[2007]年[3]月[18]日(日)曜日   天気(晴れ)
         M   E   M   O
 7 42 のぞみ66号(新大阪着8時23分)
 8 46 はるか11号(関空着9時33分)
    4階国際線ターミナル団体カウンター76キープラン、航空券の受け取り、リコンファーム注意

 

 
ANAカウンターB10で搭乗手続き。コンピュータのダウンで、20分余り待つ。ロイヤル・ネパール航空はネパール航空に名称変更。
10 25 出国手続き終了。1番ゲートへ。機内持ち込み手荷物のチェック厳しく。
11
 
40
 
定刻になれど、「出発準備中につきしばらくお待ちを」のアナウンス。RAで待たされるのは想定内。
12

 
10

 
機内に。RA412便、機種はB757。何年使っているのだろう。シートの綻びや、汚れが目立つ。ミュージック・サービスの設備もない。B757、2機をやり繰りして国際線を飛んでいる最悪の航空会社。15-A席。隣は、ネパール人主婦。
12
 
30
 
無事離陸。瀬戸内海上空を西に。西風に逆らうため、上海まで2時間20分。軽食(チキン選択)、赤ワイン
13

 
50

 
日本時間14時50分、上海着。久し振りの上海空港はすっかり様変わり。
トランジットはバス利用のため時間ばかりかかる。待合室にいたのはわずか20分ほど。3階の免税店街を一瞥。
15 00 定刻になれど動く気配なし。バスに乗り遅れたのか3人の乗客が。
15


 
30


 
30分遅れで滑走路に。上海周辺の田園、整然とした区画、真新しい3階建ての農家。ビニールハウス。万元戸どころではない。著しい経済成長は近郊農業地帯にもはっきりと。間もなく雲の中に、下界まったく見えず。
ランチ(鴨肉)ビール2缶
19


 
00


 
雲の切れ目に湖が。湖岸に見えるのは昆明?期待したヒマラヤの姿見られず。どうやら航空路はヒマラヤ越えを避け、ミャンマーからバングラデシュに入り、インド側からネパールに向かうようだ。夕焼けに染まる雲海と色彩が刻々変わる空に見とれる。DAPで軽音楽を聴きながら。
19



 
30



 
中国時間21時45分、25分遅れでカトマンズ着。1台しかないバスはすぐに満員。到着ロビーまでは歩いても直ぐ。1番乗りでVISAを発給して貰う。日パ友好記念のため、3月末まで日本人のVISA代無料。4万円両替。22000Rs−800Rs。翌日タメルの両替屋では10円=5.82Rsだった。1000Rs損した。預けた荷物なかなか出てこず、その上、鍵を付けていたファスナーの一部破損。
20

 
10

 
空港出口で、3年半振りにテジさんと会う。日焼けした顔。元気そうだ。スズキ・マルチの分解しそうなタクシーで定宿となったムーン・ライトに。タメルの雑踏の中を抜ける。外国人の姿が目立つ。
20



 
40



 
405号室に落ち着く。テジさん、手早く湯の出具合チェック。家にTEL。携帯は便利。醤油、味噌などの土産を渡し、2階レストランに。ソーセージを肴にサンミゲルで乾杯。テジさんは禁酒を続けているとか。コップ1杯のみ付き合う。いろんなことがあったようだ。明日テジさん、リコンファームとジリ行きの手配。13時にホテルで会うことに。
22 30 入浴、テレビをつけたまま寝入り、4時頃気づく。
     
     
     
      宿泊(ホテル・ムーン・ライト)部屋(405)号室
 [2007]年[3]月[19]日(月)曜日   天気(晴れ)
         M   E   M   O
 6 40 起床。5時頃から隣の小さなヒンズー教の祠の鐘や鳥の鳴き声。
 7

 
00

 
湯を沸かし、紅茶を入れる。食べ残しのチーズとクラッカーで朝食代わり。久し振りのカトマンズの空気だが、朝から排気ガスの臭いのする酷さ。テレビでは歌と踊りのインド映画や宗教番組。CNN、BBCが救い。しかし、生臭いイラク報道。
 9

 
10

 
タメルを抜け、アサンチョークへ。カンティ・パトの歩道橋。カンティ・パトに面した屋上カフェ・レストランでチャイ(15Rs)。インドラ・チョーク、ニューロード、ダルバール広場を回り、ホテルに。隣のリカーショップで、サンミゲルとミネラル138Rs。後日、本当は115Rsであること明らかに。
12 20 ホテルに戻り、サンミゲルが昼食代わりに。
13

