4 入所式―協和隊3500人 

 1944年(昭和19)9月27日に三井造船所グランドで入所式が行われた。 海軍大臣代理の加藤大佐が「入所の半島青年は、何れも20歳前後の模範青年を選択して、生産陣営に 投じたものだといふことを聞いていたが、この分列式は軍隊以上の立派さであり、生産増強に頼もしい 援軍が来たものと期待するところが実に大きい」と挨拶をした事が、当時の合同新聞が報道している。 三井造船所の社内報『産報龍骨』には、三井造船所副所長庭田省三氏の前で宣誓文を読む「松原豊成」 こと禹奎鎬氏が掲載されている。一次の入所式は、1500人の協和隊員であった。続く10月28日に 第2次入所式が2000人で挙行された。この時の宣誓文を読んだのは、金本在源氏(創氏改名)で 「大和一致奮励努力し、以て応徴戦士の本分を完うせん」と挨拶をした。これも、合同新聞に掲載されている。


入所式

5 協和寮 

 協和寮は、玉野市築港2丁目で現在の宇野中学校敷地にあった。木造二階建ての校舎のような構造で あった。第1次応徴士1500人が到着したときは3棟のみで、10月7日に完成した事が『産報龍骨』 掲載されている。合同新聞にも県の労務挺身隊によって3ヶ月の突貫工事で完成したとある。敷地の 周りは竹垣で組まれており、入口に警備室があり、三井協和隊と看板が掲げられていた。協和隊員が 歩哨に立っていた。協和寮は、本部1棟、医務室1棟、調理室1棟、風呂場1棟、寮7棟で構成されて いた。寮1階に事務室と副官室があり、内務班は12畳に12人が暮らしていた。  


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