「緑の大地」17
「緑の大地」

瀋陽と九・一八歴史博物館

九・一八歴史博物館

 満州事変の発端となった柳条湖事件の現場を訪ねた。瀋陽北駅から北に約3キロ地点にある。 バスを降りると、すぐにカレンダー型の残暦碑が目に入る。そばに、日本軍が建てていた炸弾碑 (関東軍が満州事変の軍功を誇示するための記念碑)や忠魂碑(千代田公園の近くにあった)が 中国民衆に倒されたまま横たわっている。「怨み」を直に感じた。

 1999年8月に、九・一八歴史博物館は完成した。私自身は二度目の入館だが、今回の旅行参加者は、 全員はじめての入館であった。

 戦前は「奉天」と呼ばれた瀋陽市は、桃仙国際空港から高速道路で市内に入る。空港からの 周囲の風景にとうもろこし畑はなくなり、マンションが立ち並んでいた。マリオットホテルやテレビ塔や 体育館など町の郊外から発展してきている。私たちは、瀋陽駅に近い商貿飯店(シャングリラホテル)に 泊まった。駅前の「日本人街」といわれた地区の発展がむしろ遅れている。私たちは、瀋陽の 「光と影」を見るために、その朝から旅行参加者の有志で1時間余り散歩した。

 1937(昭和12)年、満州日日新聞社が発行した「大奉天新区画明細地図」を私は持参していた。 旧千代田通から歩いた。太原街は、旧青葉町と呼ばれた日本人街の繁華街であった。赤レンガの瀋陽 南駅=旧満鉄奉天駅は今も健在である。そこから旧浪速通に抜けた。中央郵便局・中央電報局の 建物は現在もそのまま使われている。満蒙百貨店・秋林百貨店跡は、建物のみ残っていた。 中山広場=旧大広場には、毛沢東主席の銅像がある。当時は、すぐ近くに加茂小学校・春日小学校・ 奉天神社があり、このロータリーに面して遼寧賓館=旧ヤマトホテルが三ツ星ホテルとして現役で 利用されていた。旧奉天警察署は、現在も警察の建物である。中国医科大学および付属病院は、 旧満州医科大学である。旧中央銀行があった場所を曲がって、旧千代田通に戻って、ホテルに帰った。

 瀋陽=旧奉天の街は、山陽新聞の「落葉帰根」の中で龍爪開拓団から逃避行し、この街で父を 失い、病院で働き、兄弟で生活した高見英夫さんや村上中隊で残留孤児になった杉山勝巳さんら 多くの中国残留孤児たちの「運命」を翻弄した中国東北部最大都市である。

 歴史博物館は、皇姑屯事件=張作霖爆殺事件から展示が始まる。柳条湖事件、撫順の平頂山事件、 反満抗日の土龍山事件、愛新覚羅溥儀の即位など「満州国」14年の歴史に抵抗した中国の愛国的な 抵抗運動の歴史が立体的でデジタルに展示されている。ここでも、日本語で説明を受ける私たちに 周囲の中国人から「痛いような鋭い視線」を浴びた。

 新聞によると、9月18日、柳条湖事件74年、抗日勝利60年の追悼式が行われた。1000人以上の 市民が参加したコーラス隊による「歴史を忘れるな」という抗戦歌曲を大合唱があり、「警告の鐘」が 14回つかれ、9時18分には、空襲警報が鳴ったと伝えている。

 そのような歴史博物館であるが、最後に漫画家ちばてつや氏がデザインした「中国養父母感謝の 碑」は、ホッとする心温まる彫刻だった。

 夜は、故宮城内にある老辺餃子館の色とりどりのおいしい餃子を食べた。

 「歴史とグルメ」を求めてまた来たくなる瀋陽の街であった。


瀋陽駅

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