 
00

 
約束通り、テジさん部屋に。リコンファーム、3時間かかった由。大勢待っているのに、窓口は1人。非能率な応対にうんざりしていた。ジリ行きのチケットを買うため、30分ほどで帰る。少し、横になる。
15





 
10





 
スワヤンブナートへ。チェトラパティ・チョークで右折した道が、一つ早く、気がつけば、ヴィシュヌマティ川に架かる橋よりはるか北に。橋の畔のヒンズー寺院に立ち寄る。スワヤンブナートの石段で、引き返そうか思案。結局、そのまま上る。靴底が、剥がれているのに気づく。外国人入域料倍額100Rsに。参拝者、観光客、いつ来ても賑わっている。裏側の僧院まで足をのばす。若いアベック、あちこち。陽が傾き始める17時半頃まで過ごし、靴を買いにタメルへ。中国製のトレッキング・シューズ2000Rs。オレンジ、バナナを買いホテルに。歩き疲れた。
19 30 ホテルに戻る
20
 
00
 
ホテルのレストランで、モモ70Rs、トマト・クリームスープ45Rs、サンミゲル160Rs。モモ、注文して40分。
21 10 入浴
21 30 床に





















 





















 
*大気汚染とゴミ問題
 カトマンズの大気汚染は年々酷くなっている。カトマンズ盆地の名物、朝霧も、スモッグが滞留しているようだ。朝のすがすがしい空気は、もうカトマンズ市内で味わうことは無理か。インフラが整備されないままに急増する車やバイク。サッファー・テンプーのような環境に優しい車も使われるようになったが、主流は黒煙を出したり、排ガスの多い中古車。それが狭い道にひしめいている。今回は、タライにおけるバンダの影響で、ガソリン不足から、普段の半分くらいしか車が走っていない状況だった。それでこの有様。以前は見られなかったマスク姿の市民。私も、市街地でタクシーに乗るときはマスクをした。近い将来、犠牲者が出るだろう。いや、すでに喘息などの被害が出ているはず。
 ゴミも酷い。市街地やチョークに積まれたゴミ山は、集積場になっているのだろうが、異臭を発するゴミ山の前で、食べ物を売る精神状態は理解しがたい。朝、店先を掃いている人をあちこちで見かける。家の中は掃除が行き届いている。しかし、ちり取りを持って掃いている人はほとんどいない。自分のテリトリーの外に掃き出しているだけ。空き地や道路はゴミ山になろうが無関心。ゴミ捨て場になった川からは吐き気をもよおす悪臭がただよう。ヒンズー教徒の多いネパールでは、川で沐浴し、死後は川辺でダビにふされ、遺灰は川に流される。聖なる川さえこの始末。トレッキングで一番気になったのもゴミ。どんな山中の険しい道にもゴミが点々と。ゴミがあるところ即ち道。エベレストのゴミが日本では話題になっているが、ゴミ問題はネパール全土での緊急対応を要する大問題。


      宿泊(ホテル・ムーン・ライト )部屋(405)号室
  [2007]年[3]月[20]日(火)曜日   天気(晴れ、夕方雷雨)
         M   E   M   O
 5 00 起床。荷造りに手間取る。朝食は、紅茶、オレンジ、リンゴ、関空で買ったオニギリ。
 7

 
00

 
テジさん部屋まで。トランク1つホテルニ預け、タクシーでプラノ・バス・パークへ。
ポーターのチョッパさん、初対面。トヨタ・ハイエースを改造した15人乗りバス。大きな荷物は屋根に。
 7












 
37












 
カトマンズ発。アルニコ・ハイウェーとの交差点近く、延々とタクシーの列。ガソリン・スタンドに前日から並ぶ深刻な状況。1日並んで、1台10リットル。1リットル約1ドルは日本と同じ。物価水準から考えれば余りに高額。闇値は1.5ドルとか。バンダによって、得しているのは誰か。闇商人=特権階級。
9年前にはバクタプル近くまで走っていたトロリーバス。今は、空港の南、コテシュワルまで。排気ガスのことを考えるならトロリーバスこそ生かして欲しいもの。
何度も走ったアルニコ・ハイウェー。バクタプル、バネパ、ドゥリケル、ドラハット。カトマンズから1時間半。チベットとの国境、コダリまで60q余りの地点。土砂崩れや落石のため2度引き返した場所。乾季の今は通行できるが、道路上には土砂がそのまま残されている。山肌はむき出し。雨季になれば、また繰り返されること明らか。川幅の広いサン・コシ沿いは道幅も広く、舗装もよい。バナナ、パパイヤをはじめ亜熱帯性の植物。河原では、川砂を採取。橋畔集落ラマサングに9時30分着。中国製の商品が山と積まれたバザール。車掌の青年はスニーカーを買い、ご機嫌。ここでサン・コシに架かる橋を渡り、左岸の急斜面をジグザグに上って行く。
11

