慟哭の大地13
「慟哭の大地」

13 室町小学校と東大房身 

旧室町小学校

 室町小学校(現在は天津路小学校)は、長春駅の近くにあった。龍爪開拓団員は、牡丹江付近の 収容所から、無蓋列車でハルビンの花園・桃山小学校へ、さらに長春の室町小学校へと移ってきた。 それらの収容所では、わずかな高梁粥やトウモロコシの粥が、1日に2回1杯出るのが現状だった。 迫って来る寒さと飢えが、龍爪開拓団員に容赦なく襲ってきた。室町小学校は、教室も体育館も避難民の 日本人で一杯だった。

 神原君恵さんは高見きしの、エミ子と、ハルビンの桃山小学校を経て、同じように室町小学校・ 東大房身にいたことを記憶している。しかし、高見敬市、コメ、進、英夫さんと妹さんは、新京の収容所と しか記憶にない。

 「すでにハルビンで僕の3番目の弟(敬信)が飢えと寒さで死んでいましたので、父・母・僕・弟・妹の 5人で新京へ行きました。難民所には驚いたことに、毎日のように人身売買が行われていたことです。 新京の難民所から一歩外へ出ると子どもは高い値で売れるというのです。難民所の外には買う人が 待っていて、喜んで買って帰るのです。」(高見進氏の講演より)

 『龍爪開拓団の足跡』の記録によると、日の出郷の小川さん家族、今川さん家族、春日郷の 横山さん家族などが室町小学校で12人がお亡くなりになっている。

 国境付近にいた満蒙開拓団をはじめ、多くの日本人が新京(長春)を目指して避難した。

 室町小学校はたちまち満員になった。室町小学校から西南に約6キロ離れた場所に軍宿舎が あったのでそこへ移った。船越美智子さんに教えてもらい、彼女が20年前に行った写真を手がかりに 東大房身へ行った。緑園寧静小学校や汽車結核病院となっていた。

 そこでは、上岡山郷の船越繁一さん、八幡郷の今岡さんの兄弟、福島さん父子、犬飼さんの 家族3人、春名さん、服部さん母子、本部の金田さん兄弟などやはり12名お亡くなりになっている。 新京で、今岡さん姉妹は、残留婦人・残留孤児となった。

 こうして、龍爪開拓団員の中には越冬することができず、栄養失調、発疹チフスで死亡した。 記録によると、長春(新京)で岡山県関係だけでも38人、龍爪開拓団全体で92人死亡している。 実際はもっと多いだろう。

 ここで亡くなった日本人は、東大房身から2〜3キロしか離れていない長春公園(当時は植物園)に 埋葬されたという。ここには、日本人が約2万人埋葬されているといわれる。高見さん、小林さん、 織田さんは、東大房身と、長春公園で花束を捧げ、冥福を祈った。

 翌朝、長白山ホテルの近くの南湖公園に行った。早朝の南湖公園は、気温18度ぐらいで 半袖では寒いぐらいだった。太極拳や釣りを楽しむ現地の人がいた。ここも、日本人の遺骨が たくさん出て、まっすぐに道ができなかったという。誰が亡くなったかは知らないけど同じ日本人として 心から冥福を祈った。


東大房身跡

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