7 南京から湖州・杭州へ

 第五師団第一建築輸卒隊の154名は,1937年12月30日、南京の下関停車場から 乗車して常州−上海へと向かった。翌年1月4日に上海から湖州(太湖の南岸の都市)に到着した。 ここで約10日滞在して,病馬廠や馬繋場を完成させて,1月14日に杭州へ向かう。8月5日に 杭州を出て,また南京へと向かう。その間,1月14日から8月5日まで約7ヵ月間杭州に滞在した 第五師団第一建築輸卒隊の記録を4つの視点から分析する。ここでは,まず杭州に向かうまでの 理由と背景を説明する。

 12月29日,湖州丙兵站司令部より乙兵站司令部に入電があった。

 「第一建築隊ハ新ニ丙兵站司令部ニ配属サル汽車輸送ヲ以テ上海経由平望鎮ニ至リ湖州に 向ワレタシ」

 『戦史叢書』によれば,第10軍杭州作戦が展開されていた。

 「方面軍及び第10軍は,兵力の関係上,杭州の攻略は南京攻略後に行うように考えていたが, 12月7日の大陸命に基づき,方面軍は一部を持って同地を攻略するに決し,上海警備に任じていた 第101師団を第10軍司令官の指揮下に入れ,同司令官をして,同師団隷下兵団の一部をもって 速やかに攻略するように命じた」(429頁)

 12月12日から始まった杭州攻略作戦は,同24日に杭州を占領した。第10軍司令部は, 杭州に位置することとなった。そこで,第五師団第一建築輸卒隊は,占領後の杭州の再建・ 建築に向かったものと思われる。



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