 
00

 
ムリ。昼食。約20分。メニューはダルバートのみ。
畑の麦。高度差により生育に差。低地ではすでに黄色に。標高が高くなるにつれシャクナゲの花が目立つように。斜面一杯に真っ赤な花が見られる場所も。
12
 
00
 
ヒマラヤの眺望で知られるチャリコット。街の入り口にチェック・ポスト。ヒマラヤの姿見られず。一度タムバ・コシの谷まで下り、再び山越えの道。
14













 
30













 
ジリ着。テジさんの奥さんと知り合いという食堂兼ロッジに。ジリのバザールは全て閉まっている。なんだか様子がおかしい。11時からバンダになったそうだ。2時間ほど前に決まったとか。理由は、政府とマオイストの両者から二重に税金を取られる企業や経営者の抗議と抵抗。いつまで続くのか、またいつ行われるか分からない。カトマンズに帰る日にバンダがないことを祈るのみ。
今は使われていない飛行場まで出かける。灯油の入ったポリタンやプロパン・ガスのボンベ、砂糖や塩、乾麺など山積みにしている。滑走路(ただの草原)の一角がヘリポートとなり、ナムチェなどへの物資補給基地になっている。ナムチェでは灯油20リットル6000Rs、プロパンガス1本7000Rs、ビール1本600Rsになるという。プロパンガスはカトマンズでも値上げが激しく、しかも手に入らなくなっているそうだ。1年前の6倍、3000Rsもするとか。タライのバンダの影響。バンダが物価をつり上げ、闇商人や高級官僚が肥る。バンダを悪用する輩が存在することは確か。飛行場と谷川を挟んで、チーズ工場がある。スイスの援助で建てられたものらしい。今はネパール人によって運営されている。今は山の上まで段々畑になっているが、10数年前まではジャングル。スイスの援助で開発されたとか。
16 40 家にTEL。185Rs。
17





 
00





 
薄暗くなり、雨が降り始める。雷雨に。
チョッパさんとサンミゲル2本。持参のイカクン、好評。ロッジの主人、80才とはとても見えない。しかし、長女が63才で、孫の一番上が32才と聞けば信じざるを得ない。奥さんは68才(再婚?)。夕食はチキン付きのダルバート。味はよいが、骨付きのチキンは堅く、ダルバートは量が多い。半分とって貰う。デザートはカトマンズから持ってきたオレンジ。TVニュースを見て、カトマンズに働きに出ている息子の部屋に。チョッパさんが用意してくれた湯で顔と手を洗う。さっぱり。
21 30 寝袋に潜る。
    宿泊(ジリ、バスターミナルのロッジ)部屋(孫の部屋)
  [2007]年[3]月[21]日(水)曜日   天気(晴れ、夕方雷雨)
         M   E   M   O
 4 00 ニワトリの鳴き声に起こされる。犬もやかましい。
 5
 
00
 
階上の老夫婦、起きられたのか物音が、やがて読経の声が。あちこちで人の声。騒がしくなり、起床。
 6 10 テジさん、洗面器一杯の湯を運んでくれる。
 6 25 チョッパさん、朝食のチャイ、バナナ、ビスケットを。
 7 00 階上の食堂でチャイを頂き、記念撮影。
 7












 
20












 
竹の杖を借り、トレッキング出発。
バザール、病院の上を抜け、いよいよ上り坂に。きつい坂ながらシャクナゲの花に元気づけられる。90s以上の荷物を背負ったポーターに出会う。
テジさんの言葉を借りれば「人間トラック」。去年(2006年)4月の政変以来、復活したそうだ。マオイストによる営業税(カツアゲ、用心棒代?)、1人1日50Rsの徴収がなくなったのが大きな理由。ヒマラヤ観光、トレッカーの増加もあるが。ナムチェまで約18日、それで2万数千円の収入。その間の食費等を差し引けば、実質手元に残るのはわずか。ヘリ輸送との競合もあり、年々厳しくなっているらしい。1q余りの間隔で、ロッジを兼ねた茶店(看板はレストラン&ロッジ)があり、いつでもチャイは飲める。ニワトリ、ヤギ、牛と人が一緒に生活している。麦畑、ジヤガイモの芽。モモやスモモの花。そしてシャクナゲ。単独、2、3人連れのトレッカーが追い越していく。ルクラに飛行場ができるまでは、エベレストに登る登山隊やトレッカーで賑わい、キャンプ場の確保さえ難しかったというこのルート。今は昔の面影はないそうだが、それでもトレッカーやポーターが戻っている様子に安堵するテジさん。
10


