「緑の大地」 |
---|
大張家小学校での日中交流 |
---|
大張家小学校、サッカーボールの贈呈 |
---|
私の知り合いの教師に、北海道の帯広に住む高校教師がいる。蓑口一哲先生は、『語り継ぐ民衆史T 飢餓の島ガダルカナル』 (2003年)、『語り継ぐ民衆史U フィリピンの戦い』(2004年)と出版している。そして、 今年『語り継ぐ民衆史V 開拓団の満州』が出版された。北海道出身者で開拓団にかかわった人の 丹念な聴き取りと、本人の写真・資料の提供や現地調査や文献資料にも精通したすばらしい研究成果を 出版している。
2004年夏、麻山(まさん)事件関係者24人と訪中して、「慰霊」に行った。麻山事件は、 林口駅と鶏西駅の中間点でおこった。哈達河(はたほ)開拓団は、ソ連参戦に伴う逃避行の果てに、 ソ連軍と蜂起した中国人の前後にはさまれて身動きができなくなり、ついに集団自決事件をはかった 事件である。方正の日本人公墓の隣にお墓がある。
簔口先生の『開拓団の満州』に以下のような記述がある。
「2004年8月、私たちは24名の団体を組織しこの地に向かった。団体の中には、この麻山事件の 生還者鈴木幸子さんや、ここで家族と教え子の多くを失った元小学校教師岩崎スミさんも含まれていた。 しかし、私たちの団体はここにたどり着けなかった。
悪化したままの日中関係を背景に、私たちは『軍国主義的慰霊団体』と見なされ、現地の 黒龍江省公安庁によって立ち入りを阻止されてしまった。現地入りを直前に、牡丹江市から元来た道を 戻らざるを得なかったのである。」
蓑口先生は、10月に個人的に「ひっそりとそして緊張の中に」再訪問を果たした。
この事件は、中国東北部を扱う旅行社の間では、語り継がれていた。私が、アジア・コミュニュケーションズの 松井三平社長とこの企画を打診したときから聞かされていた。私たちは、「開拓団を訪ねるだけでなく、 日中友好をはかる旅」としたのはそんな理由もあってである。今年4月には、上海の反日デモで 日本領事館が襲撃を受けていた。では、日中友好をどうはかるか。私たちの訪中団には、 現職の教師3人、元教師3人が参加する。どうせなら、日中友好が未来へとつながる中国の関係ある地の 小学校にスポーツ用具を提供しようということになった。
大張家小学校は、60年前七虎力開拓団が襲撃を受けたすぐ近くにあった。青くよく晴れた空が まぶしかった。校庭にも大豆やとうもろこしが植えていた。125人の生徒が在籍している。 校長先生以下教師と、9人の男子生徒、8人の女子生徒が迎えてくれた。簡単な贈呈式後、早速スポーツ用具をあけた。 養護学校(小学校)の教師である春名先生は、女子生徒とバトミントンをしたり、男子生徒とサッカーを して遊んだ。街の人(保護者)と思われる人々も多く集まってきた。心温まるひとときだった。
帰る時、正門まで見送ってくれ、バスから見えなくなるまで手を振ってお別れをしてくれた。 田舎の純朴な子どもたちの笑顔に、発展する中国の未来を見た。
見送ってくれた大張家小学校の児童 |
---|