『悲劇の大地』 第10章


 残暑が、厳しかった。

 そろそろ路地物のナスが終わる時期を迎えて、ハウスのナスの植え付けを終えたばかりであった。約千六百本の苗植えをして、二週間後には出荷が始まる。児島湾干拓地にある灘崎町のナスは、「千両ナス」のブランドで京阪神へと売り出される。

 戦後の干拓地で、規則正しく区分けされ、大型農業が可能なこの地で私の家の田んぼは二ヘクタ−ルぐらいある。しかし、米やビ−ル麦を作っても、今時いくらにもならない。私たち夫婦と息子の家族を支えているのは、ハウスのナスであった。

 戦後、「満州」から帰国して、夫の二郎は岡山県とかけ合って、この地の開拓事業に参加した。塩害がおきたり、収穫ができるまでには時間がかかった。それまでは、よその田んぼを借りていたこともあった。電気や水道がついたのも昭和二十八年だった。天水を利用する生活が続いていた。

 生活にゆとりができたのは、二十年前に農協に勧められて始めたハウスのナス作りからだった。農協でも、「蓮根がいい」「いやレタスがお金になる」と議論の末に決まった経緯がある。
「高木先生、さつまいもがたくさん出来ているから取りに来て」と、私は高校に電話した。
九日間にわたる「大主上房開拓団を尋ねる旅」が終わって、一ヵ月が経ていた。
私は、八月の末に鈴木玲子さんから一通のお手紙をもらったのに返事を出しそびれていた。
「拝啓
まだまだ残暑が厳しい今日この頃です。
 安田和子さんお元気ですか。この旅行における私の一番の目的は、実際に目で見て、肌で感じることでした。今度の旅で中国の広大な土地を見て、そこに道や畑を作っている中国人を見て、初めて開拓団の農作業の苦労の一部を知ることができました。そして、逃げて日本に帰るためにあの長い道程を歩き続けた人たちの気持ちがほんの少しわかったような気がしました。

 一面の畑や草木生い茂る明るい緑の中で銃撃戦があり、多くの人が死亡したことは、正直言って信じがたいものでした。安田さんや城山さんが側にいても当時のイメ−ジは、あまり実感が湧きませんでした。五十二年という月日が長すぎたのでしょうか。でも、ほんの少しわかったような気がします。

 多くの人が目の前で殺されたり、まして自分の子の首を母親が絞めるなど、どれほど辛かったことでしょうか。亡くなった息子さんを埋葬した場所で手を合わせる安田和子さんの横顔を見ながら、そんなことを思いました。 今回の旅は、ただ見聞を広めるための旅行ではなく、過去の歴史と人の想いに触れた旅でした。人の想いは年月を経ても在り続けるものだと思います。中国人の想い、アジアの人たちの想い、安田さんや城山さんの想いを語ってもらい、そして伝えていくことは、これからのアジアの国々と友好に繋がっていくものと私は信じます。

 私たちはこれからも、安田さんや城山さんの想いを受け継いでいきます。どうか、今後とも長生きをしてください。
では、さようなら。                          かしこ 
             八月二十五日     鈴木玲子 」

 私は、何度も何度もこの手紙を読んで泣いた。若い人がこのように受け止めてくれたことがうれしかった。

九月に入って、夜になると虫の鳴き声が聞こえはじめ涼しくなってきて返事を書いた。
「拝啓

 一昨年以来、たびたび私たちの荷物になる話をお聞きくださいましてありがとうございました。高木先生をはじめ学生の皆さんに厚く御礼を申し上げます。

 念願だった勝の法要が勃利でできたこと。万竜開拓団で銃撃に会い亡くなった団員や、大茄子訓練所で井戸に飛び込んだ団員や母親に絞め殺された子どもたちの慰霊ができたことなど本当によかったと思っています。さぞかし、満州の地に眠る開拓団員や子どもたちの霊も喜んでくれたのではないかと思います。これも、高木先生を始め皆様が連れて行ってくださったおかげと思っています。
私たち開拓団員で、もう生き残っているのは数人です。無事に帰国できた城山さんの奥さんも、藤井敏江さんも、佐藤初子さんも、数年前に亡くなりました。

 生き残った者としての使命が果たせて本当によかったと思っています。これで、戦後五十年心に残った荷物が下ろせたと思います。 二十一世紀に生きる若い人にお願いがあります。こうした歴史を知った上で、のんびりした日本を築いてください。
本当にありがとうございました。さようなら。            かしこ。
                       九月十六日     安田和子 」

 「ごめんください」と、言う太い声が聞こえた。高木先生の声である。

 「高木先生、お忙しいところすいませんなあ。さつまいもを掘ったから持ってかえってもらおうと思って電話したんじゃ。それから、鈴木玲子さんからお手紙をもらって返事も出せんでおったんじゃ。私は、手紙を書くのが苦手でええように書けんのじゃが、この手紙を渡してちょうでえ」

 「いや、いつもいつも、すいません。わかりました。必ず鈴木に渡しておきます」

 高木先生は、手紙に目を通しポケットに入れて、さつまいもの入ったダンボ−ルを抱えて車に戻った。

 いつの間にか、入道雲から鰯雲のような秋空に変わっていた。とんぼが行き交っていた。私の心の中は、戦後のひとくぎりがついたような安堵感に満たされていた。(おわり)


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