 
30


 
峠に着く。先ほど追い越していった、エベレストBCまで、プロパンガス・ボンヘを運ぶポーターの一団が休んでいる。登山隊の仕事は分がよく、30sのボンベ1本、3万円ほどになるという。ロッジに雑多の荷物を運ぶポーターに比べ、速度は3倍以上。普通1週間かかるところを3日で歩くという。
11
 
00
 
峠を少し下った、学校の側のレストラン&ロッジで、昼食に。ジャガイモと青菜のダルバート。
12

 
10

 
出発。一気に下る。急斜面。菜の花。モモ。狭い段々畑。2頭の牛を使って鋤耕。民家の庭先に干されたヒエ。杵を作る夫婦。谷沿いには真っ赤なシャクナゲの群落。吊り橋を渡る。
14






 
20






 
シヴァラヤ着。谷間に数軒のロッジ、そして雑貨や衣料品、食料品など並べた店が10数軒、軒を連ねる。その内の1軒に宿をとる。1泊なんと30Rs。SOLUKHUMBU LODGE & RESTAURANT  1階は文具・駄菓子屋兼食堂、2階がロッジ。ビールはなく、テジさん買いに。1本130Rs。向かいの店前にバイクが1台。聞けば、ジリから谷沿いにジープ道があり、ここまでは何とか車が入る。しかし、歩く場合は、山越えをする。1日、1、2台しか車が来ることはないそうだ。村の中を歩いていると雨が降り出した。ビデオの具合悪い。15時30分、雷雨に。薄暗い食堂で、チュッパさんと焼酎の水割りを。
18


 
00


 
雨が上がり、ロッジの裏からキムティ・コーラの谷を見ると、雪山が。
チュッパさんも手伝っていたダルバートができた。ダルバートにも慣れた。
雷雨のためか、それともいつものことか、停電になり、結局、朝まで電気はつかなかった。その上、懐中電灯の電球が切れ、頼みはローソクのみに。
20

 
00

 
暗闇の中、することもなく、寝袋に潜る。深夜、酔っぱらった連中の大声と何かを追いかけているような犬の鳴き声が。トイレに外に出ると、満天の星。星が降ってくるような錯覚すら。



宿泊(SOLUKHUMBU LODGE & RESTAURANT)部屋(2階ベランダ側)号室
  [2007]年[3]月[22]日(木)曜日   天気(晴れ)
         M   E   M   O
 6
 
00
 
起床。チュッパさん、洗面器に湯を。表に出て、洗面・歯磨き。
チャイ、オレンジ、バナナ、ビスケットを部屋に。
 7







 
00







 
出発。両側に10軒余りの店が並ぶバザールを抜けると直ぐ急な坂道。2、300m登ると視界が開け、キムティ・コーラの谷底平野と雪を抱く峰々が前方に。ヒマラヤの一部かと感激するが、「あれはヒマラヤではないです。峠です。少しのぞいているピークが6000mぐらい。あの峰は5000mほどです。5000mや6000mの峰は峠です」とテジさん。ドイツ人男性トレッカーが3人、ポーターも連れずに登ってくる。2、30sはありそうなリュックを背負っている。デンマークの青年、フランス人女性などガイドと一緒のトレッカーはかなりの早さで登って行く。右手にシヴァラヤの集落を見下ろしながら30分ほど歩くと、見晴らしのいい尾根に出た。石畳の道沿いに、ロッジを兼ねた茶店が3軒ばかり並んでいる。軒下から出る煙は、チャイの準備か。
 8


 
20


 
まだ若い男1人、女2人、3人連れのポーターが休んでいたサンバダンダの茶店で8時50分まで休憩。チャイがうまい。ヒヨコを連れた雌鳥が足下をうろうろ。登校前(始業は10時)の子供が小石で遊んでいる。小石を蹴ったり、投げたりする遊びは万国共通。
 9
 
30
 
トドゥン・シェルパ・ホテル&ロッジ前を。トドゥンにはチーズ工場があるそうだが、ここからだと2時間ぐらいかかる。
10
 
00
 
ロッジのトイレ借用。肥壷はなく、樋で谷に落下する工夫。
シャクナゲは赤からピンク、白に。
11



 
30



 
目的地、デオラリ峠に到着。ハイランド・シェルパ・ゲストハウス(2705m)に宿をとる。一泊100Rs。トレッカーの多かった10年前には600Rsとられたそうだ。
峠の東斜面は急崖になっており、リグ・コーラの谷筋を挟んで、ラムジュラ・バンジャン峠(3530m)のある尾根筋を見渡すことができる。尾根筋は残雪があり、最初ヒマラヤの一部と勘違い。真下には、週1回市の開かれるバンダルの集落が。
12
 
