悲劇の青春2
「悲劇の青春」

岡山県と満蒙開拓青少年義勇軍

内原訓練所にて、村上中隊渡満記念

 1937年7月、日中戦争が始まった。同年11月、『満蒙開拓青少年義勇軍編成に関する建白書』が出された。

 「満蒙開拓青少年義勇軍の為さんとする所は、我青少年を編成して勤労報国の一大義勇軍たらしめんが為に、 全満数ケ所の重要地点に大訓練所を設けて此に入所せしめ、開拓訓練即教育、 軍事教練即警備なる現地の環境に即せる方法によりて、日満を貫く雄大なる皇国精神を練磨せしめ、 之を以て他日堅実なる農村建設の指導精神たらしめ、併せて満州農業経営に必要なる智識技能を修練せしむるにあり。 斯くして大訓練所の課程を了りし者は、逐次鉄路自警村、既設移民団、 将来の移民根拠地等に設けられつつある中小幾多の青少年訓練所に転出せしめ、 更に修練重ぬると同時に之に依りて、或いは国策移民の完成を助け、或いは将来の移民地を管理し、 或いは交通線を確保し、一朝有事の際に於いては、現地後方兵站の萬全に資する所あらんとする ものなり」

『岡山県史』によれば、岡山県からは第8次に亘って、2703名(全国第9位)が派遣された。その内、死亡429名・未帰還者197名。4分の1が、帰国していない。
第1次(昭和13年)混成部隊 665名
第2次(昭和14年)混成部隊 195名
第3次(昭和15年)谷本中隊 26名
第4次(昭和16年)宮野中隊 253名
第5次(昭和17年)西中隊 250名
第6次(昭和18年)近藤中隊 243名
第7次(昭和19年)赤木中隊 284名
第7次(昭和19年)村上中隊 285名
第8次(昭和20年)大久保中隊240名
第8次(昭和20年)藤森中隊 262名

 村上中隊手記『残影』に載る詩一篇を紹介する。

僕たちは 純粋でした
国が盛んに 啓蒙しました
学校の先生も 役場も率先しました
先生の勧めは 絶対でした
僕たちは、純粋でした
「青少年よ、行け大陸へ」
「広大な沃野は、君を待っている」と
僕たちは、純粋でした
お金一銭も貰わず
汗を流し、寒さに脅え
訓練に農作業に励みました
とことん腹も空かせました
十五歳の時でした
僕たちは、純粋でした
沢山の友が、病気や栄養失調で
亡くなりました
その名は『満蒙開拓青少年義勇軍』
僕たちは、純粋でした


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