、アメリカ追従。自衛隊を、この際、何らかの形で参加させたい。既成事実をつくりたい。そのようにしか映りません。航続距離の短い自衛隊の輸送機5機にわずかな支援物資を載せ、2日も3日もかけてパキスタンに行ったのはそのいい例。ジャンボ貨物機1機チャーターすれば、自衛隊機を派遣するより多分かなり安く、もっと大量の救援物資が運べたはず。実際、タジキスタンには、1機のチャーター機でパキスタンに運んだ以上の物資を運んだではないですか。自衛隊が出かけることにより、NGOで頑張っている日本人がかえって危険な状況におかれているとの情報もあります。本当に、難民や避難民のことを考えるなら、もっと積極的で、効果のある救援活動を望みます。ソ連軍撤退後は見捨てられていた難民の救援活動を困難な中でずっと続けてきた人たちのノウハウこそ今一番必要とするときではないですか。最近の新聞紙上では、1面ではないけれど、家庭欄や教育欄等に私と同じ思いを綴った記事が載るようになりました。何かホッとします。テロは許せません。しかし、アメリカが言うように、ビンラディンを殺害し、タリバンを壊滅させればテロはなくなるのですか。大国の奢り、多数派の奢りがあるかぎり、抑圧された人々の中からテロリストが生まれてくるのでは。その原因を取り除く努力こそ、国際社会がまず取り組まなければならないのでは。「日本もテロの対象国になった。炭疽菌が送られてくるかもしれない。郵便物の扱いに気をつけて。」。本校でもこのような注意、警告が出されている。笑い事でなく。   10月24日

10月29日、「テロ対策特別措置法」「改正自衛隊法」「改正海上保安庁法」の3法が参議院本会議で可決、成立した。戦後、多くの時間をかけながらも見送られてきた自衛隊の派遣や武器使用に関する規制を、短時間の審議で緩和撤廃した国会の責任は重たい。アメリカの同盟国としての軍事行動(自衛隊派遣)はタリバンに対する宣戦布告(タリバン側と彼らを支持する立場からみれば日本政府や国民がどのように思っていてもそうなる)であることがわかっているのだろうか。ブッシュ大統領は、戦争であることを明言しているのだから。炭疽菌が日本に郵送されてきても、日本国民を対象にしたテロが発生してもおかしくない状況をつくりだしてしまった。それでいて、タリバン後のアフガンの再建・復興や難民・避難民の支援には手の汚れていない、キリスト教国家でない日本が率先してと言うのだから。世界191ケ国の中でも日本ほど外交べたの国は少ないだろう。旅好きの人なら、無愛想で高慢な態度で邦人を扱う在外公館の一部には幻滅しているはず。外交機密費問題でも明らかになったように、血税で私腹を肥やす外交官もいるそうだから……。日本の主体性は一体どこにあるのか。金魚の糞のような外交姿勢、そろそろ転換してはどうだろう。
アハメド・ラシッド著「タリバン」を読んだ。パキスタン人であり、イスラム教徒である著者が、長年の取材を通してまとめた著書、客観的で、真実みのある内容。アフガンとそれを取り巻く国や組織の思惑や行動が鮮明に書かれていた。タリバン支配下での住民の笑顔が写された写真の意味もわかったし、タリバンの偏ったイスラム原理主義の意味も、また、北部同盟の成り立ちもわかった。アフガンの人々が望んでいるのは言うまでもなく平穏な生活。殺戮、強奪、強姦、飢餓など望む者はいない。ソ連撤退後のムジャヒディン割拠の時代の恐怖が、タリバンによる治世を受け入れる要因になっていたことは理解できる。 昔から「文明の十字路」と言われてきたアフガニスタン。かつて南下政策を進めようとするロシアとインドとイランを結ぶ回廊の確保をねらうイギリスが「グレートゲーム」を繰り広げた土地。今日では、ソ連の崩壊後誕生した中央アジアの国々とインド、パキスタン、さらには世界への出口になるインド洋を結ぶ重要なルートとして脚光を浴びてきている。北部同盟もタリバンもそれらの国々の思惑と無関係ではないという。要は彼らもまた自分たちの思惑を実現するため周辺諸国や利を得ようと画策する者を利用しようとしているわけだ。持ちつ持たれつの中で、互いに銃を持って争っているのがタリバンと北部同盟。そこに一般住民の姿はない。昨日、またまたビンラディン氏が世界のムスリム達に聖戦を呼びかける声明を出したとのニュースが流されていた。米軍のアフガン攻撃を宗教戦争と位置づけ、ムスリムの敵愾心を煽る声明に他ならない。メディアを利用した自己防衛のための身勝手な宣伝合戦。お互い正義を振りかざしているが、そこには真実は見えない。平和を希求する人々に本来武器は必要でないはず。インタビューで北部同盟支配下の住民が「武装集団に武器を供給する者(パキスタン、アメリカ、ロシアなど)がいるから、こんなことになる。」と言っていたが、まさにその通りだと思う。国家という名の下で、一部の人々の利益のために多くの人々が苦しんできた歴史を振り返り、同じような愚かなことを繰り返さないこと、それが今、国連を中心とした国際社会に求められているのではないだろうか。例え後方支援であろうが自衛隊が米軍と行動を共にしたら、その時、自衛隊は軍隊になる。国際社会は、いや少なくとも当事国、当時組織は軍隊として認知する。多分にそれを望んで、この際既成事実をつくってしまおうと考えている政治家も多いのでしょうが。日本も参戦することになり、平和憲法を持つ日本国民に、戦死者もでるかもしれないことがわかっているのだろうか。テロに対しては国際社会が一致協力できるはず、また、一致協力しない限り防ぎようがない。日本は国連を中心としたテロ対策でこそイニシアティブをとるべきであろう。 11月6日