30
 
昼食。トゥクパ(実際はインスタント・ラーメンに青菜を加えたもの)とチャイ。
テラスで日向ぼっこ。風は強いが、日差しは気持ちよい。
13


 
30


 
チーズ工場があるというゲストハウス裏の尾根を登ってみる。
芽吹いたばかりのジャガイモ畑。石垣を巡らした、畑・放牧場。シャクナゲも日当たりのよい東斜面では咲き始めているが、風の強い西斜面ではまだ蕾。チーズを食べに行っていたのか、トレッカーが1人、ガイドと下りてくる。
15


 
00


 
ゲストハウスに戻る。テジさん、シヴァラヤで買ってきたというビールを。ポーターの背に乗る時間が長くなるほど値が上がる。ビールもデオラリでは160Rsに。
チョッパさん、バンダルまで出かけ、竹製の負い篭(1つ100Rs)4つ、ククリ(260Rs)を買ってくる。明日が市日らしい。 向かいのロッジでTEL。
16

 
30

 
小学校、デオラリ村のある向かいの尾根に登る。マニ石の堤、チョルテン、ルンタ。チベット仏教の世界。見覚えのある灌木はアセビの群落。シュクナゲも多い。
薄暗くなるまで散策していた。
18




 
30




 
夕食はチョウメン。残りの焼酎とロキシ、つまみはタラチーズ。ゲストハウスの女の子、2、3才。タラチーズぱくぱくと。気がつけば空。
同宿のアメリカ人。テレビを見ながら、「シング・ソング、シング・ソング」と。インドも、ネパールも、テレビ番組は賑やかな歌と踊りばかり。「アンド・ダンシング」と言えば、大笑いに。
何軒かのロッジで、自家発電をしているそうで、今日は停電なし。
21 30 寝袋に。



宿泊(ハイランド・シェルパ・ゲストハウス) 部屋(2階南西)
  [2007]年[3]月[23]日(金)曜日   天気(晴れ)
         M   E   M   O
 5 30 起床
 5




 
45




 
昨夕登った、デオラリ村の上にある放牧地まで行き朝日に染まるヒマラヤを眺望。
左にランタン・ヒマールの峰々、右にガウリシャンカルのピークが。時間の経過とともに、山肌はピンクから白に、日陰から日向にと変化。静寂、冷気の中、しばし見入る。
海抜2800m。足下は霜で白くなっている。シュクナゲも少し悴んだ様子。
6時半頃から上空を次々と小型機が通過。ルクラやマウンテン・フライトに向かう便。ナムチェもこの週末は大賑わいに。
 7 50 ゲストハウスに戻り、トゥクパとチャイで朝食。
 9
 
00
 
デオラリを後に。2日かけて来た道を1日で引き返す。下りは上りの2/3の速さ。
10
 
50
 
昨日、テジさんがビールを買ったサンラダダの茶店(SUSHILA LODGE)で休憩。
子供2人はカトマンズに。40過ぎの奥さん一人でLODGEを。11時10分まで。
12
 
05
 
シヴァラヤ。一昨日、家にTELをかけた店で昼食。山盛りのダルバート。半分返す。
テジさん、ジリに電話し、明日のバスの予約入れる。
13







 
10







 
シヴァラヤ発。キムティ・コーラに架かる吊り橋を渡ったところで出会った青い制服の小学生。カメラを向けるとナマステのポーズ。お礼に1個ずつチョコをプレゼント。するとまたナマステ。可愛らしい。毛並みのいい耳の垂れ下がった山羊。1頭1万Rsぐらいするとか。普通の山羊は5、6千Rs。
ナムチェから下りてきた女性とガイドの二人連れが追い越していく。逆に、2人連れ、5人連れのトレッカーとすれ違う。アメリカ人トレッカーには鍋やテーブルを担いだポーターが一緒。キャンプしながらのトレッキングだ。
登山隊の荷物を運ぶポーターの一団ともすれ違った。大変な仕事だが、「仕事があることがうれしい」と。
15
 
20
 
一昨日、昼食をとったロッジに近い小・中学校側。デオラリ峠、見納め。雲の切れ目に雪山。
15




 
37




 
峠に。スモモに似た白い花。酸っぱい赤い実がつくという。
下りは、やはり楽だ。シヴァラヤから子ヤギを買って帰るという少年としばらく一緒に。お使いといっても一山越えての一日仕事。しかし、素足にゴムサンダル。まるで、ちょっと隣まで行って来たかの様子。山に暮らす彼らにとって、日々の生活は歩くこと。物を運ぶのも人力。車とは無縁の世界。時間距離はおそろしく長い。あくせくしても仕方がない。思い知らされたトレッキング。
17









