18世紀後期創建の二間からなる離れ座敷を、享和元年(1801)に1階が座敷、2階が蔵という造りの蔵座敷に改築しました。現在のような数寄屋風の意匠になったのは、嘉永年間(1848〜1854)と考えられています。
蔵座敷内の通称「御成りの間」は、家人でさえ滅多に立ち入らない賓客用の部屋で、屋敷内で最も格式の高い洗練された装飾がほどこされています。
スギやヒノキといった高級材の使用はもちろん、違棚下の框にはフナ虫に喰わせてできた穴に胡粉を塗り込んだ材を用いるなどのこだわりが随所に見受けられます。また、「御成りの間」の襖は、四代目当主、大森武右衛門森斐(号・黄谷)が描いた亀と、井上端木(1768〜1840)という備中倉敷の文人が描いた鶴の絵で飾られています。
大國家には、天保年間(1830〜1844)を中心に、藩の関係者が何度か宿泊しています。泉水(庭池)や襖絵が、そうした賓客の目を楽しませたことは、大國家に伝わる古文書からも窺うことができます。