アメリカの空爆による支援を受け、北部同盟は、マザリシャリフ、バーミヤン、ヘラートそしてカブールも奪還した。タリバンはカンダハルとパキスタン国境沿いのパシュトゥン居住地域に追いつめられているようだ。テレビの画面では、歓喜するカブール市民,髭を剃る男達、ブルカをとった女性の姿が映し出され、「タリバン支配下からの解放」、「自由を謳歌する市民」という言葉が飛んでいる。しかし、本当に解放されたのか、自由になったのか、平和が戻ったのか。5年前、内戦状態の中、カブールの解放者はタリバンだった。 血みどろの内戦状態を収拾したのはタリバンだった。カブールの市民達は、タリバンの支配を受け入れ、歓喜した。この行動こそ、市民が戦乱の中で身につけた知恵だと思う。今はタリバン支持者とみられないために、髭を剃り、ブルカをぬぐ。生きるか、死ぬかの瀬戸際で身につけた知恵だと思う。同じことを書くようだが、70年代、カブールでは素顔の女性を見ることもあったが、それでも大半の女性はブルカ姿であった。タリバンによる強要が強調され、伝統的な衣装としてのブルカを取り上げたものがないのもおかしい。タリバンのいうイスラム法は、パシュトゥンの部族社会の中で培われたもので、コーランに書かれていることからはかなり遊離していることは明らかなこと。 自分たちの考えを無理矢理押しつけ統治しようとすれば当然恐怖政治となる。シーア派を認めないタリバンは多くのハザラ人を殺した。タリバン支配下ではタリバンの意に沿わないものは排斥され、北部同盟支配下では北部同盟の意に沿わない者は排斥される。すでにマザリシャリフで若いタリバン兵が数百人虐殺されたとの報道があり、カブールでもタリバン狩りが行われている。アメリカはタリバンの敗走により、自分たちのしたことが正しかったと言っているが、本当にそうだろうか。アフガニスタンの人々にとっては、頭が、タリバンから、北部同盟という武装集団に変わっただけではないのではなかろうか。戦国時代のようなアフガニスタンに、いろいろな思惑から、周辺の国があっちについたり、こっちについたりしながら援軍を送る。 まるで陣取り合戦。そこに住む人々の生活は無視して。北部同盟の勝利。さて、これでテロはなくなるのだろうか。テロの恐怖から国際社会は脱することができたのだろうか。オマル師が拘束され、ビィンラディン氏が拘束されたらすべてが解決されるのだろうか。報復は新たな報復を生む。タリバンと北部同盟の間にさえ実際に起こっていること。憎しみを越え、平和を希求する人々の声が届く国際社会づくり、できないものでしょうか。 11月16日 