 
25









 
ジリのロッジに戻る。今夜もマレーシアで買ってきたパナソニックのミニコンポとCDやカセットテープが積まれた孫の部屋泊まり。老夫婦曰く「マレーシアまで働きに行って、やっちもねえものを買ってきて。もう少しましな物をかってくればええのに。金が一番ええ」。
どうやらバンダの心配はなさそう。明日のカトマンズ行チケットも購入できたようだ。
早速、ビール。蒸かしたジャガイモとピーナッツをつまみに。
明るい内にとバザールを一回り。隣の食堂にテジさん。仕切りがあり別の食堂と思ったのだが実は同じ店。老夫婦はビール好き、干した水牛の肉を肴に2本目。さらにトゥンバまで。
老夫婦の部屋で、ダルバート。その上、ムスタンのあたりで飲むというバター入りのロキシを。すっかり酔う。
21 30 いい気持ちで、寝袋に。










 










 
*15年前にはジャングルに覆われていたというデオラリまでのコース。山頂まで開墾が進み、急斜面もすべて段々畑に。わずかに残る木々も山羊の餌となり、枝葉が切られみすぼらしい姿に。雨が降れば、あちこちで土砂崩れが起き、植生の失われた山から一気に濁流が谷に流れ込む。毎年のように発生するガンジスの洪水。その元凶を見た。さらに深刻なのはゴミ。都市だけではない。山の中でも。枯れ谷のような道も、道であることを如実に示すのはゴミの帯。道と道沿いにはビニール袋や菓子袋。自然界では分解しにくい、化学物質の破片が点々と。村のはずれには、悪臭を放つゴミの山。ダイオキシンの発生を防げるような焼却場などどこにもない。ゴミの分別収集など夢のまた夢。エベレストのゴミの撤去は、登山隊の責任問題だが、早急に対応すべきは分解しないゴミ対策。

宿泊(ジリ、バスターミナルのロッジ)部屋(孫の部屋)号室
 [2007]年[3]月[24]日(土)曜日   天気(晴れ)  
         M   E   M   O
 4 00 「コケコッコー」。ニワトリの体内時計に驚かされる。
 5 00 老夫婦の読経と共に起床。まだ薄暗い。
 6
 
00
 
チョッパさん、洗面器一杯の湯。裏口で洗面。
チャイ、オレンジ、ビスケットを部屋に。
 7 00 店でチャイのおかわり。
 7 35 カトマンズ行、マイクノバス発車。満席。
 8
 
20
 
前方に、白銀に輝く、ランタン・リルン(7234m)。右に、ガウリシャンカル(7146m)の尖峰が。
青空にくっきり。昨朝より大気が澄み鮮明に。運転手に頼み、写真ストップ。
10
 
00
 
チャリコット着。ヒマラヤの展望スポットとして知られる町。少し、霞がかかってきたが、180度ヒマラヤの峰々が。
10

 
55

 
昼食ストップ。ネパールの人は、1日2食。朝はチャイで済ませ、早めに昼食をとる。
あらかじめバス会社が予約しているため、待たされることなくダルバートが出てくる。20分ほどで全員食べ終わる。
12

 
30

 
コダリとの分岐、サン・コシ川の河岸、ラマサング着。
4日前よりずいぶん暑い。Tシャツ姿の人も。
ドゥリケルからも、カトマンズ盆地に入ってからもヒマラヤの峰が見える。
14 30 カトマンズ着。チョッパさんとジリのロッジの孫息子、リングロード近くで下車。
15


 
00


 
タクシーひろい、タメルを抜けホテルに。
2階レストランで17時頃まで。テジさんのプライベートな話。出稼ぎがもたらす家庭崩壊。所得格差と政情不安。特権階級の若者たち。話題尽きず。
携帯で家にTEL。久し振りの入浴、洗濯。
19
 
00
 
タメルの日本料理店「ふる里」で豚肉ショウガ焼き定食。200Rs。
ホテルの隣のリカーショップでククリラム1本425Rs。
21 30 床に。
     
     

   宿泊(ホテル・ムーン・ライト)部屋(405)号室
  [2007]年[3]月[25]日(日)曜日   天気(晴れ)
         M   E   M   O
 5 00 起床。テジさんとの約束5:30〜6:00。ロビーでしばらく待つ。
 6

