「緑の大地」5
「緑の大地」

緑の大地 その2 ― 張家屯襲撃場所 ―

張家屯と高杉久治

 「母との別れ」―張家屯襲撃事件―

 閻家駅から西へ約5キロに張家屯という集落があった。

 1945(昭和20)年8月16日のことだった。ソ連参戦を知った七虎力開拓団員約500名は、依蘭方面に 向けて終戦も知らずに、逃避行を続けていた。

 どろどろにぬかるんだ道を馬車80台が連ねていた。男たちは「根こそぎ動員」で召集され、 役員の年配男性と女性や子ども達ばかりの集団であった。

 張家屯に差しかかる手前の道で、「事件」はおこった。今は何も痕跡すらない。周囲は一面に 広がる大豆畑が続いていた。当時は小高い丘があって、そこから銃弾が団員を襲った。

 「私は4歳で、当時のことを覚えていません。私はこの日のことを養母から後で聞きました。 私は、この橋のたもとの麻畑で翌朝泣いている所を拾われました。黒い綿入れの服に黄色いズボンを はいて、蚊にいっぱいさされて顔を腫らしていたそうです」と高杉久治さんは説明してくれた。

 七虎力開拓団には、西崎忠雄著『七虎力村』によれば、645人が入植していた。岡山県の者は、 岡山郷・備前郷・吉備津郷・美作郷に居住していた。

 父高杉方一さんは、1939(昭和14)年吉備津郷に入植した。

 翌年一時帰国して、秋子さんと結婚した。当時は「大陸の花嫁」と呼ばれた。

 高杉久治さんは、1941(昭和16)年11月に七虎力開拓団吉備津郷の家で生まれた。弟の悟君は 1944(昭和19)年に生まれた。

 張家屯襲撃事件後、多くの団員が集団自決した。

 張家屯での襲撃後、母秋子さんは伊漢通収容所で「手を、ほんの一瞬、離したすきに、 あの子はいなくなって・・」と、毎日悔やみ続け泣いていたという。

(山陽新聞夕刊8月19日掲載)

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