12月末にカルザイ氏を議長とする暫定政権が誕生し、アフガニスタンにも安定と復興の兆しが見え始めたとの報道が多くなった。今日1月21日から東京でアフガン復興支援会議が開催されている。日本は、巨額の資金援助を含め、復興支援のリーダーシップをとる姿勢を示し、国際社会にアピールしている。復興支援は、結構なことではあるが、どうもいろいろな思惑があり、本当にアフガンの人々の苦しみ、悲しみを癒す復興支援策が示されるのか疑問である。ブルカを脱いだ女性、再開された教室で学ぶ子供たち、平和を強調する報道写真の裏に見え隠れする混乱したアフガン。治安状態の悪化には目を覆うという報告もある。ジャララバードは最悪とか。カブールでも夜は歩けず、各地に武装グループ割拠し、まるで山賊国家の様相とか。枕を高くして寝られる平和な地にはまだほど遠い状況のように思われる。
その中、命がけでアフガンの人々のため奮闘するNGOの方々には本当に頭が下がる。先日、「ジャパン・プラットフォーム」(JPF)の総括責任者大西氏のことが某紙の「ひと」欄に載っていた。感心して読んだ。ところが、今日の新聞には、3面に大きく「有力NGOの参加拒否−外務省「政府に非協調的」 今後の支援に影響も」と彼の写真入りで、JPFのことが載っているではないか。記事によると先日の「ひと」欄で、「御上の言うことはあまり信用しない」という記事が、自民党の有力議員の逆鱗に触れ、外務省に圧力、「政府に対し非協調的な考えの人は政府主催の会議に参加できない」と言わしめたらしい。憤りを通り越し、これが我々の政府かと情けなくなる。まさに「御上の言うことは信用できない」典型。今一番政府がアフガンの復興支援において学ばなければならない相手はNGOのはず。これでよくも国際会議が主催できるものだ。
私はネパールに行ったことがあるが、日本のODA(多分)が高級官僚の四輪駆動に変わっていることを指摘、「貧富の差や官僚の腐敗を招くODAを中止すべき」という意見を何度か耳にした。アフガンへの復興支援が、また、一部の有力者を肥やすだけにならないよう願いたい。 1月21日

アフガン復興支援会議が終わった。総額45億ドル、今年1年で18億ドルの支援がなされることになった。総括文書を読むと行政、教育、保健・衛生等の復興、治安・麻薬対策、女性の権利回復など多方面の緊急課題が網羅されている。結構なことであるが、私が思っていたとおり、支援金の拠出については各国の思惑が反映されていたようだ。周辺国は権益を確保しておきたいがために、大国にはメンツが、この際、国際社会での発言力を高めようという国も。
それにしても、NGOに対する日本政府の姿勢、あきれて物も言えぬ。先進国とはとても言えない。日頃から批判され、言われてきていることだが、経済的には世界の先進国かも知れぬが、政治・行政・官僚機構では世界の劣等国。とても国際社会でリーダーシップなどとれそうにない。勉強してください、国会議員の先生方、高級官僚と称される方々。 1月23日

アフガン復興支援会議へのNGOの参加拒否問題は、補正予算を審議する予算委員会、本会議にも影響を与え、与党は野党欠席のまま衆議院本会議での補正予算強行採決を行った。この混乱を収拾するため外務省事務方トップの事務次官と田中外相を更迭。外務省に圧力をかけたといわれる議員も議院運営委員長を辞任するとか。しかし、予算委員会の審議を拝聴しながら一番疑問に思ったのは、誰が圧力をかけたのか、それとも特定議員からの圧力はなかったのか知らないが、NGOの参加を拒否した理由の説明は全くないことだ。拒否する以上当然それなりの理由があったはず。特定の議員による圧力によって拒否されたとすれば、一国の外交を司る外務省が一議員によって操られていることになる。外務省の担当官がかってに拒否の方針を出したとすれば担当官の資質が疑われる。どちらにしても、今後、政府の機関である外務省と非政府組織NGOがもっとも効果のある支援活動ができるようそれぞれができる分野で協調しあいながらやってほしいものだ。行革を叫んできた議員の方々、日本の官僚機構変わりませんね。議員の中にも相変わらずそれを利用される方が多そうですね。本当にうんざりですね。 1月30日

