悲劇の青春4
「悲劇の青春」

桃山と勃利大訓練所

七台河市のシンボルとなっている桃山

 七台河市は、勃利から約40キロ離れたロシア風につくられた新しい街である。北緯45度16分。北海道の稚内より少し北に位置する。人口約83万人。黒龍江省東部の中心都市である。1958年から、良質の無煙炭が発見されたのがきっかけで開かれた街である。街のはずれには、黒い三角のボタ山が幾つも見られる。

 前日の午後6時35分、哈爾濱駅を特快295号はゆっくりと出発した。約1時間、地平線に落ちる夕日が残照していた。その後、列車は漆黒の闇の中を走った。

 翌朝5時過ぎ、列車内が騒がしい。 「さっきの駅が勃利駅じゃった」 「おう、勃利じゃ、勃利じゃ。懐かしいの」午前6時37分七台河駅に着くまで、村上中隊6名の元隊員の興奮は収まらなかった。

 昭和19年5月20日、満蒙開拓青少年義勇軍村上中隊214名は、内原訓練所を出発した。新潟港から羅津や図們や牡丹江をへて、5日間かかって勃利駅に到着した。勃利駅から勃利大訓練所まで、日満国旗を先頭に弥栄棒(開墾鍬の柄を銃と同じように持つ)を肩に早足の行軍であった。早朝出発して、夕方に到着した。「進めども、進めども続く、なだらかな丘陵は、終わりの無いように見えた」「本部を前に、左横に小高い山が見える。この山が桃山だ」(『残影』より)

 単線なので待ち合わせのため、列車はゆっくり走っては停車する。列車の窓から松や白樺の防風林が遮る時以外は、なだらかな丘陵にトウモロコシ畑や大豆畑や向日葵畑などが、色鮮やかに広がる。この風景を見て初めて「北満」にやってきた気がした。

 七台河市は、桃山の麓にある街である。その当時、桃山神社があった所へ、テレビ塔が一本立っている。勃利大訓練所の跡地を、案内してもらった。守衛所の建物が残っているだけだった。現在は、製材所になっている。

 本部前からは、ビルがあって見えなかったが、50メ−トルほど奥へ進むと、桃山が手に取るような近さに見えた。「丁度、桃の恰好である。この山は桃山と名づけられていた。訓練本部も、この山に因んで桃山本部と言われた」(『残影』より)

現在は市民の憩いの場、公園になっている。あれから55年の歳月が流れた。しかし、村上中隊の元隊員の記憶の中の「桃山」は決して消えることはない。 


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