 
00

 
ホテル発。タクシーをチャーターし、ナガルコットに向かう。アルニコ・ハイウェーはすでにラッシュ。ネパールの休日は土曜、日曜日は平日。朝霧の中から人の列。9年振りに上るナガルコット。通行料50Rs。誰が何の目的で徴収しているのか分からない。
 7



 
00



 
クラブヒマラヤ・ナガルコットリゾートの展望台にて、ヒマラヤを眺める。少し霞がかかり、手に取るようにとはいかなかったが、ランタン・ヒマールやガネッシュ・ヒマールの峰々が見られた。韓国からのツアー客がバス2台で上っており、賑やか。ソウルから大韓航空の直行便があり、韓国からの観光客が増えている。海抜2100m。カトマンズと比べ肌寒い。ローカルバスの停留所まで下り、チャイを飲む。10Rs。
 7




 
50




 
ナガルコット発。パナウティ行きを希望していたのに、そのままカトマンズに戻ろうとする。どうやら運転手に伝えていなかった様子。「ガソリン不足で、無理」、「バネパのガソリンスタンドは開いているかも知れない」とやり取りしていたが、何とかなるだろうとバクタプルから進路を変え、パナウティに向かう。しかし、全てのガソリンスタンドに「ノー・ガソリン」の張り紙。明日入荷のガソリンを待つタクシーが4、5台並んでいるスタンドさえ。軽油はあるのか、バスやトラックには給油。
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パナウティ。ロシ・コーラとプンガマティ・コーラの合流点に立地するクリシュナ寺院に。河岸から白いダビの煙。沐浴をする人。円座になって待つ人。川を渡るサドゥー。テジさんの宗教論。神仏の溢れる国に住むテジさんの宗教批判は興味深い。13世紀に創建されたというシヴァ寺院はめずらしく手入れが行き届いている。フランスの援助で修復された。近くに学校があり、始業直前。登校してきた生徒の賑やかなこと。外国人に会えば「ハロー、ワンペン」。誰が植え付けたのか。至る所で聞く言葉。1時間ばかり古都を散策し、バスターミナルでオレンジを買って帰途に。
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パナウティ発。カトマンズに入るや大渋滞。ガス欠気がかり。ドライバーはストップする度にエンジンを切る。国立競技場前からカンティ・パトに入り、11時45分、やっとタメルに。ガソリン不足がうそのような車、バイクの群れ。息苦しい。タクシーのチャーター料1800Rs+100Rs。
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タメルの「モモ・スター」で、水牛スープ・モモ(1人前35Rs)とチャイ(8Rs)。
カレンダー4部50Rs、ビール(いつも115Rsとられる店で、テジさんが払うと100Rs。ネパーリー・プライス要注意)。
13 00 ホテルに戻る。1時間ばかり昼寝。屋上に。家にTEL。
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テジさん迎えに。カトマンズ北東部郊外のテジさん宅(アパート1階)に招待される。
家族は、奥さん(ソルさん23才)、息子(ジェームス・ノボル1才)。年齢差を気にしていたが、明るく気さくな奥さん。英語も日本語も通じず、ゼスチャーとテジさんの通訳での会話であったが、意思疎通は十分。再婚の経緯などついつい長話。今度は大丈夫だろう。ビールにトゥンバ、手作りのポテトフライやミックス・チョウメンなどでのもてなし。ジェームスも最初は顔見知りが激しく、嫌がっていたが、そのうち懐き、帰り際には一緒に行くと泣き出すまで。ジェームス・ノボルのノボルは日本語。「ユタカとノボルのどちらがいいですか」と聞かれ、「ノボル」に。20時40分、帰途に。近隣にはマオイストの幹部が住んでいるとか。狭い路地に四輪駆動車が止められている。車を所有するマオイスト。やはり特権階級?
少し歩くつもりだったが、直ぐタクシー拾える。
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20分足らずでホテルに。やはり交通量が少ない。タライのバンダのため。
入浴。早々と床に。
    宿泊(ホテル・ムーン・ライト)部屋(405)号室
 [2007]年[3]月[26]日(月)曜日   天気(晴れ)
         M   E   M   O
 5 55 起床。
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屋上で日の出を。カトマンズ盆地を取り巻く2、3000mの山地。西はカトマンズ市街地が山麓まで。その山地の鞍部に朝焼けに染まったピークが一つ。どうやらガネッシュ、7406m。
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フロントから朝食の連絡。4泊目にして初めて。昨日、テジさんから聞いていたが、朝食込みの宿泊料金。毎日、ホテルを出るのが早朝のため、致し方なかったとはいえ、「居るときも案内なし」とは、と一言言ったのが早速効いた。
2階レストランにてコンチネンタル・ブレックファースト。
CNNで、「日本の中部で地震。死者1名、負傷者160名」のフリップ。詳細が分からない。BBCとCNNを交互に。一瞬映った崩れた日本家屋、金沢の文字。能登半島を襲ったM6.7の地震知る。BBCはスリランカのコロンボ空港での爆弾事件、イランで拘束されたイギリス兵のニュースがメイン。