しばらくアフガンの動きを新聞紙面やテレビの画面に見てきた。3月に、ザヒール・シャー元国王が約30年振りに帰国し、いよいよ6月にはロヤ・ジルガ(部族大会議)が開催される。着々とアフガン再建の道、安定と平和への歩みが聞こえるような感じさえする。しかし、気にかかるのは、テレビの画面に映る光景も、記事に出る生活の変化も、ほとんど首都カブールのみ。地方の様子はうかがい知ることすら出来ない。断片的には報道されることもあるが、それらは軍閥の争いであり、タリバンやアルカイダの掃討作戦に関するものばかり。結局、暫定政権が、アメリカを中心にした多国籍軍が掌握しているのは点と線のみか。軍閥の武装解除ができないかぎりアフガンの真の平和はやってこない。これぐらいのこと誰でもわかるはず。いまだに行方知れずのビィン・ラディン氏をはじめアルカイダやタリバンの主要メンバー。掃討の名の下で、軍閥の武装解除が遅れれば、平和の道のりはますます遠のく。アフガン人はカブールだけに住んでいるわけではない。報道されないカブールの外に、目を向けてほしい。カブール以外のアフガンの姿を知りたい。アフガンに一日も早い平和を。子供たちが安心してやすめる国に。 5月17日

昨日、6月10日に開会される予定であったロヤ・ジルガは1日延期され、今日になった。「まだ到着していない州がある。」「投票者名簿作成に時間がかかる。」のが理由とされているが、国家元首をめぐっての駆け引きが一番の原因といわれる。主導権争いが、再び、民族間の対立にならないことを祈る。
今日の山陽新聞文化欄にペシャワール会現地代表 中村 哲 医師の『「アフガン復興」の虚像−伝わらぬ民衆の現状』と題する一文が載っていた。私が予想していたとおりの現状に、憤りさえ覚える。カブールの姿、それも一部の姿だけが報道され、すべてうまくいっているような錯覚をうえつけるようなマスコミの姿勢。中村医師のような視点からの報道こそ私が一番求めているもの。現状に踏まえた支援活動でなければ、結局、新たな対立の構図を作り出すだけ。
今夜のロヤ・ジルガを注目したい。ワールドカップで興奮するのもよいが、それを利用している者がいることも忘れてはいけない。ワールドカップと重なったロヤ・ジルガに注目。 6月11日(我が家の歴史では忘れられない日)

9月11日、あれから1年、同時多発テロの犠牲者3千余の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ニューヨーク、ワシントン、乗っ取り機の墜落したピッツバーグ郊外では追悼の式典が開催され多くの遺族や関係者が参加されたとの報道が流れている。何度も映し出される世界貿易センターに突っ込む旅客機、そして砂の塔が崩れるように倒壊するビルに、怒りと恐怖が呼び起こされる。日常生活の中で突然起こるテロの恐怖。一人一人のかけがえのない人生を突如奪う卑劣さ。テロは断じて許されるべきではない。
テロに対する戦いに異議を唱えるものはいないと思うが、アメリカのとっているテロ戦争に対しては1年たった今も賛成できかねる。アメリカのやっている行動は戦争と銘打った報復であり、犠牲者の多くが一般人である点でテロと同じ行為のように思われる。
その後アフガニスタンではパシュトゥン系の副大統領が暗殺され、カルザイ大統領の暗殺未遂事件が発生した。カブールの町ではロケット砲弾が打ち込まれたり、爆弾騒ぎが頻発している。先日も大統領暗殺未遂事件の直前、30人余りの犠牲者を出す爆弾テロが起きた。タリバン政権は崩壊したが、彼らを支持する人がいなくなったわけではない。アルカイダも壊滅したわけでもなく、また支持する者が存在することも事実だ。目に見えない存在であるが故に常に恐怖を生む。
報道されることは少なくなったがアメリカによるアフガン空爆は今も続く。結婚式に集まっていた人々に対する誤爆は一時ニュースに取り上げられていたが、一般人が巻き添えになることも多いと言う。
軍閥の武装解除は進まず、地方での治安はタリバン政権時代より悪化しているらしい。アフガンにとって本当に今必要なものは何か。国際社会が出来ることは何かを真剣に考えるべきであろう。平和を求めない者はいないはず。テロリストもまた平和を求めるが故の行動のはず。
イラク攻撃を考えているアメリカの姿勢、イラク攻撃をすればますますテロが拡大し、テロリストを増やすだけだと私は思う。  2002年9月11日

