1975年夏。イランのマシュハドからバスで国境に向かい、アフガニスタンとの国境でバスを乗り換えヘラートに着いた。イランとアフガニスタンの国境は乾燥したステップ地帯で、有刺鉄線に挟まれた数キロ間は非武装地帯(?)になっており、遊牧民がラクダを放牧していた。当時、アジアハイウェーはヨーロッパから大麻を求め陸路ネパールやアフガニスタンに向かうヒッピーのメインルートになっていた。