「悲劇の大地」 |
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「大主上房開拓団」 |
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大主上房開拓団跡地 |
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見渡す限り一面に広がる大地に、とうもろこし畑と大豆畑と小麦畑が交互に地平線まで広がっていた。ここが開拓団跡地であった。私たちは8月8日に、「開拓団を尋ねる旅」(団長・加藤孝之有漢町町長)の最終目的地である大主上房開拓団跡地を訪ねた。
時折小雨の降る、日本でいえば10月頃の気候の肌寒い夏であった。案内された場所は、かって福禄寿郷といわれる地区。現在の中国人が住む集落は別の場所にあり、福禄寿郷に地 にあったと思われる井戸が残っていたが、それは大豆畑の中にあった。
昭和7年以降、国策として旧満州に送られた満蒙開拓団。岡山県からも5500名余りが参加した。大主上房開拓団は、高梁市、上房郡を中心に編成され、黒竜江省宝清県から約80キロ離れた、大主山の麓に入植した。
今回の旅には、先遣隊として昭和15年から入植した白髪真吾氏(76歳)と、「大陸の花嫁」として昭和19年にこの地に来て悲劇の逃避行を体験した梶田君子(73歳)さんが同行。二人は、開拓団跡地の51年の変化に戸惑い、感無量になりながらも当時の状況を説明してくれた。
この集落の中にある珠山小学校の校庭の隅に6本の松の記念植樹をさせてもらった。校長先生にバレーボールとサッカーボールのプレゼントが若い学生の手でおこなわれ、日中友好と平和を誓い合った。
2年前のことであった。玉野光南高校社研部を、地元灘崎町に住む梶田栄一さん(79歳)が、史料や当時の写真を持って訪ねてこられた。戦後50年という節目にふさわしい内容と判断し、梶田夫妻の貴重な体験の聞き取りが始まった。特に、梶田君子さんの、想像に絶する艱難辛苦の逃避行は、戦争を知らない生徒の心を打つ内容だった。
私は、昨年梶田栄一・君子夫妻の体験を中心とした記録を、『ロング・イエロー・ロード』−ある満蒙開拓団夫婦の逃避行−と題して冊子にまとめあげた。
その中の、梶田氏の感想文に「大主上房開拓団の跡地に、松の苗木を一本でも持っていきたい」という熱意が今回の旅のきっかけになった。昨年暮れから、私は岡山市日中友好協会の協力を得て、岡山県や高梁市、上房郡などに募金と職員の派遣の協力をお願いしてきた。
開拓団や青少年義勇軍の関係者だけで構成し、死亡した仲間の慰霊に行く旅の形ではなく、私たちは貴重な証言を聞きながら歴史の教訓を学び、日中友好を推進する旅を企画した。われわれ一行が、最終目的地へ到着したのは日本を出て6日目のことであった。
珠山小学校で植樹後 |
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