先祖書きによれば、大國家の祖先は、大森新四郎道明という人物で,備中辛川城(現、岡山市西辛川)の城主の弟であると伝えられています。道明は戦国時代の終わりごろに和気に移住し,農業を営みました。また、大國家はもともと「大森」と称していましたが、幕末から明治時代にかけての7代目当主・武須計道善(ブスケミチヨシ)の時代から「大國」の姓を使うようになりました。
現在の大國家のはじまりは、延享5(1747)年、道明から数えて7代目にあたる、武介満體(ブスケミツモト、1710-1773)からです。享保12年(1727)、18才で運送業と酒造業を興した満體は、延享4年(1747)に分家し、尺所村に居を構えました。大國家住宅の創建については、覚書や柱に残る墨書から、満體が当主であった、宝暦10年(1760)のことと判明しています。
代々の当主は家業に精を出すかたわら、文人と交わり、大國家は地域文化の一翼を担う存在でもありました。また、藩に運上金を指し出し、金剛川に橋をかけ、困窮した家々に食糧を施すなど、社会的な事業も行い、幕末には尺所村の大庄屋格を務めました。
平成21年度から、大國家文書の解読が本格的に開始したことで、大國家や和気地域内外の歴史と文化が一層明らかになることが期待されます。
大國家の歴史
初代当主、満體と家業について描いた絵巻物。馬と高瀬舟を使った運送業の様子が描かれている。
高瀬舟の帆に描かれているのは、大國家が用いた商業用の紋。
尺所村絵図(部分)
満體絵巻(部分)
大國家が位置する尺所村を描いた江戸時代の絵図。赤い○印が大國家。
尺所村絵図(部分)