11月14日の新聞紙上に再び登場したビィン・ラディン氏。その生存が確実とされる録音による声明。イエメンでのフランスのタンカー爆破事件、クウェートでの米軍兵士狙撃事件、そして多数の犠牲者を出したバリ島の爆破事件、それらを全て認める彼の声明に震撼を覚える。イスラエルとパレスチナの報復合戦は相変わらず続き、アフガンの問題は解決しないまま、アメリカはその矛先をイラクに向けている。アフガンは今一体どうなっているのか。断片的な報道では、首都カブールの治安は戻っているというが、地方の状況はひどく、再び難民として流出するものも多いという。タリバンの再結成も噂されている。また泥沼に向かうのではないかと危惧している。 11月15日

3月20日、米英によるイラク攻撃が始まり1か月余り、ほぼ全土を制圧し、今日明日にでも、ブッシュ大統領の勝利宣言、戦争終結宣言が出されそうな様子。フセインの所在は不明ながらも、フセイン政権の崩壊は確実。力でねじ伏せるアメリカの強引なやり方で一件落着? 国連は完全に無視され、国連そのものの存在すら大国アメリカの前にはないに等しいありさま。アメリカの思いのままに世界は操られることになるのか。そのアメリカに金魚の糞のごとく付いていかなければ国の存亡にかかわる国々の存在もまた明らかになった。国連重視と言ってきた我が国も同様。同盟国といえど間違いは間違い、おかしいことはおかしいと言える間柄でなくてはならぬはず。アメリカがイラク攻撃の口実にした大量破壊兵器とやらはどこに消えたのか。正確な発表すらない犠牲者に対する償いは? 人々に残った心の傷を癒すのは? 結局、アメリカにとってのイラク攻撃は目の上のたんこぶ、フセインを倒すことと、石油を手に入れることだけだったのか。あとのことはどうでもよいこと。始末は、復興資金の調達まで金魚の糞任せ。やり場のない人々の怒りは、どこにむけられるのか。アフガン、そしてイラク。 4月28日

2003年のイラク侵攻直後「想い」を記して以来五年ぶり。この間何も「想って」いなかったわけではない。あまりにも酷くなる状況に、書ききれなくなり、載せる意欲さえ失われたためである。しかし、9.11から間もなく7年、何も変わっていない、それどころかますます泥沼化している「アフガン」「テロとの戦い」「イラク」。新たに周辺地域にも波及。平和の祭典?「北京五輪」の最中にはグルジアで南オセチアをめぐる争いが戦火に。またもや冷戦時代を彷彿とさせる情勢。
今日のニュースでは、アメリカの誤爆により「アフガン」で女、子供を含む90人の民間人が亡くなったという。
ここまで書いたところで飛び込んできたのが「ペシャワールの会」メンバーの誘拐事件である。中村医師の長年の活動には日頃から関心を持っていた。「ほんとうのアフガニスタン」を知っておられるのは中村医師だと。そのアフガニスタンの人々と最も近いところにおられた中村先生のメンバーが誘拐されるなど考えられなかった。一体何者が。
アフガニスタン政府、日本政府が動き出したと言う報道。だめだ。ここは「ペシャワールの会」が独自の情報網や常に関わっている住民の力を借りた方が安全だ。相手がタリバンなら、日本政府は敵。インド洋で給油を続けているのだから。日本人はすでに敵国人。しかし、「ペシャワールの会」のメンバーは敵ではないはず。そう信じたい。無事を祈る。
祈り通じず。遺体が見つかったとの報道が。救出されたという誤報が流れたが、これも誤報であればと思うが、「ペシャワールの会」のメンバーが確認したというのであれば、今度は間違いないのか。しかし、「ペシャワールの会」のメンバーさえ殺害される状況は最悪の事態。アフガンの復興はもはや困難か。NATO軍の犠牲者も続出している。結局、武力による制圧は報復の連鎖を生み、終着駅が見えないということ。その上、自分さえ、自分たちさえよければ他人はどうなってもいいと思っている者がいるかぎり、この状況が利益につながっている者がいるかぎりこの状況は続くだろう。2008.8.27