悲劇の青春13
「悲劇の青春」

哈爾濱と哈爾濱第一医院

元義勇隊中央病院跡にて

 哈爾濱市を流れる松花江は、昨年大水害をもたらした。斯大林(スタ−リン)公園の中に防洪記念塔がある。現地ガイドの孫暁鵬さんによれば、高い堤防のあと30センチの所まで水が来たと言う。したがって、向かいの太陽島公園は、全面水に浸かった。今年の松花江は、水量も少なくゆっくり流れていた。

 7月中旬、1通の現金書留が届いた。

 「拝啓 昨年主人永眠の際には、ご丁寧な御弔詞を頂き、ご厚情の程ありがたく厚く御礼申し上げます。さて、今年は村上義勇隊の跡地を訪ねられるそうですね。この前の旅、私はとても感銘を受けました。さぞかし主人が生きていたら今回も行きたいと楽しみにしていたと思います。そんな気持ちを思い、心ばかりを供養にさせて頂きたく同封いたしましたので、よろしくご受納下さい。寺尾喜美子」

 3年前の『悲劇の大地を尋ねる旅』に、寺尾夫妻は参加された。

 寺尾正彦さんは、村上中隊から、通信の勉強をするため、哈爾濱へ派遣された。哈爾濱市の南崗区阿什街に住んでいた。駅前である。「先ず駅舎、駅前が全く変わっているのに驚いた。マ−チョ(馬車)が10数台止まっているに過ぎなかった駅前は、人の波、ビルの林立。50年の歳月を感じた」

 寺尾さんは、そう書き残している。昨年の夏、再入院された後亡くなられた。

 村上中隊で、哈爾濱に来た隊員が他にもいる。河野和之さんである。勃利で初めて迎えた厳しい冬将軍。雪中の伐採作業とそれを運ぶ薪運搬作業が続いた。靴が破れて、そこから雪水が入り凍傷になった。勃利本部病院では治すことはできないということで、哈爾濱義勇隊中央病院へ送られた。隊員が凍傷により手足の切断とか重病の場合は、そこへ送られた。河野さんは、「踵から先は、無くなるかもしれない」と言われいたが、運よく凍傷も治った。さらに、体力回復のため蓋平療養訓練所へと移って、終戦を迎えた。同じ中隊から来ていた住田君はここで亡くなっている。

 哈爾濱義勇隊中央病院は、現在哈爾濱第1医院として残っていた。

 山本弘之さんは、第1医院前で次のように語ってくれた。

 「哈爾濱義勇隊中央病院で、辻君、安井君、木村君、石原君の4名が残念にも闘病の末、亡くなっています」

 山本さんら、村上中隊6人の元隊員は、この病院の前でも手を合わせた。 


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