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ホテル〜チェトラパティ・チョーク〜タヒティ・チョーク〜セトマチェンドラナート寺院(イラム茶、マサラ、線香購入)〜インドラ・チョーク〜ニューロード〜カトマンズ・モール〜郵便局前〜ビムセン・タワー〜ニューロード〜タメル〜ホテル
11 30 ホテルでインスタント・ラーメン。
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テジさん迎えに。タクシー、チャーター1200Rs。タメルから約30q、カカニへ。
ランタンへの玄関、シャブルベンシに通じる道を走ること約1時間。海抜2073mの丘。朝はナガルコット、夕はカカニと言われるヒマラヤ展望のスポット。東はエベレスト、西はアンナプルナまで見渡せるとガイドブックには書いてあるが、ヒマラヤは雲の中。
丘の上には軍の駐屯地があり、許可を得て、丘に登ったが、残念。
リングロードからボダナートにまわる。
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ボダナート。スープ・モモを食べ、ヤクチーズ(100g60Rs)買う。
ゲートで100Rs払い、大ストゥーパへ。ここも9年振り。その時は無料。観光客が多い。マニ車を回しながらストゥーパの周りを回るチベット人、老若男女。ネパールに住むチベット人の多さを再確認。いつものテジさん流宗教論を聞きながら、2周。土産物屋やチベット人相手の食料品店をのぞく。中国製品が溢れている。
16 40 タクシーでホテルに戻る。家にTEL。シャワー。
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散策。セト・マチェンドラナート寺院。広場に山車。大変な人出。国民の休日にもなっている山車巡行の前夜祭だった。朝、イラム茶を買った店の前で写真を撮らせて貰う。
タメルのアンナプルナ・レストランでビール(160Rs)とチキン・カレー(90RS)。留学生の結婚式に招待されてきたという福岡の老母娘、相席に。
21 30 ホテルに。
  宿泊(ホテル・ムーン・ライト)部屋(405)号室
 [2007]年[3]月[27]日(火)曜日   天気(晴れ)
         M   E   M   O
 5 00 起床
 5 30 テジさん迎えに。
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タクシーチャーターし、カカニへ。軍の駐屯地まで上がるが展望悪く、昨日と同じ場所に。
朝霞がかかってはいるが、マナスル(8163m)、ガネッシュ(7406m)が。風が冷たく、肌寒い。1時間余り、眺めていた。
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ホテルに戻り、2階レストランで、朝食。明日からダウラギのトレッキングに出かけるフランス人グループ(2組の夫婦と男性1)が隣席に。
18日間のトレッキングに必要な燃料(プロパンガス)が手に入らない上、ポーターも集まらず、朝からチョッパさんや仲間と携帯で連絡を取り合っているテジさん。
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部屋で、精算。丼勘定だが、今回は、結婚祝い、ジェームスの誕生祝いを含め、10日分、6万円。
テジさん、20時には迎えに来るからと、トレッキングの準備のため帰宅。
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買い物に。インドラ・チヨークまで。
いつも同じ土産になるが、パシュミナ(2枚3500Rs)、バティック(1400Rs)、銅器(400Rs)など買う。昼はタメルのヤク・レストランで、チキン・トゥクバとチャイ(75Rs)。
14 30 ホテルに戻り、シャワー、片付け。
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アサン・チョークまで。ヤク・チーズ100g=35Rsの店あり、500g。農作業用のククリ(1400Rs)。レストラン・ラサで、スープ・モモ(90Rs)とビール(180Rs)。
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ホテルに戻り、荷造り。
屋上に。スワヤンブナート、照明に浮かぶ。
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テジさん、奥さんと共に迎えに。
ホテルの支払い。7000Rs。
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空港。夫婦で白いカタを首に巻いてくれる。
再会を約し、別れる。
手荷物検査→空港税(1695Rs)→搭乗手続き→出国手続き→機内持ち込み荷物検査→待合室→出発待合室
22 50 搭乗開始。RA411、11D席。
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離陸。上海まで約4時間20分。早朝の上海空港は売店も全て閉まったまま。
トランジットで1時間余り待たされる。
 7 50 (中国時間)上海発。
10 40 関空着。30分早い。
11 16 はるか18号(新大阪着12時07分)
12 29 のぞみ17号(岡山着13時13分)